わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

<   2016年 05月 ( 7 )   > この月の画像一覧

終活に励みたい日々

ポートレート撮って
 つい最近、お葬式用にと、写真館でポートレートを撮ってもらいました。
 
 40代の頃にも、写真を撮りました。大病を患って入院する前、今は無くなっている大阪・心斎橋のスタジオに行ったのでした。

 ばっちりヘアとメイクをしてもらい、ふわふわの布地を顔の周りにあてがわれ、まるで女優のような仕上がりです。
 
 無事退院し、うれしくて喜んで、「この写真をお葬式用にして!」と家族に頼んでいます。
 
 本人がいくら希望しても、あまりに濃い化粧のため本人と分からない、しかも若すぎるといって誰も本気になってくれません。
 
 ようやく妹が一応引き受けてくれましたが、息子たちが恥ずかしいと嫌がったまま、現在に至っています。

 何しろ本人がいないのですから、どうされても文句の言いようがありません。
 
 という訳でもないのですが、ギフトカタログに「写真館での撮影」の項目を見つけた折に、撮り直しを考えたのでした。
 
 まだ仕上がってはいませんが、何をそんなに嬉しがっているの?というような表情です。いつもヘラヘラしている自分らしくと思いました。
 
 今度の写真をお葬式の時に使ってもらえるかはまだ分かりません。私としてはあくまで最初の方がいいと拘っています。

 近ごろは、終活が盛んで、どんなお葬式にしてほしいといったものから、お墓や財産もろもろ先に決めておられるようです。
 
 私も遺言書を用意し、断捨離に努め、いつあちらに呼ばれてもいいように準備したいと思っています。

 まだ若いー周りも自分もそうは思っていますが、「備えあれば憂いなし」。実は私は中学生の頃から終活に励んでいます。とは言っても、サボってばかりの活動なんです――。
                                 (中村 聖代)
[PR]
by mako0491 | 2016-05-30 21:00 | 女の視点

『ええところ』

『ええところ』
くすのき しげのり作  ふるしょう ようこ 絵 

学研教育出版 2012年 1404円
http://tinyurl.com/h3va2vv
e0171960_20434740.jpg
対象年齢:年齢に応じて読むことができます。(読んでもらうには)5歳から
(自分で読むには)小学生から大人まで 

 新学期、疲れたこともこの絵本が癒やしてくれますよ。

<あらすじ>
 主人公は小学生のあいちゃん。最近、「私には『ええところ』なんか一つもないって」悩んでいます。
「背は低いし、力も弱い。走るのも遅いし、声も小さい。100点なんて一回もとったことない」

 お友達のともちゃんに思い切って「私のええところ教えて!」と言ってみた。でも、「えーっとなぁ」と長いこと考えて、明日までに考えてくる、と言って帰ってしまった。

 「やっぱり、ええところなんか一つもないんや」と思ったら、少し涙が出てきた。
 次の日、ともちゃんが手を取り、「手が温かいのがええとこや」と教えてくれた。様子に気づいたクラスのみんなも「ほんまや!」「一番温かい」と口々に言ってくれた。とても嬉しくなった。

 早速掃除の後、クラスのお友達の冷たくなった手を握って暖めてあげた。もちろん、ともちゃんにも。ありがとうの心を込めて。

 でも、みんなを暖めていた自分の手は反対に冷たくなっていた。あいちゃんは「ええところがなくなってしもた」と落ち込みます。

 でも、ともちゃんはさすがです。「もっとええところ見つけたよ。みんなの手を一生懸命暖めてくれる優しいのがあいちゃんの一番ええところやと思うわ」と伝えます。もちろんあいちゃんは温かい気持ちになります。

 もちろんあいちゃんは分かっています。「私のええところを一生懸命考えてくれて、見つけてくれるともちゃんが一番優しいんや」。

 あいちゃんは決めます。「私もともちゃんみたいに、他の子のええところ見つけてあげるねん。いっぱい言うてあげるねん」

 私達も心温かくなりますね♪
                      (浦田 ひろみ)
[PR]
by mako0491 | 2016-05-30 20:45 | 絵本この一冊

きのくに随想 第三話 

 和歌山城にも「大奥物語」が

 e0171960_2030915.jpg今年は徳川吉宗将軍 就任300年ということで和歌山でも様々なイベントが企画されているようです。

 近年の京都や奈良、彦根、近江八幡などの観光客の多さを見るにつけ、建造物や文書、美術工芸品はじめ数々の歴史遺産が戦災で焼失した影響は当和歌山市にとって取り返しのつかないものであったと思います。

 大阪や東京なども同じですが、かつての大繁栄を示す膨大な遺産が失われた損害を少しでも埋めるため、和歌山市としてはまずは「和歌山城」の観光価値を高めていくということは大切でしょう。お橋廊下の再建に続いてもとの城郭遺構、櫓や門、塀が少しでもよみがえってこそ大きな観光資源となっていくと思われます。

 過日、久しぶりに名古屋城を訪れ天守閣とともに空襲で焼失していた本丸御殿が復元再建され、その華やかさを目の当りにしてきました。国内、海外からの多くの観光客が列をなしており、我が和歌山城でも昔の城内の遺構再建を1つずつでも考えてゆくべきではないかと思いを新たにしました。

 中でもかつて江戸城と和歌山城にあったという「大奥」は現在の二の丸御殿跡にあり「表」は紀州藩の藩庁、「中奥」は藩主の執務や生活の場、「大奥」は藩主の正室や側室たちの部屋が並んでいました。大奥といえば江戸8代将軍吉宗の“美女50人リストラ”の話がありますが「美女なら解雇されても良縁が待っている」との質素倹約説が一般的です。ともかく和歌山市の計画の中でも「大奥」再建の話が出ていることは予算の面は別として前向きで明るい話題ではないかと思います。

 いずれにせよ、他府県でも観光客の誘致を巡って地域間競争が激化しています。和歌山市のシンボルとして、伏虎中学校跡地開発や岡公園整備、扇ノ芝復元を始め「お城」周辺を含む活性化を今後も期待したいものです。
       (A・N・D・O)
[PR]
by mako0491 | 2016-05-30 20:33 | TOPIXS

バブル狂騒の教訓は


問われる良識、難しい判断


e0171960_19492728.png

  30年ほど前、日本は東北大震災に匹敵するような社会的危機の大津波に見舞われました。「バブル経済の生成と崩壊」という大災害でした。その被害をもろに被った者は、それぞれの体験の中で多くの教訓を掘り起こしたでしょう。地方金融という世界に居た私もその一人です。それを語り継ぐのも役目だと思っています。(久山 稔)


・地上げ屋が暗躍
 バブル経済が膨らみ始めたころ、「地上げ」という言葉が金融界で常識語となっていました。この話はほぼ実話です。登場人物は数多く、殆どの人は深い傷を負った被害者です。 
 
 JR和歌山駅の少し南に手平という古い住宅地域がありました。昭和46年(1971 )に国体道路が紀三井寺まで貫通したおかげで、それから10年で道周辺の街の様相は一変しました。

 さらに大きな発展も期待されるなかで、不動産業や建築業界の注視の地域でした。寄棟長屋が密集する地域でもありました。地主である大家さんにとってみれば、急激に値上がりした土地価格を前に、昔からの安い家賃で住んでいる人たちには、できるだけ早く立ち退いてもらって、新しい事業者に高い価格で地上権を譲り渡したいとの思いが本音でしたでしょう。

 大家さんと借家人との関係は、古典落語でよく題材になる気脈の通じ合う間柄という事で、このことは簡単には処し切れませんでした。

 そこに「地上げ屋」という仕事人が目を付けたのです。借家人の立ち退きを可能な限り安価に実行する役割を彼らが引き受けたのです。長屋の一軒に空きができたら、すぐにそこに「仕事請負人」は養鶏場を作りました。両隣は、臭く喧しい限りです。鶏小屋の管理人は蟹股のお兄ちゃんでした。抗議も虚しく転居せざるを得なくなりました。1年も経たないうちに寄棟長屋の一角は、きれいな更地となりました。
 
 住民の立ち退きの完了が見えてきた頃、地域金融機関に、不動産会社から「支店の開設」を勧める話が持ち込まれました。その地域に支店進出を目論んでいた金融機関はそれに乗り、何とか他に先駆けて敷地を確保するようにと担当部署に指示がだされました。

・銀行が支店開設へ
 担当者は、社内の行け行けムードの中で、自分の役割を意気に感じて敷地取得に邁進しました。ある日、担当部長はその現場を見に行きました。殆どが更地になっている場所で、一軒だけ昔からの乾物屋が営業を続けていました。その長屋の両隣はすでに羊羹を切り取ったような形で取り壊され、更地になっていました。 

 乾物屋さんだけが家全体に大きなビニールシートを掛けられ、その中で営業を続けていました。更地にする工事のほこりまみれの中で頑張って来たようです。より高い立ち退き料を求めていたのか、長い乾物屋の生業を失うことで将来の見通しを失ってしまったのか、定かではありません。


・新聞が書きたてる
 その頃、マスコミは、「地上げ屋」の黒幕に地域金融機関が関係しているかのようなキャンペーンを張っていました。ことに時折しか発行しない業界新聞は、この時とばかり、有る訳もない記事を書き連ね、「意図」見え見えで金融機関に持ち込んだり、街で配布したりしました。

 もうすぐ更地になるはずの現場を見た担当部長は迷いました。このまま敷地確保に走ることが、自分のもつ良識に反する事ではないのかとの思いが強くなっていたのです。

 金融機関同士の競争が熾烈を極めている時、決断の役割のトップにある者には、「清濁併せ持つ度量が要るのだ」という周囲の声がよく響くものです。そのことで誰が犠牲になり、だれが得を採るのかなど、見えていても目を閉じて進むことになり勝ちです。不動産屋との交渉は止めることは出来ませんでした。半年後、その結果は他の金融機関に軍配が上がりました。

 地域経済はまだバブル経済の頂点めがけて駆け上っていました。手平の街の様相は日に日に変わっていました。まもなく訪れた崩壊の日を境に、いったい得をした人は誰なのか、犠牲となった人は誰なのか、まったくわからなくなりました。立場が逆転してしまった人も沢山出ました。

 このチャンスとばかり自分も踊りました。20年を経て見ますと、それぞれに「自分の信用を失った」という大きな損害だけが残りました。それを埋め合わすにはまた長い年月が要りましょう。
 
[PR]
by mako0491 | 2016-05-30 19:54 | アタマ記事

きのくに随想②

都会の若者を「農」で誘致
e0171960_12371562.png
 
 全国的に人口の減少が著しい、都市部から離れた過疎地や限界集落の土地は利用価値(交換価値)が薄れていく傾向にあると言われます。
 
 ただ、和歌山県の郡部にも都会の大学を卒業した若い夫婦で果樹、カーネーションなどの農業経営を行っている知人や、梅、みかん、柿などの家業から一歩進んで高級化や第六次産業化を目指している人達も多くいます。諸々の規制は多いながらも県内外の知恵を集めて近代農業(漁業、林業もやがて・・・)の先進化を目指して行くのは和歌山経済、社会の生きていくべき道の重要な柱だと思います。

 先日、東海地方で経済団体の全国セミナーがあり出席した時、広島の観光農園会長や宮崎の青果会社代表のお話を聞き、個人的にもいろいろご教示いただきました。その時、和歌山でも山間農村の過疎化が進み耕作放棄地や限界集落が深刻化しつつある問題をお聞きした時、これを“ビッグチャンス”と切り返され驚きました。

 両人とも全国でも代表的な農業法人の成功者で国の審議会、委員会などにも多く参画し大変評価されておられます。脱サラし、スタート時は規制、足かせのかたまりのような農業界や制度の逆風の中、虫喰い的に空いていく農地をまとめ、大規模化、法人化で農業を人工衛星で耕地管理するような近代企業へと大変身させた方です。

 若い人を都会から就職させるにも→農業は農閑期、繁盛期が極端で人を継続的に雇えない→あい間を埋める仕事を作らねば…→加工や販売の仕事にも進出(農業の第六次産業化)→加えて果樹などの体験型、観光農園化もはかる→若者の定住、技術の伝承サポート会社設立…。といった具合で都会から多くの若者を集めておられるようで一度和歌山に来てお話をしてほしいと思っております。
                      (A・N・D・O)
[PR]
by mako0491 | 2016-05-05 12:38 | TOPIXS
横浜で、和歌山関係者と言えませんでした
 
 名古屋圏で生まれ育った私。関西は土曜のお昼に見た「吉本新喜劇」のイメージ、でした。実際、和歌山で生活すると、あれはコテコテだなと思うこともありましたが、とても温かく付き合いを大切にする地域特性を肌で感じました。

 人生初インフルエンザになったら、栄養を摂らないとだめよと、家にビーフシチューを届けてくださったバイト先のお姉様がいたくらい。困ったとつぶやけば、それに長けた人を紹介してくれたり、お陰で困ることはなく、人生で人との出会いやかかわりが大切だと体得しました。

 その関西への恩とは裏腹に、横浜での生活が長くなると、転勤で関西からいらっしゃる方々に対して厳しくなる瞬間があります。

 子供が通うスイミングスクールの観覧席での出来事。どうやら二人組、関西からお引越しされたご様子。段ボールを取りに来てもらわないといけないけれど、あと5箱残っていて気が重いわ~と話されていました。

 その二人組、授業中ずーっと話していました。声も大きく、関西弁響き渡る、横浜のスイミングスクール観覧席。率直に、関西いえ関西弁にアレルギーをもたらすのではないかと。

 きっとお一人お一人とお話ししたら、とても温かい方なのでしょうが・・・あのー、もうちょっと声、ちいさくなりませんか?隣に座っていた私、言いそうでした。でも、言えなかった。

 その土地を離れて、気づくこと。関西弁には温かさを感じますが、集団になった関西弁、関西の女性のトークは力がありすぎるという事実。おひとりではなく、二人以上の力あるトークに、太刀打ちできそうにもない、私がそこにいたのでした。

 ああ、なんだか「和人」名乗れないなーー故郷を失ったような気がして、切ない春でした。
    (田中 麻衣子)
[PR]
by mako0491 | 2016-05-05 12:31 | 女の視点
ハンデイある人支援
マルチに事業を展開


 スマイルグループ代表の仲岡志津さんは、15.6年前から会社を設立し、和歌山市内で高齢者や障がい者のために多彩な事業を拡げている。今般は和歌山市内に留まらず、大阪や神戸にも新しい事業を立ち上げるべく準備している。志津さんの活動の中身をみてみよう。
 (中村 聖代)
e0171960_1216305.jpg
母たち向け勉強会
 今、志津さんが関わっているのは、女性たちの就労支援や啓蒙である。志津さん他、主婦から医師・司法書士になった女性たち、和歌山県で活躍する企業の代表者らが集まり、ボランティアグループを作った。この人たちが中心となって勉強会やセミナーを開き起業や就労を支援する。
 
 また待機児童を持つ母親や孫の面倒をみる祖母たち向けの勉強会(母勉)を大阪や神戸で開こうとしている。柔らかな頭の子どもたちに、自分で問題を見出し、結果を引き出す力をつける。保護者には「待つ」大切さ、子どもとの全面的な関わり方などのプログラムを準備し、東京と大阪では開校間近に迫っている。

義父の介護も経験
 紀の川市生まれの志津さんは教師を目指していたが、学生時代から起業し、勉学との両立をはかっていた。卒業後は、事業を継続しつつOLにもなった
 その後結婚して専業主婦になり3人の子どもに恵まれた。結婚5年後から、脳梗塞・糖尿病・若年性アルツハイマーに罹患した義父の介護を経験。義父の死後は母の介護をして看取る。その時子どもを持つ主婦の仕事として在宅介護が適していると考えるに至った。

助け合う長屋へ
 そして2001年(有)スマイル設立、訪問介護事業を手掛けた。その時、自力で生活が可能な老人が、介護施設に入居し、生活全般を人任せにする人が多いことに疑問を感じた。
 
 そこで「食事は提供しない。自分で出来ることは自分でし、お互い助け合うような長屋生活」をコンセプトに、高齢者・障がい者向け賃貸集合住宅の運営を始めることにした。
「厳しいかもしれませんが、日常生活をする動きが一番の自立・リハビリにつながるのです。上げ膳据え膳は老化・退化を進めます」。

ユニバーサルトラベル
 次に着目したのが旅行。すべての人が楽しめるユニバーサルトラベルを立ち上げた。
 高齢者・障がい者の旅行サポートは、旅行体験が世界を拡げ、「もう一度行ってみたい」と生きる希望・生きがいを持つようになる。
・結婚後、70年ぶりに故郷の仏壇に手を合わせられた90代の女性。
・20代に瀕死の重傷を負った青年が、6年後車いす生活まで回復し遠くの祖父母に会いに行けた―等のエピソードは多い。

介護食の販売会社
 志津さんのアイデアは続く。「擂り潰して形や風味のなくなった食べ物を何とかしたい」と全国を訪ね回り、2015年に直営店としての介護食販売会社を設立。擂り潰した食品をもういちど形にして、みんなと同じような食事ができるようにした。魚の皮に一つひとつ模様をプリントするまでの拘り様だ。ファミリーレストランや病院でも取り入れられる機会が増えている。
 
 こうして次々とアイデアを具現化している志津さんの活躍は今後も続いていくことだろう。
[PR]
by mako0491 | 2016-05-05 12:17 | アタマ記事