わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

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12.23掲載
湯けむり私情
写真付き
雲取温泉

正月の1日に子雲取古道周辺に、植樹をしにいかないかと誘われたのは、まだ世界遺産になる前のことだった。熊野古道を少しでも、体験できると思い、いそいそとでかけた。
今回は、中辺路ルートを行く。
左、近露王子の標識を目印にR331にはいる。このルートは今、熊野ロマン街道と名づけられ、熊野大社、
本宮大社に行く主要道路となっている。
富田川を渡り途中の高原(たかはら)という集落に立ち寄り、古道そのままに残っている石畳を、屋号の掲げられた庇(ひさし)の低い家並みを見学しつつ、古の旅人の気分を味わいながら歩いてみる。この集落は今、「霧の里」として町つくりをはじめている。
いよいよ植樹する目的地に到着。杉木立と石畳の道を登っていくと、杉の枯れ枝が狭いみちに積み重なり、両脇の岩肌には、ビロードのような苔が張り付き、深紅の実をつけた草花が其処だけ明るく感じた。
突然開けた場所に。冬枯れの原っぱ周辺は優しい冬の太陽にくるまれ、ホッこりと温かかった。ここに桜を植樹する。何年後かに訪れた時、桜は咲いているだろうか。
太陽が出ているとはいえ、北風にさらされた身体の芯は冷たい。こんな時の温泉は身も心もうれしい。今日の温泉は雲取(くもとり)温泉=写真。近代的な大きな温泉では無いが庶民的な清潔感に溢れた温泉であった。
緑に包まれた「高田グリーンランド」(新宮市)内にあり、南紀では珍しい淡い乳白色の湯がたたえられた露天風呂に、周囲の杉林の景観美を愛でながら入浴できる。湯はアルカリ性なので肌がつるつるし、内湯には薬草風呂もある。成分にゲルマニウムを含む温泉。バス利用だと、JR新宮駅から熊野交通バス高田行きで30分で行ける。
近隣の人たちに人気があるようで、グループのおばあちゃんたちの中には、背中を洗い合う人、近況報告する人など、眺めたり聞いたりするのも楽しい。
県外の人もいて、皆会話のなかにはいり、楽しい笑いが浴場の中にひびいている。あちこちの方言が聞けるのもこういう温泉ならではと、聞き入っていると、「仲間にどうや」と誘ってくれたりする。会話がはずんで、慌てて帰り支度していると、「気いつけや」と、手をふってくれた優しさに大満足した温泉であった。
(岡本 炎祢子)


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by mako0491 | 2012-01-06 16:12 | 温泉巡り

和歌山の味、今も蘇る

12・23日掲載

女の視点・論点

和歌山の味の記憶色あせず




 寒い時期になると思いだすのが、和歌山ラーメン。おいしい!と聞くと、深夜、アルバイト終わりに先輩達と「今日はここ」「次はあっち」と出かけていました。 

 今から考えると、深夜にラーメン。恐ろしいカロリー。全く胃にもたれず食べていたことも信じられません。三十路を過ぎて、カロリーも怖いですが胃の調子も気になります。
 先日、昼食は九州の有名店で横浜に支店があるお店のラーメン♪と勇んで行ったところ、帰宅する頃にはすっかり胃がもたれていました。ああ、もう和歌山にいたころとは違う…と和歌山にいた頃が懐かしくなります。

 そして、おいしいお鍋。アルバイト先で出会った和人(わじん=生まれも育ちも和歌山、和歌山にいる人を指す)が和歌山大好きというよそもんに「どこがいいん?」といい、「和歌山なんて何にもあれへんで」と言っているのに、教えてくれたおいしいものなのです。
 彼女のお母さん、とってもお料理上手。彼女もイマドキの子っぽい見た目とは裏腹に、とてもお料理が上手でした。

 まずは、生姜たっぷりの鶏だんご鍋、ラーメンスープに野菜をたっぷり入れて締めはラーメンのお鍋。そして生まれて初めて食べたサバフグのお鍋。ポン酢に大根おろしでさっぱりいただくことも和歌山で知りました。
それまでは、水炊きよりも寄せ鍋のように味のついたお鍋しか食べたことがなかった私。和歌山で、おいしいものをたくさん教えてもらいました。

 近頃は、スーパーで「和歌山ラーメン」の文字を見かけることもあります。思わず手が伸びますが、かごに入れることはありません。やっぱり、和歌山で食べないと…そう思うから。
いつまでも思い出の中の和歌山も味の記憶も色褪せません。I LOVE 和歌山♥
                                                 (田中 麻衣子)
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by mako0491 | 2012-01-06 15:59 | 女の視点


  加子母アトリエ村に住む作曲家、原 優美さん



以前、この紙面で紹介した岡畑和美さん主宰の「緑風舎」(和歌山市野崎)は、和歌山の様々な文化活動の場のひとつとなっている。昨年のよき日、そこで「偲ぶ会」が催された。幼くして急逝した子(孫)のために、自身や身近な人の慰めとなる、しっとりとした中にも趣深い会だった。そこに作曲家原優美さんは、たくさんの自作曲を携えてきた。岐阜県の山村芸術村に住み、活動を続ける原さんを紹介しよう。
                                                           (中村 聖代)

【長くピアノの先生】
山村芸術工房、加子母(かしも)アトリエ村(別枠参照)に来る前は、名古屋芸術大学の講師などのピアノ活動をしていた原優美さん。愛知県一宮市出身で、東京の桐朋学園大学音楽部を卒業後、フランスに3年間留学。それから名古屋に12年間暮らしていた生粋の都会っ子だ。
音楽活動をする中に、舞台に曲をつける仕事もあった。即興的に動くパントマイムに合わせた演奏は作曲の訓練となり、やがて舞台音楽を始めとする作曲家として独立を果たすことになる。

  【指圧の先生に出会って】
あるとき指圧をしてもらった。その先生が、「あんたの音楽は、音楽じゃない」と言われ愕然となった。最初は意味がわからなかった。
が、今まで「私は、ピアノを弾く人」「あなたは、それを聴く人」、その上、我が強かったため、「聴きなさい」という姿勢だったと気づいた。 
それからは、弾く人、聴く人、ピンポンをするように感じていることを返し合う、溶け合う空間をめざした。

 e0171960_1245382.jpg 【芸術工房に来て】
新聞で知った友達が「あんた田舎に住みたいって言ってたね」と教えてくれた加子母アトリエ村。「作曲をするには町に居てはもう出来ないと思っていた時だった」。
無料でアトリエ付き住宅に住める―関心は高く、全国から多数の応募があり、原さんは2期の2人のうちのひとりに選考される。
平成12年4月に入居。近所の人から「まあ自然とともに生きるんだな」という言葉をもらった。厳しい自然と一体となった生活だが、「私が一番ほしかった勇気をここで手に入れた」と、原さんはあるホームページで言っている。

【自宅をコンサート会場に】
 「家が生きている」と実感することがある、と原さん。見えない風が吹いているとも。
ある日、知人から「自然の中のここ(自宅)でコンサートをすればいいのに」と言われ気付いた。音のアトリエ「しゃら」の誕生だ。CDを3枚出せたのも友人たちが、自発的に動いてくれたから。原さんのひととなりで、周りが支えてくれるのだ。
「しゃら」は、口コミで拡がり、現在も続いている。「次はいつにしましょうか?」のノリだ。

 【地域のひとたちとの交流】
 加子母村入居の条件は2つ。芸術活動をすることと村の行事には必ず参加すること。その後、住宅は村に払い下げる形で、約束の5年経過後も賃料無料を継続している。
原さんは、地区の婦人会長も経験した。地域コミュニティー誌「かしも通信」の代表でもある。
村歌舞伎、コンサート、祭り、あらゆる行事が芸術家たちの支援でより楽しめ、豊かなものになっていると、村人たちは考え、芸術家たちは、「村の人と自然が創作活動を支えてくれている」と感じている。
村歌舞伎のために絵を描き、村のために曲を作る。工房だけでなくⅠターン者ら定住者が多い加子母。自然が人を、人が人を呼ぶ魅力的な地域となっている。


 山村芸術工房
 加子母アトリエ村
  (岐阜県中津川市)

 旧加子母村は岐阜県東部にあり、94%が森林で東濃ヒノキの産地として知られる。しかし人口減少、高齢化は他の山村と変わらず、村の活性化が課題となっていた。
 平成9年、中山間地域の文化・産業興しを目的に若い芸術家のためのアトリエ付き住宅が建設される。ヒノキ、スギなどの地元の間伐材を活用した建物2棟、平成11年にさらに2棟建設。最終的に10棟程度の芸術村を目指したが、現在中断している。
 加子母村は平成17年2月、中津川市を含む8市町村が合併し、中津川市になった。
                                            (「山村再生」HPより抜粋・編集)
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by mako0491 | 2012-01-06 12:06 | アタマ記事