わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

カテゴリ:アタマ記事( 163 )

山崎亭が静かなブーム

山崎亭が静かなブーム。地元住民とNPO(非営利団体)、社会福祉法人などボランティアが軸になって、さまざまな交流から、新たな活動を生みだしている。ハード(古民家)と、ソフト(地域文化)の魅力から地域創生のきっかけになると期待される。

(市野 政子)

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県外からも客多い

 JR 粉河駅を降り立つと、すぐ右に赤茶色の土塀が見える。

100年の古民家山崎邸。その佇まいだけでも、癒される。

近代和風建築と呼ばれる貴重な文化財建造物。

今は、いろんな趣向を凝らして、人の交流の場、多彩な企画が予定され、折に触れ、地域はもとより県外からも、山崎邸を訪れる人が多くなってきた。

母屋は、1917(大正6)に棟上げされた。当時は第一世界大戦の影響で景気がよく、特に県内では紀北紀中を中心に綿ネルと呼ばれる綿織物の生産加工が繁栄し、全国でも有数の産地だったそうだ。

見どころは大広間

この住宅を建築したのは山﨑家の当主栄助及び次の代を担う栄吉である。

山﨑家は和歌山市に綿ネル生産工場を持ち、朝鮮半島方面への販売で財を成したと伝わっている。

この建物の一番の見所は、大広間。5畳の主座敷と10畳の仏間からなり、主座敷には床の間、違い棚、琵琶床、付け書院等の座敷飾りを備え、壁は、金唐紙を張り、天井は折上げ格天井などと豪華なもの。

壁に掛けられた先祖代々の写真が、今の山崎邸を見守っている。

この大広間に、いろんな企画で集う人たちが賑やかにしている様子をきっと、壁の額の中から、賑やかなことだと、喜んでいるのかもしれない。

昔は、きっと、この部屋で親戚一同が集まって法事や大切な行事等してきたことだろう。

回り廊下に庭木を眺め、龍門山が、居ながらにして眺められる大広間は、春の日差しなどあびると、お昼寝でもしたくなる空間だ。

畳がこんなにいいものだと、改めて気付かされる瞬間だ。

今は使用不可だが、お手洗いも贅沢な作りになっているのが如何に資産家の贅沢さがよくわかる。

また1階と2階にある傘天井の部屋や、和洋折衷の階段室に質の高い意匠を見ることができ、多くの良材が使われていることも魅力のひとつ。

部屋の押し入れの中壁に、明治の新聞が壁の補修に貼ってある。これは大切な時代の証だ。是非、必見。

お雛祭り華やかに

行事はいろいろあるが、特に春のお雛祭りの季節に、地元のとんまか通りの商店街の実行委員の方々たちが、毎日山崎邸に詰めて、お雛祭りが、盛大に行われている。

山崎邸は、玄関から各部屋、お雛様。またお雛様と晴れやかになる。

また西国三十三ヶ所観音霊所第三札所粉河寺へと続く参道の、とんまか通りの商店街は、両脇に、家の古くから伝わったお雛様を飾り、道行く人に見ていただこうと、街とともに華やかな季節になる


明治にタイムスリップ

729日には、紀州三大祭りの粉河祭りは、見ごたえがあり、是非おすすめ。

その他、山崎邸は、改造が少なく屋敷全体の構成も含めた保存状態が良いこともこの住宅の特徴である。  

一階に「 コミニティcaféHAJIMEが来られた方々とのコミュニケーションの場として、人気の場。

昔懐かしい雰囲気の中で、ゆっくり時間を忘れて、コーヒーを味わいながら、どんな人がここに住んでいたのか、土間の椅子に座ってぐるりと眺めながら、明治時代にタイムスリップをしてみるのも山崎邸の魅力..




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by mako0491 | 2017-07-06 02:47 | アタマ記事

雅楽―笙と龍笛

 塚田由里子さん・稲垣昭子さん

「雅楽」(ががく)とは千年以上前から主に宮廷音楽として伝承されてきた現存する世界最古のオーケストラであると説明される。それぞれの国で盛衰があるが、ここでは、宮内庁式部職楽部に伝わる日本の雅楽を「雅楽」として述べることにする。今回笙(しょう)の演奏、塚田由里子さん・龍笛(りゅうてき)の稲垣昭子(あきこ)さんに来てもらい演奏会が催されたので紹介したい。

  (中村 聖代)

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【塚田さんは元教師】

 塚田由里子さんは、東京浅草近くに生まれ育った。大学卒業後は、中高一貫の女子校の数学の教師をしていた。縁あって結婚。和歌山市に移り住んで13年になる。当初は、畑を耕し、野菜作りなどを楽しんでいた。

【雅楽との出会い】

あるとき市民会館で親子向けの雅楽教室があるのを知った。

 大河ドラマで東儀秀樹の篳篥(ひちりき)の演奏を見て以来雅楽に興味を持っていた由里子さんだが、東京で雅楽を学びに行こうと思っても、講座を開催している場所も少なく、受講料もとても高額であったため、当時は習いに行けなかった。

「十回の受講で500円、しかも楽器まで貸してくれるのです。和歌山ってすばらしい!」

 そのあと親子教室の参加がかない、観世流の小林慶三先生について能の仕舞と、謡も真剣に学び始めたところだ。

 今では笙をこよなく愛する演奏家である。和歌山雅楽会に属し、定期演奏会等にも出演するほか、近所の紀ノ川のほとりにある宇治神社で奉納演奏をする。毎年6月から行われる伊勢神宮での雅楽講習会の合宿にも参加している。

【お話会とのコラボ】

 ちいさな子どもたちに昔話を聞かせる和歌山むかしばなしの会「語りの森」の中で、合間に笙の演奏をすることもある。「遠い昔から伝わる曲を、笙が日本に伝わった1400年前と変わらぬ音で演奏することで、お話を聞く皆さんにも、遠い昔にタイムスリップしてもらうという気持ちで演奏させていただいております」。

【和歌山を愛でる】

 由里子さんは、紀ノ川や妹背山で独り舞いの練習し、悠久の歴史を感じることもある。和歌山県に移り住んできた人たちの方が、和歌山の良さに敏感なのかもしれない。

 また、今年3月に和歌山雅楽会の定期演奏会で舞人として舞台に立った。日本に伝わる伝統的な雅楽の舞をもっと身近に私たちの健康をサポートする体操に応用してはどうかとも考えている。面白い試みである。

 【天理教会の稲垣さん】

 龍笛を演奏する稲垣昭子さんは、名古屋出身。和歌山に来て21年になる。実家は天理教の教会。幼い時から雅楽に親しみ、笙をしたこともある。結婚式やお葬式には必ず雅楽が演奏され、天理教と雅楽は切っても切れない関係なのだ。

 昭子さんも和歌山雅楽会に属している。元宮内庁式部職楽部から直接指導を仰ぐこともあるが、雅楽会の先生は、ほとんどが天理教教会のひとたちなのだ。

【龍笛手となったわけ】

 昭子さんは、嫁ぎ先も天理教の教会だ。龍笛を演奏する人がいないのでお鉢が回ってきたという。今はとても龍笛を愛している。

 余談ではあるが、プロ並みのお料理、お菓子作りで、和歌山雅楽会のメンバーを喜ばせている。

【雅楽の世界】

 今回の演奏会では「涙そうそう」や「ジュピター」を聞くことが出来た。

 現代西洋楽の音程をひとつひとつ拾い、雅楽の音として作り上げる。大変な作業だったようだ。完成まで2カ月以上かかったという。

素晴らしいものだった。

 そのあと、雅楽や楽器についての説明がなされたので一部紹介しよう。

 雅楽の演奏は3つの要素、即ち管楽器(吹物)、打楽器(打物)、絃楽器(弾物)で成り立っている。笙・龍笛・篳篥は管楽器である。特に笙はリード部分に息の湿気で水滴が付くと、音が鳴りにくくなったり、接着剤の役目をしている蜜蝋と松脂の粘着力がなくなると調律が狂ったり、振動しなくなったりするため、必ず演奏前と演奏後に炭火(現在では電熱器など)で楽器を焙って温める必要がある。そうした手間ヒマが愛でる一因のようだ。

 また、雅楽は合奏ではあるが洋楽のオーケストラのように指揮者はいない。多くは相の手のような打ち方をする。

 よって、演奏者が各々で取る「拍子」が重要になる。そのためには曲を音声に置き換えた「唱歌」を手で拍子をとりながら、何度も何度も歌って覚えるのだという。故に、奏者相互の融和が最も大切な要素となる。

 昭子さんが龍笛の楽譜を見せてくれた。そして歌ってくれた。

 日本に伝わるこの優美な世界にもっと触れ、伝えていきたいものである。雅楽に必要とされる相の手、融和の世界を、私たちの日常生活にも取り入れるべきだと感じた。


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by mako0491 | 2017-06-25 16:57 | アタマ記事

ダンスチームエネルギー全開

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10回 「南紀海彩まつり」が今年も5月の第三日曜日、新宮市の新宮港をメイン会場に、スーパーセンターオークワ南紀店をサブ会場として、ダンスの祭典がおこなわれた。3月から実行委員会のスタッフの方と話す機会があり、心意気のスゴさとそのエネルギーの源を知りたいとまつりの後、実行委員長の北道さんにお話を伺った。(玉置ひとみ)。

大人と子供が一緒に

実行しているのは、新宮市で活躍しているダンスチーム『Team雅龍』

Team雅龍の発足は、2002年。当時子どもが踊れるチームは少なかった。大人と子どもが一緒に踊れるチーム作りを目指したという。

その年に北海道で行われた『よさこいソーラン』に出場したことを契機にダンスの魅力にはまり、メンバーの士気は高まり、とぎれることなく現在へと続いているのだそうだ。

大人と子どもが一緒に作り上げることで、子どもは、自然に挨拶ができるようになり、礼儀正しくもなる。更に身近にいる大人を見て目標を持つことができるので、しっかりとした将来を意識することもできる。確かに、会場での皆さんの行動は、指示も動きもとてもスピーディーだと感じた。

会社員が支える

メンバーの大半は学生だそうだが、10代から60代まで40人ほどで構成されている。

中心を支えている人たちは会社員。平日の昼間は仕事をして、夜に企画会議や練習をしている。練習は主に、市内の神倉小学校の体育館や福祉センターで行っているそうだ。

振付メンバーで

衣装をよさこいの本場、高知県で作ってもらっている以外は、ダンスの振り付け、選曲などすべてメンバーで作り上げているという。

『南紀海彩まつり』も、最初は、紀伊半島で活躍するダンスチームの発表の場にと、ただただダンスの祭典だけにしていたようだが、だんだんマンネリ化し、更に見物客も少なくなつた。ミーティングを重ねて、地元商店や地元プロのミュージシャンに参加依頼をかけ、規模を拡大されたそうだ。

舞台の設営も総て

 今年も招きするために、Team雅龍の皆さんは、昨年の6月から準備を始め、ボランティア団体のため資金作りに1月から3月は、協賛月間として、地元企業や商店を回って協賛金を募り、開催日が近づくと、港の草地をメンバー自ら草刈りをして駐車場を作り、舞台の設営も全ておこなったという。

42チームが参加

 今年の南紀海彩まつりは、県内外から42チームが参加された。

 大阪府、和歌山県は和歌山市、串本、粉河、田辺

新宮、那智勝浦町。愛知県は、名古屋市、知多市。三重県は、尾鷲市、津市、伊勢市、鈴鹿市、紀北町、紀宝町。奈良県は十津川村。と前日から観光を兼ねて来られた方や早朝に出発して会場へ来られた方々など。順位など付けないのに、ただ純粋にダンスを見てもらいたいだけだそうだから、熱意に驚く。

 まつり終え、熱気も冷めやらない夜のインタビューにもかかわらず、快くお引き受けいただき、一通り聞き終えた後の雑談で「これから帰ってから会計報告をまとめます。各企業や商店の皆様のご支援への感謝の気持ちを結果報告として少しでも早くお伝えしたいので」とおっしゃっていた。今後も地域を盛り立てていきたい。『南紀海彩まつり』にゴールはない。ずっと語り継いでいきたいと。どこまでもエネルギッシュで、ピュアで。もう次への目標に向かって進まれていた。


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by mako0491 | 2017-06-12 16:08 | アタマ記事


ボランティアに輝く毎日

林 多恵子さん

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 林 多恵子さんは、和歌山市内の小学校教師を退職後、よみきかせや国際交流センター・YМCA日本語科でのボランティア活動に忙しい日々を送っている。少子高齢化の現代社会、健康で生き生き輝く毎日を送りたいと誰しもが思う。我々も彼女の生活を横に見ながら、自分の居場所や、やれることを見つけて社会に関わっていきたい。

(中村 聖代)


 林 多恵子さんは、市内に生まれ吹上小学校、西和中学校、桐蔭高等学校を経て和歌山大学教育学部に進んだ。

 人材の多くが県外に流出する和歌山県であるが、多恵子さんは和歌山で働くことを望んだ。大学卒業当時、和歌山市では中学校の英語課程の採用枠は無かったが、小学校課程の枠が多くあった。多恵子さんは近くの小学校に正式採用されたのだった。

【教師時代の失敗】

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日本語クラスは様々なコースが

 教師である多恵子さんは、子どもたちから学ぶことも多かった。今でも心に残ることがあると言う。子どもの声にきちんと耳を傾けるべきだったと。

 それは着任1年目の話だ。カレーを残したいという子どもがいた。何故かと思いつつ、「がんばってもう少し食べよう」といった対応をした。そうしたやりとりがあったあと、懲りずにまた残したいと言ってきた。どれだけ食べたのかと見に行くと、その子の食器の中には溶けずに残っていたカレールーの塊があった。現状を見ずに判断したことを猛反省した一件だった。

【年下の夫との出会い】

 教師生活を続けていると自ずとベテランになる。多恵子さんが30歳になった頃、若干23歳の男性が補助教員として着任してきた。「声も小さいし、頼りないな。大丈夫やろか」多恵子さんの母性本能がくすぐられた。その彼は十年後、生涯の伴侶となった。

 結婚後1年目、41歳にして一児の母となった多恵子さんにとって、教え子が出産・育児の先輩にあたる。出産祝いに来てくれた教え子が3児の母となっていたり、クラスの子どもの保護者がかつての教え子だったり。ここでも本当に教えられることが多かった。

【定年退職後の日々】

 平成17年、54歳になった時に小学校を退職。それから次の人生が始まる。よみきかせグループ「言の葉」として幼稚園・小学校・書店などを訪れる。

 JAF(日本自動車連盟)和歌山支部にて「ドレミぐるーぷ」を立ち上げ、子どもたちに交通安全指導を行う。国際交流センター「おはようクラス」では日本語の勉強や日本文化の紹介を行う。

 そしてYMCAでの活動。日本語を学びに来た学生たちが、放課後に1対1で会話の練習をする相手として多恵子さんのようなボランティアがいる。

 1週間に1度、1時間程度のコミュニケーション。言葉が通じなくても紙に書いたり、身ぶり手ぶりで何とか分かりあおうとする。お互いの気持ちが分かりあえた時の嬉しさ―そのために頑張る。

「『今日何を食べた?何か困っていることはない?』といった簡単な日常会話をするのですが、親密になると情がわいてきて、彼らの母親になったような気がしてーハハというよりオバアチャンでしょうか?」

【文化の違いを超えて】

 日本語クラスは様々なコースがあり、2年間であったり1年間であったり、もっと短い期間も、途中で帰国することもあるが、これまで16人の学生と交わってきた。

 こんなこともあった。感謝の気持ちとしてボールペンを贈られた。が、包まれていたのは黄色と白の水引のかかった金封であった。風習を知らない外国人はリボンのようなものが付いている封筒がプレゼント用として最適だと思ったのだろう。多恵子さんは有難く頂戴するとともに、日本で暮らすなら、と水引の色や形の違いによる用途を説明したのだった。

 文化の違いは様々あれど、同じ人間同士分かりあえることができる―多恵子さんは今日もボランティアに向かう。


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by mako0491 | 2017-05-30 13:10 | アタマ記事

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近畿各地の和歌山に似たエリアで、地域活性化に努力するまち・ひとを紹介、和歌山各市町村のまちおこしのヒントにしたい。今回は兵庫県明石市の江井ヶ島海岸のケースを取り上げてみよう。

(中山 まり)

明石市の海岸線(ビーチライン)活性化を目指す実行委員会が主催した、江井ヶ島海岸まつりが4月下旬、「ながさわ明石江井ヶ島酒館」で開催された。和歌山から紀伊水道を通って、淡路島の北端の向かい側にある瀬戸内海に面した明石は、海岸線が長く、和歌山エリアに近似する点もあり、まちおこしの参考になる。

手作り雑貨など販売

江井ヶ島海岸まつりは、毎年恒例となり、今回は6回目の開催である。ステージでは、地元の多様なミュージシャン達による演奏や明石発のご当地アイドル「YENA☆(イエナ)」の元気溢れるライブなどのパフォーマンスがあった。明石の地ビールの販売や西灘の地酒の飲み比べ、明石たまご焼きなど地元の特産品を販売するフードブース、クラフターによる手作りの雑貨や洋服、手作りジャムやクッキーなどを販売する「はないろプチマルシェ」などの店舗が出店していた。イベントには地元の人々が多く来て賑わった。

地元のバスと連携も

地元を盛り上げるために地域に根差したまちおこしイベントを企画されるに至った経緯について、主催した明石ビーチライン活性化実行委員会の事務局を務める西海恵子さんにお話を伺った。

このイベントを開催しようと思ったきっかけは、9年前に、江井ヶ島にそれまであった海の家が閉鎖され、海の家やライフセーバーもいなくなり、海水浴場でなくなったことだった。「キレイな景色もある江井ヶ島をなんとか住民の手で盛り立てていきたいと思いました」と恵子さん。江井ヶ島は小規模であまり知られていない分、白い砂浜もキレイで自然も美しい。

第1回は、江井ヶ島沿岸の砂浜地帯でステージを設けて開催した。「景色もすごくキレイなので、淡路島や海、空をバックにして砂浜にステージを設けました」。海岸には電気もなく、機材を運び込むのに苦労して、ステージの設営や撤収も大変だった。

人や車の出入りが多く、混雑して、海岸地帯に駐車場もなかったため、その後、江井ヶ島海岸に面した「ながさわ明石江井ヶ島酒館」に場所を借りて開催するようになった。来場者のために、地元のコミュニティバスTaco(タコ)バスが連携を申し出た。

お金はかけず、皆持ち寄りで行っている。明石ケーブルテレビの企画したご当地アイドルからも、出演の希望があり、無償で、明石を盛り上げる歌を歌ってくれる。イベント関連で知り合った出店店舗も、出店料を支払うことで、運営に協力している。会場のながさわ明石江井ヶ島酒館も場所や機材を無料で提供している。まちを盛り立てていこうという地元の人の熱意や善意で支えられている。 

若い人が喜んだ

「当初、続けるのはしんどいし、止めようかという意見もでました。でも一回目で、ものすごく喜んでいる方が多かったので続けようと思ったのです。特に、江井ヶ島に引っ越してきた若い人が喜んでくれました。友人にも自慢したいいい景色だけれども、これまでこの地域で、みんなで楽しめるようなことがなかったので、こんなかイベントがあれば、招待しやすいと話してくれました」。

「みんな明石が大好きなんです。地元のアーティストは、特に明石の歌と言わなくても、地元を盛り上げるためにオリジナルの曲を作ってくれるんです」。

その努力や想いが伝わったのか、来場者は増加し、コミュニティバス「Tacoバス」は、当初の50人から、今年は300人と利用者数を伸ばしている。

 

和歌山にも関心

今後の活動として、明石ビーチライン活性化実行委員会側で、日本の他の海岸地帯とのコラボレーション企画など考えているかと質問すると、「和歌山でも呼んでいただけたら行きたいと思います」。

現在、明石市に、海の家ができるように海岸を整備してほしいと要望を出している。しかし、そのためには、このまま静かで、穏やかな江井ヶ島がいいという住民との折り合いが必要で、「このようなイベントでムーブメントが大きくなれば、海の家や海岸も整備され、今後人も集まることもあると思います」。

 コミュニティ主体で、まちおこしのイベントを市民自らが企画し、実行し、積極的に参加してうまく機能している一例として和歌山各地の活性化に大いに参考になると思われる。何よりも市民たちが住むまちを自分たちで盛り上げていこうという強い想いでつながっていることが印象的だった。


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by mako0491 | 2017-05-18 21:06 | アタマ記事

 人生の「逆さ年表」を作ってみよう       オトコの独り言


前回(324日)は、将棋の名人とコンピュータソフトの戦いで、生身の人間が負けたことにかこつけて、日常生活上の問題解決は、多くの所でコンピュータソフトとロボットに任す時代が来たのかと、その不甲斐なさと不自由について独り言をした。今回は人生の「逆さ年表」を作ってみようという提案である。

(久山 稔)

 

逆さに書いてゆく

私の知り合いに「近未来小説」作家がいる。何から書き始めるのかと尋ねたら、「まず未来のある時点を設定し、そこを第一行目とし、未来から現在、それから過去へと遡っていく年表を作る」と言う。

通常の場合は、例えば自分史を書き残そうと思えば、自分の誕生日の状況を一行目とし、現在に向かって綴っていくだろう。それを逆さまに書いていく過程で、未来のある時点の自分や社会の姿の在りたい姿を仮想し創造し、構想が固まるという。

 早速、自分史を書くつもりで、あと十年生きるとしてその逆さ年表なるものを作ってみた。

面白いことに、過去の時点での人と人との出会いが基で、現在の自分の姿があり、未来の自分の姿はこれからの人との出会いで作り上げられていくのだと実感した。


バンドで施設巡り 

私は現在、あるフォークバンド・グループでウッドベースを受け持っている。ボランテイアで福祉施設めぐりなど行っている。しかしそんな事よりも、10年後の自分の演奏技術のレベルをもっと高い水準にまで引き上げれば、さらに深く音楽を楽しめるという思いがある。その時の自分の姿を想像し、そこからの逆さ年表を創ってみたのである。 

どんな時点での師となる人との出会いが10年後の自分の姿を創りあげるのか、それは神のみぞ知る世界かもしれないが、その過程こそ自分にとって貴重なのだと自覚した。自分に出来ることは、自分の生きて来た場と異なる世界の方々に人間関係を拡げ、そのどこかに面白い人生の変節点が生まれ出て来るという事を信じる大切さに気付いたのである。


時には右に、左にまわり 

誰しも自分の一生を悔いなく終わりたいと思っている。私はあと10年の時点では90歳を超える。この10年の過ごし方の目標がこの逆さ年表が一つのレールを示してくれていると自覚した。時には右に逸れ、左に曲がり進むかもしれないが、どんな位置に今自分が居るのかは分かるのではと思っている。

 将棋のコンピューター・ソフトは過去の多様なデータを基本に次の手を決定するのだろうが、生身の人間の方は幸せな未来の自分の姿・社会の姿を目指して、自由に選ぶ楽しさを目がけて次の手を考えるのだ。

 技術の進歩は、所詮、技術の進歩の世界で、生身の人間の心の感性の世界は越えられない。いくら人工頭脳の世界が進もうとも、所詮そこは過去の知識の積み重ねの統計手法が生み出す技術の世界だろう。「喜び」という感性の世界とは異質だ。

 

感性求める権利と尊厳

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ユニセフという組織の公報がテレビ画面に映し出す、あの餓えた小児の澄んだつぶらな瞳を見る時、「彼らにも未来を夢見ている幸せ感があるだろう。今この世に生きる人間一人一人に平等に、この感性を求める権利と、尊厳が有るはずだ」と思う。  


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by mako0491 | 2017-04-25 13:07 | アタマ記事

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4月7日あたま

フラワーデザイナー太田美香さん

日本では最大級のお花の展示会として知られる「国際フラワーEXPО」。2016年10月、「アーティフィシャル&プリザーブドフラワーコンテスト」で、特別賞「モノ・インターナショナル賞」に輝いたのは、和歌山市在住の太田美香さんである。「デザインの神様が降りてくる」と言う美香さんに会い、彼女の素顔に迫った。

  (中村 聖代)


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【お花との出会い】

 会社に勤めたのをきっかけに「茶道・書道・華道」のいづれかを習得したいと思った美香さん。

 「茶道は道具を揃えるのにお金がかかる」「書道はもともと字の上手な血筋だから

習う必要がない」と両親の反対にあった。

 わび・さびの世界に興味を持っていたので会社の華道部に入るつもりが、先輩に連れて行かれたところがフラワーアレンジメント教室だった。

「私の習いたいのはこんなお花じゃない」と思いつつ、月に3回いやいやながら通っていたという。

 ところが、3年ほどしてその教室の先生のアシスタントに抜擢されたのだ。2年半後にその教室、その先生を離れ、独立。

 大阪を拠点に仕事をしていたが、フラワーデザイナーとして次第に認められ、東京でも仕事の依頼を受けた。もちろん和歌山でも仕事をする。

【プリザーブドとの出会い】

 「新しいものは先ず東京に入ってきます。1年遅れて大阪、その1年後に名古屋・福岡・神戸といった具合で、和歌山にはさらに遅れて入ってくるのですね。だからいかに早く和歌山に最先端のものを周知してもらうか考えていました」。

 そうしたときに入ってきたのが「プリザーブドフラワー」だった。

【デザイナーとして】

 美香さんは、現在も大阪を中心に、東京、和歌山を行ったり来たりしている。生花も扱うし、アーティフィシャルフラワー(いわゆる『造花』)もつくる。

 チームで結婚式場などの会場装飾も受けるし、教室も開くし、イベントも開催する。

「うちは全て受注生産なので、作り置きをしていません」。

 顧客の依頼に応じた作品をそのつどつくる。アレンジメントには決して『造花』を入れない、全てプリザーブドフラワーでつくるというこだわりがある。

 だが、今はやりの「おむつケーキ」だけは、『造花』を使う。プリザーブドは生花を脱色し、液を吸わせ、着色しなおし、乾燥させるー花自身が自分の力で吸い込むという過程のなかで、まれに虫がつくことがあるからだ。

【造花との差別化】

 「生花を乾燥させるだけのドライフラワーに対して、プリザーブドフラワーは、特殊加工を施すことによって、生花の長期保存を可能にし、匂いもなく、手入れが簡単で、ソフトな感触です。全てが人工の材料からできている『造花』とは全く異なります」。

 そういった理由で、昨今は仏花の受注も増えている。

【これからのこと】

 「今付けている指輪もプリサーブドなんですよ。花弁を拡げ、硬度をつけることで、帯どめとかにも利用できます。可能性はまだまだひろがると思います」。

「もっとお花に触れる機会が増えたらいいなと思います。型にはめられる女性とは違って、大胆な発想ができる男性には、特にそうですね」――と語った。


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by mako0491 | 2017-04-25 11:14 | アタマ記事

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京極さんレポート


フィリピン共和国は日本からそう遠くないアジアの島国でマニラやセブ島への観光客も多い。最近大統領となったドゥテルテ氏が市長を勤めていたダバオは観光省から「最も住みやすい都市」に認定されている。今回は観光を目的とせず、社会活動センター・シナピス後援の「2017スタディ ツアー inフィリピン」に参加したAIC【別項】のメンバーである京極千穂子さんにレポートしてもらった。

ツアーの目的

 ツアーのひとつの目的は、普段私たちの視界に入らない人たちと出会い、その人たちを取り巻く現実を知ることによって、自分たちの価値観を見直す機会を得ることです。

 自分の知らなさに気付かされたツアーでしたが、この経験を通して私も少しずつ進歩していけたらと思っています。訪れたところのいくつかをご紹介します。

プレダセンター

 1974年アイルランド人神父によって設立された社会活動センター(プレダセンター)は、ルソン島西部にあり、現在「女の子の家」と「男の子の家」を中心に活動しています。

 女の子は主に性的虐待を受けた子どもたち。男の子は何も罪を犯していないのに刑務所に入れられたり、施設で不当な扱いを受けたり、ストリートチルドレンだったりの子どもたち。

 こういう子どもたちを救出し、保護し、生活のルールや基礎教育を行い更生させ、自立を目指しています。

 「男の子の家」のヘッドが次のように話してくれました―私も捨てられストリートチルドレンになり、ドラッグにも手を染めたことがある。カレン神父に助けられ、教育の機会を与えられ、ここで一〇年働いている。今は家庭を持ち、子どももいる。金持ちではないが幸せだ。自分にもできたのだから、ここの子どもたちもきっとできると信じている。悪いことをしたと自覚した時から第二の人生が始まった、と。

日本人墓地にて

 第二次世界大戦の末期、フィリピン・ルソン島で日本軍はアメリカ軍と戦い、戦争当事者だけでなく、多くの市民を巻き込み、捕虜を虐待し、女性に無残なことをしました。

 1951年当時のキリノ大統領は妻と3人の息子を日本人に殺されましたが、「憎しみや恨みの気持ちをいつまでも持ち続けるなら、子どもたちも持ち続けることになる。隣同士のフィリピンと日本は親しく助け合って共存共栄していかなければならない。そのため私怨を断ち切る決心をしたのです」と、収容所にいる日本戦犯を全員釈放したのです。

 モンテンル刑務所の裏にある日本人墓地に向かい線香を手向け、黙祷をささげました。

先住民アエタ族

 ルソン島の4州に、保護区の土地で先住民族アエタ族の人々がコミュニティを作って暮らしています。森林がアエタの生活の場であり、今は主にマンゴーを育て生活の糧にしています。「サコップ」という社会活動センターが契約を結び、買い取り、販売を支援しています。

ハンセン氏病の病院

 タラ村にあるハンセン氏病の病院を訪ねました。男性一〇人程の病室が2つあり、全員全快はしているのですが、行くところがないので病院にいるしかないということです。

 ショックを受けたのは、両手両足を包帯でぐるぐる巻きにされた人を見たときです。彼はこの一月に病院に入ってきたそうです。良い薬もでき感染力も弱いと聞いていたので「何故?」と思いましたが、彼はひどくなるまで病院に来なかったためだということでした。必ず良くなるだろうと確信しています。

<AICとは>

AIC.(International Association of Charities)=国際愛徳協議会メンバー、

約400年の歴史を持つ、世界で最も古い女性ボランティア団体。

ベルギー・ブリュッセルが本部。世界53カ国に支部を持ち約15万人の会員がいる。国連に議席が与えられていて、欧米社会に大きな影響を与える機関となっている。

日本においては1933年に愛徳姉妹会のシスターが釜崎で活動を始め、その後和歌山と神戸を拠点にそれぞれ活動を続けるようになった。



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by mako0491 | 2017-04-05 07:55 | アタマ記事

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紀州の和菓子と文化を考える会

山本 智子さん


2014年5月、「総本家駿河屋全店閉鎖のニュースが流れた。その時、「一つの和菓子屋が閉店したという問題にとどまらず、先人たちが培った和歌山の文化にとって大打撃」と、鈴木裕範氏(元和歌山大学教授、当時同客員教授)を中心に緊急シンポジウムが開かれた。そのかいあってか、駿河屋自体は県内企業の支援のもと、創業家につながる新社長を迎え再建するに至った。同時にこれをきっかけとして「紀州の和菓子と文化を考える会」が発足された。今回は事務局長山本智子さんにその後の会の活動を聞いた。

  (中村 聖代)

「この会は、和菓子を通してわがまちの歴史と文化を学び、歩くのが楽しくなる魅力的なまちについて楽しみながら考える会です。和菓子が好き、和歌山が好きで、会の趣旨に賛同する方であればどなたでもご参加いただけます」と、山本さんは言う。

 活動内容は、

 「2カ月に一回、学習会を開催しています。うち1回はウォークと称して和菓子に出会うまち歩きをしています。これまでに田辺市、高野町を訪れました。学習会では、和菓子とその文化について学ぶとともに、和菓子を味わいます」。

 「2015年と2016年の6月にぶらくり丁で開催されるポポロハスマーケットに会として出店し、紫香店さんの『和菓子づくり体験』とのコラボとともに、2015年は『紀州の利きせんべい』と称した玉子せんべいの詰め合わせ、2016年は県内各地の焼き菓子を販売しました」。

 随時、有志で和菓子に関係するイベントに参加したり、あんこワークショップを開催したり、京都・宇治市のお茶の工場見学に出かけたりする。また滋賀県の「滋賀の食事文化研究会」と交流している。

 今後の活動として、玉子せんべいリーフレットの作成と、紀州の和菓子―復活と開発の2つのワーキンググループでそれぞれ調査・研究を進めている。

【駿河屋再スタート】

 室町時代の中期より羊羹の歴史を紡いで来た総本家駿河屋は500年以上の歴史を誇り、するがや祇園下里や二條駿河屋など分家も多い。

 寛正2年(1461)に鶴屋の屋号で饅頭処を開いたのに始まり、5代目・岡本善右衛門氏が豊臣秀吉に羊羹を献上したという話もある。

 さらには、家康の十男、徳川頼宣に従って和歌山・紀州藩に入り、徳川御三家となる紀州藩の御用菓子司としても歴史を紡いでいった。 

 紀州藩の銘菓、『本ノ字饅頭』は和歌山でしか味わえない。小麦粉生地に、酒種となる甘酒を練り込んで自然発酵させ、小豆こしあんを包んで、一気に蒸し上げてから、最後に「本」の字の焼印を施す。紀州藩主が参勤交代のお伴に携えたとも言われている饅頭である。

 一時は全店閉鎖の危機を迎えたが、この永い歴史を絶やしてはいけないという気持ちを生むのが和菓子の凄さ。和歌山県内の企業の支援により、そのまま営業を再開することになり、創業家の岡本良太氏が社長に就任、正統な後継によって、駿河屋は再スタートを切ったのである。

【地元菓子買い続ける】

 山本さんたちは、和菓子を味わい、その歴史や文化について学習するとともに、イベントやワークショップを通じて和菓子文化が脈々と続くよう働きかけている。

 今回取り上げた総本家駿河屋の和菓子だけでなく、筆者は多くの和菓子を五感で味わい、おもしろいエピソードをきくことができた。お茶の文化が庶民に根付いていない和歌山県にあっては困難かもしれないが、脈々と和菓子の歴史が続くよう願ってやまない。

 会の設立時に基調講演した若菜晃子氏(雑誌編集者)が力説していた―地域の人が地元菓子を支える意識が必要。買い続けることが大事なんです―と。

 


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by mako0491 | 2017-03-11 11:19 | アタマ記事

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スポーツ吹矢は、5~10m離れた円形の的をめがけて息を使って矢を放ち、その得点を競うスポーツ。性別・年齢問わず誰でも手軽にでき、ゲーム感覚で楽しみながら健康になれるスポーツとして注目されている。今回、近畿大会に出場する機会に恵まれたのを機に、スポーツ吹矢についてレポートする。

(玉置 ひとみ)

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精神集中身につく

一般社団法人日本スポーツ吹矢協会の説明から引用するとーー。

健康効果の秘訣は、腹式呼吸をベースにしたスポーツ吹矢式呼吸法。精神集中や血行促進、細胞の活性化に役立ち、内臓の諸器官にもよい影響を与える。また精神力・集中力が身に付く。と書かれている。

さて、をんな情豊局編集部から昨年の近畿大会の弓?のことを記事にと依頼をいただいた。弓か~?もしかするとこれは私を発奮させ、書かせる狙いだったのかもしれないが、「スポーツ吹矢」と一人ツッコミをする。

日本発祥のこのスポーツは、現在、北は北海道、南は沖縄、いやいや海外にも支部が広がり、1140支部、約51000人の会員がいる。

スポーツ吹矢を精神鍛錬のために始めて1年半。紀の国くまの(新宮市と那智勝浦町の合同チーム)に属している。


楽しみながら交流

昨年6月の和歌山大会で、ひょんなことからぼた餅が落ちてきて、近畿大会へ行かせてもらえることになった。

とても、和歌山代表で出場できるレベルではないが、個人戦なので、ここは他府県の人と接するよい機会。楽しみながら交流してこようと思った。

上位狙いは無理だが、目立たぬところで終えたいと思い、私としてはそれなりに真面目に練習したつもり。

 
尼崎へ乗り込む
近畿ブロック大会(2府4県)は1125日 尼崎ベイコム総合体育館で行われた。熊野の山猿、一匹で尼崎へと乗り込んた。
もともと力がないわけだから、自身はお祭り気分。しかし、遠い新宮から一人で参加したことに和歌山の方にも他府県の方にも温かく言葉をかけていただいた
大きな大会に出ると、次の目標を持ちたくなった。さて、次はどこへ持っていこうか。
吹矢は、『心技練磨』。

自身を制限することなく、探究していきたいと思っている。

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by mako0491 | 2017-03-02 19:02 | アタマ記事