わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

ガラシャと勝龍寺城

8.21掲載
歴史とロマン秘め
 
 義母が大阪・箕面にあるホスピス「ガラシア病院」に入院、細川ガラシャの生涯に興味を持った。そんな折、この城(跡)に行く機会があった。e0171960_16104553.jpg
 
 JR大阪駅から約30分で長岡京駅に着く。南へ歩いて10分程度、勝龍寺城(しょうりゅうじじょう)がある。鉄砲時代の先駆的な城造りだったといわれる。

 細川ガラシャと細川忠興の銅像が立っている=写真。本能寺の変の直後、山崎の合戦で敗れたばかりの明智光秀が一時退避していたこともあるそうだ。

 ガラシャは光秀の三女で、16歳の時、この城の城主の長子である細川忠興に嫁いだ。その波乱に満ちた生涯から歴史とロマンを秘めた城として全国的に有名になっていく。
 
 みめ麗しく、情けもあり、信仰心強い婦人であったと伝わっている。3年間の新婚生活の後、本能寺の変から丹後に幽閉されて困難な時代も過ごした。心の平安を求めてキリスト教に入信する。
 
 ガラシャは洗礼名で、丹後にいた時は、細川珠(玉・玉子)夫人と呼ばれていた。

 2年後、豊臣秀吉の計らいで忠興との復縁を許されて、大阪・玉造に住む。その後、関ヶ原の戦いで石田光成の人質になることを拒み、自害する。
 
 ポルトガルの宣教師ルイス・フロイスは故国への報告書に次のように書き残している。
〔夫人は非常に熱心に修士と問答を始め、日本各宗派から、種々の議論を引き出し、また吾々の信仰に対し、様々な質問を続発して、時には修士をさえ、解答に苦しませるほどの博識を示された。修士は夫人を、「日本で、いまだかつて、これほど理解ある婦人に、また、これほど宗教について深い知識を持っている人に会ったことはない」といった〕

 城の方は、石垣、隅櫓(やぐら)、土塁、空堀、模擬天守(資料室・管理棟)、沼田丸と呼ぶ自由広場など整備が進んでいて、無料でゆっくり楽しく見学できる。

 ガラシャ夫人の辞世の句
「ちりぬべき時知りてこそ花も花なれ人も人なれ」
     
                            (篠原 有麻)
[PR]
by mako0491 | 2015-08-21 16:15 | お勧めスポット