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わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

ehonばあば絵本5.24

『ばあばは、だいじょうぶ』

楠章子文 

いしいつとむ絵

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童心社 2016年 1432

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)5歳から

(自分で読むには)6歳から大人まで

あらすじ

小学生の僕はばあばが大好き。学校から帰るとすぐばあばの部屋に行く。そしてお話するんだ。できなかった逆上がりや解けなかった計算問題…。  

ばあばはいつも「うんうん」って聞いてくれる。そして言ってくれるんだ。「つばさはだいじょうぶだよ」って。泣くと泣き止むまで頭をなでてくれる。

始まりは犬のコロへのおやつだった。「一日に何度もあげちゃうのよ」ママは首をかしげていた。そのうち、ばあばは「今日は学校お休みなの?」と、日曜日に何度も聞くようになった。秋になると、編み物が進まなくなった。「わからなくなっちゃうのよね」ばあばはため息をつくようになった。

僕はなぜか知っている。ばあばは「わすれてしまう病気(認知症)」になってしまったんだ。パパとママが教えてくれた。

春、大切に食べていたジャムを一人で食べてしまった。夏、お隣の花の土を掘り返してしまった。ママはお隣へ謝った。そして、濡れたタオルで汚れたばあばを拭いてあげた「お花好きだもんね」。秋、おかきだよって僕にドングリを渡してきた。僕は怒った。ばあばを避けるようになった。

そんなある日、ばあばは、靴も履かないでいなくなってしまった。ママはばあばを探しに行った。僕はばあばの部屋で待った。懐かしい匂い。そこには忘れないように書かれたメモが大量にあった。謝ってばかりのばあば。

早朝、お隣さんが散歩の途中で見つけてくれた。玄関に裸足で立つばあば。(寒かったよね。家がわからなくて心細かったよね。)靴下を履かせてあげ、僕は言った。「ごめんね」するとばあばは「だいじょうぶだよ」って頭をなでてくれた。

☆守ってくれた人が守るべき存在になる。でも守られている。作者からの「だいじょうぶ」がたくさんの人に届きますように。

(浦田ひろみ)


# by mako0491 | 2019-06-13 18:55 | 絵本この一冊

5.24子育ての悩み

包み込むような母に、でも難しい

 

 こんな時はどうしたらいいんだろう。毎度毎度、悩んでしまう。「どうしたらいいの」こんな心の声に固まってしまう。中年のおばちゃんになったのに。

娘と通う小児科の待合室には子ども用におもちゃの場所がある。そこは基本的に土禁。靴を脱がないといけない。でも、小さな子どもは基本的にはじっとできない。遊んでいたかと思えば、すぐそこから出ていく。そうすると、靴を履かさないといけない。時間が長引けば、靴を履かせて、脱がせてと忙しい。余裕があればいなせるが、ないときは辛い。

 「ちゃんとはかないと汚れちゃうでしょ」「もう、どっちにするの」と、お母さん。嫌がる子ども。無理にだっこして、移動させると、駄々をこねる。そこからは悪循環。抜けだすのは至難の業。騒いでいるのは自分だけのように感じ、焦る。泣けば大惨事。

 今なら汚れようとまあいいかと思えるが、あった、あったこんな時。こんな時に大丈夫と言って欲しかったような、気がする。が、実際、余計なことをして悪化したらどうしようと、じっとしてしまう。つらいよね。大変よね。と昔の気持ちを思い出し、「頑張って」と心の中で声をかける。目があえばせめての笑顔。

子供が泣いたり、騒いだりすると、その場の雰囲気、空気感に焦る。でも、大丈夫。安心して。心の中で応援している人もいるから。子育てに余裕ができた今、包み込むようなどっしりとしたおばちゃんになりたいけれど、難しい。

                                         (浦田ひろみ)


# by mako0491 | 2019-06-13 18:07 | 子育て

5月31日視点


令和時代に入って

  昭和最後の年に産まれた三男がゴールデンウィーク初日すなわち4月27日に挙式した。配偶者は平成産まれ。入籍は令和元年5月1日だという。

 亡くなった母は大正生まれだったので私たち親子は二時代を生きたが、息子たち親子世代は三時代を生きることになるようだ。

  5月に入って役所や金融機関の窓口に行っていないので、年月日の記入用紙に令和と印字されたものをまだ目にしていない。最近かかった医療機関に気を付けて見ると、令和1年となっている領収書、単に1年となっている診療明細書、西暦で記載された予約票など様々だ。

  天皇が変わるたびに年号が変わる事実についてここで意見を述べても始まらない。

  議事録ほか記録書類に日付けの記載は必須である。自分が関係し、作成する書類は昨年から全て西暦に統一した。また、提出する書類もたまたま「年」の記載しかないものばかりだったので西暦で記入した。これで後日確認しやすくなったと思う。

  今回の新年号に興味があったのは日本人ばかりでなく、出典が今まで中国だったためか中国人も、また親日派が多い台湾人も関心を向けたようだ。

 欧米メディアなどは「日本の右傾化」を懸念する声もみられるようだ。

 キリストの誕生(それもズレがあるようだ)をもとに定められた西暦でも、日本古来の和暦でもどちらも使い分ければいいと思うが、私のような計算に弱い人間は、やはり西暦がすっきりわかりやすくて使いよい。

       (中村 聖代)


# by mako0491 | 2019-06-13 17:58 | 女の視点

4.26日あたま宮本 静

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宮本 静さん歌手人生を語る
地元ソングで地元に恩返し


和歌山市では様々なジャンルの観光発信人が活躍している。市観光協会会長(市長)からの委嘱を受け、広く和歌山の魅力を発信する―今年4月には「虹のコンキスタドール」ー清水理子さんが委託を受けた。今回の登場者は、昨年委嘱を受けた宮本静さんである。彼女は県の歴史や文化などを題材としたご当地ソングを20曲、市関連は徳川吉宗をテーマにした「男節」など9曲を持つ。静さん自身に語って貰った。

(中村 聖代)


【島根県に生まれる】

 私(宮本静)は、島根県に生まれ、すぐに大阪市内に移りました。小学校4年生の時に和歌山県那賀郡打田町(現紀の川市)に引越しました。

 騒がしい都会と違って、空は青く近く、星は瞬き、空気はおいしくとても素晴らしいところです。今も住んでいますがふるさと和歌山が大好きです。

【人前で歌うこと】

 小さいときから歌が大好きでしたが、人前に出るのは苦手でした。内弁慶だったのです。

 初めて人前で歌ったのは小学校の遠足のバスの中。バスの座席なら顔を見せなくてもよかったからです。

 中学はバスケットクラブなのに、高校では演劇か合唱をやりたいと思ったのは、やはり本心は目立ちたがりだったのではと思います。粉河高校は合唱が盛んだったので結局そちらを選びました。

【カラオケ大会に出て】

卒業後、父親から背中を押されカラオケ大会に出ました。中森明菜の「デザイヤ―」を歌いました。その時の優勝賞品はハワイ、準優勝はグアム旅行でしたが、頂いたのはカラオケセットでした。敗因を追求したら、やはり「演歌でないと弱い」と思いました。

【ステージに立って】

そこから独学で演歌を練習しました。坂本冬美さんのこぶしはどうするのか?彼女の歌には「ハ行」が入っていると気づきマネてみました。例えば「祝い酒」、『うフきヒよホーあらハなハみー』

多くのカラオケ大会に出ました。NHK「BS勝ち抜き選手権」でチャンピオンにもなりました。

水森かおりがゲスト出演の市内の会場でグランプリを獲得。本人から「和歌山の水森かおりと言ってね」と言われました。

【歌手への道】

 小学校と高校の同級生が歌手になっていて、大変さがわかっていたため、自分が歌手になることは考えていませんでした。

 けれどもステージに立つ機会が増えるにつれ、だんだんここが自分の居場所と思えてきました。自分が一番自分らしくいられる場所に思えてきたのです。

 歌うことで目の前のお客様が元気になる。それを受けて自分もエネルギーを頂くー幸せ感が出てきたのです。「こうして歌うために生まれてきた」と思うようになってきました。

【これからのこと】

 2010年3月にデビューして来年は10年目を迎えます。今まで苦に思ったことはありません。

疲労で声がでなくなったことがありますが、プラス思考で乗り切り、体調管理の大切さを知りました。

楽しんで歌うことがすべてです。これからも愛と感謝の気持ちを込めて歌い続け、歌で恩返しができればと思っています。



# by mako0491 | 2019-06-11 02:10 | アタマ記事

雑録4.26

和歌山城歩いて健康寿命維持しよう

 インフルエンザにおびえる日々から解放され、ようやく暖かくなってきた。そこで、控えていた外出を解禁し、卓球を楽しんだ。すると、次の日の次の日、腕とおしりが筋肉痛になった。さらに全身のだるさとズーンとしたおしりの痛みが続いた。

こうなってくると、もしや大腸がんでは等とあらゆる心配が出てきた。そんなこんなで1ヶ月。もう検診か、と思ったころに痛みは消えていた。

そして、思い出した。車社会の和歌山県は「健康寿命(医療や介護に依存せずに自立した生活ができる期間)」のが短いということを。運動する機会をあえて持たないといけないということを。昨年、和歌山市で開催されたシニア体操教室をシニアの言葉に躊躇し、参加を見合わせたことを。

中年やシニアなどの言葉から逃げていたのだ。恥ずかしい。もっと重要なものがあると、和歌山城を歩くことにした。初回は娘とゆっくり歩いていた習慣から思うように進まない。しかも、すぐにふくらはぎが張る。が、さすが和歌山城。木々を眺めるだけでも気分がよかった。

 今年の11月には和歌山県でねんりんピックが開催されるらしい。そこには年を重ねてから健康のために始めた運動で芽を出した人々も参加されるだろう。ここが踏ん張りどころ。衰え始めた現実から逃げず、あらがっていきたい。そして、四季折々の和歌山城を贅沢に満喫しようと思う。

(笠井 ひろみ)


# by mako0491 | 2019-06-11 00:59 | 日日雑録

絵本5.24

『おほしさまのちいさなおうち』

渡辺鉄太文 加藤チャコ絵 

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2018年 瑞雲舎

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。
(読んでもらうには)3歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

 桜の開花と新学期を迎え、毎日過ごしやすくなってきましたね。同時に外出も増えたかもしれません。お出かけのついでに探検や冒険遊びをしてみませんか?

あらすじ

 あるところにおもちゃで遊ぶのも、本を読むのも飽きてしまった男の子がいました。

 男の子は母親に尋ねます。「お母さん、楽しい遊びを教えて」

 母親はしばらく考えてから言いました。「それなら探検に行くのはどう?お星さまのおうちを探してみるのよ。お星さまは夜空にいるだけじゃないのよ。」

 男の子は母親にヒントをもらい、探しに行くことにしました。家の前の道をずっと歩いていくといいみたいです。

 男の子が歩いていくと、小さな女の子に出会いました。男の子はお星さまについて尋ねます。「農場のお父さんなら何でも知っているわ」

 緑の牧場と黄金色の小麦畑を眺めていた彼は「丘のふもとのおばあさんに聞いてみることだ」と、ポップコーンや編み物の上手なおばあさんを紹介してくれました。

 男の子は丘のふもとの家の前で編み物をしているおばあさんに尋ねました。おばあさんはおひさまのようににこにこして言いました。「あちらこちらを旅している風さんに聞いてごらん」

 男の子は仕方がなく、丘を登り始めました。すると、風が吹き抜けました。男の子は風においていかれないように走ってついていきます。風は果物が生い茂っている木の枝を吹き抜けていきました。

 ついに男の子はお星さまのおうちを見つけます。茶色い煙突のある赤いおうち。さて、何でしょう。大人もこのような探検遊びは楽しそうですね♪
         (浦田 ひろみ)


# by mako0491 | 2019-06-11 00:54 | 絵本この一冊

熊野の町を盛りあげたい

 2015年のデータだが、日本人の平均年齢が46.35歳で、高齢化世界一だそうだ。

 隣の韓国も中国も若干低いくらいで、日本と似たり寄ったりとのこと。しかし、ラオス、カンボジアといった東南アジアの諸国は20歳代だそうだ。ある観光のセミナーで聞いたとき、いよいよ日本は危機的状況にきたと感じた。

 11年前に、進化し続ける街、東京から、故郷の新宮市熊野川町へと転居した。

 豊かな自然を前にしても、心が後退していく感じがあり、急に老け込んでいく感じもした。原因とまではいかないが、元気を出すきっかけを見つけられればと思い、行政局で、住民の年代別人口を教えてもらった。人口1400人くらいに対して、一番多い世代が60歳代、次が70歳代、80歳代、90歳代と50歳代が同数。ぐんと少なくなって、40歳代、30歳代、10歳代。一番少ないのが20歳代で、5人であった。

 この結果は近い将来、新宮市中心街もこのようになるだろうと想像できた。

 何が足りていて、何が足りないのか。

 何を生かしていけばいいのか。

 今後平均年齢が下がることは望めないだろう。街を盛り立てていくにはどうすればいいのかと考え、小さな取り組みだが、マイナスと感じることをプラスに楽しく感じる方法はないかと考えるようになった。

 嘆いても何も生まれないが、プラス思考は元気が出る。やる気も出る。笑顔にもなれる。見方を変えれば、すべてが面白い。

なんだかいつも楽しそうだと、人々が興味を示してくれる。私感だがと、魅力を話すと結構共感を得られる。熊野の自由なおおらかな自然の中で今日もお宝を探し、発信する。
                   (玉置 ひとみ)


# by mako0491 | 2019-06-11 00:34 | 女の視点

伝統的なヨガで心身健康
筋力高め、歴史の知恵も学ぶ

最近和歌山でも多くのヨガ教室が開催されています。ヨガを始めたいと思っても身体が固いから出来、難しいそうなどと諦めていませんか?ハードなヨガもあればゆっくりした優しいヨガもあります。色んな所に体験で行かれてご自身の年齢、身体能力、好みに応じて選ばれるのがいいと思います。快適で心地のよい室温において適度な水分と休憩を取りながらあまり汗をかきすぎない環境のなかで行うヨガがお薦めです。

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(ヨーガ療法士・神谷弥生)

 

 さて皆さんのヨガのイメージとはどんなものでしょうか?ヨガ=ストレッチ運動と考えている人が多いと思いますが実は身体を動かす事=ヨガではありません。

多くの皆さんがイメージするヨガとは現在では主流になっている身体運動中心のヨガ”ハタヨガ“から生まれたヨガの中の一部分なのです。

体動かすアーサナ

アーサナ(ヨガのポーズ)は正しく行えば健康促進において効果が大いに期待されます。なぜなら様々な身体の問題症状は筋骨格系の問題から生じている事が多いからです。

例えば頭痛などは肩や首の筋肉が緊張により圧迫された血管により血流が悪くなり筋肉内に老廃物がたまり、その周辺の神経が刺激されて起こります。

ヨガのアーサナの中で首回りの運動をすることで首周りに筋肉の緊張がとれ血流もよくなり頭痛が改善できます。しかしアーサナ(体操)だけで身体の不具合を改善することはできません

ほとんどの病気の原因は身体を過緊張にするストレスからくると言われます。ヨガのアーサナは今や健康促進に不可欠ですがそれが全てではありません。

そしてヨガとは“ストレッチ”もしくは”綺麗なポーズをキープする“とイメージされる方の多いと思いますがヨガ発祥のインドで伝わる伝統的なヨガは筋力を鍛え、心肺機能を高める事を目的とする激しい動きをすることもあります。

元々はチベットの奥地の厳しい環境でヨガの修行をするヨガの行者が身体を鍛える為に行っていたのがハタヨガのアーサナだと言われています。

洞窟で瞑想も

ヨガの行者は小さな洞穴の中で座り、瞑想をして修行をします。そしてヨガの師匠を探し求めてチベット中を旅します。食料も十分に得る事の出来ない状況で長時間瞑想し、山を歩く為には健康で強い身体を作る事が必要です。そこで狭い場所でも身体を鍛える事の出来る運動が必要となりそれがハタヨガのアーサナとなったと言われています。

ハタヨガが生まれる以前のヨガは座って行う瞑想が中心でした。しかしひたすら座って自分を見つめるというヨガは一般の人にとっては難しかったので身体を動かす事で自分の内面を見つめ、鍛える事ができるハタヨガが一般に人に広く知れ渡るようになりました。

現在多くのヨガの先生がいらっしゃいますが残念ながら伝統的なヨガを学びその智慧や体操を指導できる先生が少ないのが現状です。

ストレスが原因

いくらヨガのアーサナをして身体の緊張を取っても日々のストレスで身体が緊張していれば効果を感じる事は難しいです。ヨーガ療法では伝統的なヨガを科学的な研究をもとに一般の人や疾患を持つ人でもヨーガの智慧やアーサナを学び安全に行えるように指導しています。日々の生活の中で起こるストレスは私達の心のありようが関係しています。自分はこうでなければいけない、人はこうあるべきだ、など私達はたくさんのこだわりを持っています。

しかしこだわりが多いほど自分や人、状況が許せなくなりそれらを変えようとしてしまいます。しかし変える事が出来るのは自分自身しかないという事に気づかなければ決して動く事のない大きな岩を動かそうとし続けるでしょう。その変えられない物を変えようとする苦しみこそがストレスの原因の大きな一つなのです。

伝統的なヨーガの智慧とアーサナを同時に学ぶ事は身体を鍛え、受け入れる心を作ることで精神と身体の健康を促進します。ぜひ皆さんも伝統的なヨガを学び強く柔軟な心と身体を作りませんか?


# by mako0491 | 2019-06-10 13:26 | アタマ記事

3・29和歌山医大

 和歌山医大

小さな演劇部に大きな目標

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 今回は、和歌山県立医科大学演劇部をご紹介したいと思います。

和医大には、さまざまな競技スポーツの体育会クラブがあり、大学でクラブに入って初めてそのスポーツをするという学生も大勢います。また、軽音楽部や茶道部、美術部といった文化系のクラブもありますが、それらの中に演劇部はありませんでした。演劇部ができたのは1年半前になります。

 2017年の夏に、医学部2人、保健看護学部1人のたった3人で立ち上げました。現在は両学部の合同で部員は6人となり、週2回の部活動に加え、休日には観劇やワークショップへの参加、和歌山大学や京都府立医科大学の演劇部との交流など、活動を広げています。

 昨年の秋には、大学祭で初めて一般公開の舞台公演を行うことができました。初公演は大型ホールの講堂とは行きませんでしたが、教室に小さな舞台をつくり、役者3人、音響など裏方3人の6人全員で力を合わせ、2日間で計3回の公演を乗り越えました。100人を超える観客の方々からも好評いただいたことは部員たちの大きな励みになったことでしょう。

 やはり、役者の人数や男子部員が少ないためどうしても演劇の幅が限られてしまうことが悩みの種ですが、いつかは大ホールで、自分たちの書いた医療にまつわる台本で、大きな舞台セットを作り広々と演技することを目標に、今は3月中旬のプチ公演を目指して頑張っています。

 将来、医師や看護師を目指す彼らにとって、大学の部活動で演劇に打ち込むことはとても貴重な学びの時間でもあります。役作りを通してその人の生活や生き方に思いをめぐらせること、その演技をどのように演出することで観客に伝わるのかを考えること、みんなで悩み話し合い、その積み重ねで一つの舞台ができるのです。

 ゼロスタートの創部から仲間を増やし、さまざまな人や機関と交流しながら、目標をもって一致団結し演劇に取り組む彼らなら、チーム医療の一員として患者さんのための医療をつくっていってくれるにちがいありません。

   (保健看護学部講師 石井 敦子)


# by mako0491 | 2019-04-21 20:38 | 和医大便り

オトコの独り言3・29

=通信販売で生きる時代=

  便利さには落とし穴が付きまとう

私は歳に似合わず「ネットで物を買う派」である。常に使っているのは「書籍の購入」である。「書店」には雑誌を買う時以外はもう立ち寄らない。本は発行日が今日だろうが、50年前だろうが、特別な事情が無い限り2~3日で手に入り、その内容(品質)は変わらない。

 時折、サービス部門のネット販売を利用したことがある。家内が長期入院した時、たまたま私も療養食が必要であった時期であったので、地域の後期高齢者支援センターのアドバイスもあり、配食サービスを発注したのである。すぐに翌日から昼食と夕食が、朝10時ごろには特殊な容器に詰められて指定した勝手口の箱に配達された。有難いシステムだなと感謝していた。

ところが10日もすれば配達時間が12時になっても届かない日か出てきたり、副食物の素材の質が素人にさえ分かるくらい悪い物になったりした。「善意だけで世の中が回っている訳ではない」と」理解していて、利益優先、効率化原則が常に働いているのが当然と思っていても、だまされたようで良い気分ではない。

そんな経済原則に先立っても、「人間としての道義的責任」が制動機として働くはずだ。それは日本の固有の文化水準がそのレベルを決めるのだろう。その水準を逸脱すれば、社会から手厳しい制裁を喰らい、大企業でさえ命を奪われることもある。

 しかしそれ位「安定している日本社会」だと信じていても「便利さの追求には常に落とし穴が付きまとう」のである。それを避けられないのは自分の能力不足だから、「自己責任の範疇」と思い定めることもあるが、「許せない」と憤ることもある。その境目はいったい何処で決まるのか。

物事の評価を数値に置き換えて判断することはよくやる手だ。54321、で点数評価するのだ。国語と算数と英語の点数を足して平均点を出し、その期の「努力」を評価してみても何の意味も持たないだろうと思いながらもそんな順序で評価している。眠れぬ夜のお遊びに、ああでもない、こうでもないと考えている。

  「自分が最もこだわって判断している基準」を信じて、その評価基準を満たさないサービスには手を出すまい。そうしていればその判断がたとえ間違っていても思い悩むことも無く、後悔することも無いだろう。それを続けて一生を終えられれば極楽往生である。    (久山 みのる


# by mako0491 | 2019-04-21 20:26 | オトコの独り言

3・29視点 PTA役員

 PTAの役員、気の重い季節


 またこの時期がやってきた。なんだか気分が重い時期が。花粉ではない。PTAだ。この時期、PTAの1年間の反省&次期の役員決め、そして新学期にクラス委員を決めるのだ。

 数年前からyahooなどのネットで任意団体のPTAから脱退した話や改善された話、うまくやり過ごす知恵、揉めに揉めた話などの記事を見かけるようになった。が、実際には聞かない。こそこそ言うだけだ。総会で会計報告の数値間違いや疑問点に気づいても、目をつぶる。なぜなら、こんな大変な役員の仕事を引き受けてもらっているからだ。本当にありがたい。

 でも、個別には意見が出る。見守り隊や夏祭りの運営などには前向き意見。子供たちの為、とわかりやすい。みんなも協力的。反対に、保護者のみの市合唱祭や市スポーツ大会等などは散々。しかも、役員は強制参加に近い。親睦や自己実現として自主的に始まったと思うが、今や頑張って参加している。家に子供たちを置いて参加している。何のために歌っているのか。その意見を役員が一身に受ける。でも何もできない。一校だけ不参加にはできないからだ。まるで中間管理職。しかも、無償。

見ていてつらい。もやもやする。そして空想に走る。「もういいよ」。誰かが言ってくれないのかと。仕事を再構築してくれないかと。それは神か、鶴の一声か、はたまた白馬の王子様か。まじめに切実に待っている。(笠井ひろみ)


# by mako0491 | 2019-04-21 20:15 | 女の視点

ジャムの「なぐさファーム」人気

豊富な果実組み合わせ、60種類

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紀三井寺の境内に行くまでの道沿いに「なぐさファーム」工房がある。店主の本郷 仁視(ほんごう・ひとみ)さん=写真=は和歌山大好き県人、彼女のほっこりした人柄がそのまま体現したような工房について語ってもらった。思わず行ってみたくなる。食べてみたくなること間違いないと思われる。(中村 聖代)


 仁視さんの家には甘夏みかんの木が5本あった(昨年の台風で1本が倒れ、現在は4本)。古木ではあるが毎年多くの実をつける。 その実がぽたぽた落ちるのを見るにつけ、「もったいないなぁ」と思っていた。

 嫁ぎ先の水飴屋で働く仁視さんは、ある日頂いた手作りのマーマレードのあまりのおいしさに、自分でもサトウキビや水飴を使って家にある甘夏でジャムを作ってみた。

それがとても好評で、友人から「ジャム屋さんをしたら?」と言われた。

「ジャム屋さんか、いいなぁ」。幸い工場の倉庫がある。木工の得意な夫がいる。家業の水飴は売るほどある。近くには果物農園がたくさんある―そうした好条件のもと、あれよあれよという間に「なぐさファーム」が誕生した。早いもので今年6年目を迎える。

【匂いにつられて】

 紀三井寺へのお参りの際、かぐわしい匂いにつられて多くの人が工房に立ち寄る。「ぎんざ空也空いろ」との出会いもその一つだ。銀座老舗和菓子店5代目店主は、「餡子は豆のジャム」というコンセプトのもと、自身で新ブランドを立ち上げている。なぐさファームのジャムやマーマレードを餡子に使用したどらやきを、和歌山近鉄だけでなく東京でも限定販売され、好評を博している。

「多くの方とのご縁を頂き、たくさんのコラボが実現できました」。

「紀三井寺の観音様と名草姫のおかげです。」

『名草戸畔(なぐさとべ)』の作者なかひらまいさん※別項ともかかわりが深い。仁視さんたちは「なぐさ」を大切にしたいと願っているのだ。

先日も笛・ギター・ハープの演奏会が催され、工房が優しい音色に包まれた。

【仲人のような気持ち】

 仁視さんは、和歌山の豊富な果実を組み合わせて新しいジャムをどんどん開発する。実家の有田みかんと義実家の金時人参との組み合わせ、いちご・ブルーベリー・ラズベリーのベリー三昧、キウイや梅やすももなどあらゆる種類を試作し販売。60種類以上にも及び、ラベルを作る夫から「これ以上ふやすな」と嬉しい?注意を受けたりする。

 「いろんな果物を組み合わせるのが楽しいんです。仲人になった気分」。

【ドライフルーツ等も】 

工房を始めてすぐに素材の良さをそのまま生かせるドライフルーツも作ろうと思った。(手で)切って低温でじっくり乾燥させただけー砂糖などを一切使わないものだ。

 そのほかにも、なかひらさんの絵や本、夫と仁視さんの友人で作った「バンザイにゃんこ」グッズをはじめ、手作りの木工スプーンやガラス製品たちが並ぶ。みているだけでも楽しそうだ。

「人との輪が拡がり、作っていくものが拡がり、これからもいっぱいふやしたい。」と彼女の夢は限りなく広がる。


なかひらまい:雑誌を中心にイラストレーターとして活躍。200512月『スプーと死者の森のおばあちゃんスプーの日記〜』で作家デビュー。創作・ルポルタージュ・イラストレーションを通して独自の視点でモノノケの世界の本質を探求している。

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名草戸畔(なぐさとべ):名草地方(現在の和歌山市と海南市)で語り継がれてきた古代の女王・名草戸畔(なぐさとべ)の伝承をもとに構成。およそ二千年前に実在したと思われる女性首長。『日本書紀』に、ひと言だけ、神武に殺されたと記されている。多くの人は、神武あるいは神武軍によって、遺体を切断されたという。

郷土史家・小薮繁喜氏と海南市の「宇賀部神社(おこべじんじゃ)」宮司家出身・小野田寛郎氏から採集した伝承は、『日本書紀』にも『魏志倭人伝』にも書かれていない「民間伝承」が中心になっている。古代の神話や伝承が原型を止めた形で残っているわけではないため後世、土地の人たちや宮司家の妄想によって変形してしまった伝承もあるかもしれない。信じる・信じないは別にして、読者の皆さんには、今まで語られることがなかった先住民たちの物語を楽しんでもらいたい。そして、幼い頃からこの伝承を聞いて育ち、自分自身をナグサトベの子孫と信じてきた小薮氏と小野田氏の心に触れて欲しいーと作者は語る。


# by mako0491 | 2019-04-21 20:03 | アタマ記事

新宮ってこんな街なんやで』人気  

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 くまの地域絵本つくりの会製作

分かりやすく、温かい

学校、施設で読み聞かせ

新宮市内でゲストハウス『ふくろく』を経営している平見靖子さんが代表を務めるくまの地域絵本つくりの会が、新宮市のことを子どもたちに知ってもらおうと、熊野新宮の歴史を『熊野権現御垂迹縁起』の伝説を元に、市内三か所の世界遺産の神社(神倉神社、阿須賀神社、熊野速玉大社)4部で構成し、『新宮ってこんな街なんやで』の絵本を製作した。(玉置 ひとみ)

きっかけは、ゲストハウスを利用してくれた台湾からのお客様が「熊野は、観光のスポットというよりも日本の歴史の重要な部分である」というコメントを残してくれたことによるもの。

新宮で生まれ、新宮で育ち、生活しているが、歴史をまったく学んでこなかったこと、海外の方から重要な場所と教えられたことを恥ずかしく思いった。

日本創始の頃から存在したこの地域のことを学ぶ機会がなかったことの反省を踏まえ、新宮市内の子どもたちに新宮の歴史の魅力を絵本仕立てにしてわかりやすく伝えていけば、子どもたちが成長した後も新宮の魅力や歴史を自信を持って話せるのではないか?

この地域のことを広く市民に知ってもらいたいと会を発足させた。平成29107名の市民が集まり、平成30年度の完成を目指した。

文章は、予算の関係で会員が書き、国際熊野学会代表、熊野三山協議会幹事の山本殖氏に文章監修をお願いした。絵は、地元の芸術家平野薫禮(ぐれ)さんが描いた。和歌山県の『地域・ひと・まちづくり補助事業』新宮市の『まちづくり市民活動補助金』の補助金をいただき平成3012月に完成させた。

その後、東牟婁振興局でプレス発表をして、市内の保育園、幼稚園、小中学校、高校、児童館、図書館等へ無償配布した。また、自己資金不足を寄付3,000円以上で一冊進呈としたところ県内外から申し出があり、多くの方にご協力いただいた。

128日(月)に会員5名が和歌山県庁を訪問し、仁坂知事に面談いただき直接お渡しした。県立図書館、田辺市のビッグUの図書館へも置いていただいた。

 知事より「地域を大事にする心を絵本という形で、後世へ残ることをされたというのは尊いことです。」とコメントいただいた。

また、多くの方々から「熊野新宮をわかりやすく作ってくれた」「これを求めていた」また、故郷を離れた方からは、「故郷、新宮を誇りに思う」など。近隣市町村からもよくやった。「新宮弁の語り口がいい」「絵がわかり易く、心が温まる」等の評価を得た。

今後は、『読み聞かせ』で学校、施設を訪問して広めていくという。

※現在も問い合わせをいただいているが、販売予定はなく、製作部数の配布は全て完了している。


# by mako0491 | 2019-03-04 00:21 | アタマ記事

 和歌山に暮らす外国人妻⑤

  

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中出ドゥワンドゥアンさん(タイ出身)

 「私なんか何も特別なことはしていませんよ」と控えめな態度でドゥワンさんは、物静かに話してくれた。

友人の紹介で27歳の時来日し、タイ料理の店で働いていたドゥワンさん。そこにお客さんとしてやって来たご主人を紹介され付き合うようになった。とてもやさしくドゥワンさんを大事にしてくれ、「一緒にいると温かさを感じる」と言ってくれる彼にドゥワンさんも惹かれていった。そして結婚を決意した二人は、入籍後タイの寺院で昔ながらのタイ式結婚式(お坊さんが鉢の中に水と花をいれて、いい言葉を吹き込みその水を新郎新婦にプイプイプイとかけてくれる)を挙げて、日本での新婚生活が始まった。


初めて見た日本の雨は、タイの雨と違って細い糸が同じ向きに静かにやさしそうに降っていて、そのきれいさに驚いたことを今でも覚えていると言う。だけどその後は地震や激しい雨、台風も日本で経験してきた。

 また日本の食べ物はなんでもおいしいが、生ものは食べない。今でもタイ料理はよく作るが、家族みんなが揃う時はカレーやたこ焼き、お好み焼き、親子どんぶりなどを作っている。


今では日常生活に困らないようになったけれど、初めて来日した時は全然日本語を話せなかったし、ご主人も全然タイ語を話せなかった。でも頑張り屋のドゥワンさんはご主人や周りの人たちに教えてもらいながら日本語を吸収していった。そして子どもが生まれてからは子どもを通じてどんどん活動をひろげていった。保育所や学校からもらってくるいろいろなお知らせのプリントを読めないので先生に読んでもらったり、学校生活でわからないことは積極的に教えてもらったりした。地区やPTAの役員も務めてきた。家に閉じこもっていないで、地域や学校に出て行き日本の社会になじむ努力を続けてきたドゥワンさん。

 

 また、出張がちの忙しいご主人の両親のお世話もひきうけ、多忙な毎日の中で日本語教室に通い、勉強にも励んできた。ご主人はそんなドゥワンさんに「いつも自分の両親を見てくれてありがとう」とねぎらいの言葉をかけていたと言う。義父母を見送り、昨春、一人娘も大学を卒業し社会人になり、時間的に余裕ができるとパートタイムで畑の仕事を手伝っている。とにかくよく働くドゥワンさん。

 

 一番の楽しみはネットでタイの新聞やテレビドラマを見たり、タイの歌を聞いたり歌ったりすること。そして、タイ語で友達と食事をしながらおしゃべりをすることだそう。何と言っても母国語で話すのが一番息抜きになるでしょうね。

冒頭に「何も特別なことをしていませんよ」と話してくれたが、言葉も習慣の違う日本で、妻として嫁として母として生活してきたことが立派であり、毎日毎日を一生懸命に生きてきた証である。(林 多恵子)


# by mako0491 | 2019-03-03 23:47 | ヒト交差点

割り勘男と女の事情

そんな、時代なのでしょうか。カフェを営業していますと、お会計の時に、お支払いにいろいろいろケースに出合います。同性同士のお二人の時なら、ほとんどが割り勘です。

たまに、乙女同士が、私が払うとかもめるなんとも微笑ましい光景もあります。でも、でもね、男女の場合は、微妙です。明かにご夫婦の場合は、奥様が払われるケースが多いですが、カップルの場合、昔は、男性が払うのが当たり前でした。もし、持ち合わせがなかったら、そっと財布を渡しておくとか・・・配慮があったものです。


近年は男女平等のことが当然のように、カップルでも割り勘が目立ちます。旅行代金も割り勘とか・・・もはや、私の古い脳には、「ありえない!」と絶叫します。

二人の息子達にどうしてたか尋ねました。「勿論、俺が払ってた」流石、我が息子よ。「でも、当たり前みたいな顔されたらイヤやな~せめて、出す振りだけでもして欲しい」なるほど。それも大事だ。

最近の若い方達は、割り勘が当然のようです。ある日、女性に理由を訊ねました。「割り勘だと別れやすいから」爆笑。そうか、女性もいろいろ考えるようになったんですね。それなら、納得です。

若い世代でしたら、割り勘も納得しましたが、いい年齢の大人が友達同士でも男女で、割り勘しているのは、なんだか、寂しいですね。正直、私の周りにもいます。そして、沢山呑む人が飲まない相手に割り勘。それは、どうなんでしょうか?私は、女性同士で行く時、呑まない友達より必ず多く払うかゴチします。それが、マナーだと思ってます。

でも、割り勘男が、相当な、イケメンなら許します。息子みたいな若い子相手なら、私が払いますが~~そうか、私も若い時には、ゴチされるのが当たり前だったけど、今は、その気持ちにならないってことなんだ。やっと、気が付きました。()やっぱり、割り勘でいいかもですね。

                                   (西川 福美)

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# by mako0491 | 2019-03-03 23:33 | 日日雑録

 暗い=(は)かわいそうな人 なの?

テレビで「喪女特集」なるものをやっていた。喪女(もじょ・もおんな)とは、交際経験がない、いわゆるもてない女性のこと。人生において異性との交流がほとんどなく、休日も家にこもりがち。目立たない人生で、学生時代においても男子とも話せず卒業してゆく、俗にいう「甘酸っぱい青春」とは程遠い青春時代を過ごすのだ。そのような人生を送ってきたため、“どうせ私はブスだから”“私なんてお呼びでない”とネガティブで自虐的な思考を持つ人が多いみたい。まさに「喪」のイメージ通り、暗い女性というわけである。世間は彼女らをかわいそうだと見下すかもしれない。

 彼女たちは交際経験がないこと、ひいては自らの存在を申し訳なく思っている様子。「私なんて」という不動のモチベーションは、スポットライトを浴びる機会を自ら潰しているようにも思う。そこには、彼女らの繊細すぎる感受性があるのかなとも感じる。常に周りの反応を気にして自らを振る舞っているのだ。みんなが皆そうではないけど、そう考えると、喪女はコミュニケーション能力に長けているのではないのだろうか。

確かに彼女らは暗いのかもしれない、だが彼女らの会話を聞くと「今までで一番男性に近づいた瞬間は満員電車」や「もてなさ過ぎて、命の存続を私が絶たしてしまう。生命の営みにごめんなさい」などなど、かなりユーモアのある発言が印象的だった。周りに気を遣えてユーモアもあれば、これはかなりのコミュニケーション能力ではないか!喪女をバカにしている諸君にいいたい。「彼女らの方がずっと自分らしく豊かに生きているよ!」と。

(宇都古 舞)


# by mako0491 | 2019-03-03 23:22 | 女の視点

1,25 WORK

ワクワクWORK

パーソナルスタイリスト

「スタイリスト」という言葉を耳にするかと思います。主に女優や俳優に依頼され、リクエストに応えてトータル的にスタイリングをしていきます。

「パーソナルスタイリスト」は、一般の方々にも全く同じことをさせて頂きます。

 以前私はセレクトショップを経営していました。開業にあたり、店の構成・品揃えは勿  

論、細部に至るまで大切にしたいことをひとつの軸にして経営していました。

そんな折に、品揃えにない商品をお客様から相談され、コンセプトを優先してしまい、十分にお応え出来ず、失礼なことをしてしまったと今も忘れられません。

 神戸市御影・六甲界隈は地元なので当時のお客様にはよくお会いします。懐かしい再会のなかで、買物同行をすることとなったのです。

 随分喜んで頂き、「またお願いしたい」と言われ、「次回からはギャラを取ってもらいたい」とも言われました。

 お役に立つのならば、と時間制でギャラを設定させて頂きました。

 時には、お客様のご自宅にお伺いし、クローゼット全体や靴や鞄に至るまでコーディネートさせて頂きます。

 処分するワードローブのお役にも立つみたいです。

 (みやたけ よりこ)


# by mako0491 | 2019-02-28 23:06 | ワクワクWоRK


『ぼくのかえりみち』

  

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ひがしちから作 

BL出版 2008年 1404

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)3歳から

(自分で読むには)4歳から大人まで

<あらすじ>

そらくんは小学校からの帰り道、校門の曲がり角で立ち止まり、つぶやきました。

「今日はこの白い線の上を歩いて帰ろう」

コンクリートの車道の外側には白い線が引いてあります。この線はずうっと続いています。

「よし、いくぞ」そらくんは白い線に足をのせると、あるきはじめました。ゆっくりゆっくり……、ゆっくりゆっくり……。

「少しでも油断するとあぶないぞ」白い線から落ちないようにそろりそろりと歩きます。

白い線は畑の横を通ります。ここには誘惑がいっぱい。トンボが眼の前にとまります。みぞっこのザリガニが大きなハサミを動かします。がまん、がまん。「だめだめ、今日はそっちに行けないよ」

畑を抜けると、横断歩道にでました。「せーの」掛け声をかけると、ぽーんぽーんと、跳んで渡りきりました。崖の岩を飛びこえている気分です。

商店街までやってきました。すると、白い線の上に大きな犬が座っています。完全に白い線は塞がれています。さらに、犬はそらくんに気がつくと、のそりと顔を向けました。ドキリ。大きな犬が移動した瞬間、急いで通り抜けました。

ついに、家の近くまでやってきました。さらさらと風が吹いています。鳥も遠くの方で鳴いています。家まであと少しです。ところが、白い線がなくなってしまいました。そらくんは動けません。

そこに白い服を着たお母さんが通りかかります。絶望的だったそらくんの表情がぱぁと明るくなりました。さて、どうやって帰りましょうか?

* * *

昔、横断歩道をジャンプして渡った記憶が蘇りますね。自分で決めた新年の抱負もまじめに楽しみながら、ですね♪

(浦田 ひろみ)


# by mako0491 | 2019-02-28 23:01 | 絵本この一冊

1月25日あたま

南方熊楠記念館の見どころ

文献、標本数多く展示

白浜にあり、眺望抜群


本県が生んだ巨星南方熊楠(ミナカタ クマグス)に関する文献や標本などが展示され、イベント等が開催される「南方熊楠記念館」が白浜にある。そこの館長の谷脇幹雄さんから定例の勉強会で熊楠にまつわる話をきいたので一部紹介する。

  ( 中村 聖代

【記念館の設立】

 「南方熊楠記念館」は、1965年4月1日に開館した。最初から民の力で作られた財団法人で運営されているということだ。

2019年11月9日から長期間休館していたが、2017年3月19日にリニューアルオープン。数多くの文献や標本・遺品等々が展示されている。

半島の突端に位置し、屋上には360度のパノラマが拡がる。

熊楠の世界は深淵・広大なので、さわりでしか覗けない。谷脇氏の話を聞き、記念館に是非行って見たくなった。そしてあれもこれも、もっと彼の世界に触れてみたい気持ちが溢れてくる。

【熊楠の生い立ち】

簡単に記してみよう。

・市内城下町屈指のお金持ちの次男として生まれる。生誕地は橋丁22番地(その跡地にあたる駐車場の角には1994年和歌山市によって胸像が建てられている)。

父親が「世界一統」の前身南方酒造を創業したことを知る人も多いだろう。

・抜群の記憶力を持ち、10歳のころから「和漢三才図会」105巻他を借覧、記憶して筆写し始めている。

 ・和歌山中学(現、和歌山県立桐蔭高校)卒業後は大学予備校的な神田共立学校(現、開成高校)に入り、その後東京大学予備門(現、東京大学)に入学。同窓生には夏目漱石、正岡子規ら

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がいた。

 ・学業そっちのけで自分の興味のある研究(遺跡発掘や菌類の標本採集など)に明け暮れていたため、2年で退学いったん和歌山に戻り、米国・英国に留学。その後の功績は、あらゆるところで記されているので省略する。

【自称熊楠をたく】

熊楠に関して生き生きと語ってくれた谷脇氏は、かなりの「熊楠をたく」と自称・公認する。熊楠を知れば知るほど、もっと知りたいと思うのは筆者だけではない筈。

 彼が引きこもりニートであったこととか、40歳近くで結婚したが、実はゲイであったとか、植物採集の時には下半身丸出しで野山を駆け回っていたとか、彼にまつわるエピソードに事欠かない。

 また、文献の中では性についてかなり重要視していたことなども知った。

しかし、彼の思想は超まじめ、生まれるのが早すぎて我々凡人には理解できないのかもしれない。

粘菌の研究ひとつを取っても、植物なのか動物なのかはっきり線引きできないボーダーなもの、西洋の近代科学的なロゴスで説明しきれないことがらを、解き明かすー今日の諸学の錯綜した方法論たちのなかで、熊楠の思想と方法論は、いまいちど見直すときにきているようだ(と、識者たちは考えている)。


# by mako0491 | 2019-02-28 22:53 | アタマ記事

1月25日 視点


格差を超えた所にあるもの

高野山に宿泊中、脳出血で倒れた父は近くの病院で緊急手術を受けた。経過は順調でゼリーを摂り、「お母さん(妻)は?」とことばも発するほどに回復した。

建物は古く、トイレが男女共用だったのに驚いたが、若い医師を初め皆様の治療と介護のおかげで予定通り退院できそうだと思っていた矢先、水頭症を発した父は高熱で意識のない日が続いた。夜中にも数時間置きに痰を引きに来て下さるが、その度に咳き込み苦しむ父を見て私は逝った方が楽ではないかと何度も思った。

退院の見込みの立たない中、自宅から数時間の距離を往復するのは困難で、地元の病院に受け入れを願った。脳外科医との面談時、なぜ急に水頭症を起こしたのかと尋ねた。「脳はわからないことがありますから」という答えに、他者への無闇な批判は避けられたのかしらと思い、肝心の答えはそのまま受け取ることができなかった。

移送時付き添って下さった若き医師は、近代的な公立病院を羨ましい様子でご覧になっていたそうだ。「先生を置いて行きましょうかといったのよ」。後日、一緒に来て下さった看護婦さんが笑いながら仰った。

入院時の検査で父は即刻隔離された。「院内感染しているとわかっていたら受け入れなかったし、入院中に(じょく)(そう)(床ずれ)なんて」とのことばに私は医療の地域差を知った。

なぜ水頭症を、という思いを乗り越えるまでには長い時間が掛かった。しかし、父の転院後しばらくして先の病院が建て替えられたと聞いた時、新たな医療設備の元で若い先生は活き活きとご活躍だろうと思うと嬉しく、それは二十年ほど経った今も変わらない。医療の格差を超えたところにあるものを見せて頂いたしあわせを思う。

(マリア堺)


# by mako0491 | 2019-02-28 22:17 | 女の視点


健康寿命を1日でも長く

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 今日は、5年も前に気ごころの合った3人で組んだ「フォーク・バンド」の練習日であった。

リーダーはギターとボーカルを担当する65歳の男性、変曲・選曲担当は2本杖を頼りにする身障者のピアニスト、それに82歳の私が「エレキ・ウッドベース」担当。「なごみふれんず」と称している。 

それに私の家内がケアーマネジャーとして常に傍に付いていて、この4人が「バンド仲間」として動きまわっている。

何をしているかと言えば、月に2度程度入る高齢者福祉施設からのお招きによる「懐かしい歌を皆で歌おう」へのお誘いである。 

演奏グループとしては、日ごろの練習成果を聞いてもらえる機会として有難く、喜んでもらえればボランテイア活動ともなり、自分たちの健康寿命の引き延ばしにもなるという良いことづくめである。

3か月単位で、練習も含め活動日程を組むのだが、意外に忙しく息を抜く暇もないくらいになる。

 メンバーのどの家庭も夫婦ふたり暮らし。子供や孫が居ても都市部でマンション住まい。

型的な現代日本の姿だが、子供たちは、「スマホ機能」を駆使して、祖父母や両親の現況を見守ってくれている。シニア世代にとってはこんな有難い日常生活は無い。

 「どうか、どうか!生臭い国際情勢を切り抜けて、あと10年、変わりなく生活させて欲しい」と勝手な世代意識で今日も願っている。

 (久山 みのる)


# by mako0491 | 2019-02-28 22:03 | ヒト交差点

ポスチュアウオーキング

体も心も生き生き

    指導する竹中 好美さん


ポスチュアウオーキング――聞きなれない言葉だが、歩き方メソッドのひとつ。発案・提唱者はKIMIKO(別項参照)さん。和歌山では竹中好美さんがポスチュアスタイリストとして活躍している。体験レッスンを受けてみた。(中村 聖代)

 ポスチュア(posture)とは英語で姿勢のこと。モデルが取るポーズや身のこなし的なニュアンスだが、まさに体験してみて自分が女優や王女になった気分にさせられる。

 発案者もそうだが、竹中好美さんも子供を産んでから始めた。好美さんは42歳までは猫背で自信がなく、引っ込みじあんな性格だったという。そんな自分を変えたいと、KIMIKOのポスチュアヲーキングレッスンに通い始めた。

そうするうちに身体だけでなく心も変わっていくのを実感。実際彼女は、明るく積極的に生き生きと現在に至っている。

体調が不良だった方は、筋肉が鍛えられることで肩こりや腰痛が取れる。身体が引き締まり、小顔になり自信が出てきた。気持ちが明るくなったなどなどいいことずくめの結果が数多くあるとのこと。

【日常生活の中で】

 レッスンは、普段の生活に取り入れられるエクササイズだ。「人生は姿勢で決まる」という。バランスを大事にするのがポイント。

・美しい姿勢の作り方

 はかかとからまっすぐ上に上がったところに、骨盤を起こして、をきちんと伸ばす。つま先はこぶし一個分あけた角度にする。

・美しい足運びと腕振り(歩き方)

 ①はかかとに重心を残したまま、

 ②一歩前に脚を出し、かかとから着地

 ③足裏全体で徐々に重心を前に移動

 ④後ろに残った足の裏で地面をぐっと押して前進。足の親指に向けて、まっすぐ力が抜けていくような感覚で地面を蹴る。

 ①をまっすぐ下に下ろした状態から

 ②指先を後ろに流すようなイメージで伸ばす

 ③腕を戻すときは、後ろに流した反動で戻る程度に

【レッスンの各コース】

 ベーシックレッスン

エッセンスを1回のレッスンに凝縮。体験や復習をしたい人向けの基本レッスン

 スタンダードコース

美しい歩き方の習得、階段の上り下り、ターン、椅子の座り方など美しい仕草も身につける他マインド面のレッスンも行う

 他にアドバンスコースやメンズコース産後ダイエットコースなどがある。

【参加後の感想】

 たった1回で今までの習慣を変えることは難しい。当然のことながら、毎日の生活の中で意識を持ち続けないと本当に自分のものにはならない。しかし、肢体不自由でない限り人は毎日何千歩と歩いているのだ。そのときの意識付けが重要だろう。そしてひとたび自分のものになると、明るい未来が待っている。

 「レッスンのなかで器用に身についた人はすぐに忘れてしまい続かない。できなくて苦労を重ねた人は本当に劇的に変わっていく」という好美さんの言葉が響く。

「今まで自身が持てなくて下向き加減でしたが、この歳からも変わるんだと喜びで一杯です」という受講生からの声も、大きく心に突き刺さった。

KIMIKO (一般社団)ポスチュアウォーキング協会 会長>

1961年岡山生まれ。 産後の体型の崩れを克服するために ウォーキングを学び始め、劇的な全身整形を体験。その後独自のウォーキングメソッド「ポスチュアウォーキング」を構築。商標取得。指導歴17年。


# by mako0491 | 2019-01-18 23:33 | アタマ記事

12.21えほん

12.21えほん

『ひみつのかんかん』

 花山かずみ作 

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偕成社 2014年 1296

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)5歳から

(自分で読むには)6歳から大人まで 

年末年始に家族が集まる機会があるかもしれません。子供の頃のおばあちゃんの姿、知りたくなりますよ。

<あらすじ>

私にはおじいちゃんとおばあちゃんがいる。時々、私はお母さんとおうちにあそびに行く。そこにひいおばあちゃんがいるんだ。

でも、ひいおばあちゃんとは最初から仲良しではなかった。だって、一緒に遊ばないし、みんなでトランプをするときも見てるだけ。「よく来たねぇ。いくつになったの?」って、いつも同じこと聞いてから飴玉をくれる。そのうちに「ひとやすみ」ってお部屋に帰っちゃうんだ。

ある日、廊下で積み木を並べて遊んでいたら、ビー玉が転がってきた。「おばあちゃんの?」廊下から聞いたけど、聞こえていないみたい。私はひいおばあちゃんの部屋に入った。

ひいおばあちゃんにビー玉を手渡すと、ひいおばあちゃんは大事そうにビー玉を古い缶カンにしまった。聞くと、ひいおばあちゃんの宝物が入っているという。

見せてもらうと、ひいおばあちゃんが小さかった頃の家族写真、タンスの取っ手、金平糖が入っていた小さな瓶、お手玉などが入っていた。

写真は今のひいおばあちゃんとはぜんぜん違う。着物を着て、可愛いリボンをつけている。びっくり。着物もリボンも戦争で燃えてしまったけれど、色もみんな覚えているんだって。他にも小さかった頃の話をたくさん聞いた。お手玉も歌いながらしてくれた。

転がってきたビー玉は飲みたくて仕方がなかったラムネを内緒で飲んだ時のもの。今まで内緒にしていたけれど、私と二人だけの秘密になったんだ。指切りして、一緒にラムネを飲もうと約束したんだ。

おばあちゃんと話がしたくなりますね♪

(浦田ひろみ)


# by mako0491 | 2019-01-18 23:10 | 絵本この一冊


スマホでテレビ番組楽しむ

 『歌のトップテン』が流行っていた小学生の頃、TV番組は時々しか見せてもらえなかった。子供心に少し残念だったが、今はよく分かる。親は我慢していたのだ。色々なことが回らなくなるから。

実際、夕方は忙しい。夕飯を作り、娘の本読みを聞き、宿題を確認。中学生の長女を塾に送り出し、次女・三女と夕食。遅れて、長女の夕食。その間に食器を片付け、次女の受験勉強。三女と入浴後、次女、長女が入浴。夫が帰宅し、夕食、入浴と続く。なんやかんやで10時。あわてて三女を寝かしつける。それから、次女の勉強、再度皿洗い、朝食の下ごしらえ。どこかで座ってテレビを見るようなら、滞るのだ。

そのため、巷でうわさの情報はネットや新聞の番組紹介、コラムから。それでも抜け落ちるばかり。2年前に大流行した『君の名は。』はレンタルした上司から教えてもらい、初めて知った。『逃げ恥』は祖母が購入した漫画を借り、今年になってからようやくハマった。その時にはブーム終了。一種の疎外感。

 それが、近年はTV番組がスマホで見ることができるようになっていた。TVerや民報各社のオンデマンドなら放映後1週間は無料で視聴可能(その後は有料。NHKがないのが残念)。 洗濯物を干しながら、移動しながら、とスキマ時間で視聴できる。なんだか、私も世間に仲間入りできたようでうれしい。早速、子どもが寝ている日曜日の朝、『結婚相手は抽選で』を視聴した。

(笠井 ひろみ)


# by mako0491 | 2019-01-18 23:00 | 女の視点


言語聴覚士 板倉 登志子さん

発声などの機能回復サポート


 「言語聴覚士」という国家資格がある。聴く・話す・食べる・表現するといった誰でも自然に行えていることが、生まれつきの障がいや、病気・事故・加齢などが原因でうまく行えないことがある。こうした言葉によるコミュニケーションや嚥下(えんげ=飲み込み)に問題がある人をサポートする専門家が言語聴覚士である。この国家資格制定にむけて先鞭をきったひとりが今回紹介する板倉登志子さんである。

   (中村 聖代)

【結婚後すぐに米国へ】

 登志子さんは大阪府出身。関西学院大学卒業後、大学院に進んだが、縁あって医師とお見合い結婚。彼は米国カルフォルニア工科大学への2年短期留学が決まっていたため結婚式の2日後には米国の新居に移ったのである。

 何故、登志子さんがそうしたことに抵抗がなかったのか?実は小学5年生の時3つ下の妹とともにドイツの公立小学校に通った経験がある。

 脳外科医の父親は、登志子さんが3歳から15歳位までの間ドイツに単身渡っていた。  

当時は海外に行くのも大変な時代。親子ともども外国に暮らすのは困難だったのだ。

登志子さんの母親はある期間ドイツにいたが、子どもたちは1年間だけ現地で通学したのだ。

【海外生活の経験】

 ドイツ時代は、もちろん言葉もわからず、ただ座って授業を受ける毎日。先生たちの配慮で3年生のクラスに編入されたので、算数は秀でていた。また絵画も上手だと褒められたーこの経験があとになってものをいう。 「海外生活は平気です」。夫となる人は海外初体験「妻になる人は登志子さんしかない」と思ったという。

【言語療法との出会い】

 米国時代のある日、お隣の女性の車に

I am a speech  therapist.」のステッカーが貼られているのを発見。そんな職業があるのだと初めて知った。

 帰国後、夫は出身の和歌山県立医科大学に勤務し、ふたりは県内に在住。それから8年ほどは専業主婦のかたわら英語を教えたりしていた。言葉に関する教育に関心があった登志子さんはふと米国のスピーチセラピストを思い出す。

【日本の言語聴聴覚士】

 日本でまだ広く認知されていないが、言語聴覚のスペシャリストになろうーそう思って探したら、大阪教育大学の特別専攻科に言語障がい教育コースがあった。支援教育の教員免許取得のための内地留学だが、教員免許があれば誰でも受験できた。そこで竹田契一教授と出会う。彼は日本における「言語聴覚士」育成のまさに先駆者と言えた。

【国家資格成立のために】

 現在も言語聴覚士として活躍する登志子さんだが、この国家資格は平成11年に初めて国家試験が実施された新しい資格だ。

理学療法士(PT)・作業療法士(OT)と共にリハビリテーション専門職を構成する。

PTOTに遅れて平成9年、国会で言語聴覚法が制定されたのだが、成立に向けて働きかけ、全国で26万人の署名のうち1割近くを和歌山県で集めることができたのは、登志子さんたちグループががんばった成果だ。

発声・発音・聴覚・認知・嚥下・発達などの機能回復をめざす仕事。あたりまえのことができる喜び。医師・看護師・療法士や家族、患者らが共に取り組む奥の深い広域の仕事のようだ。

今後ますます必要とされる分野で、やりがいもある。社会人経験のある人や挫折感を味わった人こそ取り組んでいってもらいたい。そうした人たちは根気強く人に寄り添うことができるから。


# by mako0491 | 2019-01-18 22:57 | アタマ記事


ガラ携世代とスマホ世代との断層

もう15年前(2,003年)頃、地域の国立大学で半年の特別講師を務めたことがある。講座を担当すれば期末にはテストを実施し、採点をし、大学に報告しなければならない。受講生にテーマを与え、レポート提出を課した。内容が素晴らしいものが沢山見つかった。同様な仕事に就いている息子に「昔に比べてよく勉強が出来ている学生が多い」と話すと、「お父さん、「コピペ、コピペ!」と大笑いされて痛く傷ついた記憶がある。 

 当時、パソコンの普及のなかで、「検索」ソフトを利用して、レポート課題に即した内容を抽出し、コピーし、張り付けて見事な文章に仕立て上げるいわゆるコピペが横行していたのである。今は大学で、「コピペを見つけるソフト」すら、すでに出来上がっているという。

現在はスマホ世代、パソコンを通じて巨大な情報を駆使しながら、「問題解決の具体的道筋」を創造し差し示してくれる時代になっている。この世界の「コピペ」はいったい何を意味するのだろうか。シニア世代にあらずとも人間不信に陥りそうである。

 地元和歌山大学では、重いものを持ち上げる関節筋肉作業を支援する機械を作り、商品化するらしい。介護施設に働く人達、ミカン畑で積み下ろし作業をする人達、等々、その恩恵を被る範囲は大きく広がるだろう。頭脳の働き、筋肉の働きはどんどんロボットに置き変わっていくのだろう。今に、耳に心地よい、舌に旨い、肌触りが良い、などと言う感覚の世界までもコンピュータ・ソフトに導かれる時代になって行くのだろうか。

 現在の若者世代は完全にスマホ環境で生きている。ガラ携世代で生きて来たシニアとの間には大きな断層がある。そのズレを認識し、修正する知恵を働かせる人間の知恵が求められる時代と思われる。

 人間の便利さの極限に行きついて、「これからの生身(なまみ)の人間の生き方」を未知の世界の中で探らなければならないのだろう。

 

(久山みのる)


# by mako0491 | 2019-01-18 22:45


『ねえどっち?』

二宮由紀子作 あべ弘士絵

PHP研究所2004年 1296

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

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(読んでもらうには)3歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

子供の頃に疑問に思っていたこと&不思議に思っていたこと、ってありませんか。

<あらすじ>

ある朝、シマウマのしまこさんが川のそばで朝ごはんを食べていました。そこへ人間の子どもがやってきて、しまこさんに尋ねました。

「ねえ君って白いしま模様のある黒いうま?それとも黒いしま模様のある白いうま?」

しまこさんは答えます。「わからないわ」だって、そんなことは考えたことがなかったからです。

しまこさんは考えます。「黒と白のしま模様があるうまと思っていたんだけど。でも一体どっちかしらね」

しまこさんが考え続けていると、キリンさんがやってきました。しまこさんはキリンさんに尋ねます。

「あらどっちでしょ」キリンさんは驚きます。だって、キリンさんもそんなことは考えたことがなかったからです。

キリンさんは「あたくしなら茶色のまだら模様のある黄色いキリンなんだけど」と、答えます。だけど、心配になりました。「もしかすると黄色の編み目模様のある茶色のキリンだったりして」

その後、クロサイ、茶色や緑色に色が変化するカメレオンが登場します。

あなたはこれらの動物はどちらに思いますか?もしかするともっと別な発見があるかもしれません。

疑問に思って聞いてみたけれど、相手にされなかった、という経験もあるかもしれません。おとなになった今、常識を疑って、考えてみるのも楽しそうですね。

(浦田ひろみ)


# by mako0491 | 2019-01-18 22:38 | 絵本この一冊

高校時代のマドンナ

今夏、フェイスブックで高校の時のクラスメート(男性)と友達になった。お互いに年齢を重ね、還暦を過ぎたはずなのだが、高校時代の思い出話で盛り上がる。

彼の話を聞いているとどうやら私はクラスのマドンナだったらしい。早く言ってほしかった。多感な時期は劣等感のかたまりで、自信を持てず人生を過ごしてきた。

しかし、話が盛り上がりアハハで済まされなくなってきた。彼にとってはいまだにマドンナなんだという。

冗談としばらくは聞き流し、白髪が・・、足腰が・・と言ってみたが、それは言わないでくれという。だんだん追い詰められてきた。男性は、ロマンチックだ。思い出は永遠のようである。

女性は、母になった瞬間に現実を受け入れ子供のために、家族のためにと頭を切り替えるが。

そうだ。これはゲームだ。こうなったら永遠に会わないことを願い、彼の妄想に付き合うことにしよう。

かくして、私は今、時々18歳を演じている。当時は、ジョクラ(女子が男子の倍のクラス)で男子は圧倒的に不利。というか発言権などなかったような記憶がある。

せっかくの仮想世界なので、ここは懺悔の意味も込めて、しおらしい少女を演じ切りたいと思う。

くれぐれも遭遇しないことを願い・・・

(玉置 ひとみ)


# by mako0491 | 2019-01-18 22:33 | 女の視点

10.12絵本

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『はしれ、ゴールのむこうまで!

くすのきしげのり著 稲葉卓也絵 

講談社2015年 1512

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)4歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

<あらすじ>

主人公は小学校1年生のそうたくん。学校の校長先生は毎朝、挨拶する時に名前で読んでくれるし、よく僕たちと一緒に掃除してくれる。いつも元気で笑っている校長先生のいる学校が大好き。

だけど、夏休みが終わって運動会の練習が始まった。綱引き、玉入れ、ダンス、そして……、大嫌いな徒競走。僕はクラスで一番走るのが遅いんだ。徒競走だけ休みたいな。

校長先生が練習を見にきた。「膝を上げて腕をしっかりふるんだよ」でも、みんなに教えてくれるから、みんな同じように早くなって、やっぱり僕が一番遅いんだ。

校長先生と一緒に走ったら、とても速かった。だから、僕は途中で走るのをやめたんだ。「そうたくん、諦めちゃダメだよ」「ゴールはまだ途中だと思って、ゴールのむこうまで走るんだ」校長先生はまたみんなに教えてくれた。

そして、運動会。

あー、嫌な徒競走。わざと転んじゃおうか。ダメだ。わざと転んで言い訳するなんてかっこ悪い。どうしよう。

パーン。僕は一生懸命走った。でも、やっぱり僕はびりだった。もう走るのは嫌だ。でも、僕の気持ちに関係なく、運動会は進んでいく。

「わあー」みんなの歓声で僕は顔を上げた。先生たちの「呼び出し競争」が始まっていた。 

校長先生がこっちに向かって走ってくる。持っているカードは「一年生」。みんなは僕が、私が、と手を上げる。うつむく僕に校長先生は「一緒に走るぞ」。気づいたら僕は手をつなぎ、夢中に走っていた。校長先生が言った「走るぞ。ゴールのむこうまで」

***

作者のあとがきが心にしみます。「苦手を克服するには見守り、励まし、支え、手本を示し一緒に頑張る大人が大切」だと。「子ども達は1/30の存在ではなく、1/1の存在だ」と。私たちは誰も彼もが1/1。大切にしたいですね。

(浦田ひろみ)


# by mako0491 | 2018-10-16 15:44 | 絵本この一冊

新宮市で「健康復活ハウスⓇ」を運営  田中旬子さん

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 独自の方法で呼吸法や

  食事の取り方など指導

新宮市で「健康復活ハウスⓇ」を運営する田中旬子さん。独自の方法で呼吸法や食事の取り方など指導している。ご自宅に伺ってお話を聞いた。    (玉置 ひとみ)

ボランティアで開催

『高齢になっても現在の体力・身体能力をできるだけ失わず、津波が来てもにげられる体づくり』を目標にして、毎月第一日曜日の午後、新宮市福祉センターで、体力づくりの講座をボランティアで開催。

また、ご自宅でも身体に悩みを抱えた方のカウンセラーとしてお仕事をされているという。ボランティア活動を通じてお話をする機会があり、70歳を超えられているというのに、姿勢がよく、若く、軽やかな動きと自論を押しつけない生き方に、お話の続きを伺いたく、後日お宅へうかがった。

乳がんを契機に

「カウンセラーなんておこがましい。悩んでいる人の伴走者になり、一人でも多くの方に健康に過ごしてもらいたいの。良くなる。善くなる。能くなる。潜在意識を活用して願望実現を果たせば、健康な身体で生活できるはず。健康な身体をつくって、国民健康保険をなるべく使わないようにすれば、国家のためにもなるわよ」と。

この活動を始められたのは、25年前に甲田光男先生と会い、大阪府八尾市で行われている勉強会へと参加、そして22年前にご自身が乳がんになられたことだったという。3期の後期で、リンパ節に転移していた。手術を行ったが体調が優れず、その時、西勝三先生が始められた西式甲田療法により、健康を取り戻すべく健康復活に取り組まれ、がんを更生させ健康な身体を取り戻されたという。

そして今、この健康づくりを①血液の循環が完全であること②左右の神経が対称であること③背骨に狂いがないこと④体内の酸アルカリの平衡が保たれていること⑤内部環境(腸)が汚染されていないことの基本を元に呼吸法や食事のとり方などを体調のすぐれない多くの方に伝えらえている。

夫との強い愛情

がんの3期というと生きることを諦めそうですが、田中さんを『生』へ向かわせたことはなんだったのですか?の問いかけに、「夫がね。死ぬな!と言ったの」と頬を赤められた。愛、強いお二人の愛情がこんにちへとつながっている。ハ、ハ、ハ・・と何事もなかったように高らかに笑われ、お家の中には明るい空気だけが流れていた。

健康復活ハウス

新宮市浮島7-13番地

090-7613-9539


# by mako0491 | 2018-10-16 15:11 | アタマ記事