わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

カテゴリ:アタマ記事( 166 )

久保岡 敏子さんの活動


「脊柱靭帯骨化(せきちゅうじんたいこっかしょう)」という病気をご存知だろうか。久保岡 敏子さんは、自らこの難病とつきあいながら患者交流会の主宰や、認知症見守り支援などの活動を続けている。彼女に会って話をきいた。

 ( 中村 聖代 )

e0171960_13563653.jpg


久保岡 敏子さんは,高校時代、九州への修学旅行時にであったバスガイドがとてもかっこよかった。自分もそうなりたいとバス会社に就職。そこで知り合った人と結婚、2子を授かった。両親から見たら自分の意思を貫く娘であった。が、順風満帆な生活だった。

結婚後は事務でパートとして13年間働いた。平成13年からはヘルパーの資格を取り、介護施設に勤務した。

あるとき左腕があがらなくなった。整形外科にかかると、「脊柱靭帯骨化症」と診断された。きいたこともない病気だ。平成23年のことだった。

完治は見込めず原因もわからない難病だと知った。医師から、将来は車椅子か寝たきりの生活、転んではだめだと告げられた。不安な日々だった。

【つれもていこら創刊】

 そんななか、大阪でこの病気に関する講演会があったので参加した。そこには紀南から参加している患者がいた。大阪の友の会々長から、「和歌山にも友の会ができないかなぁ」といわれ、発足を約束し、会長になってしまった。

 まわりの人たちに支えられ、平成27年12月には「紀の国・和歌山脊柱靭帯骨化症友の会―紀の国OSL友の会」会報誌『つれもていこら』を発刊した。

 友の会発足の準備はおろか、交流会の開催、専門の医師を呼んでの講演会、友の会の維持、事務局の仕事―難病を抱えて日々難儀していることだろう。

【認知症見守り支援員】

 公益社団法人認知症の人と家族の会和歌山支部では、メイト派遣事業を行っている。

認知症の人を介護する家族の外出時や休休息したい時に、認知症の方のお宅に伺い、話し相手になるという活動だ。時給は出るが、往復の時間や交通費は配慮されないため、ボランティアに近い。

 敏子さんは、5年前、梅本靖子さんと二人でこの仕事を立ち上げた。実際にメイトとして訪問もする。心身ともに辛くなることもあるが、信頼を得たときの喜びは何事にも代えがたい。

【日々の暮らし】

 「からだの具合はその日によって異なり、歩くことがつらいことも多いです」。「手術と言われたり、まだ大丈夫のように言われたり悩む日々です」。

 家でじっとしていることが嫌いな敏子さんは、患者の中では比較的軽い症状だと考えるようにし、日々できることをやっているようだ。

 「外からみて、難病にかかっていることが分からないのがつらいことがあります」と敏子さんは言う。

 最近出来た「ヘルプマーク」

e0171960_13532058.jpg
が広がれば様々な病気で苦しむ人に対する理解が得られるだろう。広く普及することが望まれる。

 ヘルプマークとは、

マタニティーマークが妊婦であるこ

とを周囲に知らせるように、ヘルプマークは、外見から分からなくても援助を必要としていることを周囲に知らせることを目的として作られた。

ただ電車の中で席を譲ってもらうために着けているものではない。緊急時(外で倒れたとき、事故に巻き込まれたときなど)に適切な対処ができるようにするためにもヘルプマークは役立つ。

 ヘルプマーク付けている方見かけたらとりあえず「お手伝いすることはありますか?」みたいな風に聞いてくださればいいと思われる。


[PR]
by mako0491 | 2017-09-02 13:58 | アタマ記事

大阪の豊中市のステップホールで、先日、一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)、NPO法人おおさかこども多文化センターなどの主催で、「大阪発 外国にルーツをもつ子どもたちの現状と課題ー権利・貧困・教育・文化・国籍と共生の視点からー」について、当事者や民間の支援団体や教員、弁護士、研究者などの関係者が話し合うワークショップがあった。その一部を紹介する。

(中山まり)

・外国人当事者から発言

第一部「当事者からの発信」では、フィリピンと日本のハーフや日系ブラジル人、在日韓国・朝鮮人の子どもや若者、親が、日本で暮らす苦労や経験、言葉や文化の違い、日本に対する想いなどを語った。

それに続いて、第二部「共生に向けて」では、大阪で外国にルーツを持つ子どもの教育活動や支援活動に携わる関係者が、大阪の現状と課題を把握・整理し、具体的な解決策について話し合った。


・個別に対応する必要

地域の民間の学習支援や各種支援を行うスタッフや市の国際交流センターの職員は、在日外国人の子供の抱える問題は、学校での勉強や言語の問題、家庭の事情や親の仕事、医療や社会保障の問題など様々で、個別に対応する必要があり、現状では十分対応できていないと語っていた。

必要に応じて専門知識や能力を備えた専門家にすぐ問い合わせできるように、一括して支援者の情報を集約しておく必要があり、また、支援する側の専門家もどこに支援の必要な者がいるのか分からないため、支援を必要とする者の情報も集約して必要があると提案していた。

・日本語教育の支援不十分

小中高校の教育現場では、外国人の子どもに対する日本語教育や支援などの対応が不十分で、対策が追い付いておらず、教員は市民団体の支援や市の国際交流センターなどに頼ったりしている状況とのことだった。

現場の民間の支援者や教員も、目の前のことで精一杯で、なかなか外部の人たちと繋がることもなく、苦労されているようだった。

・安価な労働力として扱われる  

また、日本に来ている外国人労働者は、技能実習生として期限付きで雇用され、期間が終われば、期限の延長もなく、本国に帰らざるを得ず、一部の悪質な業者から安価な労働力としてモノのように扱われて、悪質な業者により劣悪な環境で働かされている問題もあるとの指摘もあった。

外国人を受け入れるのであれば、人として人権を尊重し、教育、家族、社会保障、労働、介護などの問題を含めて考えていくことが必要と、コメンテーターで弁護士の空野佳弘さんの提言もあった。

欧米では大量の難民や移民の流入は深刻な社会問題となっている。日本で暮らす外国人が増える中で、今後は日本でも外国人を受け入れて支援する体制の整備や充実が求められているように思われた。


[PR]
by mako0491 | 2017-08-23 03:58 | アタマ記事

e0171960_18482216.jpg
小学1年生の娘が和歌山電鐵貴志川線を1年間(土曜・日曜・祝日のみ)、無料で乗車できる「小1ホリデーパスポート」をもらって帰ってきました。電車の種類も4種類に増え、中国からの観光客に大人気だという貴志川線。親子で乗車してきました。

(浦田ひろみ)

緊張した改札

和歌山電鐵貴志川線はJR和歌山駅の9番線ホームにあります。そのため、和歌山駅から乗車する私達は、まず、JRの改札を通らなければなりません。

久々に行く和歌山駅。新設されている相談所や観光客の多さに驚きながら、券売機をウロウロ。少々、手間取りながらも、JR改札口を抜け、貴志川線へ向いました。

階段を降り、少し暗めの渡り廊下を抜けると、貴志川線の階段が現れます。階段へ到着すると、急に雰囲気が変わりました。階段、壁と可愛さ満点。期待が膨らみます。

大人気のたま電車

たま電車が待つホームにはたくさんの観光客。まず、人数の多さにびっくりです。たま駅長は本当に、中国で大人気なんですね。同じように写真撮影をして、乗車しました。

出発後、しばらくは家の隙間を走っていくたま電車。景色よりも、車内の雰囲気に気分が盛り上がります。木の机、木の手すり、シートの種類や絵柄等など、見たい箇所がたくさん。そして、滅多に電車に乗らない娘と「ガタン・ゴトン」の心地よい振動を体験。なんと、贅沢な時間の過ごし方でしょうか。

短時間で電車の旅

日前宮駅・交通センター前駅では他の種類の電車とすれ違います。反対線路に停まる電車。外装を見て、「そちらの電車にも乗ってみたい。」またまた、夢を膨らませます。ここからは景色もだんだん、緑が増えてきます。所々に田園風景が現れました。

駅長見習い「よんたま」がいるという伊太祈曽駅からは電車が山々の中を抜けるよう。景色も楽しめます。

和歌山駅から終点の貴志駅までは電車に揺られて約半時間。短いながらも、時間はゆっくり感じました。旅気分を満喫。

再建された貴志川線

こんなに観光客が多くて、楽しい時間を過ごすことができる貴志川線。だが、有人駅は始発の和歌山駅と伊太祁曽駅の2駅のみ。2004年には年間5億円という赤字が膨らみ、廃線の危機に瀕していたといいます。

それから約10年。路線と設備を「和歌山市・紀の川市・和歌山県」に購入してもらい、「貴志川線の未来をつくる会」、「和歌山電鐵」の人々の知恵と労力により、再建し、現在の姿になっています。

再生への新たな10年

現在、年8200万の運営補助金は終了し、貴志川線は設備の補助のみで運営されています。乗車人口を増やそうと、新たに大人の雰囲気の「うめ星電車」も登場させています。

車社会の和歌山で車から電車に乗り換えてもらうことは容易でありません。しかし、電車が必要な人もいるし、沿線には学校もあります。さらに、海外からの観光スポットにもなっています。

実際、切符を買って乗車した貴志川線は、電車に乗るだけでワクワクしました。さらに沿線には様々な観光コースがあるよう。大人780円、子ども390円で貴志川線は1日乗り放題。かわいいレンタサイクルも4時間まで100円です。車とは違った休日旅気分を満喫しに、時には貴志川線に乗ってみませんか?


[PR]
by mako0491 | 2017-08-20 19:16 | アタマ記事

山崎亭が静かなブーム

山崎亭が静かなブーム。地元住民とNPO(非営利団体)、社会福祉法人などボランティアが軸になって、さまざまな交流から、新たな活動を生みだしている。ハード(古民家)と、ソフト(地域文化)の魅力から地域創生のきっかけになると期待される。

(市野 政子)

e0171960_02403035.jpg

県外からも客多い

 JR 粉河駅を降り立つと、すぐ右に赤茶色の土塀が見える。

100年の古民家山崎邸。その佇まいだけでも、癒される。

近代和風建築と呼ばれる貴重な文化財建造物。

今は、いろんな趣向を凝らして、人の交流の場、多彩な企画が予定され、折に触れ、地域はもとより県外からも、山崎邸を訪れる人が多くなってきた。

母屋は、1917(大正6)に棟上げされた。当時は第一世界大戦の影響で景気がよく、特に県内では紀北紀中を中心に綿ネルと呼ばれる綿織物の生産加工が繁栄し、全国でも有数の産地だったそうだ。

見どころは大広間

この住宅を建築したのは山﨑家の当主栄助及び次の代を担う栄吉である。

山﨑家は和歌山市に綿ネル生産工場を持ち、朝鮮半島方面への販売で財を成したと伝わっている。

この建物の一番の見所は、大広間。5畳の主座敷と10畳の仏間からなり、主座敷には床の間、違い棚、琵琶床、付け書院等の座敷飾りを備え、壁は、金唐紙を張り、天井は折上げ格天井などと豪華なもの。

壁に掛けられた先祖代々の写真が、今の山崎邸を見守っている。

この大広間に、いろんな企画で集う人たちが賑やかにしている様子をきっと、壁の額の中から、賑やかなことだと、喜んでいるのかもしれない。

昔は、きっと、この部屋で親戚一同が集まって法事や大切な行事等してきたことだろう。

回り廊下に庭木を眺め、龍門山が、居ながらにして眺められる大広間は、春の日差しなどあびると、お昼寝でもしたくなる空間だ。

畳がこんなにいいものだと、改めて気付かされる瞬間だ。

今は使用不可だが、お手洗いも贅沢な作りになっているのが如何に資産家の贅沢さがよくわかる。

また1階と2階にある傘天井の部屋や、和洋折衷の階段室に質の高い意匠を見ることができ、多くの良材が使われていることも魅力のひとつ。

部屋の押し入れの中壁に、明治の新聞が壁の補修に貼ってある。これは大切な時代の証だ。是非、必見。

お雛祭り華やかに

行事はいろいろあるが、特に春のお雛祭りの季節に、地元のとんまか通りの商店街の実行委員の方々たちが、毎日山崎邸に詰めて、お雛祭りが、盛大に行われている。

山崎邸は、玄関から各部屋、お雛様。またお雛様と晴れやかになる。

また西国三十三ヶ所観音霊所第三札所粉河寺へと続く参道の、とんまか通りの商店街は、両脇に、家の古くから伝わったお雛様を飾り、道行く人に見ていただこうと、街とともに華やかな季節になる


明治にタイムスリップ

729日には、紀州三大祭りの粉河祭りは、見ごたえがあり、是非おすすめ。

その他、山崎邸は、改造が少なく屋敷全体の構成も含めた保存状態が良いこともこの住宅の特徴である。  

一階に「 コミニティcaféHAJIMEが来られた方々とのコミュニケーションの場として、人気の場。

昔懐かしい雰囲気の中で、ゆっくり時間を忘れて、コーヒーを味わいながら、どんな人がここに住んでいたのか、土間の椅子に座ってぐるりと眺めながら、明治時代にタイムスリップをしてみるのも山崎邸の魅力..




[PR]
by mako0491 | 2017-07-06 02:47 | アタマ記事

雅楽―笙と龍笛

 塚田由里子さん・稲垣昭子さん

「雅楽」(ががく)とは千年以上前から主に宮廷音楽として伝承されてきた現存する世界最古のオーケストラであると説明される。それぞれの国で盛衰があるが、ここでは、宮内庁式部職楽部に伝わる日本の雅楽を「雅楽」として述べることにする。今回笙(しょう)の演奏、塚田由里子さん・龍笛(りゅうてき)の稲垣昭子(あきこ)さんに来てもらい演奏会が催されたので紹介したい。

  (中村 聖代)

e0171960_16523843.jpg
e0171960_16455216.jpg
【塚田さんは元教師】

 塚田由里子さんは、東京浅草近くに生まれ育った。大学卒業後は、中高一貫の女子校の数学の教師をしていた。縁あって結婚。和歌山市に移り住んで13年になる。当初は、畑を耕し、野菜作りなどを楽しんでいた。

【雅楽との出会い】

あるとき市民会館で親子向けの雅楽教室があるのを知った。

 大河ドラマで東儀秀樹の篳篥(ひちりき)の演奏を見て以来雅楽に興味を持っていた由里子さんだが、東京で雅楽を学びに行こうと思っても、講座を開催している場所も少なく、受講料もとても高額であったため、当時は習いに行けなかった。

「十回の受講で500円、しかも楽器まで貸してくれるのです。和歌山ってすばらしい!」

 そのあと親子教室の参加がかない、観世流の小林慶三先生について能の仕舞と、謡も真剣に学び始めたところだ。

 今では笙をこよなく愛する演奏家である。和歌山雅楽会に属し、定期演奏会等にも出演するほか、近所の紀ノ川のほとりにある宇治神社で奉納演奏をする。毎年6月から行われる伊勢神宮での雅楽講習会の合宿にも参加している。

【お話会とのコラボ】

 ちいさな子どもたちに昔話を聞かせる和歌山むかしばなしの会「語りの森」の中で、合間に笙の演奏をすることもある。「遠い昔から伝わる曲を、笙が日本に伝わった1400年前と変わらぬ音で演奏することで、お話を聞く皆さんにも、遠い昔にタイムスリップしてもらうという気持ちで演奏させていただいております」。

【和歌山を愛でる】

 由里子さんは、紀ノ川や妹背山で独り舞いの練習し、悠久の歴史を感じることもある。和歌山県に移り住んできた人たちの方が、和歌山の良さに敏感なのかもしれない。

 また、今年3月に和歌山雅楽会の定期演奏会で舞人として舞台に立った。日本に伝わる伝統的な雅楽の舞をもっと身近に私たちの健康をサポートする体操に応用してはどうかとも考えている。面白い試みである。

 【天理教会の稲垣さん】

 龍笛を演奏する稲垣昭子さんは、名古屋出身。和歌山に来て21年になる。実家は天理教の教会。幼い時から雅楽に親しみ、笙をしたこともある。結婚式やお葬式には必ず雅楽が演奏され、天理教と雅楽は切っても切れない関係なのだ。

 昭子さんも和歌山雅楽会に属している。元宮内庁式部職楽部から直接指導を仰ぐこともあるが、雅楽会の先生は、ほとんどが天理教教会のひとたちなのだ。

【龍笛手となったわけ】

 昭子さんは、嫁ぎ先も天理教の教会だ。龍笛を演奏する人がいないのでお鉢が回ってきたという。今はとても龍笛を愛している。

 余談ではあるが、プロ並みのお料理、お菓子作りで、和歌山雅楽会のメンバーを喜ばせている。

【雅楽の世界】

 今回の演奏会では「涙そうそう」や「ジュピター」を聞くことが出来た。

 現代西洋楽の音程をひとつひとつ拾い、雅楽の音として作り上げる。大変な作業だったようだ。完成まで2カ月以上かかったという。

素晴らしいものだった。

 そのあと、雅楽や楽器についての説明がなされたので一部紹介しよう。

 雅楽の演奏は3つの要素、即ち管楽器(吹物)、打楽器(打物)、絃楽器(弾物)で成り立っている。笙・龍笛・篳篥は管楽器である。特に笙はリード部分に息の湿気で水滴が付くと、音が鳴りにくくなったり、接着剤の役目をしている蜜蝋と松脂の粘着力がなくなると調律が狂ったり、振動しなくなったりするため、必ず演奏前と演奏後に炭火(現在では電熱器など)で楽器を焙って温める必要がある。そうした手間ヒマが愛でる一因のようだ。

 また、雅楽は合奏ではあるが洋楽のオーケストラのように指揮者はいない。多くは相の手のような打ち方をする。

 よって、演奏者が各々で取る「拍子」が重要になる。そのためには曲を音声に置き換えた「唱歌」を手で拍子をとりながら、何度も何度も歌って覚えるのだという。故に、奏者相互の融和が最も大切な要素となる。

 昭子さんが龍笛の楽譜を見せてくれた。そして歌ってくれた。

 日本に伝わるこの優美な世界にもっと触れ、伝えていきたいものである。雅楽に必要とされる相の手、融和の世界を、私たちの日常生活にも取り入れるべきだと感じた。


[PR]
by mako0491 | 2017-06-25 16:57 | アタマ記事

ダンスチームエネルギー全開

e0171960_16080322.jpg

10回 「南紀海彩まつり」が今年も5月の第三日曜日、新宮市の新宮港をメイン会場に、スーパーセンターオークワ南紀店をサブ会場として、ダンスの祭典がおこなわれた。3月から実行委員会のスタッフの方と話す機会があり、心意気のスゴさとそのエネルギーの源を知りたいとまつりの後、実行委員長の北道さんにお話を伺った。(玉置ひとみ)。

大人と子供が一緒に

実行しているのは、新宮市で活躍しているダンスチーム『Team雅龍』

Team雅龍の発足は、2002年。当時子どもが踊れるチームは少なかった。大人と子どもが一緒に踊れるチーム作りを目指したという。

その年に北海道で行われた『よさこいソーラン』に出場したことを契機にダンスの魅力にはまり、メンバーの士気は高まり、とぎれることなく現在へと続いているのだそうだ。

大人と子どもが一緒に作り上げることで、子どもは、自然に挨拶ができるようになり、礼儀正しくもなる。更に身近にいる大人を見て目標を持つことができるので、しっかりとした将来を意識することもできる。確かに、会場での皆さんの行動は、指示も動きもとてもスピーディーだと感じた。

会社員が支える

メンバーの大半は学生だそうだが、10代から60代まで40人ほどで構成されている。

中心を支えている人たちは会社員。平日の昼間は仕事をして、夜に企画会議や練習をしている。練習は主に、市内の神倉小学校の体育館や福祉センターで行っているそうだ。

振付メンバーで

衣装をよさこいの本場、高知県で作ってもらっている以外は、ダンスの振り付け、選曲などすべてメンバーで作り上げているという。

『南紀海彩まつり』も、最初は、紀伊半島で活躍するダンスチームの発表の場にと、ただただダンスの祭典だけにしていたようだが、だんだんマンネリ化し、更に見物客も少なくなつた。ミーティングを重ねて、地元商店や地元プロのミュージシャンに参加依頼をかけ、規模を拡大されたそうだ。

舞台の設営も総て

 今年も招きするために、Team雅龍の皆さんは、昨年の6月から準備を始め、ボランティア団体のため資金作りに1月から3月は、協賛月間として、地元企業や商店を回って協賛金を募り、開催日が近づくと、港の草地をメンバー自ら草刈りをして駐車場を作り、舞台の設営も全ておこなったという。

42チームが参加

 今年の南紀海彩まつりは、県内外から42チームが参加された。

 大阪府、和歌山県は和歌山市、串本、粉河、田辺

新宮、那智勝浦町。愛知県は、名古屋市、知多市。三重県は、尾鷲市、津市、伊勢市、鈴鹿市、紀北町、紀宝町。奈良県は十津川村。と前日から観光を兼ねて来られた方や早朝に出発して会場へ来られた方々など。順位など付けないのに、ただ純粋にダンスを見てもらいたいだけだそうだから、熱意に驚く。

 まつり終え、熱気も冷めやらない夜のインタビューにもかかわらず、快くお引き受けいただき、一通り聞き終えた後の雑談で「これから帰ってから会計報告をまとめます。各企業や商店の皆様のご支援への感謝の気持ちを結果報告として少しでも早くお伝えしたいので」とおっしゃっていた。今後も地域を盛り立てていきたい。『南紀海彩まつり』にゴールはない。ずっと語り継いでいきたいと。どこまでもエネルギッシュで、ピュアで。もう次への目標に向かって進まれていた。


[PR]
by mako0491 | 2017-06-12 16:08 | アタマ記事


ボランティアに輝く毎日

林 多恵子さん

e0171960_13054515.jpg


 林 多恵子さんは、和歌山市内の小学校教師を退職後、よみきかせや国際交流センター・YМCA日本語科でのボランティア活動に忙しい日々を送っている。少子高齢化の現代社会、健康で生き生き輝く毎日を送りたいと誰しもが思う。我々も彼女の生活を横に見ながら、自分の居場所や、やれることを見つけて社会に関わっていきたい。

(中村 聖代)


 林 多恵子さんは、市内に生まれ吹上小学校、西和中学校、桐蔭高等学校を経て和歌山大学教育学部に進んだ。

 人材の多くが県外に流出する和歌山県であるが、多恵子さんは和歌山で働くことを望んだ。大学卒業当時、和歌山市では中学校の英語課程の採用枠は無かったが、小学校課程の枠が多くあった。多恵子さんは近くの小学校に正式採用されたのだった。

【教師時代の失敗】

e0171960_12480294.jpg
日本語クラスは様々なコースが

 教師である多恵子さんは、子どもたちから学ぶことも多かった。今でも心に残ることがあると言う。子どもの声にきちんと耳を傾けるべきだったと。

 それは着任1年目の話だ。カレーを残したいという子どもがいた。何故かと思いつつ、「がんばってもう少し食べよう」といった対応をした。そうしたやりとりがあったあと、懲りずにまた残したいと言ってきた。どれだけ食べたのかと見に行くと、その子の食器の中には溶けずに残っていたカレールーの塊があった。現状を見ずに判断したことを猛反省した一件だった。

【年下の夫との出会い】

 教師生活を続けていると自ずとベテランになる。多恵子さんが30歳になった頃、若干23歳の男性が補助教員として着任してきた。「声も小さいし、頼りないな。大丈夫やろか」多恵子さんの母性本能がくすぐられた。その彼は十年後、生涯の伴侶となった。

 結婚後1年目、41歳にして一児の母となった多恵子さんにとって、教え子が出産・育児の先輩にあたる。出産祝いに来てくれた教え子が3児の母となっていたり、クラスの子どもの保護者がかつての教え子だったり。ここでも本当に教えられることが多かった。

【定年退職後の日々】

 平成17年、54歳になった時に小学校を退職。それから次の人生が始まる。よみきかせグループ「言の葉」として幼稚園・小学校・書店などを訪れる。

 JAF(日本自動車連盟)和歌山支部にて「ドレミぐるーぷ」を立ち上げ、子どもたちに交通安全指導を行う。国際交流センター「おはようクラス」では日本語の勉強や日本文化の紹介を行う。

 そしてYMCAでの活動。日本語を学びに来た学生たちが、放課後に1対1で会話の練習をする相手として多恵子さんのようなボランティアがいる。

 1週間に1度、1時間程度のコミュニケーション。言葉が通じなくても紙に書いたり、身ぶり手ぶりで何とか分かりあおうとする。お互いの気持ちが分かりあえた時の嬉しさ―そのために頑張る。

「『今日何を食べた?何か困っていることはない?』といった簡単な日常会話をするのですが、親密になると情がわいてきて、彼らの母親になったような気がしてーハハというよりオバアチャンでしょうか?」

【文化の違いを超えて】

 日本語クラスは様々なコースがあり、2年間であったり1年間であったり、もっと短い期間も、途中で帰国することもあるが、これまで16人の学生と交わってきた。

 こんなこともあった。感謝の気持ちとしてボールペンを贈られた。が、包まれていたのは黄色と白の水引のかかった金封であった。風習を知らない外国人はリボンのようなものが付いている封筒がプレゼント用として最適だと思ったのだろう。多恵子さんは有難く頂戴するとともに、日本で暮らすなら、と水引の色や形の違いによる用途を説明したのだった。

 文化の違いは様々あれど、同じ人間同士分かりあえることができる―多恵子さんは今日もボランティアに向かう。


[PR]
by mako0491 | 2017-05-30 13:10 | アタマ記事

e0171960_20591898.jpg
e0171960_20595413.jpg
近畿各地の和歌山に似たエリアで、地域活性化に努力するまち・ひとを紹介、和歌山各市町村のまちおこしのヒントにしたい。今回は兵庫県明石市の江井ヶ島海岸のケースを取り上げてみよう。

(中山 まり)

明石市の海岸線(ビーチライン)活性化を目指す実行委員会が主催した、江井ヶ島海岸まつりが4月下旬、「ながさわ明石江井ヶ島酒館」で開催された。和歌山から紀伊水道を通って、淡路島の北端の向かい側にある瀬戸内海に面した明石は、海岸線が長く、和歌山エリアに近似する点もあり、まちおこしの参考になる。

手作り雑貨など販売

江井ヶ島海岸まつりは、毎年恒例となり、今回は6回目の開催である。ステージでは、地元の多様なミュージシャン達による演奏や明石発のご当地アイドル「YENA☆(イエナ)」の元気溢れるライブなどのパフォーマンスがあった。明石の地ビールの販売や西灘の地酒の飲み比べ、明石たまご焼きなど地元の特産品を販売するフードブース、クラフターによる手作りの雑貨や洋服、手作りジャムやクッキーなどを販売する「はないろプチマルシェ」などの店舗が出店していた。イベントには地元の人々が多く来て賑わった。

地元のバスと連携も

地元を盛り上げるために地域に根差したまちおこしイベントを企画されるに至った経緯について、主催した明石ビーチライン活性化実行委員会の事務局を務める西海恵子さんにお話を伺った。

このイベントを開催しようと思ったきっかけは、9年前に、江井ヶ島にそれまであった海の家が閉鎖され、海の家やライフセーバーもいなくなり、海水浴場でなくなったことだった。「キレイな景色もある江井ヶ島をなんとか住民の手で盛り立てていきたいと思いました」と恵子さん。江井ヶ島は小規模であまり知られていない分、白い砂浜もキレイで自然も美しい。

第1回は、江井ヶ島沿岸の砂浜地帯でステージを設けて開催した。「景色もすごくキレイなので、淡路島や海、空をバックにして砂浜にステージを設けました」。海岸には電気もなく、機材を運び込むのに苦労して、ステージの設営や撤収も大変だった。

人や車の出入りが多く、混雑して、海岸地帯に駐車場もなかったため、その後、江井ヶ島海岸に面した「ながさわ明石江井ヶ島酒館」に場所を借りて開催するようになった。来場者のために、地元のコミュニティバスTaco(タコ)バスが連携を申し出た。

お金はかけず、皆持ち寄りで行っている。明石ケーブルテレビの企画したご当地アイドルからも、出演の希望があり、無償で、明石を盛り上げる歌を歌ってくれる。イベント関連で知り合った出店店舗も、出店料を支払うことで、運営に協力している。会場のながさわ明石江井ヶ島酒館も場所や機材を無料で提供している。まちを盛り立てていこうという地元の人の熱意や善意で支えられている。 

若い人が喜んだ

「当初、続けるのはしんどいし、止めようかという意見もでました。でも一回目で、ものすごく喜んでいる方が多かったので続けようと思ったのです。特に、江井ヶ島に引っ越してきた若い人が喜んでくれました。友人にも自慢したいいい景色だけれども、これまでこの地域で、みんなで楽しめるようなことがなかったので、こんなかイベントがあれば、招待しやすいと話してくれました」。

「みんな明石が大好きなんです。地元のアーティストは、特に明石の歌と言わなくても、地元を盛り上げるためにオリジナルの曲を作ってくれるんです」。

その努力や想いが伝わったのか、来場者は増加し、コミュニティバス「Tacoバス」は、当初の50人から、今年は300人と利用者数を伸ばしている。

 

和歌山にも関心

今後の活動として、明石ビーチライン活性化実行委員会側で、日本の他の海岸地帯とのコラボレーション企画など考えているかと質問すると、「和歌山でも呼んでいただけたら行きたいと思います」。

現在、明石市に、海の家ができるように海岸を整備してほしいと要望を出している。しかし、そのためには、このまま静かで、穏やかな江井ヶ島がいいという住民との折り合いが必要で、「このようなイベントでムーブメントが大きくなれば、海の家や海岸も整備され、今後人も集まることもあると思います」。

 コミュニティ主体で、まちおこしのイベントを市民自らが企画し、実行し、積極的に参加してうまく機能している一例として和歌山各地の活性化に大いに参考になると思われる。何よりも市民たちが住むまちを自分たちで盛り上げていこうという強い想いでつながっていることが印象的だった。


[PR]
by mako0491 | 2017-05-18 21:06 | アタマ記事

 人生の「逆さ年表」を作ってみよう       オトコの独り言


前回(324日)は、将棋の名人とコンピュータソフトの戦いで、生身の人間が負けたことにかこつけて、日常生活上の問題解決は、多くの所でコンピュータソフトとロボットに任す時代が来たのかと、その不甲斐なさと不自由について独り言をした。今回は人生の「逆さ年表」を作ってみようという提案である。

(久山 稔)

 

逆さに書いてゆく

私の知り合いに「近未来小説」作家がいる。何から書き始めるのかと尋ねたら、「まず未来のある時点を設定し、そこを第一行目とし、未来から現在、それから過去へと遡っていく年表を作る」と言う。

通常の場合は、例えば自分史を書き残そうと思えば、自分の誕生日の状況を一行目とし、現在に向かって綴っていくだろう。それを逆さまに書いていく過程で、未来のある時点の自分や社会の姿の在りたい姿を仮想し創造し、構想が固まるという。

 早速、自分史を書くつもりで、あと十年生きるとしてその逆さ年表なるものを作ってみた。

面白いことに、過去の時点での人と人との出会いが基で、現在の自分の姿があり、未来の自分の姿はこれからの人との出会いで作り上げられていくのだと実感した。


バンドで施設巡り 

私は現在、あるフォークバンド・グループでウッドベースを受け持っている。ボランテイアで福祉施設めぐりなど行っている。しかしそんな事よりも、10年後の自分の演奏技術のレベルをもっと高い水準にまで引き上げれば、さらに深く音楽を楽しめるという思いがある。その時の自分の姿を想像し、そこからの逆さ年表を創ってみたのである。 

どんな時点での師となる人との出会いが10年後の自分の姿を創りあげるのか、それは神のみぞ知る世界かもしれないが、その過程こそ自分にとって貴重なのだと自覚した。自分に出来ることは、自分の生きて来た場と異なる世界の方々に人間関係を拡げ、そのどこかに面白い人生の変節点が生まれ出て来るという事を信じる大切さに気付いたのである。


時には右に、左にまわり 

誰しも自分の一生を悔いなく終わりたいと思っている。私はあと10年の時点では90歳を超える。この10年の過ごし方の目標がこの逆さ年表が一つのレールを示してくれていると自覚した。時には右に逸れ、左に曲がり進むかもしれないが、どんな位置に今自分が居るのかは分かるのではと思っている。

 将棋のコンピューター・ソフトは過去の多様なデータを基本に次の手を決定するのだろうが、生身の人間の方は幸せな未来の自分の姿・社会の姿を目指して、自由に選ぶ楽しさを目がけて次の手を考えるのだ。

 技術の進歩は、所詮、技術の進歩の世界で、生身の人間の心の感性の世界は越えられない。いくら人工頭脳の世界が進もうとも、所詮そこは過去の知識の積み重ねの統計手法が生み出す技術の世界だろう。「喜び」という感性の世界とは異質だ。

 

感性求める権利と尊厳

e0171960_13043509.jpg
ユニセフという組織の公報がテレビ画面に映し出す、あの餓えた小児の澄んだつぶらな瞳を見る時、「彼らにも未来を夢見ている幸せ感があるだろう。今この世に生きる人間一人一人に平等に、この感性を求める権利と、尊厳が有るはずだ」と思う。  


[PR]
by mako0491 | 2017-04-25 13:07 | アタマ記事

oota mika

4月7日あたま

フラワーデザイナー太田美香さん

日本では最大級のお花の展示会として知られる「国際フラワーEXPО」。2016年10月、「アーティフィシャル&プリザーブドフラワーコンテスト」で、特別賞「モノ・インターナショナル賞」に輝いたのは、和歌山市在住の太田美香さんである。「デザインの神様が降りてくる」と言う美香さんに会い、彼女の素顔に迫った。

  (中村 聖代)


e0171960_11141320.jpg
【お花との出会い】

 会社に勤めたのをきっかけに「茶道・書道・華道」のいづれかを習得したいと思った美香さん。

 「茶道は道具を揃えるのにお金がかかる」「書道はもともと字の上手な血筋だから

習う必要がない」と両親の反対にあった。

 わび・さびの世界に興味を持っていたので会社の華道部に入るつもりが、先輩に連れて行かれたところがフラワーアレンジメント教室だった。

「私の習いたいのはこんなお花じゃない」と思いつつ、月に3回いやいやながら通っていたという。

 ところが、3年ほどしてその教室の先生のアシスタントに抜擢されたのだ。2年半後にその教室、その先生を離れ、独立。

 大阪を拠点に仕事をしていたが、フラワーデザイナーとして次第に認められ、東京でも仕事の依頼を受けた。もちろん和歌山でも仕事をする。

【プリザーブドとの出会い】

 「新しいものは先ず東京に入ってきます。1年遅れて大阪、その1年後に名古屋・福岡・神戸といった具合で、和歌山にはさらに遅れて入ってくるのですね。だからいかに早く和歌山に最先端のものを周知してもらうか考えていました」。

 そうしたときに入ってきたのが「プリザーブドフラワー」だった。

【デザイナーとして】

 美香さんは、現在も大阪を中心に、東京、和歌山を行ったり来たりしている。生花も扱うし、アーティフィシャルフラワー(いわゆる『造花』)もつくる。

 チームで結婚式場などの会場装飾も受けるし、教室も開くし、イベントも開催する。

「うちは全て受注生産なので、作り置きをしていません」。

 顧客の依頼に応じた作品をそのつどつくる。アレンジメントには決して『造花』を入れない、全てプリザーブドフラワーでつくるというこだわりがある。

 だが、今はやりの「おむつケーキ」だけは、『造花』を使う。プリザーブドは生花を脱色し、液を吸わせ、着色しなおし、乾燥させるー花自身が自分の力で吸い込むという過程のなかで、まれに虫がつくことがあるからだ。

【造花との差別化】

 「生花を乾燥させるだけのドライフラワーに対して、プリザーブドフラワーは、特殊加工を施すことによって、生花の長期保存を可能にし、匂いもなく、手入れが簡単で、ソフトな感触です。全てが人工の材料からできている『造花』とは全く異なります」。

 そういった理由で、昨今は仏花の受注も増えている。

【これからのこと】

 「今付けている指輪もプリサーブドなんですよ。花弁を拡げ、硬度をつけることで、帯どめとかにも利用できます。可能性はまだまだひろがると思います」。

「もっとお花に触れる機会が増えたらいいなと思います。型にはめられる女性とは違って、大胆な発想ができる男性には、特にそうですね」――と語った。


[PR]
by mako0491 | 2017-04-25 11:14 | アタマ記事