わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

カテゴリ:アタマ記事( 184 )


新宮ってこんな街なんやで』人気  

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 くまの地域絵本つくりの会製作

分かりやすく、温かい

学校、施設で読み聞かせ

新宮市内でゲストハウス『ふくろく』を経営している平見靖子さんが代表を務めるくまの地域絵本つくりの会が、新宮市のことを子どもたちに知ってもらおうと、熊野新宮の歴史を『熊野権現御垂迹縁起』の伝説を元に、市内三か所の世界遺産の神社(神倉神社、阿須賀神社、熊野速玉大社)4部で構成し、『新宮ってこんな街なんやで』の絵本を製作した。(玉置 ひとみ)

きっかけは、ゲストハウスを利用してくれた台湾からのお客様が「熊野は、観光のスポットというよりも日本の歴史の重要な部分である」というコメントを残してくれたことによるもの。

新宮で生まれ、新宮で育ち、生活しているが、歴史をまったく学んでこなかったこと、海外の方から重要な場所と教えられたことを恥ずかしく思いった。

日本創始の頃から存在したこの地域のことを学ぶ機会がなかったことの反省を踏まえ、新宮市内の子どもたちに新宮の歴史の魅力を絵本仕立てにしてわかりやすく伝えていけば、子どもたちが成長した後も新宮の魅力や歴史を自信を持って話せるのではないか?

この地域のことを広く市民に知ってもらいたいと会を発足させた。平成29107名の市民が集まり、平成30年度の完成を目指した。

文章は、予算の関係で会員が書き、国際熊野学会代表、熊野三山協議会幹事の山本殖氏に文章監修をお願いした。絵は、地元の芸術家平野薫禮(ぐれ)さんが描いた。和歌山県の『地域・ひと・まちづくり補助事業』新宮市の『まちづくり市民活動補助金』の補助金をいただき平成3012月に完成させた。

その後、東牟婁振興局でプレス発表をして、市内の保育園、幼稚園、小中学校、高校、児童館、図書館等へ無償配布した。また、自己資金不足を寄付3,000円以上で一冊進呈としたところ県内外から申し出があり、多くの方にご協力いただいた。

128日(月)に会員5名が和歌山県庁を訪問し、仁坂知事に面談いただき直接お渡しした。県立図書館、田辺市のビッグUの図書館へも置いていただいた。

 知事より「地域を大事にする心を絵本という形で、後世へ残ることをされたというのは尊いことです。」とコメントいただいた。

また、多くの方々から「熊野新宮をわかりやすく作ってくれた」「これを求めていた」また、故郷を離れた方からは、「故郷、新宮を誇りに思う」など。近隣市町村からもよくやった。「新宮弁の語り口がいい」「絵がわかり易く、心が温まる」等の評価を得た。

今後は、『読み聞かせ』で学校、施設を訪問して広めていくという。

※現在も問い合わせをいただいているが、販売予定はなく、製作部数の配布は全て完了している。


by mako0491 | 2019-03-04 00:21 | アタマ記事

1月25日あたま

南方熊楠記念館の見どころ

文献、標本数多く展示

白浜にあり、眺望抜群


本県が生んだ巨星南方熊楠(ミナカタ クマグス)に関する文献や標本などが展示され、イベント等が開催される「南方熊楠記念館」が白浜にある。そこの館長の谷脇幹雄さんから定例の勉強会で熊楠にまつわる話をきいたので一部紹介する。

  ( 中村 聖代

【記念館の設立】

 「南方熊楠記念館」は、1965年4月1日に開館した。最初から民の力で作られた財団法人で運営されているということだ。

2019年11月9日から長期間休館していたが、2017年3月19日にリニューアルオープン。数多くの文献や標本・遺品等々が展示されている。

半島の突端に位置し、屋上には360度のパノラマが拡がる。

熊楠の世界は深淵・広大なので、さわりでしか覗けない。谷脇氏の話を聞き、記念館に是非行って見たくなった。そしてあれもこれも、もっと彼の世界に触れてみたい気持ちが溢れてくる。

【熊楠の生い立ち】

簡単に記してみよう。

・市内城下町屈指のお金持ちの次男として生まれる。生誕地は橋丁22番地(その跡地にあたる駐車場の角には1994年和歌山市によって胸像が建てられている)。

父親が「世界一統」の前身南方酒造を創業したことを知る人も多いだろう。

・抜群の記憶力を持ち、10歳のころから「和漢三才図会」105巻他を借覧、記憶して筆写し始めている。

 ・和歌山中学(現、和歌山県立桐蔭高校)卒業後は大学予備校的な神田共立学校(現、開成高校)に入り、その後東京大学予備門(現、東京大学)に入学。同窓生には夏目漱石、正岡子規ら

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がいた。

 ・学業そっちのけで自分の興味のある研究(遺跡発掘や菌類の標本採集など)に明け暮れていたため、2年で退学いったん和歌山に戻り、米国・英国に留学。その後の功績は、あらゆるところで記されているので省略する。

【自称熊楠をたく】

熊楠に関して生き生きと語ってくれた谷脇氏は、かなりの「熊楠をたく」と自称・公認する。熊楠を知れば知るほど、もっと知りたいと思うのは筆者だけではない筈。

 彼が引きこもりニートであったこととか、40歳近くで結婚したが、実はゲイであったとか、植物採集の時には下半身丸出しで野山を駆け回っていたとか、彼にまつわるエピソードに事欠かない。

 また、文献の中では性についてかなり重要視していたことなども知った。

しかし、彼の思想は超まじめ、生まれるのが早すぎて我々凡人には理解できないのかもしれない。

粘菌の研究ひとつを取っても、植物なのか動物なのかはっきり線引きできないボーダーなもの、西洋の近代科学的なロゴスで説明しきれないことがらを、解き明かすー今日の諸学の錯綜した方法論たちのなかで、熊楠の思想と方法論は、いまいちど見直すときにきているようだ(と、識者たちは考えている)。


by mako0491 | 2019-02-28 22:53 | アタマ記事

ポスチュアウオーキング

体も心も生き生き

    指導する竹中 好美さん


ポスチュアウオーキング――聞きなれない言葉だが、歩き方メソッドのひとつ。発案・提唱者はKIMIKO(別項参照)さん。和歌山では竹中好美さんがポスチュアスタイリストとして活躍している。体験レッスンを受けてみた。(中村 聖代)

 ポスチュア(posture)とは英語で姿勢のこと。モデルが取るポーズや身のこなし的なニュアンスだが、まさに体験してみて自分が女優や王女になった気分にさせられる。

 発案者もそうだが、竹中好美さんも子供を産んでから始めた。好美さんは42歳までは猫背で自信がなく、引っ込みじあんな性格だったという。そんな自分を変えたいと、KIMIKOのポスチュアヲーキングレッスンに通い始めた。

そうするうちに身体だけでなく心も変わっていくのを実感。実際彼女は、明るく積極的に生き生きと現在に至っている。

体調が不良だった方は、筋肉が鍛えられることで肩こりや腰痛が取れる。身体が引き締まり、小顔になり自信が出てきた。気持ちが明るくなったなどなどいいことずくめの結果が数多くあるとのこと。

【日常生活の中で】

 レッスンは、普段の生活に取り入れられるエクササイズだ。「人生は姿勢で決まる」という。バランスを大事にするのがポイント。

・美しい姿勢の作り方

 はかかとからまっすぐ上に上がったところに、骨盤を起こして、をきちんと伸ばす。つま先はこぶし一個分あけた角度にする。

・美しい足運びと腕振り(歩き方)

 ①はかかとに重心を残したまま、

 ②一歩前に脚を出し、かかとから着地

 ③足裏全体で徐々に重心を前に移動

 ④後ろに残った足の裏で地面をぐっと押して前進。足の親指に向けて、まっすぐ力が抜けていくような感覚で地面を蹴る。

 ①をまっすぐ下に下ろした状態から

 ②指先を後ろに流すようなイメージで伸ばす

 ③腕を戻すときは、後ろに流した反動で戻る程度に

【レッスンの各コース】

 ベーシックレッスン

エッセンスを1回のレッスンに凝縮。体験や復習をしたい人向けの基本レッスン

 スタンダードコース

美しい歩き方の習得、階段の上り下り、ターン、椅子の座り方など美しい仕草も身につける他マインド面のレッスンも行う

 他にアドバンスコースやメンズコース産後ダイエットコースなどがある。

【参加後の感想】

 たった1回で今までの習慣を変えることは難しい。当然のことながら、毎日の生活の中で意識を持ち続けないと本当に自分のものにはならない。しかし、肢体不自由でない限り人は毎日何千歩と歩いているのだ。そのときの意識付けが重要だろう。そしてひとたび自分のものになると、明るい未来が待っている。

 「レッスンのなかで器用に身についた人はすぐに忘れてしまい続かない。できなくて苦労を重ねた人は本当に劇的に変わっていく」という好美さんの言葉が響く。

「今まで自身が持てなくて下向き加減でしたが、この歳からも変わるんだと喜びで一杯です」という受講生からの声も、大きく心に突き刺さった。

KIMIKO (一般社団)ポスチュアウォーキング協会 会長>

1961年岡山生まれ。 産後の体型の崩れを克服するために ウォーキングを学び始め、劇的な全身整形を体験。その後独自のウォーキングメソッド「ポスチュアウォーキング」を構築。商標取得。指導歴17年。


by mako0491 | 2019-01-18 23:33 | アタマ記事


言語聴覚士 板倉 登志子さん

発声などの機能回復サポート


 「言語聴覚士」という国家資格がある。聴く・話す・食べる・表現するといった誰でも自然に行えていることが、生まれつきの障がいや、病気・事故・加齢などが原因でうまく行えないことがある。こうした言葉によるコミュニケーションや嚥下(えんげ=飲み込み)に問題がある人をサポートする専門家が言語聴覚士である。この国家資格制定にむけて先鞭をきったひとりが今回紹介する板倉登志子さんである。

   (中村 聖代)

【結婚後すぐに米国へ】

 登志子さんは大阪府出身。関西学院大学卒業後、大学院に進んだが、縁あって医師とお見合い結婚。彼は米国カルフォルニア工科大学への2年短期留学が決まっていたため結婚式の2日後には米国の新居に移ったのである。

 何故、登志子さんがそうしたことに抵抗がなかったのか?実は小学5年生の時3つ下の妹とともにドイツの公立小学校に通った経験がある。

 脳外科医の父親は、登志子さんが3歳から15歳位までの間ドイツに単身渡っていた。  

当時は海外に行くのも大変な時代。親子ともども外国に暮らすのは困難だったのだ。

登志子さんの母親はある期間ドイツにいたが、子どもたちは1年間だけ現地で通学したのだ。

【海外生活の経験】

 ドイツ時代は、もちろん言葉もわからず、ただ座って授業を受ける毎日。先生たちの配慮で3年生のクラスに編入されたので、算数は秀でていた。また絵画も上手だと褒められたーこの経験があとになってものをいう。 「海外生活は平気です」。夫となる人は海外初体験「妻になる人は登志子さんしかない」と思ったという。

【言語療法との出会い】

 米国時代のある日、お隣の女性の車に

I am a speech  therapist.」のステッカーが貼られているのを発見。そんな職業があるのだと初めて知った。

 帰国後、夫は出身の和歌山県立医科大学に勤務し、ふたりは県内に在住。それから8年ほどは専業主婦のかたわら英語を教えたりしていた。言葉に関する教育に関心があった登志子さんはふと米国のスピーチセラピストを思い出す。

【日本の言語聴聴覚士】

 日本でまだ広く認知されていないが、言語聴覚のスペシャリストになろうーそう思って探したら、大阪教育大学の特別専攻科に言語障がい教育コースがあった。支援教育の教員免許取得のための内地留学だが、教員免許があれば誰でも受験できた。そこで竹田契一教授と出会う。彼は日本における「言語聴覚士」育成のまさに先駆者と言えた。

【国家資格成立のために】

 現在も言語聴覚士として活躍する登志子さんだが、この国家資格は平成11年に初めて国家試験が実施された新しい資格だ。

理学療法士(PT)・作業療法士(OT)と共にリハビリテーション専門職を構成する。

PTOTに遅れて平成9年、国会で言語聴覚法が制定されたのだが、成立に向けて働きかけ、全国で26万人の署名のうち1割近くを和歌山県で集めることができたのは、登志子さんたちグループががんばった成果だ。

発声・発音・聴覚・認知・嚥下・発達などの機能回復をめざす仕事。あたりまえのことができる喜び。医師・看護師・療法士や家族、患者らが共に取り組む奥の深い広域の仕事のようだ。

今後ますます必要とされる分野で、やりがいもある。社会人経験のある人や挫折感を味わった人こそ取り組んでいってもらいたい。そうした人たちは根気強く人に寄り添うことができるから。


by mako0491 | 2019-01-18 22:57 | アタマ記事

新宮市で「健康復活ハウスⓇ」を運営  田中旬子さん

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 独自の方法で呼吸法や

  食事の取り方など指導

新宮市で「健康復活ハウスⓇ」を運営する田中旬子さん。独自の方法で呼吸法や食事の取り方など指導している。ご自宅に伺ってお話を聞いた。    (玉置 ひとみ)

ボランティアで開催

『高齢になっても現在の体力・身体能力をできるだけ失わず、津波が来てもにげられる体づくり』を目標にして、毎月第一日曜日の午後、新宮市福祉センターで、体力づくりの講座をボランティアで開催。

また、ご自宅でも身体に悩みを抱えた方のカウンセラーとしてお仕事をされているという。ボランティア活動を通じてお話をする機会があり、70歳を超えられているというのに、姿勢がよく、若く、軽やかな動きと自論を押しつけない生き方に、お話の続きを伺いたく、後日お宅へうかがった。

乳がんを契機に

「カウンセラーなんておこがましい。悩んでいる人の伴走者になり、一人でも多くの方に健康に過ごしてもらいたいの。良くなる。善くなる。能くなる。潜在意識を活用して願望実現を果たせば、健康な身体で生活できるはず。健康な身体をつくって、国民健康保険をなるべく使わないようにすれば、国家のためにもなるわよ」と。

この活動を始められたのは、25年前に甲田光男先生と会い、大阪府八尾市で行われている勉強会へと参加、そして22年前にご自身が乳がんになられたことだったという。3期の後期で、リンパ節に転移していた。手術を行ったが体調が優れず、その時、西勝三先生が始められた西式甲田療法により、健康を取り戻すべく健康復活に取り組まれ、がんを更生させ健康な身体を取り戻されたという。

そして今、この健康づくりを①血液の循環が完全であること②左右の神経が対称であること③背骨に狂いがないこと④体内の酸アルカリの平衡が保たれていること⑤内部環境(腸)が汚染されていないことの基本を元に呼吸法や食事のとり方などを体調のすぐれない多くの方に伝えらえている。

夫との強い愛情

がんの3期というと生きることを諦めそうですが、田中さんを『生』へ向かわせたことはなんだったのですか?の問いかけに、「夫がね。死ぬな!と言ったの」と頬を赤められた。愛、強いお二人の愛情がこんにちへとつながっている。ハ、ハ、ハ・・と何事もなかったように高らかに笑われ、お家の中には明るい空気だけが流れていた。

健康復活ハウス

新宮市浮島7-13番地

090-7613-9539


by mako0491 | 2018-10-16 15:11 | アタマ記事


低出生体重児の治療とケア

広く社会の視点から考えていく

      

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      和歌山医大で講義など

 日本が世界一を誇れるもの、それは「赤ちゃんが最も安全に生まれる国」であることです。生後4週間未満の新生児死亡率は1000人あたり0.9人で世界一です。日本は、新生児死亡率を大きく左右する低出生体重児の死亡率が低く、現在では体重1000グラムに満たない赤ちゃんもほぼ救命できる時代となっています。

(石井 敦子)

筆者が講師を務める和歌山県立医科大学保健看護学部では、9月9日に高校生を対象とした「体感しよう!小さく生まれた子どもの命を救う・癒す・育てるケアの力―2018」が開催されました。早産などにより、体重1000グラム未満で生まれた赤ちゃんを超低出生体重児といいます。そのような小さく生まれた赤ちゃんは、外の世界に出る準備の途中で生まれるため、呼吸する力や体温調節する機能が未熟で、NICUという新生児集中治療室で治療やケアを受けることがほとんどです。

お母さんの体験談

今回の講座では、超低出生体重児の治療やケアの講義、NICUの模擬体験に加え、超低出生体重児で生まれ、現在は20歳に成長したお子さんを育てたお母さんの体験談を聴かせてもらいました。

自分の手のひらにおさまるほどに小さなわが子を産んだ時の自責の念、さまざまな不安を抱えながらNICUで子育てする日々を支えてくれた看護師への思いなど、母親の立場で語ってくださいました。

赤ちゃんの身体が小さすぎて、新生児用の肌着やオムツは付けられず、オムツの代わりに生理用ナプキンをあてられていたのを見て「こんな小さな子が産まれてくることを社会は想定していません」といわれているような気持ちになったそうです。20年前の悲しい現実ですが、そのような母親たちの声から、現在では、オムツメーカーで可愛い絵がプリントされた超低出生体重児用の小さなオムツも製品として作られるようになりました。

小さな肌着も

このお母さんは小さく生まれた赤ちゃんにも可愛い肌着を着せることができるように、新生児用肌着よりも小さいサイズの低出生体重児肌着を作り、13年前からオンラインショップを立ち上げて販売しているそうです。点滴していても安全に着衣着脱できる肌着がほしいという看護師さんの声から考案された点滴用肌着も全国のNICUで使われています。海外では、このような小さな赤ちゃん用肌着もプリミーサイズとして百貨店などどこでも買うことができますが、日本ではまだまだそのような環境が整っていないのが現状です。

 

新たな母子健康手帳も

最近、ようやく各自治体では低出生体重児向けの母子健康手帳を作る動きが出てきています。生まれた時からの成長発達の記録として大切な母子健康手帳ですが、体重は1000グラムからしか書き込めません。それこそ、社会に受け入れられていないと感じてしまいます。低出生体重児向けの母子健康手帳の目盛りはゼロから作られ、その子に合わせた成長発達の時期に記入できるようになっています。そんな些細なことも、子育てする母親にとっては精神的な支えとなり、小さく生まれた子どもが大きく育つ力になっていくのではないでしょうか。

最先端の研究に触れる

この講座は、独立行政法人日本学術振興会の「ひらめき☆ときめきサイエンス~ようこそ大学の研究室へ~」というプログラムで、最先端の研究を直に見る、聞く、触れることで、科学の面白さを感じてもらい、将来を担う小中高生の心の豊かさと知的創造性を育むことを目的にしたものです。

科学技術はサイエンスとヒューマニズムで豊かな社会をつくるためにあるものです。超低出生体重児の命が救える時代を生きる若い世代が、その大切な命を育むためにできることを広く社会の視点から考えていくきっかけになることを期待しています。


by mako0491 | 2018-09-14 11:06 | アタマ記事

             サックスでヒトの心癒やす

         ナマ演奏の場増やしたい

                        岡なづきさん

 

 和歌山市内生まれ、市内在住の岡なづきさんはサクソフォーン(以下サックスと略称で言う)奏者。去る6月「和歌山市議会と高雄市議会との友好交流に関する覚書」調印記念レセプション」でも和装で日本国歌と台湾国歌の演奏をし、皆に感銘を与えた。彼女の魅力を伝えたい。

 (中村 聖代)

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 なづきさんは、現在2人の小学生の母親である。病院の事務職に就きながらサックス活動も続けている。幼いころからの母親の影響だと本人は言う。

「結婚や子育ては自分の時間がなくなり、やりたいことができなくなる」と敬遠する声が多い昨今。大変だが、家族の支えがあってはじめて自分自身の人生を歩むことは可能だと訴える。

【楽器との出会い】

 なづきさんの最初の楽器は、小学3年生になってからのピアノだ。「となりのトトロ」が大好きだった彼女は、家にある古いキーボードを使って両手で演奏していた。もちろん独学。

「それほど好きなら習ってみる?」小さな頃からピアノを習う周囲の中で、同じようにする必要がない、と考えていた母親の心を動かしたのだ。

音楽が大好き少女は4年生になると「金管バンド」に入る。花形のトランペットをやりたかった。が、身長が160㎝あったためか、6年生までずっとユーホニウム担当。

中学校の吹奏楽部では今度こそトランペット、と思ったが、やはり希望者多数。昔ジャズバーに勤めていた父親の「サックスがかっこいいよ」の一言でサックスが第二希望となり、高校卒業までの6年間はサックス。

短大に入ると今度はサックスがいっぱいで無理といわれ、トロンボーン担当になる。思い通りにならないのもいい経験だったと振り返る。

【審査員の一言で】

 卒業後市内で就職。2年ほどは楽器から遠ざかっていた。母から「せっかくサックスがあるのだから、吹奏楽団にでも入ったら?」で、和歌山市吹奏楽団に入団。第二の音楽活動が始まる。

 サックスとピアノのクラシックコンテストに県の代表として出場した際、審査員から「あなたの演奏は独特で魅力的。ソロで活動してみては?」といわれたことが心に響き、「オフィストーン」事務所に所属。イベントや結婚式の演奏、小中学校の外部講師や個人指導、慰問活動などを行う。

【なづきさんの思い】

和歌山ではライブハウスはあるものの、一般人が生の演奏に触れる機会が少ないので、もっと生演奏の場を拡げたい。

 芸大・音大出身でなくても、特別に師事されなくても、自分なりの表現はできるし、目の前の人に心を伝えられることを知ってもらいたい。

 県内にも増えつつある児童虐待。母親と胎児に演奏を聴いてもらって、その結果として虐待を防ぎたい。

 次から次へと、なづきさんの熱い思いがほとばしる。

 サックスは人間の声に近い音色を奏でるため、聴く人の落ち着かせ、穏やかにする効果があるらしい。筆者も癒された。

「自分の音を必要とする人がいる限り演奏を続けたい」という彼女は、要請があればどこにでも来てくれる気がする。


by mako0491 | 2018-08-24 11:25 | アタマ記事


写真上は別院さん

 写真下は南方さん

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異色なアーティスト活躍

和歌山市内に芸術家と呼べる逸材が数多くいる。その中でも知る人ぞ知るお二人にスポットを当てたい。まず一人目は別院丁子(ベツイン テイコ)さん。二人目は、デザイン書家南方伶文(ミナカタ レモン)さんだ。すばらしい才能の持ち主であるお二人に別々ではあるが、直接触れる機会を得たので紹介する。  (中村 聖代)

別院さん、県内各地で舞台朗読


【山本周五郎の短編】

 別院丁子さんは「語り寄席」と銘打ち、県内各地で多様な読みの勉強の成果を発表している。

よみきかせ・語り・朗読・郡読の指導を長年にわたって指導を続ける丁子さんは、和歌山大学在学中は演劇をしていた。今回は、その実力に裏打ちされた「舞台朗読」を披露。レパートリーは、樋口一葉「十三夜」「にごりえ」「大つごもり」。藤沢周平「驟り雨」「虹の空」など多数ある。筆者が触れたのは、山本周五郎作「糸車」だった。

短編とはいえ、最初から最後までこの物語を話して聞かせる。身振りや動作を交えて披露―一人芝居と言っても良い。お話の内容もさることながら、心にじわんと響いた。

【よみきかせの会連絡会】

 丁子さんの夫の清さんは和歌山よみきかせの会連絡会の代表をしている。連絡会は和歌山県内にある読み聞かせのグループが集まったもので、エリアごとに各グループのメンバーが昔話を子どもたちに語る。もちろん二人とも指導に当たる。

清さんは「今の子どもたちにどれだけ通じるか分からないが、かつての日常語の豊かさを伝えたい」と語った。


南方さん、表現豊かデザイン書家

【伝統プラスモダン】

南方伶文さんも和歌山市在住。去る6月16日から29日まで海南市の琴の浦温山荘園で、作品展「墨色流創作書」が開かれた。文字の形をベースに、絵画のような表現豊かな作品で見る人々を魅了。

デザイン書は、別の紙に作品の形をあらかじめデッサンし、それを見ながら清書用の紙などに筆で文字を書くというもの。

伶文さんは、東京都内の大学在学中にデザイン書を知り、興味を覚え学びはじめた。

伝統を大切にする日本の書に、モダン・カジュアル・斬新さを加え、現代の感性を融合した表現をめざす書―近頃そういったデザイン書家が全国に増えつつある。 

市内のフォルテワジマなどで教室を開き、国内外の展覧会にも出品している伶分さんは、

「絵と同じように文字も自在にデザインできます」と、その魅力を語る。

今回の会合では、「芸術とデザインを簡単に見分ける方法」の説明があったり、参加者から希望する文字をひとつずつ聞いて、即興で1枚ずつ作品にしてもらったりした。創作書会で10年、総じてのキャリア26年、デッサンなしの文字はさすがだった。


by mako0491 | 2018-07-24 22:45 | アタマ記事

6.8頭原稿です

人気の農家民宿 はなあそび

外国人客増え、交流に一役

 民宿需要が高まっている。最近では白浜で女性限定の民宿が人気である(3月9日掲載)。今回は場所は三重だが、新宮エリアの農家民宿に行ってきた玉置ひとみさんに寄稿してもらった。

梅取り体験楽しむ

空き部屋の宿泊場所の提供者と宿泊希望者を結ぶサイトAirbnb(エアビーアンドビー)の日本法人が行った、日本でのおもてなし度の高い都市や地域の調査で、新宮市が1位にランキングされた。2位が白馬村、3位が倉敷市とおもてなし度の高い都市が地方に点在している。2007年4月から2018年3月までの1年間の利用顧客データを基に選出されたものだそうだ。

新宮市エリアのAirbnbである農家民宿「はなあそび」(オーナー、矢熊政好・名

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良子さん)へ伺った。三重県の最南端、紀宝町神内にある。今回の調査でも、農家民泊であり地元体験型ということで評価が高かったそうだ。

5月の末、梅取りシーズンという情報を得たので、梅取り体験をした。3ヘクタールの畑に南高梅が植えられている。鈴なりだった。梅ジュースにするためのシロップを作る予定で、青梅だけを選んで取った。

同じく体験に訪れていた人は、梅干しを作る予定だと、赤く熟している梅を取っていた。梅林は、遠く広がる田園風景の中の高台にあるので、景色もよく、この民宿の人気の高さに納得する。

庭には多様な花

こちらの民泊は、4年前、ご主人の完全定年退職を機に始められたそうだ。奥様は花を育てるのが趣味。庭には、多種多様なお花が植えられ、また鉢植えも数えきれないくらいで、庭に整然と並べられている。

ご夫婦とも長年人と関わってきたお仕事だったからか、宿泊施設の少ないこの地域で、宿泊を提供しようと自宅を開放された。基本は素泊まりだが、申し込めば(有料)家庭料理でもてなしてくれる。特に、Airbnbに登録してからは、海外のお客様が増え、国際交流になるとはと、ご夫婦も驚いているようだった。

JR新宮駅まで車で10分。公共交通機関がない地域のため送迎をしてくれる。さらに、近隣の世界遺産や名所旧跡へも案内しているという。田舎の親戚に遊びに来たような温かなもてなしをしてくれる。

郷土料理に舌鼓

梅取り体験をしたこの日も、収穫後、郷土料理の『落花生混ぜご飯』を振舞ってくれた。熊野の混ぜご飯は、酢飯だ。しかし落花生が入っているのは初めて。大人気メニューだそうだ。

宿泊すれば郷土料理の調理や、田植え、稲刈りなどの文字通りの農家体験ができるという。

四季折々の草花と暮らす安らぎをおすそ分け。日常の慌ただしさを忘れられる貴重な時間を一緒に感じてみませんか?花いっぱいの庭でお待ちしています。とコメントをいただいた。


by mako0491 | 2018-06-14 12:00 | アタマ記事

毎年夏に高校生向けのプログラム


海外からも参加者は多く


能登左知さんは、2016年から和歌山市内において、毎年夏に高校生向けのプログラムGTEGrobal Tchnology Entrpreneur)を主宰している。今年で3回目になるが、回を重ねるごとに注目を浴びている。今回は彼女と、行っている事業にスポットを当ててみたい。

   (中村 聖代)

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【交換留学生として】

左知さんは市内で生まれ、開智高等学校に進学するも、2年生の夏休みにロータリークラブの交換留学生として米国カンサス州オレイサ市にホームステイ。留学期限が切れた後は、開智を退学してそのまま米国の高校に転校して個人留学を続けた。

ウォルト・ディズニーも通った4年生芸術大学(Kansas Art Institute )に進み、インダストリアル デザイン科を卒業した。

彼女がこうした経歴を持つに至ったのは家庭環境にある。小学生のときから家では交換留学生を多く受け入れていて、忙しい両親や姉のかわりに左知さんが彼らと関わっていたからである。

「自分も高校生になると、海外で学ぶのだな」と自然に刷り込まれたと、顧みる。

 卒業後は故郷に戻ってきてデザイン会社を起業したが、経験が浅いため苦戦。ニーズがあった東京に移住した。


【東京から横浜へ】

 左知さんは、()中小企業基盤整備機構に職を得、ビジネスインキュベーターションマネジャーとして、5年間起業家を育成する仕事に携わった。その間2000件のプレゼンテーション個別指導を経験。


【会社を立ち上げ】

住まいがあった横浜には、偶然にもシリコンバレーで知り合った曽我弘(そが・ひろむ)氏が近所に住んでいた。

 彼は、新日鉄を退社後、1994年から2010年までシリコンバレーに移住。スティーブ・ジョブズに自身の会社を売却後、今度はNPOを設立し、日米のスタートアップ企業のメンターとして支援活動を行っていた。

 別々に起業家を支援してきた左知さんと弘氏は、共同で(株)カピオンを立ち上げることにした。2010年のことだった。

GTEプログラム】

 (株)カピオンは、起業家への経営支援を様々行ってきた。が、「起業について学ぶには若いほど身につき、実行して訓練できる期間が長い。これからは高校生も対象とした支援の輪を広げる必要がある」というコンセプトのもと2016年に一般社団法人カピオンエデュケーションズを設立した。高校生限定のアクティブラーニング プログラムGTEイノベーションチャレンジを主宰する。実施は和歌山市だ。

【今年で3回目】

 このプログラムはサマーキャンプ。今年は7月30日から8月3日の5日間。英語で本格的なビジネスについてワークショップを行う。シリコンバレーより現地の高校で起業を専門とする専任講師を招く。最終日にはビジネスプランコンテストが行われ、優勝したチームには「未来」への登壇機会が与えられる。

 海外からも参加者は多く、こうした経験から世界のビジネス界と直に繋がることも可能なのだ。

 世界を視野に入れた経験は、これからの行き方を考える上で、大きな力となりうるだろう。

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未来2018

社会にインパクトを与えるビジネスの創造・成長をサポートする日本最大級のコンテスト。

スタートアップや既存企業のカーブアウト(事業分離)、これから起業する挑戦者をサポートし、あらゆる企業・投資家等を繋ぎ合わせることで、皆の成長とイノベーションの実現をはかる。


by mako0491 | 2018-05-20 15:56 | アタマ記事