1月25日あたま
2019年 02月 28日
南方熊楠記念館の見どころ
文献、標本数多く展示
白浜にあり、眺望抜群
本県が生んだ巨星南方熊楠(ミナカタ クマグス)に関する文献や標本などが展示され、イベント等が開催される「南方熊楠記念館」が白浜にある。そこの館長の谷脇幹雄さんから定例の勉強会で熊楠にまつわる話をきいたので一部紹介する。
( 中村 聖代 )
【記念館の設立】
「南方熊楠記念館」は、1965年4月1日に開館した。最初から民の力で作られた財団法人で運営されているということだ。
2019年11月9日から長期間休館していたが、2017年3月19日にリニューアルオープン。数多くの文献や標本・遺品等々が展示されている。
半島の突端に位置し、屋上には360度のパノラマが拡がる。
熊楠の世界は深淵・広大なので、さわりでしか覗けない。谷脇氏の話を聞き、記念館に是非行って見たくなった。そしてあれもこれも、もっと彼の世界に触れてみたい気持ちが溢れてくる。
【熊楠の生い立ち】
簡単に記してみよう。
・市内城下町屈指のお金持ちの次男として生まれる。生誕地は橋丁22番地(その跡地にあたる駐車場の角には1994年和歌山市によって胸像が建てられている)。
父親が「世界一統」の前身南方酒造を創業したことを知る人も多いだろう。
・抜群の記憶力を持ち、10歳のころから「和漢三才図会」105巻他を借覧、記憶して筆写し始めている。
・和歌山中学(現、和歌山県立桐蔭高校)卒業後は大学予備校的な神田共立学校(現、開成高校)に入り、その後東京大学予備門(現、東京大学)に入学。同窓生には夏目漱石、正岡子規ら
・学業そっちのけで自分の興味のある研究(遺跡発掘や菌類の標本採集など)に明け暮れていたため、2年で退学いったん和歌山に戻り、米国・英国に留学。その後の功績は、あらゆるところで記されているので省略する。
【自称熊楠をたく】
熊楠に関して生き生きと語ってくれた谷脇氏は、かなりの「熊楠をたく」と自称・公認する。熊楠を知れば知るほど、もっと知りたいと思うのは筆者だけではない筈。
彼が引きこもりニートであったこととか、40歳近くで結婚したが、実はゲイであったとか、植物採集の時には下半身丸出しで野山を駆け回っていたとか、彼にまつわるエピソードに事欠かない。
また、文献の中では性についてかなり重要視していたことなども知った。
しかし、彼の思想は超まじめ、生まれるのが早すぎて我々凡人には理解できないのかもしれない。
粘菌の研究ひとつを取っても、植物なのか動物なのかはっきり線引きできないボーダーなもの、西洋の近代科学的なロゴスで説明しきれないことがらを、解き明かすー今日の諸学の錯綜した方法論たちのなかで、熊楠の思想と方法論は、いまいちど見直すときにきているようだ(と、識者たちは考えている)。