わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

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銃撃事件に思う

事件に遭遇!その時どうなる?

A子:先月末、市内で恐ろしい事件があったよね?

B美:塩屋の拳銃発砲事件のこと?

A子:建設会社社長の次男である元従業員が4人を拳銃で撃って、17時間も立てこもったあの事件よ。


B美:近くの人は生きた心地がしなかったでしょうね?

A子:そりゃそうよ。で、このことが原因でPTSD=Post-Traumatic Stress Disorder

(心的外傷後ストレス障害)になったとしたら誰が保障してくれるのかしら?


B美:強烈な恐怖体験が要因となる精神疾患ということなので、「人質にされる」といったことでない限りPTSDと診断されるのは難しいんじゃない?

A子:場合によっては認定されることもありうるらしいわよ。


B美:知り合いの弁護士さんに聞いたところによると、PTSDと診断されれば、治療費・休業損害・慰謝料などの損害賠償の請求を犯人に対してすることができるとか。

A子:犯人は自殺しちゃってるわけだし・・

B美:一般的には損害賠償債務は、財産と一緒に相続人に相続されるんだけど。法定相続人全員が相続放棄をすれば、誰にも損害賠償請求ができないわね。


A子:犯人の家族の監督責任は問われないのかしら?

B美:いくつかの例外を除いて、家族は、他の家族に対する法的な監督責任を負わないようよ。なので犯人の家族に法的責任として損害賠償請求をすることもできないわ。犯罪行為によって、亡くなったり負傷したりした場合の公的な補償(犯罪被害者等給付金)という制度があってPTSDもそれに含まれるのがせめてもの救いね。 

(中村 聖代)


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by mako0491 | 2016-09-28 11:11 | TOPIXS

心身相関を重視する

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拘り捨てる努力大事


年齢、性別に関わらずヨガを始める人が増えてきている。いまヨガを習っている人はどういう目的で始めたのか?さらにヨガの基本哲学、その課題などについて「ヨガ・シャンティ」(和歌山市)主宰の神谷弥生さんに語ってもらった。


「健康でありたい」

私の生徒さんも最初は姿勢を正しくしたい、ダイエットしたい、冷え性を改善したい、自律神経を整えたい、筋肉をつけたい、腰痛を改善したい、身体を柔らかくしたい、などといった理由からヨガに興味を持たれて始める方が多いです。 これらを見てみるとやはり皆さん健康でありたいという気持ちでヨガに参加されているのだと思います。


世界保健機構(WHO)において健康とは肉体的にも、精神的にも、社会的にもさらにはスピリチュアル的にも健康であることと定義されています。


私達はまず健康と聞くと肉体的な事に重きを置いてしまいます。もちろんケガをしていたり、病気であれば健康とは言えません。しかし最近の医学は心身相関といって心と身体どちらも影響しあっているので一方が不健康に傾くと、もう一方もそれに伴って不健康となると考えられています。


精神的に弱っていたり、日常生活においてストレスがあるならいくら激しいヨガで汗を流しても、ストレッチをして身体を柔らかくしても、身体の調子を整えるポーズをしても真の健康を手に入れることは出来ないでしょう。


幼いころの経験大きい

ヨガ療法ではこの心身相関の考えを基にまずは身体の不調がどこから来ているのかを考えます。多くの場合不調の原因は日常生活においてのストレスや、不摂生などからですが、ではなぜストレスを受けたり、不摂生をしてしまうのでしょうか?


信じられないかもしれませんが私達の良い、悪いなどと言った認知の基準は多くの場合幼い頃に経験したことなどから生まれます。 もちろん精神的にも未熟な頃に経験したことなので物事を客観視することなど到底無理です。なので多くの場合間違った基準を持って大人になります。


例えば3歳の子供が楽しく遊んでいるときに何か危ない事をしてしまって母親に怒られた時どう思うでしょうか? ああ私の母は私が危ない事をしているのを見てこんなに私の事を思って叱ってくれる、なんて素晴らしい母親の元に生まれてきたのだろう!!と思うでしょうか。


いいえ なんとなく悪い事したと思うけどせっかく楽しく遊んでいたのに何故母はこんなに怒るのだろう?私は母に愛されていないの?と思うかもしれません。


未熟な判断で苦しむ

これは一例ですが私達は常に客観的に自分をみる事は出来ないので未熟な心のまま大人になって未熟な判断、こだわりを持ち始めます。こだわりが多ければ多いほど苦しみもより多く生まれます。


このこだわりから、自分は、家族は、人は、会社は、社会はこうでなくてはいけないなど常に~ではないといけない。と思い込んでしまいます。社会にでればもちろん自分の理想通りに物事が常に運ぶことはできません。こだわりを持ちすぎて自分の思い通りにならない事を受け入れられない時に苦しみが始まります。


こだわりをたくさん持って暮らしている人はそれだけ苦しみもストレスも多くなっていきます。その苦しみから逃れるために過食に走ったり、不摂生へと繋がります。一時的に満足してもまたストレスや苦しみはやってきます。


目の前のこと精一杯やる

ヨガ療法では身体を動かして外に向いている意識を自分の方向へ向けたり、ヨガの智慧を学び受け入れる力を身に着けていく、それが本当のヨガの姿だと思います。


こだわりを捨て、「物や人は常に変化をしていて自分のこだわりも取るに足りないものだ。今の状況を受けいれて結果を求めずに、まずは目の前にあることを精一杯やってみよう」とヨガ的な考えを常に持てればいいですね。


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by mako0491 | 2016-09-27 21:30 | アタマ記事

上條さなえ文 たるいしまこ絵 


光村教育図書 2015年 1404

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)6歳から

(自分で読むには)小学校中学年から大人まで 

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<あらすじ>

私には料理屋さんをやっているおばあちゃんがいる。お客さんはおばあちゃんの味は一度食べたら忘れられないと、喜んでくれる。私もいつかおばあちゃんみたいにおいしい料理を作れるようになりたいんだ。


おばあちゃんは年に何度かごちそうを作ってくれる。おばあちゃんのお父さん・お母さん、おじいちゃんの命日。ママの誕生日、私の誕生日。


でも、一度もおばあちゃんの誕生日のお祝いをしたことがない。誕生日を聞くと、悲しそうな顔をして「忘れてしまったさー」と言う。いつもはどんなことがあっても「なんくるないさー」って笑顔で励ましてくれるのに。ママに聞いても「大きくなったらね」と、教えてくれない。


ある日、お客さんがおばあちゃんに沖縄料理のムーチーを作って欲しいと頼んだ。でも、おばあちゃんは断った。いつもはどんな注文でも笑って引受けるのに。私はおばあちゃんに作れない料理があることにショックを受けた。


日々が過ぎ、おばあちゃんは認知症になった。そんなある日、おばあちゃんはムーチーを食べたいと呟いた。今まで頑なに嫌がっていたのに。


ママはおばあちゃんがムーチーを作らなかった訳を教えてくれた。おばあちゃんのお母さんは食料が少ない戦争中、誕生日だけでもごちそうをと、ムーチーの葉を取りに行き、爆弾で死んでしまった、と。


おばあちゃんはムーチーをゆっくり食べた。とっても嬉しそうに。私は思った。「いろんなこと、忘れたっていいんだよ。忘れたから、ムーチーが食べられたもん。私達がおぼえていればいいんだもん」。9.23また、一緒にムーチーを食べようね。おばあちゃん。

                   (浦田 ひろみ)


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by mako0491 | 2016-09-27 20:46 | 絵本この一冊

9.30

視点・論点


ローストビーフ作ってみた

料理、好きです。おせちも手作りしていました。子どもが生まれるまでは。そう、ママになってから料理は手抜きになった私。おいしいもの作ろう!という気力が湧きません。

今は墓石を売っているらしい、ひと昔前バラエティ番組を多数持っていた占い師の方は、食の大切さを説いていました。

生産者にはいいものを作って、それに見合うお支払いをする。旬の安心して口にできるおいしいものを選んで頂く。当時は、そうかーくらいにしかテレビをみていても思わなかったけれど、東日本大震災、地震、豪雨など自然災害を目にするたび、生産者にも消費者にも食は重いものだと痛感しています。

産地表示がある今は、大変ありがたい(信じているからね!と祈りつつ)ことで、和歌山産を見つけるとついつい手に取っている私。

国産の安心は大きいが、テレビCMが素晴らし、某スーパーの輸入牛肉をどうしても食べてみたくて、近所にないために帰省した際に、某スーパーに行き購入し、ずっとずーっと家で作ってみたかったローストビーフを作ってみた。料理番組や雑誌でレシピは様々見ていて、あとは実践するのみでした。ガスコンロと魚焼きグリルを駆使して、いつになく料理をした(気分)な私。

そしてその日の夕食の子供の反応

「ママ~奇跡の一皿だねー」

はい、キセキノヒトサラ?!

私だって、やりゃあ、できるんやけど。ってか、あんたが毎日穏やかに余裕をもって生活させてくれてたら、毎日キセキノヒトサラつくったれるんやで。と心で叫びつつ、「今日は頑張ってみた」と返しておいた。はあ、ハハノココロ コシラズ。

みんなこんなもん、であることを祈る夏の終わりでした。

                      (田中 麻衣子)


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by mako0491 | 2016-09-27 20:35 | 女の視点

踊りの師匠、丸田さん

   波乱万丈おんなの一生


   バイクに乗る元気さ



和歌山市在住の丸田晶子さんは今もスーパーカブ(バイク)を乗り回す元気な女性。踊りが大好きで新舞踊や種々の盆踊りを教え、皆を楽しませる。少し前に大病を患ったとはとても思えないパワフルな彼女の「女の一生」を知っていただきたい。

  (中村 聖代)

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【大阪で生まれ満州に】

 丸田 晶子(まるた あきこ)さんは、昭和11年10月に大阪市住吉区に生まれる。4歳の時に父親の仕事で旧満州国(現中国東北部)に渡る。満州重工業開発の取締役だった父親と、母、3歳上の兄、そして妹がいた。


  住まいは、他の重役たちも住む寮であったが、各家の食堂は30畳もあるような豪邸だった。現地の大卒生であるボイラーマンを始め、寮を支える現地の家族はみな地下に住んでいたという。

 晶子さんの母親は、地下に住む満州の家族にも優しく接した。当然晶子さんも現地の子どもと一緒に遊んだりした。


【日本に帰って】

 弟が生まれて間もなく終戦を迎える。父親がロシアに抑留されたため、母は晶子さんたちを伴い、トロッコ貨物に乗って全員無事に日本に帰りついた。

 佐世保から日本に入り、母親の実家がある和歌山県中津村にとりあえず戻り2年ほどして父親が日本に帰ってこれたので大阪の箕面市に一家で移り住む。


  箕面市では母の従兄が弁護士をしていた。父親は近くの会計事務所に勤めるようになり、晶子さんは伯父の法律事務所に勤めながら、兄に次いで十三にある北野高校の夜間部に通った。


【夫と知り合うが】

 高校を卒業後、大阪北浜にある証券会社に勤務。同じ会社の男性に見初められ結婚。結婚を機に専業主婦となった晶子さんは一男一女に恵まれ、子煩悩の夫とこの上ない幸せな家庭を築いた。


 夫の転勤で和歌山に移ってきた一家は、ここに来て壊れる。証券会社で損失を作ってしまった夫、通っていた喫茶店のママに相談したところ、お金を工面してくれたのだ。 

 

 ママの夫は住友金属で朝から晩まで真っ黒になって働いていた。それをいいことに、何も知らずに一生懸命働く夫のお金と、趣味と実益を兼ねた喫茶店の売り上げで、虚栄心を満たす日々の女。

 夫は、お金の面で晶子さんに心配をかけまいとしたことがあだとなり、妻を裏切ってしまったのだ。後でわかったことだが、ママの毒牙にかかった男はそれまでに7・8人はいたそうだ。


【自立をめざし】

 生来の生真面目な夫がママから逃れるすべもなく家に帰れなくなった。晶子さんは離婚を決意、自立することに決めた。

 在日本大韓民国民団事務所で30年間働き、女手ひとつで子どもを育て上げた。今は長男夫婦と孫に囲まれて暮らしている。


【現在の晶子さん】

 離婚した夫は、病気になったママと暮らしているようだ。

 「苦しみましたが、私にも非があったのだと思います」。

 「別れた夫が戻りたいと言える訳はないと思いますが、(私自身は)許してもいいと思えるようになりました。もし、そういう申し出があれば長男に相談してみます」。


【踊りを支えに】

  最近バイクに乗っていて細菌が身体に入り、九死に一生を得た晶子さん。今はすっかり回復し走り回っている。

 小さな時から踊ることが大好きで、新舞踊や民踊を教えるのがとても上手。一時ストップしていた講習もまた単発でやり始めている。

 幼いころから間近に見ていた母親の博愛―その因果応報を教えられた晶子さんもまた慈愛に満ちた人生を送っているようだ。


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by mako0491 | 2016-09-08 09:47 | アタマ記事

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    『どんぐりずもう』

      いしだえつ子作 

       飯野和好絵 

福音館書店こどものとも  2014年 420

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)3歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

ぐったりするような暑い夏が続いていましたが、ようやく秋の風を感じるようになりましたね。一足早く、秋を満喫しませんか。

<あらすじ>

秋の雑木林に落ち葉やどんぐりがどんどん降ってきました。

キリリとした顔つきのどんぐり達がずらりと並びました。どんぐり達の頭のてっぺんには「とんがりちょんまげ」、腰にはぐるりと「はらまわし」。並んだどんぐり達はどんぐり力士です。


これから、切り株を土俵にした「どんぐりの相撲大会」がはじまります。

まず登場したのは白ひげを伸ばした行司の「すだじい」。「すだじい」はもみじのほうきで土俵を掃き清めます。

観客のどんぐり達が土俵の周りに集まりました。さあ、力士たちが登場です。「かっぽかっぽとお腹を打って、のっしのっしと土俵入り」。


最初の勝負は細長の「こなら」とおしりの小さな「うばめがし」。

「やっ!」と飛び出す「うばめがし」。おでこをぶつけて押しますが、「こなら」は後へ引かず、粘ります。上手投げで勝負あり。

どんぐり達がかちり、こちりとぶつかる度に、秋の林は大賑わい。黄金色に光ります。


日暮れが早くなった秋の空。とっぷり暮れた夕暮れ時に大一番がやってきます。大一番は「まてばしい」と「くぬぎ」の対戦。「みあってみあってはっけよーい、のこった!」


長い足の「まてばしい」は力をみなぎらせ、踏み込みます。対して、重い体の「くぬぎ」はこらえます。が、じりりじりじりと土俵際。

最後は「やいっ、ごろり!」と、丸みを効かせて寄り倒し。行司も吹っ飛ぶ激しい戦いにこちらも力が入ります。

絵本いっぱいに広がる秋の色。秋はもうすぐです。

            (浦田 ひろみ)


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by mako0491 | 2016-09-08 08:31 | 絵本この一冊


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専門書編集・企画でピリオド

 

  今年,定年になります。 大学卒業後、数えて四つ目の職場で最後までお世話になることになりました。

 思えば若いころは,自分なりの青い正義感に燃え,まっすぐな私の思いが通じないなんて!と、勝手に憤慨していたことも多かったように思います。


 そのため上司とよくぶつかり、何度も頭を打ち、ようやく学んだのは、面白い仕事をさせてもらいたかったら、いつまでもピーピーとひよこみたいに鳴かず、早く大人になって、会社の戦力にならなくてはいけないということでありました。


 もちろんやりがいのある仕事でしたので頑張りました。専門書の企画・編集といえば机上での仕事と思われがちですが、そのほかにも当節話題のテーマで海外の研究者にインタビューしたり、学会シンポジウムの司会を仰せつかったりといったこともありました。


 企画相談では、その分野のトップの先生方とお会いすることも多く、当然ながら皆、ものすごく優秀(私はこれを「頭が強い(タフ)」だと言っています)なのですが、それだけではなく、「熱い心」をもって自分の使命と、するところに突き進んでおられることを感じました。

余談ながら、若い頃はただ若いというだけでかわいがっていただきました。


 あれは幻? 仕事でのいろんな試練に揉まれるうちに、私自身も、生来内気で人とお話しするのも得意ではないということを、今では誰にも信じてもらえないほど成長してしまいました。


 そのように活躍の場を与えてもらい、外部からの評価をいただいたことは、本当にありがたいことでした。 今はただなつかしいばかりの奮闘の日々です。

思い返せば本当に楽しかった。でも定年延長はせずに、ここで辞めます。次の人生を生きるために!

                                            (犬神 なおこ)


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by mako0491 | 2016-09-08 07:40 | ワクワクWоRK

戦後すぐ生まれの独り言


戦争の後遺症まざまざ
 昭和21年生まれ。戦後の空き地の草むらが、子供の遊び場だった。

遊び道具は、棒切れであり、風呂敷を持ち出したり、縄跳びも、空き地から調達したもの、夕方、薄暗くなるまで遊んでいた記憶がある。
  

弟が生まれたときの、乳母車は、父が、板切れを継ぎ合わせ、タイヤは古タイヤの、決してお洒落ではないが、結構重宝していた乳母車だった。
 石炭バス?があった、バスの後ろに煙突をつけた絵を書いた記憶がある。
 

 戦後まもなく、実父は、神戸から宮崎行きの船に乗ったところ、瀬戸内海にまだ残っていた魚雷で、沈没。死亡。

 

 戦争の後遺症は、もっと、もっとすべての家庭に、悲しいほどの傷を与えたままである。
 戦争で亡くなった多くの人達が、もし、いまでも生きていたならば、彼たちの、未来の大きな夢が、沢山花開いていたであろうと思うと戦争は絶対にしてはならない。
 

 中国山東省の元省長と会食を共にさせていただいたことがある。彼は、僕も抗日戦争では、日本をどうしてやっつけようかと、毎日考えていたという。

「戦争を引き起こした指導者は、絶対に許せないが、日本人も親兄弟を亡くし、家もなく、苦労してきた一般の国民は我々と同じ戦争の被害者なのだ。だから、絶対に戦争はしてはいけないことだ」と、挨拶された言葉が今でも耳に残る。世界が平和になりますように。
                    (市野 政子)


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by mako0491 | 2016-09-08 07:10 | 女の視点