わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

カテゴリ:オトコの独り言( 17 )


パソコン買い替えた、でも・・・

 新しいパソコンが届いた。

私のパソコン歴は「ワープロ・単能機」に始まる。ソフトは「一太郎」であった。この単能機を購入するとき、当時のシステム部の部下に相談した。「パソコンを買われたほうがよろしいかと」というのが返事であった。

今から思えば、パソコンの中にワープロソフトが組み込まれていたのだから、当たり前のことなのだが、そのことさえ知らなかった。しかも当時(1,995年頃)、本体に付属のプリンターまで含めると相当高価で個人では手は出しにくかった。

さらにデスクトップタイプで、書斎の事務机の半分は占拠するような「機械」であった。「ワープロ単能機」なら、片手で下げて通勤できるぐらいの大きさであった。その格好の良さに惹かれて、結局それを買ったのである。

 1年もせぬ内に、役員室の自席にデスクトップ型のパソコンが置かれた。担当部所からのメールが入り始めた。「先輩よ、パソコンに慣れよ!」との後輩からの指示と受け止めた。

 歳の割にはパソコンには通じているほうだろうと自負しているが、それでも、もう進む技術革新についていけない。ビットコインだ、瞬時の資金決済だ、将棋や囲碁の世界でも人間のほうが負ける、税金の申告までそれを使う、そんな世界になった。さらに数年のうちにスマホが社会の情報通信世界を支配している段階に進んでいる。

人間社会の効率化の追求は何処まで行くのだろうか。生身の感性や、身についた手作り技術や、思いやりの人間関係の世界はどう変化してゆくのだろうか。100歳まで生きて20年後の姿を覗いてみたい。 

(久山 みのる


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by mako0491 | 2018-05-20 14:20 | オトコの独り言

「忖度」(そんたく)と言う言葉の魔性

 「忖度」と言う言葉を解剖し、あたかも悪の権化の様にはやし立てている輩がいます。マスコミや政界派閥が先導し危機感を煽っていることに乗せられているその風潮は、苛立たしい限りです。

人は共感する相手の思いを尊重し、その願いを全うさせてあげたいと行動するものです。「忖度」と言うのはその思いと行動を言うのだと私は思っています。言い換えれば「共感する相手への愛の心」だとさえ思っています。「忖度」出来ない社会なんて、色彩の無い奥行きも無い、味気無い社会でしょう。

 

そうは言っても、善良と自分で思っている私たちは、自分の能力を駆使して、自分自身の危機管理していかねばなりません。損をしていることも知らなくて、損害を被っていることが日常幾つも発生しているからです。

どうすれば良いのでしょうか。日本という国は、幸せなことに、国の制度はその危機を避けるための仕組みを、他国に負けないくらいの水準に作ってくれていると国民は信じているのです。問題は沢山ありますが、難民になりたいと誰一人思っていないでしょうから。有難い社会に自分は今生活していると思っているのです。

 

「そこから後の危機管理はそれぞれの自己責任で」というのが原則でしょう。しかしそれに関わる情報が可能な限り等しく行きわたることがそのベースにとなるのでしょう。

 「忖度」って、結局、他人の為でなく、自分自身の為に行う「危機管理の知恵」に行き着くのでしょうか。      (久山みのる)


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by mako0491 | 2018-05-01 22:22 | オトコの独り言

皇位継承の準備

「男の独り言」

「昭和」が沈み込む

昨年暮れ、12月1日に宮内庁で開かれた「皇室会議」で、平成の時代が終焉していく道筋が決定されました。「来年、平成31年(2019)4月30日に現・天皇陛下が退位され、5月1日に現・皇太子が天皇に即位する」という事でした。  

元号も本年、早い時期に決定され、皇位継承の準備が進められるとの事でした。

かねてより天皇よりご意向が示されていた事でもあり、元号が新しくなっても、政治や経済・文化に大きな変革が予測されるわけでもありません。それだけにテレビや新聞が大袈裟な特集を組み大騒ぎをすることに「視聴率狙い」を嗅ぎ取り反発も感じます。

しかしそこが節目になって、現代社会が引きずっている汚れた世のしがらみを断ち切り、少しは「『清楚で静かで、安定した社会』に生まれ変わって行ったらいいのに」くらいの期待を誰しも持ってしまうのも正直なところです。

現・天皇が私より2歳年上であられるだけに、同世代に生きたものとして共通の記憶と感性を積み重ねてこられたのでないか。過ごした世界が違うとしても、歴史の事実から生まれ出た憤りや、悲しみや、喜びを理解し共感できる世代だと思っています。

御父上が太平洋戦争の「終戦の詔」を、肉声で国民の前にラジオの電波に乗せて語られた記憶は鮮明であられるでしょう。当時小学校3年生であった私でさえ、その日の玉音を聴いた村の幾つかの風景が、記念写真の様に記憶に残っているのですから。 

今私は「平成」という30年間の終焉を意識するよりも、昭和という時代の記憶が完全に歴史の淵に沈みこんでしまうのだという感慨の方が重いだけに、現・天皇も同様なのではないかと拝察するのです。

「平成天皇」(多分そう称せられる)は、自分の父親・昭和天皇の耐え難い悲しみを自分の事として受け継ぎ、沖縄をはじめ東南アジアの国々を訪歴し、戦没した幾十万の人々の前に深く頭を垂れてこられたのでしょう。

その瞬間々が静止画像の様に私の記憶にあります。私自身、そういう時代の残滓を引きずりながら、次の平和な「平成の時代」の恩恵を享受し、その感謝の念を次の「元号」の時代の息子・孫の世代に申し送ろうとしているのです。

現・平成天皇も同様の深い感慨の中で、皇室会議の今後の経過を見守っておられるのでないかと拝察し、深い敬意を捧げているのです。(久山みのる)


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by mako0491 | 2018-02-10 13:23 | オトコの独り言


男がスーパーへ買い物に行く

 たまたま、私の家内が1か月の入院生活を余儀なくされた。それまではマイカーでのアッシー君役で、駐車場で本を読みながらの辛抱、店に入ることはまずしなかった。店の買い物かごを持つ嫁はんのそばにくっ付き、魚売り場のカウンターで品物を指差す姿を他人の目に晒すことに強い抵抗感があった。

 ところが、独り暮らしとなるとそうは行かなくなった。最初の1週間は、高齢者支援センターのお世話で、配食センターから一日2回の配食をしてくれることになった。

ところが私の毎日の食事は、55年間の家内の手作り味に慣らされてしまっており、しかもその間、胃の全摘手術や前立腺癌や膵臓炎と家内に言わせると病気の百貨店の様な病歴を重ねただけに、それに対応する食材と味付けが求められていたのである。

入院していた家内は、夫は三食どうして食べているのか、自分の病状よりそちらの方が心配であったらしい。「大丈夫だよ」と言いながらも、長期には耐えられなかった。

 

 もともと私は田舎の農家育ち。太平洋戦争直後、自家の田畑で採れるコメ、麦、野菜で育った世代である。夕刻、学校から自宅に帰ると、玄関の上がり框に、農作業に出ている母親から置手紙があった。最後に「頼みます」と付記されていることもいつもの通りであった。ある日、「里芋と油揚げの煮っころがし」のメニューがあった。芋が変わるだけで大変だと思った。

私の家族は祖父夫婦と母と兄弟6人の9人、大家族であった。竹ベラをナイフの様に使って最後の仕上げをする皮むき作業が難儀だったのだ。小学生の妹に手伝わせながら必死であった。家族揃っての温かい夕食を思うとき、手抜きは出来なかった。

 そんなの経験が80歳の今、活きて来るなど思いもしなかった。スーパーの手押し車に駕篭を載せて巡る抵抗感など、知らぬ間に吹っ切れていたのである。売り場カウンターを覗く面白さ、料理を作る楽しさが芽生えてきたのである。見回すと、同じ世代や一人者の男が目を輝かして食材を物色している。「男のこだわり」など、なんの意義も無いと知った次第である。 (久山みのる


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by mako0491 | 2018-01-16 18:06 | オトコの独り言

「3匹の蛙の行動」

「3匹の蛙の行動」からの教訓

  このたびの衆院選挙騒動を見ていて、「3匹の蛙」という挿話を思い出しました。ある博識な友達から教えられた例え話です。出自は分かりません。

  『三匹の蛙が牛乳の容器の入った容器の中に落ち込みました。周囲の壁はガラスで爪を掛ける僅かの突起もありません。一匹の最も悲観主義な蛙は、どうせ何をしても駄目だとあきらめ、浮いている力も絶えて溺れ死にました。楽観主義な一匹の蛙は、誰かが葉っぱを落としてくれるか、容器を割ってくれるかして、結局うまく行くだろうと考え、何もせずに溺れ死にました。

  残った現実主義の蛙は、ただ生きるため、もがき続けるだけでした。ところが何としても生きようと激しく4足を蹴っているうちに、足元のミルクにバターが出来始めました。それが固まり足場が出来、一飛びに容器の外に逃げ出しました。』とさ。

生乳を激しくかき混ぜているとバターが出来始めるという事から作られた挿話らしく、イソップくさい臭いがあります。 


 今度の選挙戦のドサクサ騒ぎで、この小話を思い出させてくれたことは、私にとって大変意義のあることでした。

選挙戦の意義なんて皆目わかりませんでしたが、蛙のきょとんとした顔と、「女ごころと蛙の飛ぶ方向は分からない」という言葉を思い起こし、滑稽さに救われながら、色々の立場からの偉い人達の評論を読み聴きしています。


 現在の世の中、技術的革新が先行するだけで、政治的課題も、経済・社会的問題も、宗教的世界の問題さえも後追いで、その解決行動の指針など生まれようがありません。                    

ただこのグローバルな世界の中で、必死になって残された人生の安定を求めて、4つの手足でかき混ぜていくしか無いのでしょう。

その汗をかく行動の中に楽しさも生まれ、次の世代に引き継いで行く姿もみえてくるのでしよう。そう信じることにします。                            

(久山みのる)


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by mako0491 | 2017-11-29 14:07 | オトコの独り言

「男の独り言

  「和歌山新報」の9月1日付・「をんな情報局」の記事、「難病と付き合い患者交流会」を読みました。期せずしてその日、弟の嫁さんから電話がありました。義兄さんどうしよう。もう私、とても駄目。担当医さん・看護師さん・介護士さんが相談し、「たとえ1週間でも自宅で、家族・親族で、過ごす期間を患者さんに持たしてあげられないか」との連絡が入りました。出来る事ならそうしたいと横浜に居る娘が急遽「介護休暇」を取り帰宅し、それに対応しようと準備し、一旦、自宅に引きとったのですが、3日後には嚥下能力不足で呼吸困難も引き起こし失神、救急車で元の病院に逆戻りしました。本人の意識は確かで、この病気の発症直後から、「延命治療拒否」の想いを頑なに主張しています。もう助かる道も生きる時間も無いのでしょうか!

悲痛な電話でした。弟の「筋委縮性側索硬化症」のその後の経過の報告でした。

2年前の事でした。左手が不自由になったという症状から街の整形病院にかかっていたが、はかばかしくなく、和歌山医大で診察を受けてみてはという医師の勧めから、検査入院という事になったのでした。「その診断結果を報告したいので、ご本人、奥様、それにご兄弟の代表者も同時にお聞き頂きたい」とのことで、親族代表で私が選ばれたのでした。

結果報告というより「病名告知」そのものでした。病状診断した担当医師2人から、丁寧で心配りが痛いほどよくわかる報告がありました。説明は情を交えず客観そのもので、患者本人にとって「酷すぎる」とさえ思えました。医師のつらい役割なのでしょう。一般に「筋萎縮症」と言われ、だんだんと筋肉が衰えていく難病とのことでした。

「現在は治療の方法がありません。症状の進行を遅くする方法はあります。しかしこれからどこの筋肉に症状が出始めるかにより異なり、今は左手の筋肉に出ていますが、それが心臓や、肺の筋肉に出始めた時は、多くの問題を医師も、患者も、親族も抱え込みます。

心臓や肺にその機能を助ける器具を体につけることは出来ます。そこから先どうするか医師の判断の範囲を超えてしまいます。」

担当医師は、最後の所で、そのことを患者本人に、奥さんに、親族代表によく理解しておいて欲しかったのだろうと思いました。

「延命治療はお断り」と書き置くことは簡単です。しかし延命治療の定義を克明に記すことは難しいでしょう。癌の告知なら医療技術の進歩もあり、延命治療を続けながら完治に至る確率も高いでしょう。 

3か月前までは、弟は病気の現状を知りながら普段通り、田舎の里道を明るい顔で散歩していたそうです。一番苦しいのは本人なのか、奥様なのか、子供なのか、それに関わってくれている医療スタッフなのか。回答など出しようがありません。どうか苦しまないで旅立つことを神様におまかせし祈るだけです。悩む心を支え、支援し合おうとしているボランテイア・グループの活動に敬意を表しつつ。 

(久山みのる)


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by mako0491 | 2017-09-30 12:07 | オトコの独り言

私の「おんな友達」

私の「おんな友達」


昨日、「S・ウイリアムさん」からメールが届きました。彼女は知る人ぞ知る和歌山の「ジャズ・ヴォーカリスト」で、30年余も前からお付き合いを頂いている方です。年に何回か、そのライブを聞かして頂いています。

久しぶりに彼女から「『4人の女のオモテウラ』と題して和歌山でコラボ・ライブを開きます。よろしければどうぞ」とお誘いがかかりました。

「女共の哀歌を心して聞かして頂きます」と予約のメールを入れると、すぐさま、『ひやー!、さて女の哀しみ、表現できますでしょうか。最近は「おかんのたくましさ、」「おバンの厚かましさ」が色濃くなっています(笑い)。奥様とお二人でお目にかかれるのを楽しみにしています。』との返信。 

男というものは、何歳になっても女性の前でいい格好をしたいものです。自分が定年(65歳)で現職を離れたとたんに、「20歳時代にギターを習い始めた時の動機」と全く変わりがない「想い」が胸に蘇りました。早速、自宅の押し入れからクラシックギターを引っ張り出したのでした。

「ジャズを格好良く演奏したい」。その格好の良さに魅かれて途中でウッド・ベースに転向しましたが、その「女性の前で格好良く」という不純な(純粋かな?)動機はついて回りました。その結果、今この歳になって、ざっくばらんに付き合ってくれている女性は音楽繋がりが多くなってしまいました。

想い出を遡って音楽繋がりを辿ってみますと、40年も昔、仕事の上で地域の大新聞支社の記者のたまり場で顔を繋いでおく必要から通った新内(あろち)の小さなスナックに辿り着きました。

経営者は弾き語りで名の知れた男性ピアニストでした。ジャズ・バラードを静かに、柔らかく聞かしてくれました。そのお嬢さんがお父さんの亡きあと、弾き語りを受け継ぎ、カラオケを置かないスナックとして常連顧客を引き付けました。バブル経済の盛り上がった頃でした。そのスナックに週に2回、アルバイトでジャズを歌いに来ていたのが、先のメールを頂いた「S・ウイリアムさん」でした。

旦那様は外国の方で、その指導によったものでしょうか、アメリカ英語で歌うジャズの歯切れの良いリズムと、情感の盛り込みに、素人の私なりに惚れ込んだものでした。

人の繋がりとは不思議なものです。この音楽繋がりがこんな形で更に拡がっていくとは、自分でも予想しませんでした。80歳になった今。自分の下手なウッド・ベースの技術を演奏の中に包み込んでもらえているバンド仲間のお陰で、更に女性仲間とのお付き合いが広まっているのです。新しく「オカリナのデユェット奏者」や、「キーボード奏者」が見事な演奏で私達とのグループに溶け込みさらに幅と深みを創り出してくれました。「女性の前で恰好を付けたい」。男の本性が私の生きるエネルギーまで生み出してくれているのです。

先日も、ある福祉施設の「七夕まつり」に招かれてバンド演奏をバックに「みんなで歌おう」の会で演奏をしてきました。会場の盛り上がりは大変で、アンコールも曲を重ね、

予定時間を20分も超えてしまう様なことになりました。私のアドレナリンは最高の水準で、湧出されている状態でした。有難い事でした。

これからは、体力勝負と自覚し「リハビリ・筋肉増強トレーニング」に励んでいます。男にとって女性は生きる力の根源だと今更ながら再認識しています。  (久山 みのる)


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by mako0491 | 2017-09-02 12:32 | オトコの独り言

「異端者よ出でよ」の嘘

可笑しなものです。世の男どもは、組織の長となると、「異端者よ出でよ」というセリフを、誰しも吐きたくなるようです。

 異端者というのは、伝統的な組織風土や、現在の組織トップのリーダーシップ・スタイルなどに反好意的意識を持つ者の事でしょう。余程の大きな深い度量を持つトップでない限り、通常はその異端者の考えを素直には聴けません。 

その事を、本当に身をもってトップが知るのは、その組織が生きるか死ぬかの瀬戸際に至った時か、死ぬと決まってしまってからです。

バブル経済崩壊後、日本の4大証券の一つと言われていた会社の代表取締役が、テレビの大写し画面の中で、大粒の涙を流しながら世間にお詫びの言葉を述べたシーンを記憶している人は多いでしょう。そのトップは消えてゆく企業の後始末に奔走した最後の経営トップでした。

 大粒の涙を流したその証券会社のトップは、今どうして生きていかれているのでしょうか。私と同年代の男であっただけに気になって仕様がありません。

 企業の競争社会では一位と二位の差は月とスッポンの差なのです。自分の所属する企業がトップ集団で走る努力もしないで、評論家ぶって自分は組織内での異端者だとパフォーマンスする奴の傲慢さ・勝手さは鼻持ちなりませんが、「異端者よ出でよ」と叫ぶトップの欺瞞にも鼻持ちがなりません。

私ならさらに鼻持ちならない手法を身に付ける努力をします。マラソン競技と同じ、「トップ集団には必死について行く力を身に付ける。出来ることならトップの肩口で、その息遣いが聞こえる距離でついて行き、風圧やトップを維持したいというストレスはトップに背負わせて、最後のトラック競技に入り、ゴール寸前に余力があれば抜き去ればよい」と思う。余力があれば最初から正々堂々とトップを走ればよいという立派な人もいる。

そんな勝負をして、いったい何の意味があるのかと問われれば、「そんな世界で生きることを選んだのだから」という以外に言いようがないのです。

「面白いよなあ、人生って」という歌の文句を思い出しながら。

         (久山 稔)


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by mako0491 | 2017-08-20 19:45 | オトコの独り言

otoko

問題解決能力に疑義<>

最近自分で分からなくなったことがある。「自分の能力って何だ」という事である。今までは確たるものが有った。「問題解決能力だ」と信じて疑わなかったからだ。それが揺らいでいるのである。

昨年からその揺らぎは大きくなった。きっかけは、将棋の世界で、プロの元名人のタイトル保持者とコンピュータ・ソフトとの対決でプロ棋士が負けたことであった。

 元名人位者は過去の知識や経験の蓄積を基に、相手に勝利することを狙って全知全能を振り絞ってコンピュータ・ソフトに対決したに違いない。「問題解決能力」の戦いである。そこで生身(なまみ)の人間が負けたのである。

将棋のゲームの進め方を知っている人は、誰しもこの揺らぎを感じ取ったに違いない。名人位のプロの能力がたまたま劣っていたと片付けられる問題ではないのである。自分自身の日常生活の問題解決能力も同様の問題を持つという事を知らされたからである。

 「自分が身に付け知っているというノウハウの値打ち」に疑義が生じているのである。昔から「知っているという事と、出来るかという事は別だ」と、先輩からよく叱られたものだ。「知っていても、出来なければ意味がないではないか、理屈を言うな」と言うのである。

今やまさに将棋の世界でも、「知っているか」ということも、「出来るかと」いう事も、コンピュータの能力に劣る世界が来たのである。

(久山 稔)


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by mako0491 | 2017-04-02 15:30 | オトコの独り言

otoko hitorigoto


私たちは毎日他人と顔を会わせれば、何らかの形で意思を交換している。仕事の場や組織活動の場となると、発信の仕方、受け止め方が複雑になり、果たして自分の意思表示が相手に本当にそのまま伝わったのかどうか安心ならない。

「場の心理」という話を聞いたことがある。相手の真正面に座った時、そこには「論理」の場が生まれ、肩が触れ合うほどの横に並んで座った時、そこには「情」の場が生まれるという。自分の「背後」の場は「恐怖の場」であり、身構える心理の場であり、頭のてっぺんの空間は「神様の場」で、何か有難いご宣託がおりてきそうに感じる場だそうな。

私達は生まれて母に抱かれた瞬間から、自分にとって快い環境を求めて、泣いたり、笑ったりして、母へ意思を伝えようとする。瞬間々々の行動が次の行動の為の学びの場となり、成長に伴い、効果的な自分の意思の伝え方を身に付けていく。「場の心理」の活かし方など、人間の知恵というものだろう。80年もその経験を積み重ねてきた私の様な人間は、その学びの場から多くの手法を身に付けてきた。私の決めた手法の一つは、次のような事である。泥臭く、底が浅く、いやらしいと思えるほどの手法だが、それが現実の知恵だと思っている。

相手から私に何か問題指摘の意思表示を受けたら、「ほんまやなあ・・・」と間髪入れずに言葉で受け止める。相手の立場で主張するとすれば尤もなことだと思い、反発心が心の中に生まれても、まずそうする。横に座ってリラックスの姿勢をとる。相手はさらに自己主張を続ける。「ほんまにそうやねえ・・・」を繰り返す。そうして言葉の間を狙って話題を転換する。

言葉の切り出しは「それはそうとして・・・」である。続ける言葉は身近な言葉ほど良い。「この間、○○さんにお目にかかったよ。頑張っておられるんだってねえ」。心理の場はその時変わる。しかし本当に共感した瞬間だけの言葉で、自分の心に噓をつくことだけは避けねばならない。噓の心は目の色に現れる。人間社会って難しいと、オトコの独り言をつぶやくのである。

(久山 稔)
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by mako0491 | 2017-03-02 18:44 | オトコの独り言