わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

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10月24日掲載

  和歌山市の包括センター、様々な相談
 
   介護予防など、専門職員三種が連携

 
 介護の悩みなど何でも相談できる「地域包括支援センター」という組織をご存じだろうか?和歌山県の各自治体には最低1カか所あり、和歌山市には8カ所ある。保健師または看護師・社会福祉士・主任介護支援専門員の三種の専門職員が高齢者の相談や介護予防のケアマネジメントを行うところで、各専門職が相互に連携をして様々な相談を受ける。困ったこと・わからないことがあれば相談してみてはどうだろうか。
                                  (中村 聖代)

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【健康、権利擁護など】
 まず地域包括支援センターの仕事について、担当者たちからの話をまとめた。
 高齢者が住み慣れた地域で、より暮らしやすく住めるように、主に次のような仕事をする。
・介護予防の為の助言、指導。 
・高齢者の権利擁護。 
・ケアマネジャーへの助言、指導。 
・要支援認定の方のケアプラン作成(介護予防ケアマネジメント)。
 
 スタッフには、経験のある看護師や保健師・社会福祉士・介護支援専門員(主任ケアマネージャー)の3専門員が必ずいる。
 
 彼らの業務は、『健康チェック』をはじめ、簡単な体力チェックを地域の高齢者にしてもらい、将来介護が必要になる恐れがある人を把握し、市が行う健康教室や地域の行事の情報を提供することで健康維持について高齢者自身が気がつくようにする。

 高齢者に対する悪質な訪問販売やリフォーム問題・高齢者虐待など、高齢者の生活や人権を守るための権利擁護の専門知識をもって行う。必要であれば市や警察と連携をとり対応する。

 介護保険認定の結果、要支援となった人のケアプランも行っているが、主任介護支援専門員は、後方支援として、ケアマネジャーに対して助言などを行い、関係機関への調整をする
他、広報活動も行う。

【困ったときは連絡】
 和歌山市では、住んでいる地域により、第1圏から第8圏の地域包括支援センターに分かれる。
 
 例えば第1圏の担当地区は、加太・西脇・木本・貴志となっている。第8圏は、市役所の東庁舎1階にあり、四箇郷・宮北・中之島・本町・城北・雄湊地区の住人がサービスを受けられる。

  困った時は、各担当の包括支援センターに連絡すれば、自宅まで来てもらえる。どこの包括支援センターかが分からない場合、市の介護保険課に聞いてみよう。

【秘密厳守で相談】
 本人からの相談はもちろんのこと、家族からの相談も受け付ける。 
時には民生委員や近隣の人からの相談もある。

 「引越してきたばかりで地域の活動を教えてほしい、新しい人と知り合いたい」とか、「家族の物忘れがひどく、認知症が心配だ」。「妻が突然いなくなってどうしたらよいのかわからない」等々、あらゆる困ったことを親身になって、秘密厳守で相談に応じてくれる。

【予防に重点の政策】
 2005年の介護保険法改正で定められた地域包括支援センターは、在宅介護支援センターの全国組織の報告書において、その原型を見ることができる。

 厚生労働省は増え続ける医療・介護・福祉などの費用を抑えるため、自己負担の割合を増やしたり、医療や福祉から介護部分を切り離して介護保険制度を創設するなどの対応をとってきた。が、高齢化が進むにつれ限界を知り、予防に軸足をおいた政策に転換したといえる。

 予防政策が効果を表すにはまだまだ時間がかかるので、要介護状態になる前の要支援、要支援になる前のハイリスクグループを継続的にマネジメントする必要がある。そのため地域包括支援センターと介護予防支援事業所の一体的運営がされるよう法律上の組み立てがされている。

【自立した生活を】
 何でも相談に乗ってくれるとは言っても、元気で住み慣れた地域で生活していくためには、他力本願ではダメなのは言うまでもない。
 
 あくまで自立して生活できるよう支援するのが、このセンターの目的である。正しく理解し、主体的に利用していきたいものだ。
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by mako0491 | 2014-10-23 16:45 | アタマ記事

宮津の「湯らゆら温泉」


10・24日掲載

   北近畿タンゴ鉄道に興趣

   湯らゆら温泉から天橋立、琴引浜も

 俳句に温泉に旅気分を味わおうと、句会仲間と京都府宮津市にある「湯らゆら温泉」へ。
 この温泉は「近年、宮津市内に湧出した温泉の一つで由良浜海岸からすぐ近くの地区にある」と紹介されている。
 
 北近畿タンゴ鉄道でのローカル路線の旅。カーブした鉄路も無人駅から乗るというのも旅心を誘う。 プラットホームにでると涼風が吹きわたり、夏草をゆらしている。由良川からの絶景は来てよかったと満足させるものであった。
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 清潔感あふれる温泉に入り、外に目を移すと丹後の海が夕日に染まりゴールドに輝やいていた。

 一緒に湯にいる女性にどちらからと問えば、「富山県から、明日は天橋立に」と言う。私たちグループは棚田を見て、「鳴き砂」で知られる琴引浜に行くこと、もちろん天橋立にもと言ったら、「ゆっくり一か所を見たほうがええっちゃ」と言われた。

 伊根の舟屋も行くと言ったら「そこはいってみたかったっちゃ」と。今まで行ったところの情報交換をしたら、「ぜひ黒部立山にいらして」とPRして湯から上がっていった。郷土愛にあふれるご婦人だった。

 棚田では爽やかな風に、琴引浜では子供の様に砂遊びしていたら、くらくらしてきたが、ずっとここで遊んでいたいとダダをこねたくなるほど感動した。

 「たまにバスや列車の旅もいいね」なんて言ってるうちに、バスの快い振動が子守歌に聞こえてきた。
 
  「一握の砂は思ひ出灼熱る浜」 炎弥子

                                    (岡本 炎弥子)













   














  







 
 
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by mako0491 | 2014-10-23 16:04 | 温泉巡り
10.24日掲載

 「個としての家庭」築いて

 「お付き合いしている人がいます。結婚したいと思っています」と、東京に住む長男から連絡があった。

 いよいよ姑と呼ばれるのかぁ~。大切に育てた息子である。不出来な子ではあるが、親としては自慢の息子である。ドラマのようにお嫁さんに嫉妬するのだろうか。
 
 友人・知人は皆口をそろえて「あなたのところのお嫁さんは大変だわ。」と。つまり私が口うるさいということか。

 ずっと言われてきたから、何が何でもいい姑になろうと密かに心にきめていた。しかし、結婚するとなると寂しさで嫌味も出てしまうものだろうか。自身の感情を確認してみる。

 息子と一緒になってくれることに、息子を選んでくれた有難さと感謝の気持ちだけである。育った環境も経験も違う二つの命が一緒になる。力を合わせて人生の船をこぎ出そうとしている。そう考えるととても尊く感じられ、見守りたいし、応援したい。

 さて、永遠のテーマといわれた嫁姑戦争。ちょっと江戸時代の風習を見てみた。結婚前の女子の躾書『女重宝記』に、「女は父母の家を家とせず、夫の家をわがすみかとするゆへに、夫の家に帰るといふ義にて帰(とつぐ)ともいふなり・・・よめいりの女中は舅・姑に孝行をつくし夫をうやまひ下下のものをあわれみて、かへらぬやうにたしなみ給ふべし」

 結婚するのは夫となる人とではなく夫の家とだったのだ。その意識は永く続き、今も多少残っているのかもしれないが、次代を担う二人には個としての家庭を第一に、大切に築いてもらいたいと思う。

       (玉置 ひとみ)
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by mako0491 | 2014-10-23 15:27 | 女の視点

10・24日掲載
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ぶらぶらどうぶつえん』
井上洋介

小峰書店 1512円 2012年
http://tinyurl.com/oa73d9o
対象年齢:年齢に応じて読むことができます。(読んでもらうには)3歳から
(自分で読むには)4歳から大人まで 

 外出するほどの元気はないけれど、家でごろ寝では物足りない!という時ってありますよね。そんな時、気楽な絵本を眺めて元気をもらうのもいいですよ♪

<あらすじ>
 機嫌や体調が様々と変化するように、同じ絵本でも気分に応じて感じ方も変化します。さらに、絵本の種類も様々。わくわく感を体感する絵本もあれば、暖かく包んでくれるような癒しの絵本。さらに、熱く主張するものや、皮肉たっぷりのスパイスもの、薄味でさっぱりしたもの等々。

 今回は少しお疲れ気味ということで、気分転換に動物園をぶらぶらとお散歩してみましょう。
 「これぞ動物園!」という動物は元気になってから行くとして、目当ての動物を決めず、当てもなく歩きました。

 最初に出会ったのは「しまうま」です。親子でしょうか。大きなシマウマと小さなシマウマが片足をあげて向かい合っています。しまの模様でも見ましょうか。なんて綺麗なんでしょう。しまのシャツが少し着てみたくなりました。

 次に出会ったのは「さい」です。鉄の洋服、鉄の角を付けていてすごい存在感です。力持ちだけど、散歩するのも大変そうですね。

 日差しもそんなに強くもなく、まだまだぶらぶら歩けそうです。「ふくろう」「ごりら」と歩きました。ごりらは静かに赤とんぼを見ています。そのごりらを見ながら私たちもボーと、考えます。

 黙って立っている「ばっふぁろー」、シャボン玉のような水を鼻から出す「かば」、雨の中の「さるやま」、ただただ一人で寝る「かめ」。体調に応じて素通りするのもよし、本当に動物園に出かけるのもよし。まずは絵本でぶらぶらしてみませんか?

                                   (浦田 ひろみ)
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by mako0491 | 2014-10-23 14:52 | 絵本この一冊

車いすの元気配達人

10月10日掲載
 命の大切さ伝える

 若者との交流惜しまず

 
 御坊市で平成15年から男女共同参画推進グループ「ウイズ・ア・スマイル」の会長をしてきた柳岡克子(やなおか・よしこ)さん。男の料理教室や介護教室の開催、女性の視点から避難所運営を考えた訓練などを企画。この春11年間務めた会長を、子育て世代にバトンタッチした。また、御坊市の「身体障害者福祉協会」の会長を、この春までの10年間務めてきた。日高新報・紀州新聞に毎月エッセーも執筆している。数多くの資格を持ち、幅広く活動する彼女を紹介する。
                      (中村 聖代)
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【薬学部卒のリケジョ】
 柳岡さんは大学で薬学を専攻。薬剤師としてドラッグストアに勤めていた時、スポーツファーマシストという資格を取った。そのこともあって現在もドーピング予防の講座を開催している。

 介護支援専門員でもあり、市の介護保険事業計画策定委員や認知症サポーター養成講座の講師をするかたわら、今年社会福祉士にも合格した。

 また、昨年、県企業振興課が募集したわかやま塾1期生を修了し、その有志で「わかやま塾ネクスト」の立ち上げに協力した世話役のひとりでもある。

【障がいを感じさせない明るさ】
 そんな柳岡さんは、車いすを使っている重度の障がい者である。自身で車を運転して取材に応じてくれた。
「自分でも障がい者だということを忘れています」とあっけらかんと話す。

 生まれつき手足に障がいがあったが、母親の送り迎えで健常児と一緒に普通の幼稚園小中学校に通い、日高高校を卒業した。

 「できることは何でもさせる・前向きに考える母親の育て方が今の私を作っています」。
大学は、親元を離れ神戸学院大学に進んだ。

【卓球との出会いとその後】
 卓球を始めたのは28歳の時。持ち前の頑張りで、身体がい害者スポーツ大会広島大会では金メダルを受賞。パラリンピックをめざしアメリカや台湾・ベルギーで好成績を残した。だが、シドニーパラリンピック直前に大病を患い、引退を余儀なくされる。柳岡さん33歳の時だった。

 それから10年近く入退院を繰り返し、5年前に緊急手術。
 「ドクターヘリで御坊市の病院から和医大へ運ばれ、命を助けてもらった経験から、多くの人の役に立ちたいと思うようになりました」。

 柳岡さんは、自宅で長く「総合学習センター柳岡塾」を開き、非行や不登校の子どもに体当たりで指導してきた。また、キャリアカウンセラー(CDA)や理科教諭の資格を持ち、あちこちの中学・高校学校に出向きワークショップを開いてきた。

 そうした経験が評価を受け、今年10月からは慶風高校(田原サヨ子校長)の非常勤講師として就任することになった。「小さい頃からの夢が実現しました」と、柳岡さん。

【全国で講演活動】
 「自転車に乗れないことが悔しくて、中学生の頃自殺を考えたこともあります」。
「こんな身体でも頑張っている人がいること、命の大切さを知ってもらいたい」と、「車いすの元気配達人」として全国講演活動をする。

 彼女の話を聞くと、当たり前だと思っていることや、日常における小さな幸せがとても大切なことに気づかされ、またがんばろうという気持ちになる。一人でも多くの人に彼女の話を聞いてほしいと願う。

http://cocotiyoshiko.mikosi.com/
問合わせ先090-8219-0198
オフィス花まるライフ
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by mako0491 | 2014-10-12 23:48 | アタマ記事

ある講演聞いて考えた

10.10掲載

 選択は自分の意志で

 母が薬を止めて約半年になる。薬は一時的に痛みを和らげるが、病気を治すものではない。健康に生きたい意志を弱めてしまうものだと、母から学んだ。

 過日、母と勉強会に参加した。講師は、東京に本社がある(株)「ナチュラル・ハーモニー」代表の河名秀郎氏。「大自然に学ぶ~医者にもクスリにも頼らない生き方~」という題目だった。 

 河名氏は18歳から38年間、クスリを使わない生活を送ってきたそうだ。今は妻や子供も同様の生活。子供を病院へ連れて行ったことも予防接種させたこともない。これは非常識なのか?

 そもそもどうして人は調子が悪くなると薬を飲むのか。河名氏は自然栽培(無農薬無肥料で作物を育てること)から人間が健やかに生きるヒントが学べると言った。

 例えば、作物にとって重要な土。作物が育たない土の3要素は、①かたい土②冷たい土③水はけ、水もちが悪い土である。これを人間の体に例えると①筋肉が硬い体②体温が低い体③発汗、排尿、排便がしづらい体と置き換えられる。

 なるほど、不健康な体である。作物の場合、状態が良くない土で育てるには肥料や農薬を必要とし、人間の場合、調子を崩し、サプリメントや薬で効果を求めたりする。とても単純だ。

 さて私の母の現状はーー。朝、目が覚めると、身体をゆっくり伸ばし、足のツボ押しをする。深く呼吸しながら、これらを一時間以上かけて入念に行うことを日課としている。

 日中、時間を見つけてはヨガや散歩を楽しむ。また、体温の低さを感じると、白湯を飲み、干した生姜を噛んで体を内から温めてみる。

 これらは、母が無理なくしていることであり、体も素直に反応する。今でも頭が痛くなることはあるが、一度越えた峠を後戻りすることはない。新たな景色を見ようと日々前進しているようだ。

 この日、100名以上の受講者が河名氏の話を聞いていた。女性の割合が多かった。1人1人受け止め方は異なるだろう。非常識だと思うのも一つ、自分の生活を変えるきっかけにするのも一つ、自分だけでなく家族や友人に繋げるのも一つ。選択は自由。結局、最後は自分の意志である。
                                        (竹内 あずさ)
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by mako0491 | 2014-10-12 23:34 | 女の視点
10・10掲載

『ヘンテコリンおじさん』
みやにしたつや 

講談社 2013年 1274円
http://tinyurl.com/koctcpw

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。
(読んでもらうには)3歳から
(自分で読むには)4歳から大人まで 
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 失われつつある「大切なこと」や「正しいこと」、「ステキなこと」を何とかしたいと、作られた絵本です。それなのに、ユニークで夢一杯。主人公のおじさんに会いにいきたくなりますよ。
  
  <あらすじ>
 舞台は恐竜やマンモスがいた大昔。あるところに眉毛のつながったヘンテコリンなおじさんがいました。

 ヘンテコリンのおじさんはプテラノドンに乗り、ヘンテコリンなことを言ったり、したりしていました。おじさんがしていた「ヘンテコリンなこと」ってどんなことでしょう。

 ある夜、おじさんはプテラノドンに食べ物や水を積んでいました。みんなが行き先を尋ねると、おじさんはニコニコして言うのです。「きらきら輝くお月様まで」。みんなはバカにして笑います。けれど、孫の孫の孫の孫のその孫は月に行きました。

 みんなは速い方がいいし、かっこいいと思っています。だから「速く、速く」とせかす。でも、おじさんはフラフラのプテラノドンに乗っている。もちろん空を飛ぶのは遅い。さらに「ゆっくりのんびりいこう」って言う。「急いで事故にあったら大変。ステキな景色をゆっくり見ないなんてもったいないだろ」って。

 おじさんは決してあきらめない。マンモスにやりを投げる時も、数本届かなくても「うりゃー!おりゃー!わおー!」すごい顔して投げ続ける。

 他にも表情が豊かなおじさんの行動が明らかになって・・・
    
    * * *
 お風呂に入って幸せを感じるおじさんを見ているだけでもすがすがしい気分になります。「こんなおじさんが増えるといいな」という作者の願い、叶うといいなと思いました。
                                      (浦田 ひろみ)
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by mako0491 | 2014-10-12 22:04 | 絵本この一冊
10.10掲載

2つとも秀吉に関係深い悲劇


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 お城歴史紀行は、ドラマチックで、どこでも人々を引き寄せます。近場でも比較的地味ですが、それぞれ物語を持つ古城(跡)巡りも味わいがあります。 二つの城は豊臣秀吉に関係のあるストーリーが興味を引きます。 

 まず和歌山市内。秀吉の日本三大水攻めのひとつに数えられる太田城。戦国時代に和歌山市太田に存在した城。でも残念ながら今は城を偲ばせる跡として存在しません。

 JR和歌山駅から東へ約600m、徒歩で約8分の所にある来迎寺(らいこうじ=太田2丁目)が太田城の本丸跡と伝えられる場所です。境内には「太田城址碑」があります。

 説明板によると、城の範囲は現在の来迎寺を中心に東西250m、南北200mで、周囲に深い堀をめぐらし、東に大門を持っていたそうです。

 秀吉軍に抵抗したのは、太田左近宗正を大将とする太田党と、根来、雑賀衆からなる総勢5千人規模の勢力。秀吉軍はこれを10倍以上の軍勢で取り巻き、高さ7m、総延長7.2kmに及ぶ巨大な堤防を建設、ここに紀の川の水を引き込んで水攻めにし、落城させたと伝えられています。

 2つ目は京阪電車淀駅から歩いてすぐの淀城。今は淀城跡公園として整備されています。天性の美貌で秀吉の寵愛を一身に受け、秀吉亡き後は多くの武将と浮名を流し、自らの矜持のために滅んだ美女――というイメージの淀君のせいでしょうか、訪れる人も多いようです。

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 しかし、実際の淀君が居城した淀城は、この位置から北方約500mの納所(のうそ)という地名の所にあったそうです。

 資料によると、幕末、旧幕府軍は鳥羽・伏見の戦いに敗北して淀城に籠もろうとするが、淀藩に拒絶された。「淀城は大坂城などとともに西国に睨みを利かすために築城されたが、皮肉にも官軍の勝利に一役買うことになった・・・」と書かれています。

 この城の大きな特徴として、淀城の西と北側に直径約16mの大型水車が2基あって、淀川から二の丸の居間や西の丸の園池に水を取り入れるのに使われ、「淀の川瀬の水車、だれを待つやらくるくると」と歌われたそうです。  

 今でもこの水車をかたどったミニ模型がお堀にあります。水車、櫓の復元計画も着々と進んでいると聞いています。淀君その人がいたというのであれば、もっと人気が出ているのでしょうが。

                          (水上 真琴)
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by mako0491 | 2014-10-12 21:46 | お勧めスポット