わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

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大阪市浪速区恵美須町にある商店街、通称「ジャンジャン横丁」、「ジャンジャン町」。「ジャン横」と略されます。(和歌山市島崎町3丁目にもじゃんじゃん横丁がありますが、大阪が手本です)。正式には「南陽通商店街」ですが、ほとんどの人は正式名を知りません。
もともと通天閣のあるこの界隈は「新世界」と呼ばれた歓楽街と飛田遊廓とを結ぶ道筋で、戦後間もなくの頃は、この道沿いには飲み屋や射的の店が立ち並び、遊廓へ行く客にジャンジャン(三味線)ドンドン(太鼓)てんてん(小鼓)鳴り物入りで、呼び込みをやっていたそうで、この三味線の擬音「ジャンジャン」が通称の由来です。
未完となった林芙美子の代表作のひとつ「めし」では、浪花っ子の庶民情緒を克明に描き、人々の目を新世界に向けさせ、当時のジャンジャン町を情景豊かに描いています。
アーケードとネオンは、「ジャンジャン町」。各店の上にある統一看板には、「ジャンジャン横丁」と書かれています。じゃんじゃん横丁若手の会のブログではこう言っています。『どっちやでも、えぇこと悩まんが、よろしいで! まぁ食べなはれ』と。
 「新・世界の中心で愛を叫ぶ!」と書かれたハート型の誓いの鍵取り付け設備が商店街の中央に設置されています(現在3台)。LEDの電源は、太陽光・風力発電とのこと。鍵の総数は1000個を上回り、若いカップルが数多く訪れています。 
 元祖「ソース2度付け禁止」の串かつ屋をはじめ寿司屋、お好み焼き屋、もつ鍋屋などが多いのも、さすが食い倒れの町大阪です。
旧通天閣は1912年に完成しました。第1次大戦後の好景気で近辺は大いに賑わいました。飛田遊郭も昭和初期には200軒を越える妓楼が軒を連ねていたようです。戦災でほとんどの店は消失しましたが、再び赤線としてよみがえり、1958年の売春防止法以後は料亭に転じたことで、現在もなお、伝統的雰囲気を色濃く残す街並みとその営みが保たれています。
 中に「鯛よし百番」というお店があります。大正初期に遊郭として生まれ、戦後は内部が大改装されて、持ち主も替わり、現在では(本物の)料亭として営業されています。2000年2月に登録文化財になっています。

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by mako0491 | 2010-05-13 20:51 | お勧めスポット