わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

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 ある日、恩師の一人からメールが届く。「熊野古道を歩きたいから2、3日で名古屋方面から入るコースを提案して」
私が学生時代から観光を地域政策の視点から研究していると知る彼は、当然の如く聞いてきたのでしょう。
 しかし、熊野古道を歩いた事は一度で、コースを選択して伝えられるほどではない私。最後は大学時代、クラブの合宿地でお世話になった熊野川町・小口自然の家での滞在経験が幸いして、和歌山県生まれで観光を勉強中の院生としてのプライドは守ったのです。

 ところで、この恩師は、趣味のレベルを超える屋久島トレッカーです。屋久島は日本のエコツーリズムのパイオニアといえる自然体験型観光のメッカ。
 私は観光振興について、ある種の理想論を持っています。「住む人、訪れる人が自然環境の恩恵を受けるだけでなく、自然環境の保全に参加できるシステム構築ができれば、持続可能な観光の実現は可能なはず」と。

 和歌山も自然・文化体験型観光のメッカになりそうな地域ですが、自然環境を維持・保全していくために何が必要でしょうか。地元に足を付けた自然・文化体験型観光の条件として、具体的に2つあると考えます。   第一に、地域における自然や文化の解説員は、地域住民を中心に育成し、観光目的の質を高め続けること。第二に観光地までの道路整備は、今ある道を地域の余剰資材(間伐材など)を活用して整備すること。
この二つに共通するのは、地元中心に自然環境・文化の保全サイクルを作り出す点です。

 和歌山の女性、私にとっては母と祖母ですが、昔から何でも大切に使い、再利用を上手にできる人達です。その気風は、和歌山の観光にとっても財産です。その財産に若者が中心になって、新鮮な改良を加え続けていくことで、細くても長い、サバイバビリティでサスティナビリティな地域・観光を築いていくことにつながるのではないでしょうか。
 ここ鹿児島で、2歳と生後2カ月の二人の男の子を育てる傍ら、「持続可能な観光と地域政策」について、再び大学院で勉強しつつ、故郷・和歌山を思う私です。

 大田 理郁  
(経済学部修士課程卒業)
  09・3・6
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by mako0491 | 2009-02-28 15:20 | 新風・ワダイビト

田川寿美の「女人高野」


 和歌山市・築地通の真田掘りに面した小さなスナックーー。彼との関係がうまくいかず、落ち込んでいた時、初めて聴いた「女人高野」の魔力に捕われました。歌うのは田川寿美。作家の五木寛之が作詞したことでも話題に(写真はシングル盤、作曲は幸耕平、2002年発売)。
田川は、和歌山市出身。中学校卒業と同時に上京。92年に「女…ひとり旅」でデビュー。紅白歌合戦には計4回出場している実力派。

 「女人高野」は演歌の歌詞をちょっと逸脱し、メロディーは流麗で、スット心にしみこんできました。
「ひとりで行かせて この奥山は 女人高野と申します 愛も明日も諦めて 涙納めにまいります」
奈良の山深い地にあった室生寺は、真言密教の根本道場である高野山が、厳しく女人禁制を守ったのに対して、女性にも開かれていたため「女人高野」として知られるように。 
歌は途中、童謡調に。
「とうりゃんせ とうりゃんせ ここはどこの細道じゃ 若い命を 惜しむよに 花が散ります はらはらと」、この転調がまたよい。

 彼女の衣装も、着物とドレスが合体した斬新さで、エレキギターをかき鳴らし歌うという、寿美流ニュー演歌の誕生だったのです。
「夢も未練もふり捨てて 命洗いにまいります」、後半のフレーズを聴くと、もう室生寺にお参りした後の、スカッとした気分になっていました。

 ただ最近は阿久悠作詞、堀内孝雄作曲の「花になれ」(04年)がヒットしたぐらいで、新しさ追求もなく、やや精彩を欠いているように思われます。
クロスオーバー的な冒険、例えばタンゴ風な軽快なリズムを取り入れた、あっと言わせる新曲を出してくれないか。まだ30代はじめの若さだけに、もう一段の脱皮を願うのは私だけではないと思います。
                                   (須藤 宥子)
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by mako0491 | 2009-02-28 15:09 | 音の魅力・魔力
天才モーツアルト君

 この世になぜモーツアルトの音楽というのが存在するのだろう。北はドイツ、西はスイスに囲まれた真珠のような街、オーストリアのザルツブルグに生を受け、 1756年から35年間、この世に滞在した。

 私は自問する。君を見たこともないのに、どうして私の心が分かるの、誰にも言ってないのに。だめじゃないか、そんな風に転調したら泣いてしまうじゃないか、天からホルンが降ってくるなんて。モーツアルトは人間の本質を知っていたのだ、きっと。神が在るんだと思わせる交響曲、ハ長調「41番」「ジュピター」。
 昔、愛しい人と語り合ったような芳しいピアノ協奏曲、変ロ長調「第15番」。変ホ長調「第22番」3楽章のアレグロ(速い)の中に突然アンダンテ・ カンタービレ(ゆっくり歌うように)が出てくると、もうなんにも言うことはないと思う。幸せと、深い沈黙がある。

 夜の薄闇のなかで、木蓮の白い花が咲いている静寂の内に、モーツアルトが一人現実の厳しさを背負って、音もなくたっている姿が見える。テープが擦り切れるほど聴いたこの曲を私の鎮魂歌にするように家の者に伝えている。
 合唱曲、ニ長調「アヴェヴェルム、コルプス」は、珠玉の名曲です。デイベルトメント、変ロ長調「15番」からは、みずみずしい青春の息吹が聞こえます。
 モーツアルを聴き終わるといつも茫然として立ちすくんでいる自分に気づく。舞い上がらせ胸を悲しみで突き刺して走っていく。全く君の音楽にはかなわない、全てを放り出して追いかけるけど、涙が出る前に置いて行かれる。いったい君は誰?
             (山下 はるみ)
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by mako0491 | 2009-02-28 14:47 | 音の魅力・魔力

孤高の人グレン・グールド

                                    
0.000001秒の差でリズムを奏でるピアニストは、グレン・グールド以外私は知らない。その音は、詩情豊かで、聴く人を神秘の世界に誘う。(+)と(-)が、同時に行われる圧倒的な美、一瞬にして落としかねない命と響き合う。しかしなんという安らぎであろう。 
 私はアメリカの9.11同時多発テロが起きた数時間前、カナダのトロントに着いていた。当てもなく歩き続けた。空気はひんやりしていた。グールドが、生涯を過ごした街である。帰国後、手にしたCDが彼の名を不滅にしたバッハの「ゴールドベルク変奏曲」(1981年録音版)だった。聴いた衝撃は忘れられない。
 
 彼は20世紀.を50歳で駆け抜けた。32歳でコンサート・ピアニストの座を捨て、録音だけの世界に入り、地位や名誉に興味はない、音楽は人に見せるものではないと言って、永遠なるものを求め一人でピアノと向き合った。
 彼の弾いたブラームスは、晩秋の中に消えるかのごとく、その弱音には心が震える。矛盾に満ちているモーツアルトの演奏は、私の音楽観を変えた。素晴しいと思う。聴いた時は足がすくんで動けないほどだった。
病気で伏せている時に聴いたバッハの「イタリアン協奏曲2楽章」の静謐(せいひつ)さに、飛び起き襟を正した。    

 NHKの放映番組2008年5月「知るを楽しむ」に、ラジオに残された彼の声がある。
(抜粋)「のどかな春の日を鳴き尽くし、鳴きあかし、又鳴き暮らさねば気が済まんと見える。其の上きっと雲の中で死ぬに相違ない、漂うて居るうちに形は消えてなくなって、只声だけが空の裡(うち)に残るのかもしれない。」
 グールドが愛読した夏目漱石の「草枕」の一節である。(The Three- Cornered World, Alan Turney訳)  
  (山下はるみ)
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by mako0491 | 2009-02-28 14:36 | 音の魅力・魔力
女子社員という悪循環

 大学を卒業するまで、性差を感じることはほとんどなかったと言っていい。例え、性差を感じることがあるといっても、個人差というレベルの捕らえ方で済んでいた。
 それが社会に出て一変。
 お茶を出せ、愛想良く……取引先に連れて行かれ、男性社員の隣でニコニコとするだけの役割を仰せつかったこともある。「私を何だと思っているのだ?」と、悔し涙も出ようというもの。
 
 女子社員の仕事という暗黙のルール――所謂、雑用というものの類だ。
 取り組むには面倒くさく、手間のかかる細々とした仕事――誰がやってもかまわないが、出来るならば自分がやりたくない仕事を、ただ単に「女子社員なんだから」という、すり替え易い理由で押し付けられる。
 そして、時間も手間もかかりすぎる上に、いくらやっても誰からも認められない。

 そんな私は、そういった仕事を案の定、不器用にしかできず、「こんなことも満足にできないのなら、他の仕事も当然できないだろう」という判断を下されてしまう始末。
 結局、男性社員が何の疑問も、何の障害もなく手に入れられる仕事に、いつまでたってもたどりつけない。何という悪循環。
 一体、何枚の壁を乗り越えたら、そこにたどりつくのだろう。たどりつく前に、諦めてしまわないか。何を成し遂げたくてこの仕事を選んだのか、忘れてしまわないか。

 声色を変え、しなをつくり……愛想良く、チヤホヤされている女子社員を目の当たりにする度に、「ああ、そんな生き方も確かにあったんだなぁ」と、悲しいやら、悔しいやら、呆れるやら、臍を噛む思いだ。
 そんな女子社員を横目で見つつ、「いやいや、それで負けたら女が廃る!」と、思っている自分が一番、性差にとらわれていたりして。
                    (大森 佳奈)
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by mako0491 | 2009-02-28 14:22 | 女の視点
愛媛から見た和歌山は

 「和歌山」と聞けば、紀州の殿様のいた風光明媚な関西圏というイメージがあるのだが、今居住している愛媛県とも非常に共通点が多いことに気づき、親近感がわく。
 
 県都松山市には、松山城と道後温泉があり、和歌山市には和歌城と、市内ではないが白浜温泉が有名だ。両県とも、ミカン産地の全国1、2位を争っているし、キウイフルーツ、柿、びわなど数えたらきりがない。 
 漁業も盛んで、美味しい海鮮料理も豊富だ。ただ瀬戸内海と太平洋では獲れる魚の種類は異なるが、海に沈む夕日の美しさは、同じように楽しめる。
 また山に目を転じれば、霊峰石鎚山が多くの修験者たちを惹きつけ、山裾には四国八十八箇所の六十番札所の横峰寺があり、その信仰の聖地とされている金剛峯寺が和歌山県の高野山にある。
 このように地理的には、関連性もあり類似点も多い。気候も温暖で雨はやや愛媛の方が少ないが、台風のよく通る道になっている点も似ている。
 
 それでは共通点の多い土地に住んでいる県人気質はどうだろう。宝塚に住んでいて結婚を機に愛媛(松山近郊の町)に27年暮している私には、ここが当初、自分を見せない感じでちょっとよそよそしく、保守的な印象だった。でも突飛な行動をしなければ親切にいろんなことを教えてくれるし、いつしか仲間として認めてくれる。その見極めにかなり慎重なのは島国ゆえの生活の知恵なのかもしれない。

 では和歌山の人、特に女性はどうなんだろう。華岡青洲の妻や「紀ノ川」の主人公のように気丈で行動力のある方が多いのだろうか。これは大変興味のあることだが、時間をかけて交流し情報交換して初めてわかるわけだ。
 今回の紙面トークをきっかけに、自分の中でもっと身近な和歌山県になるように、ぜひ温かい交流を続け、今後の絆に期待したい。
                                (藤岡 みどり)
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by mako0491 | 2009-02-28 14:09 | 女の視点
マレーシアの街を彩る

  私の住むマレーシアは、マレー系、中華系、インド系、土俗の民族などから成る多民族国家です。
そうは言ってもイスラム教を信仰するマレー系がほとんどを占めているので、イスラム教の国とし
て知られています。今回は政治的なことは置いておいて、女性のファッションについて現地の姿
をお届けします。
みなさんは「モスリム」と聞いて、どのようなものを思い浮かべるでしょうか。
私は真っ先に身体全身を黒い布で覆い、目だけを出した女性の姿を思い浮かべます。
そして、そのすぐ後には「気の毒に」と、どうしても思ってしまいます。
女性の楽しみとしてのおしゃれが全て隠されてしまっているのですから。
でもここマレーシアでは全身真っ黒な女性は(旅行者を除いて)一人もいません。
ここのトロピカルな気候のように、色鮮やかなバジュクロンやサロンケバヤと言われる衣装を着て、
それに合わせて頭にスカーフを巻いています。
また、そのスカーフを留めるのに、キラキラ光る石の付いたものや、お花や鳥の形のブローチをつけて、
それぞれに楽しんでいるようです。
彼女たちは、普段から民族衣装を着て、街を歩いたり仕事に行ったりしています。
民族衣装ではなくもっと他のおしゃれを楽しみたいなんていう若い女の子たちは、ジーンズに袖の長い
Tシャツ、色を合わせて頭にスカーフを巻いたりしています。
さらに、スカーフは付けず色んな髪型を楽しんでいる女性もたくさんいます。
宗教的な規制によって多少の窮屈はあるかもしれないけれど、マレーシアやお隣のインドネシアの
女性達のように、イスラム教という宗教を信仰しながらも自分達なりに楽しく生活を送っているのは、
見ていて微笑ましい光景です。
 イスラム社会を多角的な視点から見ると、様々な様相が浮かび上がってくるのではないでしょうか。

(ヒルトンスミス飯田育子)
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by mako0491 | 2009-02-28 13:52 | 女の視点
鹿児島から見た和歌山

 鹿児島に嫁いで一年半が経つ。鹿児島市には路面電車が走っており、交通の便は良い方だ。何せ、私の故郷は和歌山県。数年前まで和歌山大学に通っていた。昔、和歌山市内にも路面電車が通っていて、和歌山大学の旧校舎と中心市街地(ぶらくり丁)界隈、主要な駅につながっていたと聞く。
鹿児島市にも中心市街地の天文館がある。地元百貨店の山形屋は地域に愛され、近くにある三越よりも盛況に見える。いつかの何処かに似ている。
 
 鹿児島では子どもを多く見かける。聞けば高齢化率の高い、平均年収もそう高くない県だという。しかし、路面電車で天文館に出れば、昼間から大勢の子連れの女性に出会う。なぜだろう。なぞは、思わぬところから少し解けた。最近、鹿児島に来て二人目を授かり、市内の保健所で母子手帳の交付を受けた。その時、鹿児島市の妊婦検診が無料で、産前産後、助産師が自宅を訪問してくれる他、様々な支援があると知った。
 
 日頃、路面電車に息子と乗ると、必ず他の乗客が笑顔で話しかけてくれる。私自身、何度も励まされ、九州では男尊女卑が強いという偏見が消えた。薩摩おごじょと薩摩隼人には強く優しい人が多い。毎年、風水害に襲われる厳しい環境、地方が一般的に抱える問題もあるが、有る物を活かし、互いに助け合う精神もある。
九州新幹線がもうすぐ完全開通して、福岡との時間距離が間近になった時、鹿児島はどう変わっていくのか。和歌山県と重ねて見られるところは多い。
                                   (玉置 理郁)
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by mako0491 | 2009-02-24 14:41 | 女の視点

現代美術は難しくない

 「これ何ですのん へんてこりんでわかりませんわ」
 美術館解説ボランティアをしていると、よくこんな質問をされる。
 そんな時は、2つ、ゆっくりした口調でお伝えする。現代美術とは、
 1、「リンゴを食べた後の味です、理屈ぬきですよね」
 2、「ネクタイやブラウスの柄も現代美術の仲間なんですよ。今日も自然に身につけていますよね、何気なく。ホラ!」と示す。
「さあ!気楽に感じて館内を回りましょう」そうすると、殆どの方は「ウーン」頷いてほっとした表情になり明るくなる。
 ピカソ、ミロ…進んでいくと、あちらこちら指でさされて「ここんとこ、面白いねえ、わらけるわ。皆けったいなこと考えてるんやねえ、同じやねぇ」
 そして、途中ピンポイントで現在の美術状況をお伝えする。
 昔から日本は大陸の文化を自由に受け入れて和洋化してきました。永い間、世界の美術マーケットの需給バランスでは圧倒的に日本は輸入国でした。ゴッホの「ひまわり」などがそうです。
 そして今、新しい方向を示すアーティストとして注目されている村上 隆氏、日本国内では賛否両論あるようですが、海外では高い評価を得ています。
 氏は日本美術史の文脈の中での現在を世界美術史の文脈の中に位置づけ、「アニメ、マンガ、フィギュア」を日本文化の特質として発信しています。ヴィトンのバッグの新しい絵柄なども氏の現代美術の作品たちです。
 「現代美術は明るく、元気なんです」
 「アー、楽しかった」と来館者はニコニコされる。
 「館外に出られたら、新しい建築物も現代美術です、街路に置かれている彫刻も探して見つけてみて下さい」
 ある日、自宅に山形の来館者から荷が届いた。開けてみると、ニコニコした林檎がぎっしり…嬉しい、わかって頂けたのか、拙い解説なのに。
 そして、林檎をかじった、おいしい…
                                  (伊吹 心)
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by mako0491 | 2009-02-24 14:34 | 女の視点
 専業主婦はもったいない?

 3才と1才の娘のママの私。
 退職してからもう4年になる。数年前から職業欄に「専業主婦」と書けるようになった。  それまでは、「なし」か「無職」。自分でもなんでこだわっているのかも分からない。でも、なにかに抵抗していた。そして言いたかった。「働く気はあるんだぞ!」。
 3人目を出産後、社会で働こう(稼ごう)と思っているんだぞ」
ようやく今の生活を受け入れられるようになってきたけど、ときどき言葉に泣かされる。
そして、最近傷ついた。そして分かってきた。何に抵抗してきたのか。
それは専業主婦として初めて感じた「自分が社会の役に立っていないかも」という不安感。「自分の価値が減っていくかも」という不安感。
言葉は難しい。何気ない言葉に現れる。何を求めているのか。求められているのか。   例えば、「今何をしてるの?」。「専業主婦です」「もったいないねぇ」。
ほめ言葉かもしれないが、不安と戦う私にはナイフのように突き刺さる。無駄遣い?役に立ってない?」。何がもったいないのだろう。何をすればいいのだろう。やっぱり不安は的中だ。
少子化対策=子供を産んで欲しい、子どもの教育は重要だ、と言いながら、女性は地域や家庭、加えて会社人として働き、生産し、納税することも求められる。同じように会社人の若い男性は家庭のことものしかかる。どこもかしこもめいっぱい。
丁度いいのはどれぐらい?子どもは2人にしようかな?
今すぐ勤めた方がいいのかな?うーん。だめだめ。もう少し。
言葉と同様、難しい。
                          (浦田 ひろみ)
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by mako0491 | 2009-02-24 14:31 | 女の視点