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わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

新宮ってこんな街なんやで』人気  

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 くまの地域絵本つくりの会製作

分かりやすく、温かい

学校、施設で読み聞かせ

新宮市内でゲストハウス『ふくろく』を経営している平見靖子さんが代表を務めるくまの地域絵本つくりの会が、新宮市のことを子どもたちに知ってもらおうと、熊野新宮の歴史を『熊野権現御垂迹縁起』の伝説を元に、市内三か所の世界遺産の神社(神倉神社、阿須賀神社、熊野速玉大社)4部で構成し、『新宮ってこんな街なんやで』の絵本を製作した。(玉置 ひとみ)

きっかけは、ゲストハウスを利用してくれた台湾からのお客様が「熊野は、観光のスポットというよりも日本の歴史の重要な部分である」というコメントを残してくれたことによるもの。

新宮で生まれ、新宮で育ち、生活しているが、歴史をまったく学んでこなかったこと、海外の方から重要な場所と教えられたことを恥ずかしく思いった。

日本創始の頃から存在したこの地域のことを学ぶ機会がなかったことの反省を踏まえ、新宮市内の子どもたちに新宮の歴史の魅力を絵本仕立てにしてわかりやすく伝えていけば、子どもたちが成長した後も新宮の魅力や歴史を自信を持って話せるのではないか?

この地域のことを広く市民に知ってもらいたいと会を発足させた。平成29107名の市民が集まり、平成30年度の完成を目指した。

文章は、予算の関係で会員が書き、国際熊野学会代表、熊野三山協議会幹事の山本殖氏に文章監修をお願いした。絵は、地元の芸術家平野薫禮(ぐれ)さんが描いた。和歌山県の『地域・ひと・まちづくり補助事業』新宮市の『まちづくり市民活動補助金』の補助金をいただき平成3012月に完成させた。

その後、東牟婁振興局でプレス発表をして、市内の保育園、幼稚園、小中学校、高校、児童館、図書館等へ無償配布した。また、自己資金不足を寄付3,000円以上で一冊進呈としたところ県内外から申し出があり、多くの方にご協力いただいた。

128日(月)に会員5名が和歌山県庁を訪問し、仁坂知事に面談いただき直接お渡しした。県立図書館、田辺市のビッグUの図書館へも置いていただいた。

 知事より「地域を大事にする心を絵本という形で、後世へ残ることをされたというのは尊いことです。」とコメントいただいた。

また、多くの方々から「熊野新宮をわかりやすく作ってくれた」「これを求めていた」また、故郷を離れた方からは、「故郷、新宮を誇りに思う」など。近隣市町村からもよくやった。「新宮弁の語り口がいい」「絵がわかり易く、心が温まる」等の評価を得た。

今後は、『読み聞かせ』で学校、施設を訪問して広めていくという。

※現在も問い合わせをいただいているが、販売予定はなく、製作部数の配布は全て完了している。


# by mako0491 | 2019-03-04 00:21 | アタマ記事

 和歌山に暮らす外国人妻⑤

  

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中出ドゥワンドゥアンさん(タイ出身)

 「私なんか何も特別なことはしていませんよ」と控えめな態度でドゥワンさんは、物静かに話してくれた。

友人の紹介で27歳の時来日し、タイ料理の店で働いていたドゥワンさん。そこにお客さんとしてやって来たご主人を紹介され付き合うようになった。とてもやさしくドゥワンさんを大事にしてくれ、「一緒にいると温かさを感じる」と言ってくれる彼にドゥワンさんも惹かれていった。そして結婚を決意した二人は、入籍後タイの寺院で昔ながらのタイ式結婚式(お坊さんが鉢の中に水と花をいれて、いい言葉を吹き込みその水を新郎新婦にプイプイプイとかけてくれる)を挙げて、日本での新婚生活が始まった。


初めて見た日本の雨は、タイの雨と違って細い糸が同じ向きに静かにやさしそうに降っていて、そのきれいさに驚いたことを今でも覚えていると言う。だけどその後は地震や激しい雨、台風も日本で経験してきた。

 また日本の食べ物はなんでもおいしいが、生ものは食べない。今でもタイ料理はよく作るが、家族みんなが揃う時はカレーやたこ焼き、お好み焼き、親子どんぶりなどを作っている。


今では日常生活に困らないようになったけれど、初めて来日した時は全然日本語を話せなかったし、ご主人も全然タイ語を話せなかった。でも頑張り屋のドゥワンさんはご主人や周りの人たちに教えてもらいながら日本語を吸収していった。そして子どもが生まれてからは子どもを通じてどんどん活動をひろげていった。保育所や学校からもらってくるいろいろなお知らせのプリントを読めないので先生に読んでもらったり、学校生活でわからないことは積極的に教えてもらったりした。地区やPTAの役員も務めてきた。家に閉じこもっていないで、地域や学校に出て行き日本の社会になじむ努力を続けてきたドゥワンさん。

 

 また、出張がちの忙しいご主人の両親のお世話もひきうけ、多忙な毎日の中で日本語教室に通い、勉強にも励んできた。ご主人はそんなドゥワンさんに「いつも自分の両親を見てくれてありがとう」とねぎらいの言葉をかけていたと言う。義父母を見送り、昨春、一人娘も大学を卒業し社会人になり、時間的に余裕ができるとパートタイムで畑の仕事を手伝っている。とにかくよく働くドゥワンさん。

 

 一番の楽しみはネットでタイの新聞やテレビドラマを見たり、タイの歌を聞いたり歌ったりすること。そして、タイ語で友達と食事をしながらおしゃべりをすることだそう。何と言っても母国語で話すのが一番息抜きになるでしょうね。

冒頭に「何も特別なことをしていませんよ」と話してくれたが、言葉も習慣の違う日本で、妻として嫁として母として生活してきたことが立派であり、毎日毎日を一生懸命に生きてきた証である。(林 多恵子)


# by mako0491 | 2019-03-03 23:47 | ヒト交差点

割り勘男と女の事情

そんな、時代なのでしょうか。カフェを営業していますと、お会計の時に、お支払いにいろいろいろケースに出合います。同性同士のお二人の時なら、ほとんどが割り勘です。

たまに、乙女同士が、私が払うとかもめるなんとも微笑ましい光景もあります。でも、でもね、男女の場合は、微妙です。明かにご夫婦の場合は、奥様が払われるケースが多いですが、カップルの場合、昔は、男性が払うのが当たり前でした。もし、持ち合わせがなかったら、そっと財布を渡しておくとか・・・配慮があったものです。


近年は男女平等のことが当然のように、カップルでも割り勘が目立ちます。旅行代金も割り勘とか・・・もはや、私の古い脳には、「ありえない!」と絶叫します。

二人の息子達にどうしてたか尋ねました。「勿論、俺が払ってた」流石、我が息子よ。「でも、当たり前みたいな顔されたらイヤやな~せめて、出す振りだけでもして欲しい」なるほど。それも大事だ。

最近の若い方達は、割り勘が当然のようです。ある日、女性に理由を訊ねました。「割り勘だと別れやすいから」爆笑。そうか、女性もいろいろ考えるようになったんですね。それなら、納得です。

若い世代でしたら、割り勘も納得しましたが、いい年齢の大人が友達同士でも男女で、割り勘しているのは、なんだか、寂しいですね。正直、私の周りにもいます。そして、沢山呑む人が飲まない相手に割り勘。それは、どうなんでしょうか?私は、女性同士で行く時、呑まない友達より必ず多く払うかゴチします。それが、マナーだと思ってます。

でも、割り勘男が、相当な、イケメンなら許します。息子みたいな若い子相手なら、私が払いますが~~そうか、私も若い時には、ゴチされるのが当たり前だったけど、今は、その気持ちにならないってことなんだ。やっと、気が付きました。()やっぱり、割り勘でいいかもですね。

                                   (西川 福美)

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# by mako0491 | 2019-03-03 23:33 | 日日雑録

 暗い=(は)かわいそうな人 なの?

テレビで「喪女特集」なるものをやっていた。喪女(もじょ・もおんな)とは、交際経験がない、いわゆるもてない女性のこと。人生において異性との交流がほとんどなく、休日も家にこもりがち。目立たない人生で、学生時代においても男子とも話せず卒業してゆく、俗にいう「甘酸っぱい青春」とは程遠い青春時代を過ごすのだ。そのような人生を送ってきたため、“どうせ私はブスだから”“私なんてお呼びでない”とネガティブで自虐的な思考を持つ人が多いみたい。まさに「喪」のイメージ通り、暗い女性というわけである。世間は彼女らをかわいそうだと見下すかもしれない。

 彼女たちは交際経験がないこと、ひいては自らの存在を申し訳なく思っている様子。「私なんて」という不動のモチベーションは、スポットライトを浴びる機会を自ら潰しているようにも思う。そこには、彼女らの繊細すぎる感受性があるのかなとも感じる。常に周りの反応を気にして自らを振る舞っているのだ。みんなが皆そうではないけど、そう考えると、喪女はコミュニケーション能力に長けているのではないのだろうか。

確かに彼女らは暗いのかもしれない、だが彼女らの会話を聞くと「今までで一番男性に近づいた瞬間は満員電車」や「もてなさ過ぎて、命の存続を私が絶たしてしまう。生命の営みにごめんなさい」などなど、かなりユーモアのある発言が印象的だった。周りに気を遣えてユーモアもあれば、これはかなりのコミュニケーション能力ではないか!喪女をバカにしている諸君にいいたい。「彼女らの方がずっと自分らしく豊かに生きているよ!」と。

(宇都古 舞)


# by mako0491 | 2019-03-03 23:22 | 女の視点

1,25 WORK

ワクワクWORK

パーソナルスタイリスト

「スタイリスト」という言葉を耳にするかと思います。主に女優や俳優に依頼され、リクエストに応えてトータル的にスタイリングをしていきます。

「パーソナルスタイリスト」は、一般の方々にも全く同じことをさせて頂きます。

 以前私はセレクトショップを経営していました。開業にあたり、店の構成・品揃えは勿  

論、細部に至るまで大切にしたいことをひとつの軸にして経営していました。

そんな折に、品揃えにない商品をお客様から相談され、コンセプトを優先してしまい、十分にお応え出来ず、失礼なことをしてしまったと今も忘れられません。

 神戸市御影・六甲界隈は地元なので当時のお客様にはよくお会いします。懐かしい再会のなかで、買物同行をすることとなったのです。

 随分喜んで頂き、「またお願いしたい」と言われ、「次回からはギャラを取ってもらいたい」とも言われました。

 お役に立つのならば、と時間制でギャラを設定させて頂きました。

 時には、お客様のご自宅にお伺いし、クローゼット全体や靴や鞄に至るまでコーディネートさせて頂きます。

 処分するワードローブのお役にも立つみたいです。

 (みやたけ よりこ)


# by mako0491 | 2019-02-28 23:06 | ワクワクWоRK


『ぼくのかえりみち』

  

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ひがしちから作 

BL出版 2008年 1404

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)3歳から

(自分で読むには)4歳から大人まで

<あらすじ>

そらくんは小学校からの帰り道、校門の曲がり角で立ち止まり、つぶやきました。

「今日はこの白い線の上を歩いて帰ろう」

コンクリートの車道の外側には白い線が引いてあります。この線はずうっと続いています。

「よし、いくぞ」そらくんは白い線に足をのせると、あるきはじめました。ゆっくりゆっくり……、ゆっくりゆっくり……。

「少しでも油断するとあぶないぞ」白い線から落ちないようにそろりそろりと歩きます。

白い線は畑の横を通ります。ここには誘惑がいっぱい。トンボが眼の前にとまります。みぞっこのザリガニが大きなハサミを動かします。がまん、がまん。「だめだめ、今日はそっちに行けないよ」

畑を抜けると、横断歩道にでました。「せーの」掛け声をかけると、ぽーんぽーんと、跳んで渡りきりました。崖の岩を飛びこえている気分です。

商店街までやってきました。すると、白い線の上に大きな犬が座っています。完全に白い線は塞がれています。さらに、犬はそらくんに気がつくと、のそりと顔を向けました。ドキリ。大きな犬が移動した瞬間、急いで通り抜けました。

ついに、家の近くまでやってきました。さらさらと風が吹いています。鳥も遠くの方で鳴いています。家まであと少しです。ところが、白い線がなくなってしまいました。そらくんは動けません。

そこに白い服を着たお母さんが通りかかります。絶望的だったそらくんの表情がぱぁと明るくなりました。さて、どうやって帰りましょうか?

* * *

昔、横断歩道をジャンプして渡った記憶が蘇りますね。自分で決めた新年の抱負もまじめに楽しみながら、ですね♪

(浦田 ひろみ)


# by mako0491 | 2019-02-28 23:01 | 絵本この一冊

1月25日あたま

南方熊楠記念館の見どころ

文献、標本数多く展示

白浜にあり、眺望抜群


本県が生んだ巨星南方熊楠(ミナカタ クマグス)に関する文献や標本などが展示され、イベント等が開催される「南方熊楠記念館」が白浜にある。そこの館長の谷脇幹雄さんから定例の勉強会で熊楠にまつわる話をきいたので一部紹介する。

  ( 中村 聖代

【記念館の設立】

 「南方熊楠記念館」は、1965年4月1日に開館した。最初から民の力で作られた財団法人で運営されているということだ。

2019年11月9日から長期間休館していたが、2017年3月19日にリニューアルオープン。数多くの文献や標本・遺品等々が展示されている。

半島の突端に位置し、屋上には360度のパノラマが拡がる。

熊楠の世界は深淵・広大なので、さわりでしか覗けない。谷脇氏の話を聞き、記念館に是非行って見たくなった。そしてあれもこれも、もっと彼の世界に触れてみたい気持ちが溢れてくる。

【熊楠の生い立ち】

簡単に記してみよう。

・市内城下町屈指のお金持ちの次男として生まれる。生誕地は橋丁22番地(その跡地にあたる駐車場の角には1994年和歌山市によって胸像が建てられている)。

父親が「世界一統」の前身南方酒造を創業したことを知る人も多いだろう。

・抜群の記憶力を持ち、10歳のころから「和漢三才図会」105巻他を借覧、記憶して筆写し始めている。

 ・和歌山中学(現、和歌山県立桐蔭高校)卒業後は大学予備校的な神田共立学校(現、開成高校)に入り、その後東京大学予備門(現、東京大学)に入学。同窓生には夏目漱石、正岡子規ら

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がいた。

 ・学業そっちのけで自分の興味のある研究(遺跡発掘や菌類の標本採集など)に明け暮れていたため、2年で退学いったん和歌山に戻り、米国・英国に留学。その後の功績は、あらゆるところで記されているので省略する。

【自称熊楠をたく】

熊楠に関して生き生きと語ってくれた谷脇氏は、かなりの「熊楠をたく」と自称・公認する。熊楠を知れば知るほど、もっと知りたいと思うのは筆者だけではない筈。

 彼が引きこもりニートであったこととか、40歳近くで結婚したが、実はゲイであったとか、植物採集の時には下半身丸出しで野山を駆け回っていたとか、彼にまつわるエピソードに事欠かない。

 また、文献の中では性についてかなり重要視していたことなども知った。

しかし、彼の思想は超まじめ、生まれるのが早すぎて我々凡人には理解できないのかもしれない。

粘菌の研究ひとつを取っても、植物なのか動物なのかはっきり線引きできないボーダーなもの、西洋の近代科学的なロゴスで説明しきれないことがらを、解き明かすー今日の諸学の錯綜した方法論たちのなかで、熊楠の思想と方法論は、いまいちど見直すときにきているようだ(と、識者たちは考えている)。


# by mako0491 | 2019-02-28 22:53 | アタマ記事

1月25日 視点


格差を超えた所にあるもの

高野山に宿泊中、脳出血で倒れた父は近くの病院で緊急手術を受けた。経過は順調でゼリーを摂り、「お母さん(妻)は?」とことばも発するほどに回復した。

建物は古く、トイレが男女共用だったのに驚いたが、若い医師を初め皆様の治療と介護のおかげで予定通り退院できそうだと思っていた矢先、水頭症を発した父は高熱で意識のない日が続いた。夜中にも数時間置きに痰を引きに来て下さるが、その度に咳き込み苦しむ父を見て私は逝った方が楽ではないかと何度も思った。

退院の見込みの立たない中、自宅から数時間の距離を往復するのは困難で、地元の病院に受け入れを願った。脳外科医との面談時、なぜ急に水頭症を起こしたのかと尋ねた。「脳はわからないことがありますから」という答えに、他者への無闇な批判は避けられたのかしらと思い、肝心の答えはそのまま受け取ることができなかった。

移送時付き添って下さった若き医師は、近代的な公立病院を羨ましい様子でご覧になっていたそうだ。「先生を置いて行きましょうかといったのよ」。後日、一緒に来て下さった看護婦さんが笑いながら仰った。

入院時の検査で父は即刻隔離された。「院内感染しているとわかっていたら受け入れなかったし、入院中に(じょく)(そう)(床ずれ)なんて」とのことばに私は医療の地域差を知った。

なぜ水頭症を、という思いを乗り越えるまでには長い時間が掛かった。しかし、父の転院後しばらくして先の病院が建て替えられたと聞いた時、新たな医療設備の元で若い先生は活き活きとご活躍だろうと思うと嬉しく、それは二十年ほど経った今も変わらない。医療の格差を超えたところにあるものを見せて頂いたしあわせを思う。

(マリア堺)


# by mako0491 | 2019-02-28 22:17 | 女の視点


健康寿命を1日でも長く

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 今日は、5年も前に気ごころの合った3人で組んだ「フォーク・バンド」の練習日であった。

リーダーはギターとボーカルを担当する65歳の男性、変曲・選曲担当は2本杖を頼りにする身障者のピアニスト、それに82歳の私が「エレキ・ウッドベース」担当。「なごみふれんず」と称している。 

それに私の家内がケアーマネジャーとして常に傍に付いていて、この4人が「バンド仲間」として動きまわっている。

何をしているかと言えば、月に2度程度入る高齢者福祉施設からのお招きによる「懐かしい歌を皆で歌おう」へのお誘いである。 

演奏グループとしては、日ごろの練習成果を聞いてもらえる機会として有難く、喜んでもらえればボランテイア活動ともなり、自分たちの健康寿命の引き延ばしにもなるという良いことづくめである。

3か月単位で、練習も含め活動日程を組むのだが、意外に忙しく息を抜く暇もないくらいになる。

 メンバーのどの家庭も夫婦ふたり暮らし。子供や孫が居ても都市部でマンション住まい。

型的な現代日本の姿だが、子供たちは、「スマホ機能」を駆使して、祖父母や両親の現況を見守ってくれている。シニア世代にとってはこんな有難い日常生活は無い。

 「どうか、どうか!生臭い国際情勢を切り抜けて、あと10年、変わりなく生活させて欲しい」と勝手な世代意識で今日も願っている。

 (久山 みのる)


# by mako0491 | 2019-02-28 22:03 | ヒト交差点

ポスチュアウオーキング

体も心も生き生き

    指導する竹中 好美さん


ポスチュアウオーキング――聞きなれない言葉だが、歩き方メソッドのひとつ。発案・提唱者はKIMIKO(別項参照)さん。和歌山では竹中好美さんがポスチュアスタイリストとして活躍している。体験レッスンを受けてみた。(中村 聖代)

 ポスチュア(posture)とは英語で姿勢のこと。モデルが取るポーズや身のこなし的なニュアンスだが、まさに体験してみて自分が女優や王女になった気分にさせられる。

 発案者もそうだが、竹中好美さんも子供を産んでから始めた。好美さんは42歳までは猫背で自信がなく、引っ込みじあんな性格だったという。そんな自分を変えたいと、KIMIKOのポスチュアヲーキングレッスンに通い始めた。

そうするうちに身体だけでなく心も変わっていくのを実感。実際彼女は、明るく積極的に生き生きと現在に至っている。

体調が不良だった方は、筋肉が鍛えられることで肩こりや腰痛が取れる。身体が引き締まり、小顔になり自信が出てきた。気持ちが明るくなったなどなどいいことずくめの結果が数多くあるとのこと。

【日常生活の中で】

 レッスンは、普段の生活に取り入れられるエクササイズだ。「人生は姿勢で決まる」という。バランスを大事にするのがポイント。

・美しい姿勢の作り方

 はかかとからまっすぐ上に上がったところに、骨盤を起こして、をきちんと伸ばす。つま先はこぶし一個分あけた角度にする。

・美しい足運びと腕振り(歩き方)

 ①はかかとに重心を残したまま、

 ②一歩前に脚を出し、かかとから着地

 ③足裏全体で徐々に重心を前に移動

 ④後ろに残った足の裏で地面をぐっと押して前進。足の親指に向けて、まっすぐ力が抜けていくような感覚で地面を蹴る。

 ①をまっすぐ下に下ろした状態から

 ②指先を後ろに流すようなイメージで伸ばす

 ③腕を戻すときは、後ろに流した反動で戻る程度に

【レッスンの各コース】

 ベーシックレッスン

エッセンスを1回のレッスンに凝縮。体験や復習をしたい人向けの基本レッスン

 スタンダードコース

美しい歩き方の習得、階段の上り下り、ターン、椅子の座り方など美しい仕草も身につける他マインド面のレッスンも行う

 他にアドバンスコースやメンズコース産後ダイエットコースなどがある。

【参加後の感想】

 たった1回で今までの習慣を変えることは難しい。当然のことながら、毎日の生活の中で意識を持ち続けないと本当に自分のものにはならない。しかし、肢体不自由でない限り人は毎日何千歩と歩いているのだ。そのときの意識付けが重要だろう。そしてひとたび自分のものになると、明るい未来が待っている。

 「レッスンのなかで器用に身についた人はすぐに忘れてしまい続かない。できなくて苦労を重ねた人は本当に劇的に変わっていく」という好美さんの言葉が響く。

「今まで自身が持てなくて下向き加減でしたが、この歳からも変わるんだと喜びで一杯です」という受講生からの声も、大きく心に突き刺さった。

KIMIKO (一般社団)ポスチュアウォーキング協会 会長>

1961年岡山生まれ。 産後の体型の崩れを克服するために ウォーキングを学び始め、劇的な全身整形を体験。その後独自のウォーキングメソッド「ポスチュアウォーキング」を構築。商標取得。指導歴17年。


# by mako0491 | 2019-01-18 23:33 | アタマ記事

12.21えほん

12.21えほん

『ひみつのかんかん』

 花山かずみ作 

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偕成社 2014年 1296

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)5歳から

(自分で読むには)6歳から大人まで 

年末年始に家族が集まる機会があるかもしれません。子供の頃のおばあちゃんの姿、知りたくなりますよ。

<あらすじ>

私にはおじいちゃんとおばあちゃんがいる。時々、私はお母さんとおうちにあそびに行く。そこにひいおばあちゃんがいるんだ。

でも、ひいおばあちゃんとは最初から仲良しではなかった。だって、一緒に遊ばないし、みんなでトランプをするときも見てるだけ。「よく来たねぇ。いくつになったの?」って、いつも同じこと聞いてから飴玉をくれる。そのうちに「ひとやすみ」ってお部屋に帰っちゃうんだ。

ある日、廊下で積み木を並べて遊んでいたら、ビー玉が転がってきた。「おばあちゃんの?」廊下から聞いたけど、聞こえていないみたい。私はひいおばあちゃんの部屋に入った。

ひいおばあちゃんにビー玉を手渡すと、ひいおばあちゃんは大事そうにビー玉を古い缶カンにしまった。聞くと、ひいおばあちゃんの宝物が入っているという。

見せてもらうと、ひいおばあちゃんが小さかった頃の家族写真、タンスの取っ手、金平糖が入っていた小さな瓶、お手玉などが入っていた。

写真は今のひいおばあちゃんとはぜんぜん違う。着物を着て、可愛いリボンをつけている。びっくり。着物もリボンも戦争で燃えてしまったけれど、色もみんな覚えているんだって。他にも小さかった頃の話をたくさん聞いた。お手玉も歌いながらしてくれた。

転がってきたビー玉は飲みたくて仕方がなかったラムネを内緒で飲んだ時のもの。今まで内緒にしていたけれど、私と二人だけの秘密になったんだ。指切りして、一緒にラムネを飲もうと約束したんだ。

おばあちゃんと話がしたくなりますね♪

(浦田ひろみ)


# by mako0491 | 2019-01-18 23:10 | 絵本この一冊


スマホでテレビ番組楽しむ

 『歌のトップテン』が流行っていた小学生の頃、TV番組は時々しか見せてもらえなかった。子供心に少し残念だったが、今はよく分かる。親は我慢していたのだ。色々なことが回らなくなるから。

実際、夕方は忙しい。夕飯を作り、娘の本読みを聞き、宿題を確認。中学生の長女を塾に送り出し、次女・三女と夕食。遅れて、長女の夕食。その間に食器を片付け、次女の受験勉強。三女と入浴後、次女、長女が入浴。夫が帰宅し、夕食、入浴と続く。なんやかんやで10時。あわてて三女を寝かしつける。それから、次女の勉強、再度皿洗い、朝食の下ごしらえ。どこかで座ってテレビを見るようなら、滞るのだ。

そのため、巷でうわさの情報はネットや新聞の番組紹介、コラムから。それでも抜け落ちるばかり。2年前に大流行した『君の名は。』はレンタルした上司から教えてもらい、初めて知った。『逃げ恥』は祖母が購入した漫画を借り、今年になってからようやくハマった。その時にはブーム終了。一種の疎外感。

 それが、近年はTV番組がスマホで見ることができるようになっていた。TVerや民報各社のオンデマンドなら放映後1週間は無料で視聴可能(その後は有料。NHKがないのが残念)。 洗濯物を干しながら、移動しながら、とスキマ時間で視聴できる。なんだか、私も世間に仲間入りできたようでうれしい。早速、子どもが寝ている日曜日の朝、『結婚相手は抽選で』を視聴した。

(笠井 ひろみ)


# by mako0491 | 2019-01-18 23:00 | 女の視点


言語聴覚士 板倉 登志子さん

発声などの機能回復サポート


 「言語聴覚士」という国家資格がある。聴く・話す・食べる・表現するといった誰でも自然に行えていることが、生まれつきの障がいや、病気・事故・加齢などが原因でうまく行えないことがある。こうした言葉によるコミュニケーションや嚥下(えんげ=飲み込み)に問題がある人をサポートする専門家が言語聴覚士である。この国家資格制定にむけて先鞭をきったひとりが今回紹介する板倉登志子さんである。

   (中村 聖代)

【結婚後すぐに米国へ】

 登志子さんは大阪府出身。関西学院大学卒業後、大学院に進んだが、縁あって医師とお見合い結婚。彼は米国カルフォルニア工科大学への2年短期留学が決まっていたため結婚式の2日後には米国の新居に移ったのである。

 何故、登志子さんがそうしたことに抵抗がなかったのか?実は小学5年生の時3つ下の妹とともにドイツの公立小学校に通った経験がある。

 脳外科医の父親は、登志子さんが3歳から15歳位までの間ドイツに単身渡っていた。  

当時は海外に行くのも大変な時代。親子ともども外国に暮らすのは困難だったのだ。

登志子さんの母親はある期間ドイツにいたが、子どもたちは1年間だけ現地で通学したのだ。

【海外生活の経験】

 ドイツ時代は、もちろん言葉もわからず、ただ座って授業を受ける毎日。先生たちの配慮で3年生のクラスに編入されたので、算数は秀でていた。また絵画も上手だと褒められたーこの経験があとになってものをいう。 「海外生活は平気です」。夫となる人は海外初体験「妻になる人は登志子さんしかない」と思ったという。

【言語療法との出会い】

 米国時代のある日、お隣の女性の車に

I am a speech  therapist.」のステッカーが貼られているのを発見。そんな職業があるのだと初めて知った。

 帰国後、夫は出身の和歌山県立医科大学に勤務し、ふたりは県内に在住。それから8年ほどは専業主婦のかたわら英語を教えたりしていた。言葉に関する教育に関心があった登志子さんはふと米国のスピーチセラピストを思い出す。

【日本の言語聴聴覚士】

 日本でまだ広く認知されていないが、言語聴覚のスペシャリストになろうーそう思って探したら、大阪教育大学の特別専攻科に言語障がい教育コースがあった。支援教育の教員免許取得のための内地留学だが、教員免許があれば誰でも受験できた。そこで竹田契一教授と出会う。彼は日本における「言語聴覚士」育成のまさに先駆者と言えた。

【国家資格成立のために】

 現在も言語聴覚士として活躍する登志子さんだが、この国家資格は平成11年に初めて国家試験が実施された新しい資格だ。

理学療法士(PT)・作業療法士(OT)と共にリハビリテーション専門職を構成する。

PTOTに遅れて平成9年、国会で言語聴覚法が制定されたのだが、成立に向けて働きかけ、全国で26万人の署名のうち1割近くを和歌山県で集めることができたのは、登志子さんたちグループががんばった成果だ。

発声・発音・聴覚・認知・嚥下・発達などの機能回復をめざす仕事。あたりまえのことができる喜び。医師・看護師・療法士や家族、患者らが共に取り組む奥の深い広域の仕事のようだ。

今後ますます必要とされる分野で、やりがいもある。社会人経験のある人や挫折感を味わった人こそ取り組んでいってもらいたい。そうした人たちは根気強く人に寄り添うことができるから。


# by mako0491 | 2019-01-18 22:57 | アタマ記事


ガラ携世代とスマホ世代との断層

もう15年前(2,003年)頃、地域の国立大学で半年の特別講師を務めたことがある。講座を担当すれば期末にはテストを実施し、採点をし、大学に報告しなければならない。受講生にテーマを与え、レポート提出を課した。内容が素晴らしいものが沢山見つかった。同様な仕事に就いている息子に「昔に比べてよく勉強が出来ている学生が多い」と話すと、「お父さん、「コピペ、コピペ!」と大笑いされて痛く傷ついた記憶がある。 

 当時、パソコンの普及のなかで、「検索」ソフトを利用して、レポート課題に即した内容を抽出し、コピーし、張り付けて見事な文章に仕立て上げるいわゆるコピペが横行していたのである。今は大学で、「コピペを見つけるソフト」すら、すでに出来上がっているという。

現在はスマホ世代、パソコンを通じて巨大な情報を駆使しながら、「問題解決の具体的道筋」を創造し差し示してくれる時代になっている。この世界の「コピペ」はいったい何を意味するのだろうか。シニア世代にあらずとも人間不信に陥りそうである。

 地元和歌山大学では、重いものを持ち上げる関節筋肉作業を支援する機械を作り、商品化するらしい。介護施設に働く人達、ミカン畑で積み下ろし作業をする人達、等々、その恩恵を被る範囲は大きく広がるだろう。頭脳の働き、筋肉の働きはどんどんロボットに置き変わっていくのだろう。今に、耳に心地よい、舌に旨い、肌触りが良い、などと言う感覚の世界までもコンピュータ・ソフトに導かれる時代になって行くのだろうか。

 現在の若者世代は完全にスマホ環境で生きている。ガラ携世代で生きて来たシニアとの間には大きな断層がある。そのズレを認識し、修正する知恵を働かせる人間の知恵が求められる時代と思われる。

 人間の便利さの極限に行きついて、「これからの生身(なまみ)の人間の生き方」を未知の世界の中で探らなければならないのだろう。

 

(久山みのる)


# by mako0491 | 2019-01-18 22:45


『ねえどっち?』

二宮由紀子作 あべ弘士絵

PHP研究所2004年 1296

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

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(読んでもらうには)3歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

子供の頃に疑問に思っていたこと&不思議に思っていたこと、ってありませんか。

<あらすじ>

ある朝、シマウマのしまこさんが川のそばで朝ごはんを食べていました。そこへ人間の子どもがやってきて、しまこさんに尋ねました。

「ねえ君って白いしま模様のある黒いうま?それとも黒いしま模様のある白いうま?」

しまこさんは答えます。「わからないわ」だって、そんなことは考えたことがなかったからです。

しまこさんは考えます。「黒と白のしま模様があるうまと思っていたんだけど。でも一体どっちかしらね」

しまこさんが考え続けていると、キリンさんがやってきました。しまこさんはキリンさんに尋ねます。

「あらどっちでしょ」キリンさんは驚きます。だって、キリンさんもそんなことは考えたことがなかったからです。

キリンさんは「あたくしなら茶色のまだら模様のある黄色いキリンなんだけど」と、答えます。だけど、心配になりました。「もしかすると黄色の編み目模様のある茶色のキリンだったりして」

その後、クロサイ、茶色や緑色に色が変化するカメレオンが登場します。

あなたはこれらの動物はどちらに思いますか?もしかするともっと別な発見があるかもしれません。

疑問に思って聞いてみたけれど、相手にされなかった、という経験もあるかもしれません。おとなになった今、常識を疑って、考えてみるのも楽しそうですね。

(浦田ひろみ)


# by mako0491 | 2019-01-18 22:38 | 絵本この一冊

高校時代のマドンナ

今夏、フェイスブックで高校の時のクラスメート(男性)と友達になった。お互いに年齢を重ね、還暦を過ぎたはずなのだが、高校時代の思い出話で盛り上がる。

彼の話を聞いているとどうやら私はクラスのマドンナだったらしい。早く言ってほしかった。多感な時期は劣等感のかたまりで、自信を持てず人生を過ごしてきた。

しかし、話が盛り上がりアハハで済まされなくなってきた。彼にとってはいまだにマドンナなんだという。

冗談としばらくは聞き流し、白髪が・・、足腰が・・と言ってみたが、それは言わないでくれという。だんだん追い詰められてきた。男性は、ロマンチックだ。思い出は永遠のようである。

女性は、母になった瞬間に現実を受け入れ子供のために、家族のためにと頭を切り替えるが。

そうだ。これはゲームだ。こうなったら永遠に会わないことを願い、彼の妄想に付き合うことにしよう。

かくして、私は今、時々18歳を演じている。当時は、ジョクラ(女子が男子の倍のクラス)で男子は圧倒的に不利。というか発言権などなかったような記憶がある。

せっかくの仮想世界なので、ここは懺悔の意味も込めて、しおらしい少女を演じ切りたいと思う。

くれぐれも遭遇しないことを願い・・・

(玉置 ひとみ)


# by mako0491 | 2019-01-18 22:33 | 女の視点

10.12絵本

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『はしれ、ゴールのむこうまで!

くすのきしげのり著 稲葉卓也絵 

講談社2015年 1512

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)4歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

<あらすじ>

主人公は小学校1年生のそうたくん。学校の校長先生は毎朝、挨拶する時に名前で読んでくれるし、よく僕たちと一緒に掃除してくれる。いつも元気で笑っている校長先生のいる学校が大好き。

だけど、夏休みが終わって運動会の練習が始まった。綱引き、玉入れ、ダンス、そして……、大嫌いな徒競走。僕はクラスで一番走るのが遅いんだ。徒競走だけ休みたいな。

校長先生が練習を見にきた。「膝を上げて腕をしっかりふるんだよ」でも、みんなに教えてくれるから、みんな同じように早くなって、やっぱり僕が一番遅いんだ。

校長先生と一緒に走ったら、とても速かった。だから、僕は途中で走るのをやめたんだ。「そうたくん、諦めちゃダメだよ」「ゴールはまだ途中だと思って、ゴールのむこうまで走るんだ」校長先生はまたみんなに教えてくれた。

そして、運動会。

あー、嫌な徒競走。わざと転んじゃおうか。ダメだ。わざと転んで言い訳するなんてかっこ悪い。どうしよう。

パーン。僕は一生懸命走った。でも、やっぱり僕はびりだった。もう走るのは嫌だ。でも、僕の気持ちに関係なく、運動会は進んでいく。

「わあー」みんなの歓声で僕は顔を上げた。先生たちの「呼び出し競争」が始まっていた。 

校長先生がこっちに向かって走ってくる。持っているカードは「一年生」。みんなは僕が、私が、と手を上げる。うつむく僕に校長先生は「一緒に走るぞ」。気づいたら僕は手をつなぎ、夢中に走っていた。校長先生が言った「走るぞ。ゴールのむこうまで」

***

作者のあとがきが心にしみます。「苦手を克服するには見守り、励まし、支え、手本を示し一緒に頑張る大人が大切」だと。「子ども達は1/30の存在ではなく、1/1の存在だ」と。私たちは誰も彼もが1/1。大切にしたいですね。

(浦田ひろみ)


# by mako0491 | 2018-10-16 15:44 | 絵本この一冊

新宮市で「健康復活ハウスⓇ」を運営  田中旬子さん

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 独自の方法で呼吸法や

  食事の取り方など指導

新宮市で「健康復活ハウスⓇ」を運営する田中旬子さん。独自の方法で呼吸法や食事の取り方など指導している。ご自宅に伺ってお話を聞いた。    (玉置 ひとみ)

ボランティアで開催

『高齢になっても現在の体力・身体能力をできるだけ失わず、津波が来てもにげられる体づくり』を目標にして、毎月第一日曜日の午後、新宮市福祉センターで、体力づくりの講座をボランティアで開催。

また、ご自宅でも身体に悩みを抱えた方のカウンセラーとしてお仕事をされているという。ボランティア活動を通じてお話をする機会があり、70歳を超えられているというのに、姿勢がよく、若く、軽やかな動きと自論を押しつけない生き方に、お話の続きを伺いたく、後日お宅へうかがった。

乳がんを契機に

「カウンセラーなんておこがましい。悩んでいる人の伴走者になり、一人でも多くの方に健康に過ごしてもらいたいの。良くなる。善くなる。能くなる。潜在意識を活用して願望実現を果たせば、健康な身体で生活できるはず。健康な身体をつくって、国民健康保険をなるべく使わないようにすれば、国家のためにもなるわよ」と。

この活動を始められたのは、25年前に甲田光男先生と会い、大阪府八尾市で行われている勉強会へと参加、そして22年前にご自身が乳がんになられたことだったという。3期の後期で、リンパ節に転移していた。手術を行ったが体調が優れず、その時、西勝三先生が始められた西式甲田療法により、健康を取り戻すべく健康復活に取り組まれ、がんを更生させ健康な身体を取り戻されたという。

そして今、この健康づくりを①血液の循環が完全であること②左右の神経が対称であること③背骨に狂いがないこと④体内の酸アルカリの平衡が保たれていること⑤内部環境(腸)が汚染されていないことの基本を元に呼吸法や食事のとり方などを体調のすぐれない多くの方に伝えらえている。

夫との強い愛情

がんの3期というと生きることを諦めそうですが、田中さんを『生』へ向かわせたことはなんだったのですか?の問いかけに、「夫がね。死ぬな!と言ったの」と頬を赤められた。愛、強いお二人の愛情がこんにちへとつながっている。ハ、ハ、ハ・・と何事もなかったように高らかに笑われ、お家の中には明るい空気だけが流れていた。

健康復活ハウス

新宮市浮島7-13番地

090-7613-9539


# by mako0491 | 2018-10-16 15:11 | アタマ記事

 12日掲載 交差点

交差点

自分のものさしを持つ

 神戸に私のお気に入りのフレンチレストランがあります。そうそう気軽に行けるお値段でもありませんので、私にとっては、たまのご褒美の場所です。

先日、そのレストランで食事した際、とても工夫を凝らした前菜に感動して、その前菜を作ったシェフと話しをすることができました。見るからに若い好青年で、聞けば26歳とのこと。

この若さで、前菜を任されて、しかも大枚をはたいた客の期待を裏切ることのない見事な創作に、本場のフランスで修業を積んだような経歴の持ち主かと思ったら、意外にも、ご家庭の事情で、中卒で働きながら調理師学校に行き、そこで一通りの勉強をするなかでフランス料理に魅了されたらしく、一度もフランスには行ったことがないということでした。

 最近では、高校はもちろん、大学ですら当然のように何となく進学する時代なだけに、このシェフのような若者に出会えたことがとても新鮮でした。

シェフは基本的に客とは接しないため、自分の作った料理に対する客の反応を直接的に知ることはあまりなく、返ってきた皿を見たり、ホールのスタッフに様子を教えてもらったりして、自分の提供した料理がどうだったのかを確認しているそうです。

このレストランでは、1ヵ月半ごとにメニューが替わるのですが、前菜を担当する彼は、常に新たなメニューを考え、試作を重ね、仕上げていくことに全力を注いでいるのです。それは決して自己満足ではなく、美味しい料理で客を幸せにすることに真剣に向き合っている、まさにプロフェッショナルです。

 私たちはとかく格付けに頼りがちです。留学をして箔をつけるように、学歴や経歴が重視されますが、それだけがものさしになるのではなく、彼の料理のように、人に感動と喜びを与えられることそのものが一つのものさしであってもいいのではないかと思います。 

世の中の多くの人が、そんな自分のものさしをきちんと持つことができれば、もう少し気楽に、そして豊かに、生きやすくなるのではないでしょうか。

(石井 敦子)


# by mako0491 | 2018-10-16 14:57 | ヒト交差点

義弟からの贈り物

結婚後暫くして法事があった。夫の実家に集まった大勢の親類の中にガールフレンドを連れた義叔父の姿があった。婚約者でない女性を連れてくるなんて---二人に向けられた親族の目は冷やかだった。

読経が終わり会食の準備で場が騒ついている中、ふとみると奥まった小部屋で一番下の義弟が彼女の雨に濡れたコートをドライヤーで乾かしている。誰も見ていない、誰にも賞賛されることのない行為である。その瞬間、私は義弟の弟子になった。

義弟は幼い頃の高熱で知能の発達が遅れ、言葉も少し不自由だ。友人たちに奢って、と言われると家族の結婚記念の品さえ持ち出し質に入れたこともあるそうだが、それは義弟の孤独を表しているように思えた。金銭も宝石も彼にとっては何の意味も持たない。

四十を過ぎた頃から糖尿病を抱えた義弟は合併症の手術を重ね、片目の視力も失った。年に一度帰省すると、彼はシャツを捲り手術痕を見せてくれる。そして医療費の足しにと渡した金銭は「お年玉に」と私たちの二人の息子に贈られる。

義弟は料理が上手い。職も転々としたようだが、三年前に会った時は数年来勤めているレストランでも料理ができない状態であった。職を辞すという義弟をオーナーは引き留めた。皿洗いができなくなったら皆の監督をしてくれればよい、と言って。

美しい心を持った人は往々にして人の間に埋もれている。けれどもそのような人々の美しさに家族以外の方が気づいてくださる…。

足を切断することになるかもしれないという入院前夜、「平安だ」といった義弟は何と祝福された人だろう。彼自身にそれを知って貰いたい。そのために私は何ができるだろう。

     (マリア 堺)


# by mako0491 | 2018-10-16 14:52 | 女の視点


低出生体重児の治療とケア

広く社会の視点から考えていく

      

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      和歌山医大で講義など

 日本が世界一を誇れるもの、それは「赤ちゃんが最も安全に生まれる国」であることです。生後4週間未満の新生児死亡率は1000人あたり0.9人で世界一です。日本は、新生児死亡率を大きく左右する低出生体重児の死亡率が低く、現在では体重1000グラムに満たない赤ちゃんもほぼ救命できる時代となっています。

(石井 敦子)

筆者が講師を務める和歌山県立医科大学保健看護学部では、9月9日に高校生を対象とした「体感しよう!小さく生まれた子どもの命を救う・癒す・育てるケアの力―2018」が開催されました。早産などにより、体重1000グラム未満で生まれた赤ちゃんを超低出生体重児といいます。そのような小さく生まれた赤ちゃんは、外の世界に出る準備の途中で生まれるため、呼吸する力や体温調節する機能が未熟で、NICUという新生児集中治療室で治療やケアを受けることがほとんどです。

お母さんの体験談

今回の講座では、超低出生体重児の治療やケアの講義、NICUの模擬体験に加え、超低出生体重児で生まれ、現在は20歳に成長したお子さんを育てたお母さんの体験談を聴かせてもらいました。

自分の手のひらにおさまるほどに小さなわが子を産んだ時の自責の念、さまざまな不安を抱えながらNICUで子育てする日々を支えてくれた看護師への思いなど、母親の立場で語ってくださいました。

赤ちゃんの身体が小さすぎて、新生児用の肌着やオムツは付けられず、オムツの代わりに生理用ナプキンをあてられていたのを見て「こんな小さな子が産まれてくることを社会は想定していません」といわれているような気持ちになったそうです。20年前の悲しい現実ですが、そのような母親たちの声から、現在では、オムツメーカーで可愛い絵がプリントされた超低出生体重児用の小さなオムツも製品として作られるようになりました。

小さな肌着も

このお母さんは小さく生まれた赤ちゃんにも可愛い肌着を着せることができるように、新生児用肌着よりも小さいサイズの低出生体重児肌着を作り、13年前からオンラインショップを立ち上げて販売しているそうです。点滴していても安全に着衣着脱できる肌着がほしいという看護師さんの声から考案された点滴用肌着も全国のNICUで使われています。海外では、このような小さな赤ちゃん用肌着もプリミーサイズとして百貨店などどこでも買うことができますが、日本ではまだまだそのような環境が整っていないのが現状です。

 

新たな母子健康手帳も

最近、ようやく各自治体では低出生体重児向けの母子健康手帳を作る動きが出てきています。生まれた時からの成長発達の記録として大切な母子健康手帳ですが、体重は1000グラムからしか書き込めません。それこそ、社会に受け入れられていないと感じてしまいます。低出生体重児向けの母子健康手帳の目盛りはゼロから作られ、その子に合わせた成長発達の時期に記入できるようになっています。そんな些細なことも、子育てする母親にとっては精神的な支えとなり、小さく生まれた子どもが大きく育つ力になっていくのではないでしょうか。

最先端の研究に触れる

この講座は、独立行政法人日本学術振興会の「ひらめき☆ときめきサイエンス~ようこそ大学の研究室へ~」というプログラムで、最先端の研究を直に見る、聞く、触れることで、科学の面白さを感じてもらい、将来を担う小中高生の心の豊かさと知的創造性を育むことを目的にしたものです。

科学技術はサイエンスとヒューマニズムで豊かな社会をつくるためにあるものです。超低出生体重児の命が救える時代を生きる若い世代が、その大切な命を育むためにできることを広く社会の視点から考えていくきっかけになることを期待しています。


# by mako0491 | 2018-09-14 11:06 | アタマ記事


9.14絵本

『パパとあたしのキャンプ』

鈴木永子絵著 

ひさかたチャイルド 

2009年 1296

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)3歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

今年の夏は本当に暑かったですね。お出かけしようにもかなりの対策と勇気がいりましたね。そんな時はお家でキャンプ気分を味わいましょう♪

<あらすじ>

今日はあこちゃんとパパがキャンプに行く日です。パパが梅干し入りのおにぎりを握ってくれています。あこちゃんは小さなリュックサックとお気に入りのうさぎのお人形を用意しています。

さあ車で出発です。到着まで山道が続きます。キャンプ場はまだまだです。あこちゃんは少し退屈気味。「パパー、キャンプ場まだあ?おなかすいた」

「じゃあ、おひるにしよう。」ところが、忘れ物です。「ありゃ、おにぎり忘れてきた。せっかく作ったのに。」でも、パパは前向きです。「まっいいか。ソーセージとゆで卵があるしな」

対して、しっかり者のあこちゃん。「あたし、かにパン持ってきた。パパに半分あげる。」

ようやくキャンプ場に着きました。早速、テントを張ります。あこちゃんもテントがお風に煽られないように必死で抑えます。そして、焚き火の薪を一緒に運びます。あとは焚き火をおこすだけ。

ところが、またもやパパが大失敗。火がつかないと焦った途端、あちちちち。親指を少しやけどしてしまいました。あこちゃんはここでも大活躍。ビニール袋に氷を入れてパパの指に当てました。「保育園でドアに手を挟んだとき、先生が氷でこうやってくれたんだよ」

やっとご飯になりました。焼くだけなのに、焚き火の晩御飯は格別です。「パパ、毎日焚き火の晩御飯食べたいな」

次の日は一日中、お魚を捕まえたり、ボートに乗ったりと、のんびり湖で遊びました。昨日の失敗はうそのよう。良い思い出になりました。

(浦田 ひろみ)


# by mako0491 | 2018-09-14 10:56 | 絵本この一冊

育児と仕事の両立は・・

視点

育児と仕事の両立は・・

 ニュージーランドのジャシンダ・アーダーン氏が昨年十月、首相に就任しました。35歳という若さー過去150年間の歴代首相の中で最年少―しかも女性です。

就任3ヵ月後にインスタグラムで妊娠を発表、今年6月に女児を出産、6週間の産休を終えて職務に復帰したとの記事を見ました。

現職の首相の出産は、パキスタンの元首相以来2人目だとか。アーダーン氏はもちろんのこと、同時期に産休に入った同国女性大臣も、自宅で執務を続けていたそうです。

アーダーン氏は言います「働きながら子どもを産むことは、これまで多くの女性がやってきたことです」。「私は決して何でもこなせるスーパーウーマンではなく、どんな女性もそのような期待をかけられるべきではありません。私たちが何かを成し遂げられるのは度胸と決意、そして誰かの支えがあるからこそです」と。

女性政治家やキャリアウーマンに対して子どもを持っているかどうかという視点で語られることも多いですよね。また「女性=母親」という捉え方が圧倒的に強いようです。

アーダーン氏は続けます「もしかしたら、まだ私のような人は少ないかもしれません。でもいつの日か、きっと当たり前のことになるでしょう」。

育児と仕事の両立のために、パートナーや周りの協力、保育園などの社会制度、そして何より「女性は出産や育児で就労の継続は難しいだろう」という意識の改革が必要ですよね。大学入試問題で女子の合格者数を抑えていたというのは、その表れの一端です。

女性自身「子どもがいるから」を、甘えや言い訳にしてはならないのは言うまでもありませんが。

(中村 聖代


# by mako0491 | 2018-09-14 10:50 | 女の視点

和歌山に暮らす外国人妻

    和歌山に暮らす外国人妻

  竹中オクサーナさん(ウクライナ出身)

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 「お母さんが作ってくれる料理の中で一番好きなのは何?」と尋ねると、末っ子の小学校3年生の男の子から、「あさりのお味噌汁」と意外な答えが返ってきた。これは渋い。オクサーナさんはきっとお義母さんから日本についていろいろ教えてもらっているに違いないと筆者は直感した。

 

ご主人とオクサーナさんのお付き合いは文通から始まった。ご主人の友人がウクライナ人と結婚し、その友人の紹介でご主人はオクサーナさんと知り合った。日本とウクライナ間で手紙のやり取りが始まったが、その当時はお互いの国の言葉は全くわからず、友人を介しての文通であった。そこでご主人は「言葉は何とかなる」という強い信念で、辞書を買いロシア語の勉強を始めた。

 そんな努力のかいあって、2003年ハワイで結婚式を挙げ、ご主人の実家がある海南市での生活が始まった。

現在、大学や専門学校で英語を教えるご主人、中学2年の長男、小学5年の長女、小学3年の次男の5人家族で、日本在住15年目を迎える。日本に来た当座は毎日毎日驚きの連続だったが、今はもうすっかり日本の生活に慣れてしまって何も驚かなくなったと言うが、そこをなんとか思い出してもらった。

まずは気候の違い。ウクライナは冬が長くて暗い。10月には雪が降り、朝8時はまだ暗く、午後3時にはもう暗くなる。太陽光も弱い。だから短い夏にしっかり外に出て太陽を浴びる。厳しいウクライナの冬に比べると、日本の冬の寒さは楽だが、和歌山の溢れる太陽と夏の蒸し暑さはそれはもう大変。

日本に来て間もないころ、ご主人が仕事に行った後、オクサーナさんは自転車で近所の探検にでかけ地域になじもうとした。そしてご主人が帰宅すると二人でロシア語を勉強した。流暢に話せるようになるのに2年かかったというが、今は夫婦の会話はロシア語。日本語で話していて、オクサーナさんがわかりづらい所はご主人がロシア語でサポートする。おそるべし、愛の力!! たった2年で未知の言語をマスターするとは。

3人の子どもを育て、学校に通わせる中で学校からのお知らせや手紙を読み、返事をするのはご主人。そしてできることはオクサーナさんが実際に行動する。

日本の医療や教育システムは規則が多くて面倒なこともあるが、安心・安全であること、また子どもの通う学校の先生方や周りの方たちがやさしく親切なことに感謝していると話してくれた。

そして何よりも、外国に住んでいることのストレスを感じないように心がけてくれるご主人のやさしさに感謝しているそうですが、実はこのご夫婦、よくけんかするそうです。

けんかして自分の意見を言うことで、相手の考えを知り、どこに原因があるのか、自分のどこが悪かったのかをお互いに反省する。けんかをしないということはもうあきらめているということ。けんかすることでお互いにより深く分かり合える。日本のやり方を押し付けて、日本のしきたりに合わせなさいと言うのではうまくいかない。どこまで歩み寄って暮らしていくか、お互いを認め合えるかどうかが問題となる。

なるほど。筆者も自分に重ねて反省しきりです。

努力を惜しまなかったのはオクサーナさんも同じ。

家に閉じこもっていないで地域や学校へも積極的に出かけ、小学校でママさんたちとソフトバレーボールを楽しんでいる。また、自分の考えはしっかり言うが、ご主人やお義母さん、周りの方たちから日本の習慣やしきたりを広い心で受け入れている。

気候も習慣も文化も何もかも異なる日本にご主人を頼りにたった一人でやって来たオクサーナさんの勇気と決断に脱帽。お二人の愛の深さに乾杯!!

(林 多恵子)


# by mako0491 | 2018-09-14 10:38 | ヒト交差点

             サックスでヒトの心癒やす

         ナマ演奏の場増やしたい

                        岡なづきさん

 

 和歌山市内生まれ、市内在住の岡なづきさんはサクソフォーン(以下サックスと略称で言う)奏者。去る6月「和歌山市議会と高雄市議会との友好交流に関する覚書」調印記念レセプション」でも和装で日本国歌と台湾国歌の演奏をし、皆に感銘を与えた。彼女の魅力を伝えたい。

 (中村 聖代)

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 なづきさんは、現在2人の小学生の母親である。病院の事務職に就きながらサックス活動も続けている。幼いころからの母親の影響だと本人は言う。

「結婚や子育ては自分の時間がなくなり、やりたいことができなくなる」と敬遠する声が多い昨今。大変だが、家族の支えがあってはじめて自分自身の人生を歩むことは可能だと訴える。

【楽器との出会い】

 なづきさんの最初の楽器は、小学3年生になってからのピアノだ。「となりのトトロ」が大好きだった彼女は、家にある古いキーボードを使って両手で演奏していた。もちろん独学。

「それほど好きなら習ってみる?」小さな頃からピアノを習う周囲の中で、同じようにする必要がない、と考えていた母親の心を動かしたのだ。

音楽が大好き少女は4年生になると「金管バンド」に入る。花形のトランペットをやりたかった。が、身長が160㎝あったためか、6年生までずっとユーホニウム担当。

中学校の吹奏楽部では今度こそトランペット、と思ったが、やはり希望者多数。昔ジャズバーに勤めていた父親の「サックスがかっこいいよ」の一言でサックスが第二希望となり、高校卒業までの6年間はサックス。

短大に入ると今度はサックスがいっぱいで無理といわれ、トロンボーン担当になる。思い通りにならないのもいい経験だったと振り返る。

【審査員の一言で】

 卒業後市内で就職。2年ほどは楽器から遠ざかっていた。母から「せっかくサックスがあるのだから、吹奏楽団にでも入ったら?」で、和歌山市吹奏楽団に入団。第二の音楽活動が始まる。

 サックスとピアノのクラシックコンテストに県の代表として出場した際、審査員から「あなたの演奏は独特で魅力的。ソロで活動してみては?」といわれたことが心に響き、「オフィストーン」事務所に所属。イベントや結婚式の演奏、小中学校の外部講師や個人指導、慰問活動などを行う。

【なづきさんの思い】

和歌山ではライブハウスはあるものの、一般人が生の演奏に触れる機会が少ないので、もっと生演奏の場を拡げたい。

 芸大・音大出身でなくても、特別に師事されなくても、自分なりの表現はできるし、目の前の人に心を伝えられることを知ってもらいたい。

 県内にも増えつつある児童虐待。母親と胎児に演奏を聴いてもらって、その結果として虐待を防ぎたい。

 次から次へと、なづきさんの熱い思いがほとばしる。

 サックスは人間の声に近い音色を奏でるため、聴く人の落ち着かせ、穏やかにする効果があるらしい。筆者も癒された。

「自分の音を必要とする人がいる限り演奏を続けたい」という彼女は、要請があればどこにでも来てくれる気がする。


# by mako0491 | 2018-08-24 11:25 | アタマ記事

和医大便り


新卒看護師の就活について

世界的にも珍しい日本の雇用慣行として新卒一括採用があります。新卒の学生を同時期に採用することで、効率よく人材を確保するものです。もともとは戦前の重工業化の進展とともに人材確保と人材育成を行う必要があった企業事情によって日本社会に定着してきましたが、その時代の景気に影響を受けることや新卒枠を逃した際のやり直しの難しさなどから制度の見直しがしばしば議論されます。

 この新卒一括採用が大学生に密接にかかわるのは、何と言っても「就活」でしょう。大学3年生の秋ごろになると、就職活動を始める学生も増えてきます。看護学生は慢性的な看護師不足のなか、売り手市場と言われ、そんな就活とは無縁かと思われがちですが、最近は決してそうではありません。一般学部の学生のように各病院が開催する説明会やインターンシップに参加し、大学4年生の春から夏にかけて採用試験を受けます。

とはいえ、一般の就活のように何十社も面接に行くということはなく、せいぜい1、2病院の受験で、大半の学生は希望する病院に採用が内定しますし、そうでなくても就職できないということがないのは看護師の強みです。

 必ず就職口はあるという強みも良し悪しで、看護学生の就活は単に就職先を見つけるだけの就職への手続きに過ぎないのが残念です

一般的な就職活動では、自己分析や企業研究に注力することで自分を見つめ、将来を考える機会になります。看護学生の就活は、その部分が省かれがちですが、自分はどんな看護師になりたいか、仕事と結婚などの私生活とのバランスをどのように考え、自分がどう生きていきたいのかといった人生設計を考える機会にすることに意味があると思います。  

大学に入る時点で職業選択をしているだけに、ただ流れるように看護師になって、就職したら現実とのギャップに自分を見失うというのではなく、まず学生のうちに、自分自身をしっかり見つめ、将来を考える機会にすることが大切だと感じています。

(保健看護学部講師 石井敦子)


# by mako0491 | 2018-08-24 11:13 | 和医大便り


易占い、今回は「現状維持を」

易占いをご存知ですか?

筮竹(ぜいちく)算木(さんぎ)用いて行う占い卜筮ぼくぜい)ともいいます。

さて、(えき)嗜み(たしなみ)20年になる。ほとんど自身が迷ったときに易を立てるくらいで、あまり積極的に易者としての活動はしていないが、たまに口コミで訪ねてくださる方もいる。

私の生き方は、よくブレないね。といわれるが、いやいやブレまくりである。

だが、この易占のお陰で、心が通っているように見えるのだろうと思う。

50本の筮竹(ぜいちく)で占い6本の算木(さんぎ)という棒に形を表していく。(えき)には64()があり、更に算木(さんぎ)に現われた一本一本の意味の形で384通りの答えを導き出していく。

よく、当たるも八卦(はっけ)当たらぬも八卦(はっけ)というがそれは捉え方次第で、楽な道ばかり選んでも人生はつまらないと思う。

絶対選択しないだろうなという卦が出ても、その道に進む。なぜなら易には『初噬(しょぜい)(ツイッター)ぐ。再三(さいさん)すれば穢れる(けが)』という教えがあるからだ。

平坦な道ではないが、その方向に進んで良いと思えることは、自身に足りないことに気づき、また工夫をして乗り越えて、確実に経験値が増えていくことである。

もちろん、厳しさばかりではない。心が折れそうな時は、励まされ、勇気をいただくこともある。

とこのように書くと、頼りっきりになっているように思われるかもれないが、あくまでも壁に当たった時のみの手段である。

折角なので、ここまでお読みいただいた皆様に。立てているところをお見せできないのは残念ですが・・・

水火(すいか)既成(きせい)既成(きせい)とは完成の形です。完成した物を手直しするとバランスが崩れます。今は新規事に手を出さない方が賢明。現状を維持してください。こんなん出ました~。

(玉置 ひとみ)


# by mako0491 | 2018-08-24 11:05 | TOPIXS

8.17視点


しそ栽培愛しさいっぱい


 三女はこれと思ったものには世話を焼く。そして几帳面。毎日、朝早く登校し、朝顔に水をあげていた。夏休みに家に持って帰ってきてからも、毎日水をあげていた。

 すると、今まで体験したことがないことがおきた。夏休み中はもちろん、新学期を迎えても、朝顔は枯れず、時々花をつけていたのだ。恥ずかしながら、長女、次女の朝顔は早々に枯れ、こんなもんだと思っていた。ごめんなさい。

 加えて、三女はひとつずつ花を摘み、種を大事にとっていた。今年、その種を植えたいと言い、育て始めた。ついでに私自身もと、しそ(大葉)を栽培することにした。

スーパーで購入すると一袋100円の大葉。植木鉢と土のセットで800円。割高だが、農薬なしの新鮮野菜が食べられると、購入。水やりが面倒なので、栽培場所は毎日必ず通るところで、日当たりの良いところ。洗濯物を干すベランダに決定。

まず、発芽しやすいように、種を水たっぷりの脱脂綿に乗せ、一日。植木鉢に植え、発芽まで、待つこと2週間。ようやくかわいい芽が出てきたときには、愛おしさでいっぱい。

 こうなると、洗濯を干す度に眺め、取り入れ時も贅沢な時間に。摘んだ4枚の大葉は刻んで梅干しと一緒に温かいお蕎麦に入れて食した。和歌山市でも貸し農園、さらに農家さんの指導を受けながら栽培できる市民農園がある模様。大変さも増えるが、喜びも格段に違うのだろう。人気なのも納得。いつか挑戦しようかな。

(浦田 ひろみ)


# by mako0491 | 2018-08-24 10:56 | 女の視点


写真上は別院さん

 写真下は南方さん

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異色なアーティスト活躍

和歌山市内に芸術家と呼べる逸材が数多くいる。その中でも知る人ぞ知るお二人にスポットを当てたい。まず一人目は別院丁子(ベツイン テイコ)さん。二人目は、デザイン書家南方伶文(ミナカタ レモン)さんだ。すばらしい才能の持ち主であるお二人に別々ではあるが、直接触れる機会を得たので紹介する。  (中村 聖代)

別院さん、県内各地で舞台朗読


【山本周五郎の短編】

 別院丁子さんは「語り寄席」と銘打ち、県内各地で多様な読みの勉強の成果を発表している。

よみきかせ・語り・朗読・郡読の指導を長年にわたって指導を続ける丁子さんは、和歌山大学在学中は演劇をしていた。今回は、その実力に裏打ちされた「舞台朗読」を披露。レパートリーは、樋口一葉「十三夜」「にごりえ」「大つごもり」。藤沢周平「驟り雨」「虹の空」など多数ある。筆者が触れたのは、山本周五郎作「糸車」だった。

短編とはいえ、最初から最後までこの物語を話して聞かせる。身振りや動作を交えて披露―一人芝居と言っても良い。お話の内容もさることながら、心にじわんと響いた。

【よみきかせの会連絡会】

 丁子さんの夫の清さんは和歌山よみきかせの会連絡会の代表をしている。連絡会は和歌山県内にある読み聞かせのグループが集まったもので、エリアごとに各グループのメンバーが昔話を子どもたちに語る。もちろん二人とも指導に当たる。

清さんは「今の子どもたちにどれだけ通じるか分からないが、かつての日常語の豊かさを伝えたい」と語った。


南方さん、表現豊かデザイン書家

【伝統プラスモダン】

南方伶文さんも和歌山市在住。去る6月16日から29日まで海南市の琴の浦温山荘園で、作品展「墨色流創作書」が開かれた。文字の形をベースに、絵画のような表現豊かな作品で見る人々を魅了。

デザイン書は、別の紙に作品の形をあらかじめデッサンし、それを見ながら清書用の紙などに筆で文字を書くというもの。

伶文さんは、東京都内の大学在学中にデザイン書を知り、興味を覚え学びはじめた。

伝統を大切にする日本の書に、モダン・カジュアル・斬新さを加え、現代の感性を融合した表現をめざす書―近頃そういったデザイン書家が全国に増えつつある。 

市内のフォルテワジマなどで教室を開き、国内外の展覧会にも出品している伶分さんは、

「絵と同じように文字も自在にデザインできます」と、その魅力を語る。

今回の会合では、「芸術とデザインを簡単に見分ける方法」の説明があったり、参加者から希望する文字をひとつずつ聞いて、即興で1枚ずつ作品にしてもらったりした。創作書会で10年、総じてのキャリア26年、デッサンなしの文字はさすがだった。


# by mako0491 | 2018-07-24 22:45 | アタマ記事

7.20絵本

7.20絵本

『あのな、これは ひみつやで!

くすのきしげのり著

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かめざわゆうや絵

偕成社 2013年 1404円 

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)3歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

<あらすじ>

ここはとある幼稚園。教室であすかちゃんがお友達のさわちゃんに小さな声で言いました。(あのな、これはひみつやで!ひろみ先生が結婚するんやで。お母さんが聞いてきたんや)「えーっ!」

「なあ、ぼくにも教えて」と聞いてきたのはしょうたくん。もちろん、さわちゃんは小さな声で伝えます。(あのな、これはひみつやで!ひろみ先生、きれいなおよめさんになるんやで)「ひろみ先生すごーい!」

さて、砂場ではたけるくんがしんいちくんに小さな声で言いました。(あのな、これはひみつやで!ぼくお兄ちゃんになるんやで。もうすぐお母さんに赤ちゃんが生まれるんや)「うわーっ、ええなあ!おめでとう!!」

「なあ、私にも教えて」もちろん、こちらでも(あのな、これはひみつやで!)と少しずつ広がっていきます。

そして、両方を見ていただいきくんはそれぞれに「なあ、ぼくにも教えて」と二人から教えてもらいます。(ひろみ先生が結婚していよめさんになるんやで)「え~」(もうすぐ赤ちゃんが生まれるって、たけるくんが嬉しそうに言ってたよ)「え~っ」

大声を聞き、集まる子どもたち。だいきくんはみんなに小さな声で言いました。(ひろみ先生がたけるくんと結婚するんや。それでもうすぐ赤ちゃんが産まれるんや)

みんなびっくりです。子どもたちはそれぞれ、結婚する旨を先生に、赤ちゃんが産まれる旨をたけるくんに確かめにいきます。もちろん、それぞれ「ほんまや!」

子どもたちの空想は広がります。「日曜日も家でお絵かき教えてもらえるんやろか」「ピーマン食べなさいとか言われへんのかなあ」「ふたりとも幼稚園やめるやろか」「そんなんいやや~」遂に泣き出しました。

さあ、どうなってしまうのでしょう。「ひみつ」。本当に付き合い方が難しいですね。

(浦田ひろみ)


# by mako0491 | 2018-07-24 18:06 | 絵本この一冊