わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

カテゴリ:アタマ記事( 180 )

新宮市で「健康復活ハウスⓇ」を運営  田中旬子さん

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 独自の方法で呼吸法や

  食事の取り方など指導

新宮市で「健康復活ハウスⓇ」を運営する田中旬子さん。独自の方法で呼吸法や食事の取り方など指導している。ご自宅に伺ってお話を聞いた。    (玉置 ひとみ)

ボランティアで開催

『高齢になっても現在の体力・身体能力をできるだけ失わず、津波が来てもにげられる体づくり』を目標にして、毎月第一日曜日の午後、新宮市福祉センターで、体力づくりの講座をボランティアで開催。

また、ご自宅でも身体に悩みを抱えた方のカウンセラーとしてお仕事をされているという。ボランティア活動を通じてお話をする機会があり、70歳を超えられているというのに、姿勢がよく、若く、軽やかな動きと自論を押しつけない生き方に、お話の続きを伺いたく、後日お宅へうかがった。

乳がんを契機に

「カウンセラーなんておこがましい。悩んでいる人の伴走者になり、一人でも多くの方に健康に過ごしてもらいたいの。良くなる。善くなる。能くなる。潜在意識を活用して願望実現を果たせば、健康な身体で生活できるはず。健康な身体をつくって、国民健康保険をなるべく使わないようにすれば、国家のためにもなるわよ」と。

この活動を始められたのは、25年前に甲田光男先生と会い、大阪府八尾市で行われている勉強会へと参加、そして22年前にご自身が乳がんになられたことだったという。3期の後期で、リンパ節に転移していた。手術を行ったが体調が優れず、その時、西勝三先生が始められた西式甲田療法により、健康を取り戻すべく健康復活に取り組まれ、がんを更生させ健康な身体を取り戻されたという。

そして今、この健康づくりを①血液の循環が完全であること②左右の神経が対称であること③背骨に狂いがないこと④体内の酸アルカリの平衡が保たれていること⑤内部環境(腸)が汚染されていないことの基本を元に呼吸法や食事のとり方などを体調のすぐれない多くの方に伝えらえている。

夫との強い愛情

がんの3期というと生きることを諦めそうですが、田中さんを『生』へ向かわせたことはなんだったのですか?の問いかけに、「夫がね。死ぬな!と言ったの」と頬を赤められた。愛、強いお二人の愛情がこんにちへとつながっている。ハ、ハ、ハ・・と何事もなかったように高らかに笑われ、お家の中には明るい空気だけが流れていた。

健康復活ハウス

新宮市浮島7-13番地

090-7613-9539


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by mako0491 | 2018-10-16 15:11 | アタマ記事


低出生体重児の治療とケア

広く社会の視点から考えていく

      

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      和歌山医大で講義など

 日本が世界一を誇れるもの、それは「赤ちゃんが最も安全に生まれる国」であることです。生後4週間未満の新生児死亡率は1000人あたり0.9人で世界一です。日本は、新生児死亡率を大きく左右する低出生体重児の死亡率が低く、現在では体重1000グラムに満たない赤ちゃんもほぼ救命できる時代となっています。

(石井 敦子)

筆者が講師を務める和歌山県立医科大学保健看護学部では、9月9日に高校生を対象とした「体感しよう!小さく生まれた子どもの命を救う・癒す・育てるケアの力―2018」が開催されました。早産などにより、体重1000グラム未満で生まれた赤ちゃんを超低出生体重児といいます。そのような小さく生まれた赤ちゃんは、外の世界に出る準備の途中で生まれるため、呼吸する力や体温調節する機能が未熟で、NICUという新生児集中治療室で治療やケアを受けることがほとんどです。

お母さんの体験談

今回の講座では、超低出生体重児の治療やケアの講義、NICUの模擬体験に加え、超低出生体重児で生まれ、現在は20歳に成長したお子さんを育てたお母さんの体験談を聴かせてもらいました。

自分の手のひらにおさまるほどに小さなわが子を産んだ時の自責の念、さまざまな不安を抱えながらNICUで子育てする日々を支えてくれた看護師への思いなど、母親の立場で語ってくださいました。

赤ちゃんの身体が小さすぎて、新生児用の肌着やオムツは付けられず、オムツの代わりに生理用ナプキンをあてられていたのを見て「こんな小さな子が産まれてくることを社会は想定していません」といわれているような気持ちになったそうです。20年前の悲しい現実ですが、そのような母親たちの声から、現在では、オムツメーカーで可愛い絵がプリントされた超低出生体重児用の小さなオムツも製品として作られるようになりました。

小さな肌着も

このお母さんは小さく生まれた赤ちゃんにも可愛い肌着を着せることができるように、新生児用肌着よりも小さいサイズの低出生体重児肌着を作り、13年前からオンラインショップを立ち上げて販売しているそうです。点滴していても安全に着衣着脱できる肌着がほしいという看護師さんの声から考案された点滴用肌着も全国のNICUで使われています。海外では、このような小さな赤ちゃん用肌着もプリミーサイズとして百貨店などどこでも買うことができますが、日本ではまだまだそのような環境が整っていないのが現状です。

 

新たな母子健康手帳も

最近、ようやく各自治体では低出生体重児向けの母子健康手帳を作る動きが出てきています。生まれた時からの成長発達の記録として大切な母子健康手帳ですが、体重は1000グラムからしか書き込めません。それこそ、社会に受け入れられていないと感じてしまいます。低出生体重児向けの母子健康手帳の目盛りはゼロから作られ、その子に合わせた成長発達の時期に記入できるようになっています。そんな些細なことも、子育てする母親にとっては精神的な支えとなり、小さく生まれた子どもが大きく育つ力になっていくのではないでしょうか。

最先端の研究に触れる

この講座は、独立行政法人日本学術振興会の「ひらめき☆ときめきサイエンス~ようこそ大学の研究室へ~」というプログラムで、最先端の研究を直に見る、聞く、触れることで、科学の面白さを感じてもらい、将来を担う小中高生の心の豊かさと知的創造性を育むことを目的にしたものです。

科学技術はサイエンスとヒューマニズムで豊かな社会をつくるためにあるものです。超低出生体重児の命が救える時代を生きる若い世代が、その大切な命を育むためにできることを広く社会の視点から考えていくきっかけになることを期待しています。


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by mako0491 | 2018-09-14 11:06 | アタマ記事

             サックスでヒトの心癒やす

         ナマ演奏の場増やしたい

                        岡なづきさん

 

 和歌山市内生まれ、市内在住の岡なづきさんはサクソフォーン(以下サックスと略称で言う)奏者。去る6月「和歌山市議会と高雄市議会との友好交流に関する覚書」調印記念レセプション」でも和装で日本国歌と台湾国歌の演奏をし、皆に感銘を与えた。彼女の魅力を伝えたい。

 (中村 聖代)

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 なづきさんは、現在2人の小学生の母親である。病院の事務職に就きながらサックス活動も続けている。幼いころからの母親の影響だと本人は言う。

「結婚や子育ては自分の時間がなくなり、やりたいことができなくなる」と敬遠する声が多い昨今。大変だが、家族の支えがあってはじめて自分自身の人生を歩むことは可能だと訴える。

【楽器との出会い】

 なづきさんの最初の楽器は、小学3年生になってからのピアノだ。「となりのトトロ」が大好きだった彼女は、家にある古いキーボードを使って両手で演奏していた。もちろん独学。

「それほど好きなら習ってみる?」小さな頃からピアノを習う周囲の中で、同じようにする必要がない、と考えていた母親の心を動かしたのだ。

音楽が大好き少女は4年生になると「金管バンド」に入る。花形のトランペットをやりたかった。が、身長が160㎝あったためか、6年生までずっとユーホニウム担当。

中学校の吹奏楽部では今度こそトランペット、と思ったが、やはり希望者多数。昔ジャズバーに勤めていた父親の「サックスがかっこいいよ」の一言でサックスが第二希望となり、高校卒業までの6年間はサックス。

短大に入ると今度はサックスがいっぱいで無理といわれ、トロンボーン担当になる。思い通りにならないのもいい経験だったと振り返る。

【審査員の一言で】

 卒業後市内で就職。2年ほどは楽器から遠ざかっていた。母から「せっかくサックスがあるのだから、吹奏楽団にでも入ったら?」で、和歌山市吹奏楽団に入団。第二の音楽活動が始まる。

 サックスとピアノのクラシックコンテストに県の代表として出場した際、審査員から「あなたの演奏は独特で魅力的。ソロで活動してみては?」といわれたことが心に響き、「オフィストーン」事務所に所属。イベントや結婚式の演奏、小中学校の外部講師や個人指導、慰問活動などを行う。

【なづきさんの思い】

和歌山ではライブハウスはあるものの、一般人が生の演奏に触れる機会が少ないので、もっと生演奏の場を拡げたい。

 芸大・音大出身でなくても、特別に師事されなくても、自分なりの表現はできるし、目の前の人に心を伝えられることを知ってもらいたい。

 県内にも増えつつある児童虐待。母親と胎児に演奏を聴いてもらって、その結果として虐待を防ぎたい。

 次から次へと、なづきさんの熱い思いがほとばしる。

 サックスは人間の声に近い音色を奏でるため、聴く人の落ち着かせ、穏やかにする効果があるらしい。筆者も癒された。

「自分の音を必要とする人がいる限り演奏を続けたい」という彼女は、要請があればどこにでも来てくれる気がする。


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by mako0491 | 2018-08-24 11:25 | アタマ記事


写真上は別院さん

 写真下は南方さん

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異色なアーティスト活躍

和歌山市内に芸術家と呼べる逸材が数多くいる。その中でも知る人ぞ知るお二人にスポットを当てたい。まず一人目は別院丁子(ベツイン テイコ)さん。二人目は、デザイン書家南方伶文(ミナカタ レモン)さんだ。すばらしい才能の持ち主であるお二人に別々ではあるが、直接触れる機会を得たので紹介する。  (中村 聖代)

別院さん、県内各地で舞台朗読


【山本周五郎の短編】

 別院丁子さんは「語り寄席」と銘打ち、県内各地で多様な読みの勉強の成果を発表している。

よみきかせ・語り・朗読・郡読の指導を長年にわたって指導を続ける丁子さんは、和歌山大学在学中は演劇をしていた。今回は、その実力に裏打ちされた「舞台朗読」を披露。レパートリーは、樋口一葉「十三夜」「にごりえ」「大つごもり」。藤沢周平「驟り雨」「虹の空」など多数ある。筆者が触れたのは、山本周五郎作「糸車」だった。

短編とはいえ、最初から最後までこの物語を話して聞かせる。身振りや動作を交えて披露―一人芝居と言っても良い。お話の内容もさることながら、心にじわんと響いた。

【よみきかせの会連絡会】

 丁子さんの夫の清さんは和歌山よみきかせの会連絡会の代表をしている。連絡会は和歌山県内にある読み聞かせのグループが集まったもので、エリアごとに各グループのメンバーが昔話を子どもたちに語る。もちろん二人とも指導に当たる。

清さんは「今の子どもたちにどれだけ通じるか分からないが、かつての日常語の豊かさを伝えたい」と語った。


南方さん、表現豊かデザイン書家

【伝統プラスモダン】

南方伶文さんも和歌山市在住。去る6月16日から29日まで海南市の琴の浦温山荘園で、作品展「墨色流創作書」が開かれた。文字の形をベースに、絵画のような表現豊かな作品で見る人々を魅了。

デザイン書は、別の紙に作品の形をあらかじめデッサンし、それを見ながら清書用の紙などに筆で文字を書くというもの。

伶文さんは、東京都内の大学在学中にデザイン書を知り、興味を覚え学びはじめた。

伝統を大切にする日本の書に、モダン・カジュアル・斬新さを加え、現代の感性を融合した表現をめざす書―近頃そういったデザイン書家が全国に増えつつある。 

市内のフォルテワジマなどで教室を開き、国内外の展覧会にも出品している伶分さんは、

「絵と同じように文字も自在にデザインできます」と、その魅力を語る。

今回の会合では、「芸術とデザインを簡単に見分ける方法」の説明があったり、参加者から希望する文字をひとつずつ聞いて、即興で1枚ずつ作品にしてもらったりした。創作書会で10年、総じてのキャリア26年、デッサンなしの文字はさすがだった。


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by mako0491 | 2018-07-24 22:45 | アタマ記事

6.8頭原稿です

人気の農家民宿 はなあそび

外国人客増え、交流に一役

 民宿需要が高まっている。最近では白浜で女性限定の民宿が人気である(3月9日掲載)。今回は場所は三重だが、新宮エリアの農家民宿に行ってきた玉置ひとみさんに寄稿してもらった。

梅取り体験楽しむ

空き部屋の宿泊場所の提供者と宿泊希望者を結ぶサイトAirbnb(エアビーアンドビー)の日本法人が行った、日本でのおもてなし度の高い都市や地域の調査で、新宮市が1位にランキングされた。2位が白馬村、3位が倉敷市とおもてなし度の高い都市が地方に点在している。2007年4月から2018年3月までの1年間の利用顧客データを基に選出されたものだそうだ。

新宮市エリアのAirbnbである農家民宿「はなあそび」(オーナー、矢熊政好・名

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良子さん)へ伺った。三重県の最南端、紀宝町神内にある。今回の調査でも、農家民泊であり地元体験型ということで評価が高かったそうだ。

5月の末、梅取りシーズンという情報を得たので、梅取り体験をした。3ヘクタールの畑に南高梅が植えられている。鈴なりだった。梅ジュースにするためのシロップを作る予定で、青梅だけを選んで取った。

同じく体験に訪れていた人は、梅干しを作る予定だと、赤く熟している梅を取っていた。梅林は、遠く広がる田園風景の中の高台にあるので、景色もよく、この民宿の人気の高さに納得する。

庭には多様な花

こちらの民泊は、4年前、ご主人の完全定年退職を機に始められたそうだ。奥様は花を育てるのが趣味。庭には、多種多様なお花が植えられ、また鉢植えも数えきれないくらいで、庭に整然と並べられている。

ご夫婦とも長年人と関わってきたお仕事だったからか、宿泊施設の少ないこの地域で、宿泊を提供しようと自宅を開放された。基本は素泊まりだが、申し込めば(有料)家庭料理でもてなしてくれる。特に、Airbnbに登録してからは、海外のお客様が増え、国際交流になるとはと、ご夫婦も驚いているようだった。

JR新宮駅まで車で10分。公共交通機関がない地域のため送迎をしてくれる。さらに、近隣の世界遺産や名所旧跡へも案内しているという。田舎の親戚に遊びに来たような温かなもてなしをしてくれる。

郷土料理に舌鼓

梅取り体験をしたこの日も、収穫後、郷土料理の『落花生混ぜご飯』を振舞ってくれた。熊野の混ぜご飯は、酢飯だ。しかし落花生が入っているのは初めて。大人気メニューだそうだ。

宿泊すれば郷土料理の調理や、田植え、稲刈りなどの文字通りの農家体験ができるという。

四季折々の草花と暮らす安らぎをおすそ分け。日常の慌ただしさを忘れられる貴重な時間を一緒に感じてみませんか?花いっぱいの庭でお待ちしています。とコメントをいただいた。


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by mako0491 | 2018-06-14 12:00 | アタマ記事

毎年夏に高校生向けのプログラム


海外からも参加者は多く


能登左知さんは、2016年から和歌山市内において、毎年夏に高校生向けのプログラムGTEGrobal Tchnology Entrpreneur)を主宰している。今年で3回目になるが、回を重ねるごとに注目を浴びている。今回は彼女と、行っている事業にスポットを当ててみたい。

   (中村 聖代)

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【交換留学生として】

左知さんは市内で生まれ、開智高等学校に進学するも、2年生の夏休みにロータリークラブの交換留学生として米国カンサス州オレイサ市にホームステイ。留学期限が切れた後は、開智を退学してそのまま米国の高校に転校して個人留学を続けた。

ウォルト・ディズニーも通った4年生芸術大学(Kansas Art Institute )に進み、インダストリアル デザイン科を卒業した。

彼女がこうした経歴を持つに至ったのは家庭環境にある。小学生のときから家では交換留学生を多く受け入れていて、忙しい両親や姉のかわりに左知さんが彼らと関わっていたからである。

「自分も高校生になると、海外で学ぶのだな」と自然に刷り込まれたと、顧みる。

 卒業後は故郷に戻ってきてデザイン会社を起業したが、経験が浅いため苦戦。ニーズがあった東京に移住した。


【東京から横浜へ】

 左知さんは、()中小企業基盤整備機構に職を得、ビジネスインキュベーターションマネジャーとして、5年間起業家を育成する仕事に携わった。その間2000件のプレゼンテーション個別指導を経験。


【会社を立ち上げ】

住まいがあった横浜には、偶然にもシリコンバレーで知り合った曽我弘(そが・ひろむ)氏が近所に住んでいた。

 彼は、新日鉄を退社後、1994年から2010年までシリコンバレーに移住。スティーブ・ジョブズに自身の会社を売却後、今度はNPOを設立し、日米のスタートアップ企業のメンターとして支援活動を行っていた。

 別々に起業家を支援してきた左知さんと弘氏は、共同で(株)カピオンを立ち上げることにした。2010年のことだった。

GTEプログラム】

 (株)カピオンは、起業家への経営支援を様々行ってきた。が、「起業について学ぶには若いほど身につき、実行して訓練できる期間が長い。これからは高校生も対象とした支援の輪を広げる必要がある」というコンセプトのもと2016年に一般社団法人カピオンエデュケーションズを設立した。高校生限定のアクティブラーニング プログラムGTEイノベーションチャレンジを主宰する。実施は和歌山市だ。

【今年で3回目】

 このプログラムはサマーキャンプ。今年は7月30日から8月3日の5日間。英語で本格的なビジネスについてワークショップを行う。シリコンバレーより現地の高校で起業を専門とする専任講師を招く。最終日にはビジネスプランコンテストが行われ、優勝したチームには「未来」への登壇機会が与えられる。

 海外からも参加者は多く、こうした経験から世界のビジネス界と直に繋がることも可能なのだ。

 世界を視野に入れた経験は、これからの行き方を考える上で、大きな力となりうるだろう。

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未来2018

社会にインパクトを与えるビジネスの創造・成長をサポートする日本最大級のコンテスト。

スタートアップや既存企業のカーブアウト(事業分離)、これから起業する挑戦者をサポートし、あらゆる企業・投資家等を繋ぎ合わせることで、皆の成長とイノベーションの実現をはかる。


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by mako0491 | 2018-05-20 15:56 | アタマ記事

4月20日トップ

顔ヨガ指導に奔走 新田さん


  資格生かし、きれいのお手伝い

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新田佐津紀さんは、ヨガインストラクターであるが、身体を動かすヨガのほかにも『骨盤インストラクター』でもある。また、近頃人気の『顔ヨガ』においては和歌山県で第1号の認定指導者である。毎日「綺麗のお手伝い・愛される笑顔作り」のために走り回っている佐津紀さんにお話を聞き、そして少しだが指導を受けたので報告する。( 中村 聖代 )

 佐津紀さんは、ヨガの気持ちよさを知ってもらおうと、岩出や和歌山県内で「美人ヨガ」、興国寺や道成寺では「寺ヨガ」、南部のホテルでは「サンセットヨガ」、有田川町では「テラスヨガ」、絶景の「カフェヨガ」、他にダイエット目的の「ブートキャンプヨガ」などなど、たくさんのヨガを企画し開催している。いずれも好評だ。

数人集まれば、どこにでも行って指導をしてくれるフットワークの軽さが人気の秘密であろう。出張講座は随時開催される。

彼女は、ヨガ認定インストラクター・リラクゼーションフットセラピー・JAFAアクアビクス認定インストラクター・リンパマッサージ認定セラピスト・そして和歌山県第1号のフェイシャルヨガ認定インストラクターなどの資格を有している。そのため各地域・企業・病院や大学などでも講演会やワークショップを開催、多忙な毎日だ。


【顔ヨガの効果】

 なかでも注目は、フェイシャルヨガ=顔ヨガ。確かな理論と医療監修を受けたテクニックを実践することで、「顔は自分で変えられる」という。

顔に特化した運動により、以下のような効果が得られる。

・血流改善

・リンパ促進

・新陳代謝の促進

・コラーゲンの生成

・筋力の発達

そしてそれによって次のような美容効果があるという。

・顔色が良くなる

・たるみ改善

・しわ改善

・保湿効果

・その他(毛穴の減少、むくみの改善、しみ減少、小顔効果、自然な笑顔などなど)

 ただし、 「フェイシャルヨガはシワの削減だけでなく、増加にも寄与する」と忠告する医師もいる。 激しい筋肉の動きによって、コラーゲン繊維の消耗を増加させ、 シワを悪化させる可能性があるということだ。間違った方法で顔ヨガをすることで、逆効果になることもあるということだ。

そのためにも、本やビデオ教材などでも良いが、プロの指導をしっかり受けること、保湿を十分に行うこと、やり過ぎないことが重要だ。


【佐津紀さんの思い】

 「表情筋は、小さな筋肉なので効果がでやすく、1日たった3分、お風呂やトイレなどちょっとした時間を活用して1~2週間続けるだけで顔に変化が出てきます」。

「顔ヨガを知ることで、美の意識が変わり、いつまでも若々しい顔を手に入れることができます。自分だけでなく周りまで幸せにしましょう」。と佐津紀さんは言う。

 教えてもらった項目の中で、自身は3つだけを続けてみた。最初は硬かった筋肉がすこしずつ柔軟になってくるのがわかる。

  彼女のモットーである「綺麗のお手伝い・愛される笑顔作り」は自身だけでなく、周囲の人たちも幸せになるキーワードといえよう。


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by mako0491 | 2018-05-01 22:46 | アタマ記事


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 白浜でカフェを経営する傍ら、女性に安全・安心な民宿を始めた西川福美さんに、その経緯と現状を綴ってもらった。

14年前にカフェ経営 

 観光地白浜で、カフェを14年間やってきて、気が付いたことが有ります。近年、女性グループや一人旅の女性が増えたことです。お一人でご来店されたお客様との会話。「夜は、ホテルで一人はちょっと、寂しいです」。

私も、14年前、一人で白浜に来て、知り合いもなく、カフェを始めた時に、夜が不安でした。

そうだ、女性限定の宿をしよう!そして、お泊りの方と一緒に食べたり、飲んだり、話したり、旅の想い出を作る他にない宿にしよう。女性が安心して泊まれる宿にしよう!そこが原点でした。

まず、物件探し。古民家に憧れて、2年間探して、諦めた頃に、昨年、2月20日頃に偶然、見つかりました!築80年。広い日本庭園。静かな住宅。家主さんもいい方で一目ぼれです。それまで住んでいた家を3日間で引っ越し準備をしてあっという間に2月28日に転居しました。カフェの常連さんらが手伝ってくれました。 

改修に明け暮れ

この古民家は空き家になって1年間そのままだったので、あちこち傷んでいました。カフェ営業が終わったら、夜中までリフォームに明け暮れました。まるで、ビフォーアフターの番組のように、変わるのが嬉しくて、毎晩、ワクワクです。

民宿とカフェの許可申請は、保健所と消防署です。最近、民泊が急増しているので、消防は厳しくなっています。そして、許可も出て開店日にしたのは、4月4日。「しじゅうしあわせ」が訪れますように。

屋号は皆さんに福が訪れますように、そして、私の名前の福美とカフェの名前が「ペトラの里]なので一文字ずつ選んで「古民家かふぇ宿 ふくの里」に決まりました。

宿ネットを活用

まずは、ボチボチから始めよう。私が接客する宿だから、カフェとの両立もあるし、体が空いた時だけにしよう。知り合いの紹介などで泊まりに来てくださいました。でも、それでは、限界が有ります。やっぱり、宿のネットを活用しよう。

 私もよく使う宿ネットに依頼したら、どっさり資料が届いて・・パソコンとにらめっこ。あかん助けて~~いつも協力して下さっているパソコンの師匠にお願いして登録クリア。しかし、自分で管理しないといけないので、右往左往。まだ、不慣れな時に、夏は、一気に宿予約が入って、慌てました。20代~70代の女性がお泊りされました。

女子高生らとハグ

沢山の想い出が有りますが、中でも、昨年、秋に宿泊された、神奈川県の女子高生の体験修学旅行でした。3人の女の子達が2泊3日間。性格の対照的な2つのグループ。帰り際にぎゃん泣きされて、「帰らない~白浜にいる~ふくの里にいる~」抱きしめました。  

最近、京都から宿泊されたロシア人の女性は一緒に温泉に行ったり、知り合いの畑でみかん狩りしたりで、もう一泊、もう一泊で結局3泊され帰り際には、「アリガトウ!」の、ハグでした。

年齢も言葉も違うけど、もてなす気持ちさえあれば、なんとかなります。今年も、ステキな出会いを楽しみにお待ちしています。


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by mako0491 | 2018-04-06 15:28 | アタマ記事

2月9日付けあたま

ファイナンシャル・プランナー 荒井千珠代さん

「お金と暮らしのアドバイザー」


ファイナンシャル・プランナーという言葉を聞いたことがある方も多いだろう。まだ歴史は浅いが、平たく言えば「お金と暮らしのアドバイザー」だ。本紙に月に1度掲載される「FP女子のマネー講座」でおなじみの荒井千珠代さんに今回は登場いただく。

(中村 聖代)

【プロフィール】

 千珠代さんは市内県庁近くで生まれた。かすかな記憶に路面電車がすぐ近くを走っていたが、いつの間にか消えていた、という。その後、楠見に移った。

中高短大と進学したが、学生時代はバブルの真っ只中、和歌山のマハラジャにも行き、青春を謳歌した。卒業後は当時花形の証券会社に就職。2ヵ月後に支給されたボーナスは、千珠代さんのサラリーマン生活において後にも先にも最高の額だったという。

バブルの崩壊後、仕事は営業のノルマに加え、先輩がとってきた顧客への陳謝だった。

そこで知り合った男性と後に結婚することになるが、3年で会社を辞め、和歌山放送のラジオカーに乗り、お店の取材などをして流したりもしたあと、事務の仕事にも就いた。

結婚後、夫の郷里である茨城県に移住。そこで子育てをした。

【保険会社に勤めて】

 子育て中、勧められて保険会社で働くことになった。ファイナンシャル・プランナーの資格を取ったのもその時期だ。女性も働き続けるべきだという考えもあったし、資格は地位を向上させるために必要だと思ったからである。

 当時は子どもを保育所に預けるのは、両親がいない家庭や、生活保護法による被保護世帯が優先で、両親が共働きのケースは認められがたく、無認可の保育所に預けながら両立させた。

 また、産休や育児休暇を取るのも、(大企業は別として)憚られる時代。女性ばかりの保険会社でも例外ではなかった。千珠代さんは取れる休暇をとりながら奮闘した。

【和歌山に戻る】

 夫の仕事の関係を機に、「どうしても和歌山に」という千珠代さんの思いが叶い、親子4人和歌山に戻ってきた。

 そして保険に関すること以外のアドバイスもしたいため、20年間勤めた会社を辞めた。ファイナンシャル・プランナーとして独立した仕事をするべくFP事務所に所属したのだった。

 今ではあちこちでセミナーや支援を行い、お金に限らず、ライフスタイルなどのアドバイスもしている。

本人のブログ(https://ameblo.jp/chizuyo-a/)にあるように、お金と家族と自分磨きに精進する毎日を送っている。

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ワンポイントアドバイス(「相続」について)

「相続」は「争族」とも言われ、仲のよかった兄弟や親族間にひびがはいることもあるようです。誰にでも起こりうる出来事―いざというときに揉めないように対策をたてておく必要があります。

☆「遺言状」や「遺言公正証書」を作ってあるから安心?

 とは言えません。いつの間にか無くなっていたり、書面に不備があるため無効になったり、公証役場に保管されていても、相続人に遺留分という取り分があるため、内容によっては、故人の意思がそのまま通らないこともあります。

☆税金は待ってくれない。

遺産が一定額=3000万+(相続人の人数)×600万円以上ある場合、相続開始日から10ヶ月以内に申告をする必要があります。納付期限も10ヶ月以内。不動産の場合、すぐには換金できないし、住んでいる家を割ることもできません。

☆名義はどうなっている?

 先祖から受け継いだ土地や田畑・山林などが誰の名義なのか確認が必要です。固定資産税を納付していたからと安心はできません。古い名義のままでも納付書は送られてきています。

――などなど、対策をとっておくのは難しいもの。税理士や弁護士に相談しても完全とは言えません。そんなときにファイナンシャル・プランナーのアドバイスを受けると良いでしょう。


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by mako0491 | 2018-02-10 14:56 | アタマ記事

カンボジアの孤児院の代表

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メアス博子さん


昨年7月にフォルテワジマにてカンボジアの孤児院「スナーダイ・クマエ」の子どもたちの絵画展が行われた。例年、和歌山市をはじめ、吹田市、尼崎市、神戸市、東京や名古屋市、長野市、旭川市においても開催されている。この孤児院の代表メアス博子さんに会って話を聞く機会を得たので紹介したい。

(中村 聖代)

【スナーダイ・クマエとは】

 「カンボジア人の手によるもの」という意味の「スナーダイ・クマエ」は、カンボジアの明日を担う人間の育成と、この孤児院の運営を担う人材の育成の二つを目指す。

 代表はメアス博子さん。和歌山県海南市の出身だ。

【厳しい幼児教育】

 「これからの人は英語が出来なければ」という母の信念のもと、博子さんは幼少児から英語学校に通い、親しんだ。英語教育の盛んな星林高等学校国際交流科(第3期)に推薦されたのも当然の流れだった。

 博子さんの母は、茶道華道の師範。「自分のことは自分で」と、炊事・洗濯・掃除なども小さな時から当たり前だった。

 そんな躾の厳しい家庭だが、愛に満ちていて、「家では性別・職業・年齢・人種などによって差別する意識は全く存在しませんでした」と、博子さんは振り返って言う。

【卒業旅行で知り合う】

 あまりに英語漬けの学生生活を送った反動として、甲南大学の経営学科に進んだ博子さん、卒業旅行はカンボジアだった。

 母の知人がカンボジアの中学校の校舎を寄付したのでその視察をかねたツアーなら旅費を出してくれるという。そしてそこでトミー氏と知り合い、結婚。

【設立者トミー氏】

 トミー氏は中学生の時にインドシナ難民として家族で日本に移り住み、大学院を卒業後カンボジアに戻って日系企業に就職した。

 カンボジアに戻った1995年、10数年前と何ら変わっていない自国の教育事情に愕然とし、かつてお世話になった日本人の協力を得ながらシェムリアップ州に寺子屋風の語学教室や学校の建設を主活動とする団体を設立する。それが現在の「スナーダイ・クマエ」の前身だ。

【孤児院との出会い】

 博子さんは1998年結婚当初は首都プノンペンで暮らしていた。専業主婦で、仕事といえば日本にいる支援者にお礼と報告の手紙を書くことだが、現地に行ったことがないので通り一遍のことしか書けない。生まれたばかりの幼い長男を抱え、交通事情も治安も、病院施設も空気も悪い環境で夫の帰りを待つ「かごの鳥状態」に不安ばかりが募った。

 で、決心して孤児院のあるシェムリアップ州に子どもと二人移った。2000年のことだった。

【孤軍奮闘】

 1998年当時は全てカンボジア人スタッフ、貧困で子だくさんのため養育困難な児童や身寄りのない子ども20人ほどがいて公立の小学校に通わせていた。

 現地に来た博子さんは、初めは毎日毎日ごみを拾い、燃やしていた。広大な敷地全部がごみ捨て場と化し、2年分のごみが溜まっていたからだ。

 それを見ていた子どもたちが徐々に手伝うようになり、自分のことは自分でするようになり、さらに掃除だけでなく調理や水汲み、えさやりなどの手伝いも出来るようになった。

 2004年ごろからは虐待から保護された子どもたちを積極的に受け入れるようになった。

【夫との別れ】

 仕事の関係でプノンペンに単身暮らしていたトミー氏と別れることになったが、孤児院を途中で放棄するわけにはいかない。設備も少しずつ充実し、子どもたち・卒業生・スタッフ・何より博子さん自身を成長させてくれた孤児院だ。

カンボジア政府からの援助は全くない。定期・不定期に継続的に支援する多くの日本人に支えられてここまで来れたのだ。

【絵画展を続ける】

 スナーダイ・クマエでは学校で触れる機会のない絵画の時間を2008年から施設の時間割に取り入れている。子どもたちの今の姿を見てもらいたい、そして感謝を表したいとの思いから日本での絵画展が始まった。作品をもとにしたオリジナルグッズを販売することで、運営費の一部としている。

博子さんの思い・

「これらのこと全ては亡くなった両親から受け継いだものを次に伝えている、という気がします。カンボジアの子どもたちから多くのことを学びました。私は現代の日本の若い人たちが親(先祖)から受け継いで繋ぐーという行為が廃れているような気がしてなりません。カンボジア人のような、ある意味自然な生活を送ることで素直に受け継ぐことができる、それが幸福への近道のひとつではないでしょうか?」


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by mako0491 | 2018-01-16 18:31 | アタマ記事