わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

カテゴリ:アタマ記事( 159 )

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近畿各地の和歌山に似たエリアで、地域活性化に努力するまち・ひとを紹介、和歌山各市町村のまちおこしのヒントにしたい。今回は兵庫県明石市の江井ヶ島海岸のケースを取り上げてみよう。

(中山 まり)

明石市の海岸線(ビーチライン)活性化を目指す実行委員会が主催した、江井ヶ島海岸まつりが4月下旬、「ながさわ明石江井ヶ島酒館」で開催された。和歌山から紀伊水道を通って、淡路島の北端の向かい側にある瀬戸内海に面した明石は、海岸線が長く、和歌山エリアに近似する点もあり、まちおこしの参考になる。

手作り雑貨など販売

江井ヶ島海岸まつりは、毎年恒例となり、今回は6回目の開催である。ステージでは、地元の多様なミュージシャン達による演奏や明石発のご当地アイドル「YENA☆(イエナ)」の元気溢れるライブなどのパフォーマンスがあった。明石の地ビールの販売や西灘の地酒の飲み比べ、明石たまご焼きなど地元の特産品を販売するフードブース、クラフターによる手作りの雑貨や洋服、手作りジャムやクッキーなどを販売する「はないろプチマルシェ」などの店舗が出店していた。イベントには地元の人々が多く来て賑わった。

地元のバスと連携も

地元を盛り上げるために地域に根差したまちおこしイベントを企画されるに至った経緯について、主催した明石ビーチライン活性化実行委員会の事務局を務める西海恵子さんにお話を伺った。

このイベントを開催しようと思ったきっかけは、9年前に、江井ヶ島にそれまであった海の家が閉鎖され、海の家やライフセーバーもいなくなり、海水浴場でなくなったことだった。「キレイな景色もある江井ヶ島をなんとか住民の手で盛り立てていきたいと思いました」と恵子さん。江井ヶ島は小規模であまり知られていない分、白い砂浜もキレイで自然も美しい。

第1回は、江井ヶ島沿岸の砂浜地帯でステージを設けて開催した。「景色もすごくキレイなので、淡路島や海、空をバックにして砂浜にステージを設けました」。海岸には電気もなく、機材を運び込むのに苦労して、ステージの設営や撤収も大変だった。

人や車の出入りが多く、混雑して、海岸地帯に駐車場もなかったため、その後、江井ヶ島海岸に面した「ながさわ明石江井ヶ島酒館」に場所を借りて開催するようになった。来場者のために、地元のコミュニティバスTaco(タコ)バスが連携を申し出た。

お金はかけず、皆持ち寄りで行っている。明石ケーブルテレビの企画したご当地アイドルからも、出演の希望があり、無償で、明石を盛り上げる歌を歌ってくれる。イベント関連で知り合った出店店舗も、出店料を支払うことで、運営に協力している。会場のながさわ明石江井ヶ島酒館も場所や機材を無料で提供している。まちを盛り立てていこうという地元の人の熱意や善意で支えられている。 

若い人が喜んだ

「当初、続けるのはしんどいし、止めようかという意見もでました。でも一回目で、ものすごく喜んでいる方が多かったので続けようと思ったのです。特に、江井ヶ島に引っ越してきた若い人が喜んでくれました。友人にも自慢したいいい景色だけれども、これまでこの地域で、みんなで楽しめるようなことがなかったので、こんなかイベントがあれば、招待しやすいと話してくれました」。

「みんな明石が大好きなんです。地元のアーティストは、特に明石の歌と言わなくても、地元を盛り上げるためにオリジナルの曲を作ってくれるんです」。

その努力や想いが伝わったのか、来場者は増加し、コミュニティバス「Tacoバス」は、当初の50人から、今年は300人と利用者数を伸ばしている。

 

和歌山にも関心

今後の活動として、明石ビーチライン活性化実行委員会側で、日本の他の海岸地帯とのコラボレーション企画など考えているかと質問すると、「和歌山でも呼んでいただけたら行きたいと思います」。

現在、明石市に、海の家ができるように海岸を整備してほしいと要望を出している。しかし、そのためには、このまま静かで、穏やかな江井ヶ島がいいという住民との折り合いが必要で、「このようなイベントでムーブメントが大きくなれば、海の家や海岸も整備され、今後人も集まることもあると思います」。

 コミュニティ主体で、まちおこしのイベントを市民自らが企画し、実行し、積極的に参加してうまく機能している一例として和歌山各地の活性化に大いに参考になると思われる。何よりも市民たちが住むまちを自分たちで盛り上げていこうという強い想いでつながっていることが印象的だった。


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by mako0491 | 2017-05-18 21:06 | アタマ記事

 人生の「逆さ年表」を作ってみよう       オトコの独り言


前回(324日)は、将棋の名人とコンピュータソフトの戦いで、生身の人間が負けたことにかこつけて、日常生活上の問題解決は、多くの所でコンピュータソフトとロボットに任す時代が来たのかと、その不甲斐なさと不自由について独り言をした。今回は人生の「逆さ年表」を作ってみようという提案である。

(久山 稔)

 

逆さに書いてゆく

私の知り合いに「近未来小説」作家がいる。何から書き始めるのかと尋ねたら、「まず未来のある時点を設定し、そこを第一行目とし、未来から現在、それから過去へと遡っていく年表を作る」と言う。

通常の場合は、例えば自分史を書き残そうと思えば、自分の誕生日の状況を一行目とし、現在に向かって綴っていくだろう。それを逆さまに書いていく過程で、未来のある時点の自分や社会の姿の在りたい姿を仮想し創造し、構想が固まるという。

 早速、自分史を書くつもりで、あと十年生きるとしてその逆さ年表なるものを作ってみた。

面白いことに、過去の時点での人と人との出会いが基で、現在の自分の姿があり、未来の自分の姿はこれからの人との出会いで作り上げられていくのだと実感した。


バンドで施設巡り 

私は現在、あるフォークバンド・グループでウッドベースを受け持っている。ボランテイアで福祉施設めぐりなど行っている。しかしそんな事よりも、10年後の自分の演奏技術のレベルをもっと高い水準にまで引き上げれば、さらに深く音楽を楽しめるという思いがある。その時の自分の姿を想像し、そこからの逆さ年表を創ってみたのである。 

どんな時点での師となる人との出会いが10年後の自分の姿を創りあげるのか、それは神のみぞ知る世界かもしれないが、その過程こそ自分にとって貴重なのだと自覚した。自分に出来ることは、自分の生きて来た場と異なる世界の方々に人間関係を拡げ、そのどこかに面白い人生の変節点が生まれ出て来るという事を信じる大切さに気付いたのである。


時には右に、左にまわり 

誰しも自分の一生を悔いなく終わりたいと思っている。私はあと10年の時点では90歳を超える。この10年の過ごし方の目標がこの逆さ年表が一つのレールを示してくれていると自覚した。時には右に逸れ、左に曲がり進むかもしれないが、どんな位置に今自分が居るのかは分かるのではと思っている。

 将棋のコンピューター・ソフトは過去の多様なデータを基本に次の手を決定するのだろうが、生身の人間の方は幸せな未来の自分の姿・社会の姿を目指して、自由に選ぶ楽しさを目がけて次の手を考えるのだ。

 技術の進歩は、所詮、技術の進歩の世界で、生身の人間の心の感性の世界は越えられない。いくら人工頭脳の世界が進もうとも、所詮そこは過去の知識の積み重ねの統計手法が生み出す技術の世界だろう。「喜び」という感性の世界とは異質だ。

 

感性求める権利と尊厳

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ユニセフという組織の公報がテレビ画面に映し出す、あの餓えた小児の澄んだつぶらな瞳を見る時、「彼らにも未来を夢見ている幸せ感があるだろう。今この世に生きる人間一人一人に平等に、この感性を求める権利と、尊厳が有るはずだ」と思う。  


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by mako0491 | 2017-04-25 13:07 | アタマ記事

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4月7日あたま

フラワーデザイナー太田美香さん

日本では最大級のお花の展示会として知られる「国際フラワーEXPО」。2016年10月、「アーティフィシャル&プリザーブドフラワーコンテスト」で、特別賞「モノ・インターナショナル賞」に輝いたのは、和歌山市在住の太田美香さんである。「デザインの神様が降りてくる」と言う美香さんに会い、彼女の素顔に迫った。

  (中村 聖代)


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【お花との出会い】

 会社に勤めたのをきっかけに「茶道・書道・華道」のいづれかを習得したいと思った美香さん。

 「茶道は道具を揃えるのにお金がかかる」「書道はもともと字の上手な血筋だから

習う必要がない」と両親の反対にあった。

 わび・さびの世界に興味を持っていたので会社の華道部に入るつもりが、先輩に連れて行かれたところがフラワーアレンジメント教室だった。

「私の習いたいのはこんなお花じゃない」と思いつつ、月に3回いやいやながら通っていたという。

 ところが、3年ほどしてその教室の先生のアシスタントに抜擢されたのだ。2年半後にその教室、その先生を離れ、独立。

 大阪を拠点に仕事をしていたが、フラワーデザイナーとして次第に認められ、東京でも仕事の依頼を受けた。もちろん和歌山でも仕事をする。

【プリザーブドとの出会い】

 「新しいものは先ず東京に入ってきます。1年遅れて大阪、その1年後に名古屋・福岡・神戸といった具合で、和歌山にはさらに遅れて入ってくるのですね。だからいかに早く和歌山に最先端のものを周知してもらうか考えていました」。

 そうしたときに入ってきたのが「プリザーブドフラワー」だった。

【デザイナーとして】

 美香さんは、現在も大阪を中心に、東京、和歌山を行ったり来たりしている。生花も扱うし、アーティフィシャルフラワー(いわゆる『造花』)もつくる。

 チームで結婚式場などの会場装飾も受けるし、教室も開くし、イベントも開催する。

「うちは全て受注生産なので、作り置きをしていません」。

 顧客の依頼に応じた作品をそのつどつくる。アレンジメントには決して『造花』を入れない、全てプリザーブドフラワーでつくるというこだわりがある。

 だが、今はやりの「おむつケーキ」だけは、『造花』を使う。プリザーブドは生花を脱色し、液を吸わせ、着色しなおし、乾燥させるー花自身が自分の力で吸い込むという過程のなかで、まれに虫がつくことがあるからだ。

【造花との差別化】

 「生花を乾燥させるだけのドライフラワーに対して、プリザーブドフラワーは、特殊加工を施すことによって、生花の長期保存を可能にし、匂いもなく、手入れが簡単で、ソフトな感触です。全てが人工の材料からできている『造花』とは全く異なります」。

 そういった理由で、昨今は仏花の受注も増えている。

【これからのこと】

 「今付けている指輪もプリサーブドなんですよ。花弁を拡げ、硬度をつけることで、帯どめとかにも利用できます。可能性はまだまだひろがると思います」。

「もっとお花に触れる機会が増えたらいいなと思います。型にはめられる女性とは違って、大胆な発想ができる男性には、特にそうですね」――と語った。


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by mako0491 | 2017-04-25 11:14 | アタマ記事

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京極さんレポート


フィリピン共和国は日本からそう遠くないアジアの島国でマニラやセブ島への観光客も多い。最近大統領となったドゥテルテ氏が市長を勤めていたダバオは観光省から「最も住みやすい都市」に認定されている。今回は観光を目的とせず、社会活動センター・シナピス後援の「2017スタディ ツアー inフィリピン」に参加したAIC【別項】のメンバーである京極千穂子さんにレポートしてもらった。

ツアーの目的

 ツアーのひとつの目的は、普段私たちの視界に入らない人たちと出会い、その人たちを取り巻く現実を知ることによって、自分たちの価値観を見直す機会を得ることです。

 自分の知らなさに気付かされたツアーでしたが、この経験を通して私も少しずつ進歩していけたらと思っています。訪れたところのいくつかをご紹介します。

プレダセンター

 1974年アイルランド人神父によって設立された社会活動センター(プレダセンター)は、ルソン島西部にあり、現在「女の子の家」と「男の子の家」を中心に活動しています。

 女の子は主に性的虐待を受けた子どもたち。男の子は何も罪を犯していないのに刑務所に入れられたり、施設で不当な扱いを受けたり、ストリートチルドレンだったりの子どもたち。

 こういう子どもたちを救出し、保護し、生活のルールや基礎教育を行い更生させ、自立を目指しています。

 「男の子の家」のヘッドが次のように話してくれました―私も捨てられストリートチルドレンになり、ドラッグにも手を染めたことがある。カレン神父に助けられ、教育の機会を与えられ、ここで一〇年働いている。今は家庭を持ち、子どももいる。金持ちではないが幸せだ。自分にもできたのだから、ここの子どもたちもきっとできると信じている。悪いことをしたと自覚した時から第二の人生が始まった、と。

日本人墓地にて

 第二次世界大戦の末期、フィリピン・ルソン島で日本軍はアメリカ軍と戦い、戦争当事者だけでなく、多くの市民を巻き込み、捕虜を虐待し、女性に無残なことをしました。

 1951年当時のキリノ大統領は妻と3人の息子を日本人に殺されましたが、「憎しみや恨みの気持ちをいつまでも持ち続けるなら、子どもたちも持ち続けることになる。隣同士のフィリピンと日本は親しく助け合って共存共栄していかなければならない。そのため私怨を断ち切る決心をしたのです」と、収容所にいる日本戦犯を全員釈放したのです。

 モンテンル刑務所の裏にある日本人墓地に向かい線香を手向け、黙祷をささげました。

先住民アエタ族

 ルソン島の4州に、保護区の土地で先住民族アエタ族の人々がコミュニティを作って暮らしています。森林がアエタの生活の場であり、今は主にマンゴーを育て生活の糧にしています。「サコップ」という社会活動センターが契約を結び、買い取り、販売を支援しています。

ハンセン氏病の病院

 タラ村にあるハンセン氏病の病院を訪ねました。男性一〇人程の病室が2つあり、全員全快はしているのですが、行くところがないので病院にいるしかないということです。

 ショックを受けたのは、両手両足を包帯でぐるぐる巻きにされた人を見たときです。彼はこの一月に病院に入ってきたそうです。良い薬もでき感染力も弱いと聞いていたので「何故?」と思いましたが、彼はひどくなるまで病院に来なかったためだということでした。必ず良くなるだろうと確信しています。

<AICとは>

AIC.(International Association of Charities)=国際愛徳協議会メンバー、

約400年の歴史を持つ、世界で最も古い女性ボランティア団体。

ベルギー・ブリュッセルが本部。世界53カ国に支部を持ち約15万人の会員がいる。国連に議席が与えられていて、欧米社会に大きな影響を与える機関となっている。

日本においては1933年に愛徳姉妹会のシスターが釜崎で活動を始め、その後和歌山と神戸を拠点にそれぞれ活動を続けるようになった。



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by mako0491 | 2017-04-05 07:55 | アタマ記事

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紀州の和菓子と文化を考える会

山本 智子さん


2014年5月、「総本家駿河屋全店閉鎖のニュースが流れた。その時、「一つの和菓子屋が閉店したという問題にとどまらず、先人たちが培った和歌山の文化にとって大打撃」と、鈴木裕範氏(元和歌山大学教授、当時同客員教授)を中心に緊急シンポジウムが開かれた。そのかいあってか、駿河屋自体は県内企業の支援のもと、創業家につながる新社長を迎え再建するに至った。同時にこれをきっかけとして「紀州の和菓子と文化を考える会」が発足された。今回は事務局長山本智子さんにその後の会の活動を聞いた。

  (中村 聖代)

「この会は、和菓子を通してわがまちの歴史と文化を学び、歩くのが楽しくなる魅力的なまちについて楽しみながら考える会です。和菓子が好き、和歌山が好きで、会の趣旨に賛同する方であればどなたでもご参加いただけます」と、山本さんは言う。

 活動内容は、

 「2カ月に一回、学習会を開催しています。うち1回はウォークと称して和菓子に出会うまち歩きをしています。これまでに田辺市、高野町を訪れました。学習会では、和菓子とその文化について学ぶとともに、和菓子を味わいます」。

 「2015年と2016年の6月にぶらくり丁で開催されるポポロハスマーケットに会として出店し、紫香店さんの『和菓子づくり体験』とのコラボとともに、2015年は『紀州の利きせんべい』と称した玉子せんべいの詰め合わせ、2016年は県内各地の焼き菓子を販売しました」。

 随時、有志で和菓子に関係するイベントに参加したり、あんこワークショップを開催したり、京都・宇治市のお茶の工場見学に出かけたりする。また滋賀県の「滋賀の食事文化研究会」と交流している。

 今後の活動として、玉子せんべいリーフレットの作成と、紀州の和菓子―復活と開発の2つのワーキンググループでそれぞれ調査・研究を進めている。

【駿河屋再スタート】

 室町時代の中期より羊羹の歴史を紡いで来た総本家駿河屋は500年以上の歴史を誇り、するがや祇園下里や二條駿河屋など分家も多い。

 寛正2年(1461)に鶴屋の屋号で饅頭処を開いたのに始まり、5代目・岡本善右衛門氏が豊臣秀吉に羊羹を献上したという話もある。

 さらには、家康の十男、徳川頼宣に従って和歌山・紀州藩に入り、徳川御三家となる紀州藩の御用菓子司としても歴史を紡いでいった。 

 紀州藩の銘菓、『本ノ字饅頭』は和歌山でしか味わえない。小麦粉生地に、酒種となる甘酒を練り込んで自然発酵させ、小豆こしあんを包んで、一気に蒸し上げてから、最後に「本」の字の焼印を施す。紀州藩主が参勤交代のお伴に携えたとも言われている饅頭である。

 一時は全店閉鎖の危機を迎えたが、この永い歴史を絶やしてはいけないという気持ちを生むのが和菓子の凄さ。和歌山県内の企業の支援により、そのまま営業を再開することになり、創業家の岡本良太氏が社長に就任、正統な後継によって、駿河屋は再スタートを切ったのである。

【地元菓子買い続ける】

 山本さんたちは、和菓子を味わい、その歴史や文化について学習するとともに、イベントやワークショップを通じて和菓子文化が脈々と続くよう働きかけている。

 今回取り上げた総本家駿河屋の和菓子だけでなく、筆者は多くの和菓子を五感で味わい、おもしろいエピソードをきくことができた。お茶の文化が庶民に根付いていない和歌山県にあっては困難かもしれないが、脈々と和菓子の歴史が続くよう願ってやまない。

 会の設立時に基調講演した若菜晃子氏(雑誌編集者)が力説していた―地域の人が地元菓子を支える意識が必要。買い続けることが大事なんです―と。

 


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by mako0491 | 2017-03-11 11:19 | アタマ記事

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スポーツ吹矢は、5~10m離れた円形の的をめがけて息を使って矢を放ち、その得点を競うスポーツ。性別・年齢問わず誰でも手軽にでき、ゲーム感覚で楽しみながら健康になれるスポーツとして注目されている。今回、近畿大会に出場する機会に恵まれたのを機に、スポーツ吹矢についてレポートする。

(玉置 ひとみ)

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精神集中身につく

一般社団法人日本スポーツ吹矢協会の説明から引用するとーー。

健康効果の秘訣は、腹式呼吸をベースにしたスポーツ吹矢式呼吸法。精神集中や血行促進、細胞の活性化に役立ち、内臓の諸器官にもよい影響を与える。また精神力・集中力が身に付く。と書かれている。

さて、をんな情豊局編集部から昨年の近畿大会の弓?のことを記事にと依頼をいただいた。弓か~?もしかするとこれは私を発奮させ、書かせる狙いだったのかもしれないが、「スポーツ吹矢」と一人ツッコミをする。

日本発祥のこのスポーツは、現在、北は北海道、南は沖縄、いやいや海外にも支部が広がり、1140支部、約51000人の会員がいる。

スポーツ吹矢を精神鍛錬のために始めて1年半。紀の国くまの(新宮市と那智勝浦町の合同チーム)に属している。


楽しみながら交流

昨年6月の和歌山大会で、ひょんなことからぼた餅が落ちてきて、近畿大会へ行かせてもらえることになった。

とても、和歌山代表で出場できるレベルではないが、個人戦なので、ここは他府県の人と接するよい機会。楽しみながら交流してこようと思った。

上位狙いは無理だが、目立たぬところで終えたいと思い、私としてはそれなりに真面目に練習したつもり。

 
尼崎へ乗り込む
近畿ブロック大会(2府4県)は1125日 尼崎ベイコム総合体育館で行われた。熊野の山猿、一匹で尼崎へと乗り込んた。
もともと力がないわけだから、自身はお祭り気分。しかし、遠い新宮から一人で参加したことに和歌山の方にも他府県の方にも温かく言葉をかけていただいた
大きな大会に出ると、次の目標を持ちたくなった。さて、次はどこへ持っていこうか。
吹矢は、『心技練磨』。

自身を制限することなく、探究していきたいと思っている。

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by mako0491 | 2017-03-02 19:02 | アタマ記事

あらゆる声の専門家   福山ひでみさん


 

  昨年9月の「第3回美の種in和歌山」で右 (撮影は中西真生)
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福山ひでみさんは、報道・朗読・DJ・ナレーション・インタビューレポーター・ラジオドラマなど、およそ声に関する仕事を和歌山放送でこなしてきた。その間、民放祭・芸術祭など受賞作品のナレーションも経験、一昨年には民放連ラジオCM部門で最優秀賞の作品にも参加した。数々の輝かしい活躍をする彼女の横顔を詳しく紹介しよう。

  (中村 聖代)

脚本家に憧れて

 ひでみさんは現在岩出市在住。市内の中学、高校を卒業後、大阪芸術大学放送学科に進む。 

台本書きになりたかったひでみさん、脚本の勉強や機材を扱うことよりも音声表現の成績が良かった。

廻りの人、環境が今の仕事に進むべく背中を押したのは間違いないが、一日中本を読んでいたり、近所の小さな子を集めては本を読んで聞かせたり、紙芝居を作ったりした自身にも要素があったようだ。友人から勧められその気になった。「アナウンサーになろう!」

全国に仕事や出会い

 そうとなったらもっと勉強を、と大学に行きながらアナウンススクールにも通った。3回生のときである。

 大学卒業後は、和歌山の広告会社に勤めたが、1年たっても放送媒体の仕事のきざしが見えなかったので、上京し仕事も見つかったが家族の強い反対に会い断念。活動の拠点は和歌山に限られた。

 司会などアルバイトをしていたところ、色々な方から仕事を紹介され、ついに和歌山放送の朝のワイド番組のアシスタントからメインのパーソナリティを勤めるまでになった。 

およそ7年間2時間40分を受け持った。和歌山放送では契約社員だったので、大阪に本社のある「グル―プエコー」に所属した。関西中心ではあったが、東京はじめ、広く全国に仕事や出会いがあった。


司会・ナレーション・朗読

「司会はコンダクターのようにそこに登場する方々をいかに輝かせ、お客様に喜んで頂くかが腕の見せ所、その場でしか創出しない空気感にわくわくします」。

「ナレーションは作り手の側に立ち、伝えたいことをより効果的に伝えるために工夫を凝らす楽しみがあります。制作者の期待に応えられる職人を目指しています」。

「朗読は作品世界を表現するために、あらゆるアンテナを文章に傾け、もてる声を総動員して、聞き手に届ける醍醐味が味わえます。主役はあくまで作品。声の絵筆で聞き手の心に絵を書き写す作業は本当に楽しいです」。


病気・結婚・子育て

 34歳の時に突然目の病気に罹った。和歌山では症例が1つしかない難病だ。眼が見えなくなるかもしれないと結婚式の数日前に分かったけれど、「僕が一生守る」とそのまま結婚。それから10年ほどは治療と子育てに専念した。

 子育て中も和歌山放送で週に一日1時間ほどCМナレーターとして働き、現在も続いている。

 子育ても一段落した48歳の頃、起業支援を受け事務所を開設。ここでも色々仕事を紹介されあちこち飛び回るかたわら自宅や事務所で、またサークルへの出張授業で生徒に朗読を教えるようになる。

今後の抱負

 「朗読に力を入れ、生徒さんたちは趣味に留まらず、表現者となってもらえるよう指導していきたい」。

「これからは朗読とは別に、声を出す楽しみをシニア世代向けにと、音読教室も考えています。声のアンチエイジングです。表情も生き生きしてくると思っています」。

「クラシックやオペラ、そして衣装とのコラボレーションでライブを何度かしています。興味のある方は観に来てください」――と語っていた。


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by mako0491 | 2017-02-19 14:49 | アタマ記事

きのくに句会の楽しみ

月一回吟行、昼ごはんで交流

            きのくに句会の仲間

「俳句春秋社・和歌山支部きのくに句会」が出来て、今年で4年目に入る。多くの仲間との交流と、俳句で遊び、皆が溌剌(はつらつ)と元気に月一度の句会に参加してもらえるのが嬉しい。「きのくに句会」の楽しみについて綴る。(岡本 炎弥子)

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粋な桃の花見も

春は桃の花の咲くころ、句友の桃畑でシートを広げ吟行。シートの上にはお弁当、お酒を持ち込み、いい気分で、吟行ならず桃の花見と粋なことをする輩がいるが、俳句はきっちりといい点とってにこにこ。これぞ吟行と思っている。

菜の花咲くあぜ道を歩き、遠くに高野の山並みを見、高くあがるヒバリの鳴き声、そよぐ風の音などどれもが句の材料たっぷりの中の俳句作りも楽しい。

道端で売る無人販売の桃の花を手に取り、おみやげに持ち帰る者。土手に生える山菜をつむ者、野遊び吟行はこの上なく楽しい。吟行をダシにしっかりと自然の中で遊ぶのも又、良い。

秋には万葉で知られる、和歌浦の浜に白砂青松を愛でて、そよぐ風に、足裏の砂の感触に、また黒々とした小島のシルエットや遠く行くタンカーの航行を俳句にしようと考える時の面白さと仲間とのやり取りも俳句の醍醐味である。

ノートとペンの身軽さ

晩秋は紀州のミカン狩り句会。ちょっと遠回りして徳川家のお寺で吟行。なにしろ和歌山は名所旧跡が盛りだくさん、どこに訪れても句材にはことかかない。

頭の体操、足の歩行維持どれをとってもマイナスな部分がなく、教材といえば小さなノートとペンという身軽さがよい。

吟行ならぬ小旅行をして、日記のつもりで五七五でと思えばそれも又いい記念になるだろう。

大きいイベントには写真俳句(写俳)展がある。写真に興味のある方、俳句に興味をお持ちの方、友人知人が足を運んでくれる。だんだん盛況になってくるのは報道関係の皆さんの協力のおかげと感謝しつつ、接客している。他結社の先生が来られると、あれこれ質問したり情報を交換したりと、句会とはまた違った雰囲気で友好を温めるのに一役買っていることにも、大いに満足している。

旅の話、レシピの交換も

きのくに句会が和気藹々(あいあい)と続く要因の一つに昼ご飯がある。句会が終われば、会場である美園商店街の大人の居場所「ほっこりさん」のスタッフが作ってくれたお弁当をいただきながら、会員それぞれが、気楽にゴルフの話、旅の話、料理レシピの交換などしているのを見ていると、今日も楽しく句会が開けたと安堵する。

「お弁当があるから句会に来てるの」と思うくらい毎回楽しみにしている時間である。「一つ釜の飯を食う」ということばの効用をこの時しみじみと味わい、句友との絆を深め、きのくに句会に一人でも多く新しい句友が出来ることを祈っている。


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by mako0491 | 2017-01-30 17:45 | アタマ記事

   険しい尾根、3時間で踏破

   アップダウン、人生と重ね

  10月にユネスコ(国連教育科学文化機関)の世界遺産委員会臨時会に於いて、熊野古道で知られる世界文化遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』に新たに22か所が追加登録された。ここ新宮市でも阿須賀王子跡(現阿須賀神社)が追加登録され、熊野速玉大社、神倉神社、阿須賀神社と3か所の神社をめぐるウォーキングを多くの観光客が楽しんでいる。今回、実際歩いた権現山ウォーク体験を報告する。

                           (玉置 ひとみ)

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神倉神社の入口近くで

新宮、観光資源豊か

  最近は新宮市をハブに熊野三山を巡る人が多くなり、また、新宮市観光だけで、時代別に楽しむ観光客も増えている。新宮市は世界遺産に始まり、徐福伝説、新宮城跡、国の天然記念物のまちなかにぽっかりと浮かぶ浮島の森がある。さらに明治、大正、昭和を代表する文化人と、観光資源が豊富である。

 今回紹介したいのは、神倉神社と熊野速玉大社を結ぶ、熊野古道権現山ウォーク(千穂が峰)。新宮市の西側にそびえる千穂が峰の尾根道を縦走するコース。2kmくらいの道のりだが、高低差があり、3時間くらいかかる。登山道には案内板はあるが、分岐点が数か所あり、また尾根道の両側は断崖絶壁なので、観光ガイドの案内は必須である。

  128日。晴れ。気温12度。絶好の登山日和。新宮市観光ガイドの会の西浦康代さんの案内で権現山ウォークへ出かけた。神倉神社の太鼓橋で待ち合わせる。538段の急峻な石段を上り、神倉神社へ参詣。神社横から、山道へと入るが早速200mの上り坂が始まる。尾根道に出るまで、ゆっくり歩き30分くらいで尾根道へと出た。

神倉聖が修行した古道

 権現山は、熊野速玉大社の運営にあたった修験者の集団・神倉聖が修行をした古道だそうだ。近畿自然歩道の一部にも指定され、尾根道の東側、旧新宮市内を見渡せるところは、杉やヒノキの植林がされているが、西側熊野川に面する方は、断崖のため自然のまま照葉樹林の原生林が残っている。木々の間から、新宮市の市街地が見え隠れするが、下界の喧騒は何も聞こえない。聞こえるのは鳥のさえずりと風が通る音だけ。

  西浦ガイドは麓の千穂小学校(現神倉小学校)の出身。「子供のころはこんなに木々が鬱蒼としていなくて、グランドから山で遊んでいる友達の姿が見えたんですよ。だから、あっ、○○ちゃんが上っている。私も行こう。という感じでした。この尾根道、牛の背中に似ているので、牛の背といいます」。確かに尾根道の右も左も結構急な崖。牛の背中を今まさに歩いていると感じた。

  1時間ほどで、第一展望台に到着した。新宮市街、三重県鵜殿、七里御浜が見渡せる。神倉神社からも新宮城跡からも三輪崎のテレビ塔のところからも市街地は見えるが、ここからの眺めは格別。眺めが大きい。

下って熊野速玉大社へ

  ここまでで行程のまだ2/5。休憩して歩き始める。ほどなくして、ヒノキの木の皮がはがされているところがあった。これは、檜皮葺の屋根に用いるために、原皮師(もとかわし)が剥がしたもの。10年くらいで再生されるように採取している。この檜皮は高野山のお寺の屋根に使われたそうだ。

  やがて、三角錐に石が積まれているところに出た。千穂が峰の頂上ということだったが、あいにく木々が茂り周りの景色は見えなかった。到達できたという気分だけでもと、ガイドさんと手をつないでバンザイをした。

 その後は急な下り坂を熊野速玉大社へと向かった。三本杉登り口に到着して、熊野速玉大社へと参詣した。

  この権現山ウォークは、私は人生のように感じた。最初の急な上り坂は、生まれてからの青春期。尾根道のアップダウンと見事な景色は、今日までの浮き沈み。熊野速玉大社へ向かう下り坂では、ふと自分の人生は今どの辺りなのだろうと思った。自身の道と見えた異空間ウォークは気分爽快だった。一度、権現山ウォークいかがでしょうか。

新宮市観光ガイドの会の問合せ先(新宮市まちなか観光情報センター):0735-23-2311  


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by mako0491 | 2017-01-12 15:06 | アタマ記事

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真ん中の石井講師
囲んでそれぞれ励ましあう

 看護師という職業の離職、人材不足、業務の大変さ、報酬面の問題など社会的な問題になっている。和歌山県立医大保健看護学部講師の石井敦子さんに、新人看護師の立場にある教え子たちとの話など中心に報告してもらった。

ギャップ乗り越え、患者の命と向き合う


・理想とのギャップ

名古屋での会に卒業したゼミ生たちと一緒に参加しました。大学4年生だった去年、約1年かけて研究した成果を学会で発表するための参加でした。

ゼミ生たちに会うのは卒業以来でしたので、どんなに成長しているか、私としても大変楽しみでした。


ゼミ生たちは、それぞれ看護師として病院に就職しています。一般的に社会人1年目は、慣れない場所や人間関係のなかで、社会人としてのルールや仕事で覚えることなどがたくさんあり、厳しい現実社会に直面してストレスや無力感を感じることが多いものです。    

学生時代に臨床実習を積み重ねてきた新人看護師であってもそれは変わりません。新人看護師がまず戸惑うのは「理想」と「現実」とのギャップに遭遇することでしょう。

・夜勤など変則生活

これまで看護師になるために、たくさんのことを学んできていますが、その実践はなかなか教科書どおりにはいきません。

実習では、一人の患者さんを受け持ち、じっくりと患者さんに向き合い、看護について考えることができますが、実際の現場では、同時に何人もの患者さんを受け持ち、いくつものことをしなければなりません。


医療や看護の世界は人の命に関わる現場であるだけに、新人看護師とはいえ、担う責任は決して軽いものではありません。

そんな現実に、少しは慣れてきたのか、限界を感じているのか。就職して8ヶ月が経過した名古屋での再会でしたが、ゼミ生たちの顔には社会人になった自覚と日々の頑張りを窺わせる逞しさがありました。


もちろん多分に漏れず、リアリティショックは感じているようで、いかに学生時代が守られていたか、いかに自分が何もできず不甲斐ないかを思い知らされる毎日だそうです。誇らしくもあり、微笑ましくもあります。

・多くのこと経験を

新人看護師の早期離職が一つの社会的問題となっている昨今、リアリティショックを緩和することに目が向けられがちでありますが、リアリティショックを感じない環境をつくることよりも、ショックを乗り越える力を育むことが大切ではないかと思います。


早いもので、そんな「新人看護師」と呼ばれる時期も残すところ、あと3ヶ月。新人看護師の強みは、尋ねることができることです。わからないことはしっかり聞いて、新人看護師と呼ばれるうちに多くのことを経験してほしいと思います。 


知識と経験を積み重ねる。その努力は、最終的には患者さんの命を守ることにつながります。さらには、それが自らの自信となる日が来ることを信じて頑張ってほしいものです。


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by mako0491 | 2016-12-30 06:06 | アタマ記事