わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

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カンボジアの孤児院の代表

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メアス博子さん


昨年7月にフォルテワジマにてカンボジアの孤児院「スナーダイ・クマエ」の子どもたちの絵画展が行われた。例年、和歌山市をはじめ、吹田市、尼崎市、神戸市、東京や名古屋市、長野市、旭川市においても開催されている。この孤児院の代表メアス博子さんに会って話を聞く機会を得たので紹介したい。

(中村 聖代)

【スナーダイ・クマエとは】

 「カンボジア人の手によるもの」という意味の「スナーダイ・クマエ」は、カンボジアの明日を担う人間の育成と、この孤児院の運営を担う人材の育成の二つを目指す。

 代表はメアス博子さん。和歌山県海南市の出身だ。

【厳しい幼児教育】

 「これからの人は英語が出来なければ」という母の信念のもと、博子さんは幼少児から英語学校に通い、親しんだ。英語教育の盛んな星林高等学校国際交流科(第3期)に推薦されたのも当然の流れだった。

 博子さんの母は、茶道華道の師範。「自分のことは自分で」と、炊事・洗濯・掃除なども小さな時から当たり前だった。

 そんな躾の厳しい家庭だが、愛に満ちていて、「家では性別・職業・年齢・人種などによって差別する意識は全く存在しませんでした」と、博子さんは振り返って言う。

【卒業旅行で知り合う】

 あまりに英語漬けの学生生活を送った反動として、甲南大学の経営学科に進んだ博子さん、卒業旅行はカンボジアだった。

 母の知人がカンボジアの中学校の校舎を寄付したのでその視察をかねたツアーなら旅費を出してくれるという。そしてそこでトミー氏と知り合い、結婚。

【設立者トミー氏】

 トミー氏は中学生の時にインドシナ難民として家族で日本に移り住み、大学院を卒業後カンボジアに戻って日系企業に就職した。

 カンボジアに戻った1995年、10数年前と何ら変わっていない自国の教育事情に愕然とし、かつてお世話になった日本人の協力を得ながらシェムリアップ州に寺子屋風の語学教室や学校の建設を主活動とする団体を設立する。それが現在の「スナーダイ・クマエ」の前身だ。

【孤児院との出会い】

 博子さんは1998年結婚当初は首都プノンペンで暮らしていた。専業主婦で、仕事といえば日本にいる支援者にお礼と報告の手紙を書くことだが、現地に行ったことがないので通り一遍のことしか書けない。生まれたばかりの幼い長男を抱え、交通事情も治安も、病院施設も空気も悪い環境で夫の帰りを待つ「かごの鳥状態」に不安ばかりが募った。

 で、決心して孤児院のあるシェムリアップ州に子どもと二人移った。2000年のことだった。

【孤軍奮闘】

 1998年当時は全てカンボジア人スタッフ、貧困で子だくさんのため養育困難な児童や身寄りのない子ども20人ほどがいて公立の小学校に通わせていた。

 現地に来た博子さんは、初めは毎日毎日ごみを拾い、燃やしていた。広大な敷地全部がごみ捨て場と化し、2年分のごみが溜まっていたからだ。

 それを見ていた子どもたちが徐々に手伝うようになり、自分のことは自分でするようになり、さらに掃除だけでなく調理や水汲み、えさやりなどの手伝いも出来るようになった。

 2004年ごろからは虐待から保護された子どもたちを積極的に受け入れるようになった。

【夫との別れ】

 仕事の関係でプノンペンに単身暮らしていたトミー氏と別れることになったが、孤児院を途中で放棄するわけにはいかない。設備も少しずつ充実し、子どもたち・卒業生・スタッフ・何より博子さん自身を成長させてくれた孤児院だ。

カンボジア政府からの援助は全くない。定期・不定期に継続的に支援する多くの日本人に支えられてここまで来れたのだ。

【絵画展を続ける】

 スナーダイ・クマエでは学校で触れる機会のない絵画の時間を2008年から施設の時間割に取り入れている。子どもたちの今の姿を見てもらいたい、そして感謝を表したいとの思いから日本での絵画展が始まった。作品をもとにしたオリジナルグッズを販売することで、運営費の一部としている。

博子さんの思い・

「これらのこと全ては亡くなった両親から受け継いだものを次に伝えている、という気がします。カンボジアの子どもたちから多くのことを学びました。私は現代の日本の若い人たちが親(先祖)から受け継いで繋ぐーという行為が廃れているような気がしてなりません。カンボジア人のような、ある意味自然な生活を送ることで素直に受け継ぐことができる、それが幸福への近道のひとつではないでしょうか?」


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by mako0491 | 2018-01-16 18:31 | アタマ記事


男がスーパーへ買い物に行く

 たまたま、私の家内が1か月の入院生活を余儀なくされた。それまではマイカーでのアッシー君役で、駐車場で本を読みながらの辛抱、店に入ることはまずしなかった。店の買い物かごを持つ嫁はんのそばにくっ付き、魚売り場のカウンターで品物を指差す姿を他人の目に晒すことに強い抵抗感があった。

 ところが、独り暮らしとなるとそうは行かなくなった。最初の1週間は、高齢者支援センターのお世話で、配食センターから一日2回の配食をしてくれることになった。

ところが私の毎日の食事は、55年間の家内の手作り味に慣らされてしまっており、しかもその間、胃の全摘手術や前立腺癌や膵臓炎と家内に言わせると病気の百貨店の様な病歴を重ねただけに、それに対応する食材と味付けが求められていたのである。

入院していた家内は、夫は三食どうして食べているのか、自分の病状よりそちらの方が心配であったらしい。「大丈夫だよ」と言いながらも、長期には耐えられなかった。

 

 もともと私は田舎の農家育ち。太平洋戦争直後、自家の田畑で採れるコメ、麦、野菜で育った世代である。夕刻、学校から自宅に帰ると、玄関の上がり框に、農作業に出ている母親から置手紙があった。最後に「頼みます」と付記されていることもいつもの通りであった。ある日、「里芋と油揚げの煮っころがし」のメニューがあった。芋が変わるだけで大変だと思った。

私の家族は祖父夫婦と母と兄弟6人の9人、大家族であった。竹ベラをナイフの様に使って最後の仕上げをする皮むき作業が難儀だったのだ。小学生の妹に手伝わせながら必死であった。家族揃っての温かい夕食を思うとき、手抜きは出来なかった。

 そんなの経験が80歳の今、活きて来るなど思いもしなかった。スーパーの手押し車に駕篭を載せて巡る抵抗感など、知らぬ間に吹っ切れていたのである。売り場カウンターを覗く面白さ、料理を作る楽しさが芽生えてきたのである。見回すと、同じ世代や一人者の男が目を輝かして食材を物色している。「男のこだわり」など、なんの意義も無いと知った次第である。 (久山みのる


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by mako0491 | 2018-01-16 18:06 | オトコの独り言

12日ヒト交差点


和歌山に暮らす外国人妻

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前田 芳(ホウ)さん=写真=が内モンゴルに留学していたご主人と結婚したのは芳さん23歳の時。卒業後二人で中国の学校に通い、資格を取得して来日。3年ほど大阪で暮らした後、ご主人の実家のある和歌山に来て12年が経つ。         

今では日本語もうまくなり、夫婦で中国式リフレクソロジー(足裏マッサージなど反射療法)の店を営むかたわら中国語を教え、ご主人の実家の老舗料亭を手伝い、妻としても、主婦としても、一男一女の母としても、日本社会にしっかり根を下ろして生活している。

来日して間もないころ、信号のない横断歩道を渡ろうと立っていると一台の車が停まり、どうぞと手で合図して渡らせてくれた。また道を尋ねた時はそこまで連れて行ってくれたり、地図を描いてくれたりした。その方たちのやさしさと親切に芳さんは感激。

一番苦労しているのは、やはり日本語。漢字で書けば意味が理解できるものもあるが、日本語にはいろんな言い方があり相手に失礼なことを言っていないか心配だと言う。

日本で生まれ育った中学1年と3年の子どもたちからは「お母さんの日本語、変だ」と言われる。「ラベンダーの香り」を「ベランダの香り」と言ったり、「ハーゲンダッツ」が「ハゲンダッツ」になったりして大爆笑されたことも――車の運転免許試験にも、日本語能力検定試験1級にも合格しているのだけれど・・・

日本人より日本人らしい細やかな心遣いをする芳さんは、日本語をもっと上手になって日本と中国の交流の役に立ちたい、誤解が深くならないように中国人にもっと日本のことを伝えて教えてあげたい、日本人にも中国のことを知ってもらいたいと願っている。

 民間の草の根交流を深めたいものである。

  (林 多恵子)


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by mako0491 | 2018-01-16 18:01 | ヒト交差点

1月9の視点

結婚式

 大学で家族機能について講義する時、学生たちに「結婚とは何か」という問いを投げかけています。まだ二十歳前後の若い学生たちからは、「永遠の愛を誓うこと」や「好きな人と一緒に人生を歩むこと」といった回答が返ってきます。人はいつ頃から「結婚は人生の墓場だ」などと言うようになるのだろうかと思いながら、結婚を夢見る世代の大学生たちと結婚や家族機能について話し合っています。

 結婚といえば、先日、久しぶりに結婚式に出席する機会がありました。昔いっしょに働いた同僚の挙式ですが、いわゆる晩婚カップルの大人結婚式です。高級ホテルに新郎新婦双方の職場関係者の方々が招かれ、披露宴には奇抜な演出や余興などはなく、しっとりとした良いお式でした。女性にとって白無垢姿や純白のウェディングドレスは幼い頃からの憧れであり、それを身にまとう結婚式は幸せの象徴のようなものです。 

それも時代背景によって、派手婚や地味婚といった変化を経て来ました。近年は、女性にとって結婚が決してゴールではなく、結婚後も仕事を続け、社会的立場を大切にしていくという女性も多くなってきています。そんな時代だからこそ、結婚式は人生儀礼としての意味合いが強くなるのかもしれません。

 生を受け、天寿を全うするまで、人の一生にはさまざまな人生の節目があります。七五三や成人式など、どの節目にも成長を喜び見守ってくれる家族の存在があります。それらの人生儀礼の中でも、結婚式は最も華やかで特別なものだと感じます。それは、新たな家族を創るに至るだけの人としての成長の喜びがあるからではないでしょうか。「結婚とは何か」それは「家族の創始」だと思うのです。

(石井 敦子)


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by mako0491 | 2018-01-16 17:53 | 女の視点