わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

佐藤春夫記念館で谷崎潤一郎没後50年特別企画展

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8.21掲載


 新宮市の熊野速玉大社境内に郷土の文豪『佐藤春夫記念館』がある。8月30日(日)まで「谷崎潤一郎没後50年特別企画展」が開催されている。サブタイトルは新発見の書簡などから谷崎潤一郎の「父親像」と「創作意欲」を捉えるーーとなっている。
    (玉置ひとみ)

最初の妻、春夫に託す
 谷崎潤一郎が「痴人の愛」を執筆した神戸市東灘区の旧宅が和歌山県有田川町に移築され、年内には公開されるようだが、両人には作家というつながりだけではなく、谷崎の最初の妻、千代を春夫に託した『細君譲渡事件』がある。

 春夫が谷崎の妻、千代に横恋慕したといわれた時代もあったが、実は谷崎は千代の妹に恋をし、更に人妻松子へと気持ちは移っていき、もてあました?千代を春夫に押し付けたようである。

 しかし、「今回発見された春夫宛ての谷崎の書簡からまた新たな谷崎が見えてくる」と、谷崎研究の第一人者である千葉俊二早稲田大学教授が評している。私は谷崎潤一郎や佐藤春夫の作品に詳しいわけではないが、郷土の偉人のことは知っておきたい。

 建築物を見ようと出かけたのに、またまた興味を惹かれるものに出会ってしまった。

家族ぐるみで交流
 企画展では今回発見された谷崎が「春琴抄」執筆のころ春夫宛てに送った書簡などが展示されている。春夫宛てに3通。春夫の父豊太郎宛てに1通。春夫の父にまでなぜ?

 実は先妻千代や娘鮎子をただ春夫に託したのではなく、谷崎は家庭内の問題の複雑なところまで、春夫に語っていて、春夫を大変信頼していたこと、また娘鮎子の行く末を大変心配し、愛情を注いでいたこと。春夫の父豊太郎にも大変感謝していること。家族ぐるみで交流がされていたことなどが今回新たにわかったことのようだ。

 また、春夫から芥川龍之介宛ての書簡も展示されており、龍之介からの二通の書簡の返書の形になっていた。

 ふらっと出かけてみただけの私だったが、この時代の文豪の交友関係を知ることができ、それを文豪たちが語り明かしたであろう春夫の居宅で見たからか、タイムスリップしすぎて自分の現在地に迷い頭がクラクラした。企画展後展示物はまた持ち主に返還されるとのこと。 

 次に記念館の建物について触れる。

庭の花まで忠実に再現
 この建物は、春夫が昭和2年から昭和39年まで過ごした東京都文京区関口の旧佐藤邸を郷里新宮市に移築復元したものである。平成元年11月に熊野速玉大社境内の一角に竣工された。
 
 建物本体だけでなく、アーチ型の門や塀、石畳のアプローチ、庭に植えられているマロニエに至るまで忠実に復元されているので、門をくぐった瞬間から昭和の時代が始まる。

 木造2階建て一部鉄筋コンクリート造り。洋風建築である。館内には、佐藤春夫自筆の原稿や絵画、愛用品が展示されている。

 設計者は、新宮市出身の大石七分。東京神田駿河台の地に日本で初めて男女共学の学校、文化学院を開校した西村伊作の弟だ。谷崎も芥川龍之介も佐藤春夫も文化学院で教壇に立っていた。

狭いところ好んだ
 新宮市伊佐田(JR新宮駅から徒歩5分)に伊作が自ら設計し暮らした家がある。現在は西村記念館として国の重要文化財に指定されているが、多才で建築家の一面もあったという。佐藤邸も弟に設計を任せているが、伊作が指揮していたようである。両記念館には共通点が多い。それらを探すのも面白い。

 佐藤邸はアーチ形の窓が多く、当時としてはめずらしいサンルームや八角塔の書斎などがある瀟洒(しょうしゃ)な建物である。春夫は執筆中、狭い所を好み、廊下の隅に文机を置いて書いていたという説明と写真が展示されていた。集中力を高めるため?しかし私には追いつめられた人間の心理のようで親近感が湧いた。

 大きな窓から差し込む光。春夫はどのように感じていたのだろう。共有させていただいた空間に贅沢な時間を過ごすことができた。
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by mako0491 | 2015-08-21 18:18 | アタマ記事