わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

カテゴリ:音の魅力・魔力( 14 )

10.16掲載 

 「ああ夢湧く日 楽しく集い」

 運動会シーズン真っ只中です。この時期になると「緑の風に~朝を呼ぶ~」という歌を思い出します。小学生の時に運動会で歌いました。「運動会の歌」というそうです。

 実はこの歌、和歌山県限定で歌われていたというのです。これを最近知って、衝撃を受けました。全国で歌われているとばかり思っていました。

 歌詞も鮮明に覚えています。
「緑の風に 朝を呼ぶ 仰ぐ青空 心はおどる ああ夢湧く日 楽しく集い 花と開く運動会 いざ友よ 希望を明るく手を組んで 明日の日本を背負うのだ」

 子どもが歌うからこその歌詞という感じでしょうか。歌っていた当時は考えていませんでしたが、今思えば日本を背負うくらいスケールの大きな歌詞だったのですね。
 
 そんな歌が和歌山県だけで歌われていたとは。そしてこの歌を大人になっても覚えていた私、生粋の和歌山県人です(笑)。

 夢湧く日とはよくいったもので、運動会はとても楽しみな行事でした。特に活躍したというわけではないのですが、運動会独特の雰囲気が好きで、全校児童がグラウンドに椅子を並べるところや、何といっても駄菓子屋さんがたまごアイスを売りに来るのが楽しみで仕方なかったのを覚えています。

 この歌を歌ったから、運動会がいい思い出として残っているのでしょう。現在も歌われているかは分かりませんが、希望あふれるこの歌を、ぜひ未来へと歌い続けてほしいと思います。
                                  (宇都古 舞) 
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by mako0491 | 2015-10-17 16:37 | 音の魅力・魔力
8.21掲載
暖かく、心を包み込んでくれるe0171960_15533148.jpg 

 沖縄は基地問題などで、ホットなニュースが続いている。
 
 少し古いが、古謝(こじゃ)美佐子=写真=をリーダーにする4人組「ネーネーズ」(第1期)の2曲を久しぶりにユーチューブで聞いた。ネーネーズは姉さんの意味らしい。

 「素朴で純情な人たちよ、きれいな目をした人たちよ、黄金で心を汚さないで。黄金の花はいつか散る」

 ネーネーズの代表曲である『黄金の花』。岡本おさみ作詞、知名定男作曲のこの曲は、拝金主義が盛んだったバブル→そして崩壊時代の中での、一種の緩やかなメッセージソングとも捉えることができよう。

 いくつ印象に残る歌詞には「病気のお金はありますか 悪い人には気をつけて」「神が与えた宝物 それは黄金でないはずよ」
 1990年にデビュー、10年間で様々なジャンルに挑戦、欧米にもファンを広げていく。
 
 中でも、よりメッセージ性の強いのが『平和の琉歌』。
 桑田佳祐の作詞・作曲で、サザンも歌うが、ネーネーズの方が好きだ。

「この国が平和だと だれが決めたの 人の涙も渇かぬうちに
アメリカの傘の下 夢も見ました
民を見捨てた戦争(いくさ)の果てに
蒼いお月様が泣いております
忘れられないこともあります
愛を植えましょう この島へ」

 さらに2番の最初は心に突き刺さってくる。
「この国が平和だと 誰が決めたの 汚れ我が身の罪ほろぼしにーー」
 戦後、傷ついた沖縄がアメリカに支配され、基地の島にされてしまった現実を歌の背景にしている。

 ただメッセージ性の強い歌詞なのに、ネーネーズの歌い方は、暖かくて、緩やかに包んでくれる。

 古謝はソロ活動も活発に行っている。『童神』(わらびがみ)という名曲もあり、色んな歌手がカバーしているので、今度ゆっくり聞いてみたい。
                  (末井 霧子)
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by mako0491 | 2015-08-21 10:39 | 音の魅力・魔力
2.20日掲載
和歌山もシャンソン盛んになって欲しい

 年を重ねてくると、シャンソンの深い意味がよくわかってくる。

 シャンソンはフランスに生まれて130年余、日本で歌われるようになってから80年余の年月がたった。

 時々、仲間などと会を開いたときに歌うのは、アズナブールの「帰り来ぬ青春」「ラ・ボエーム」。

 「過ぎた昔よ 唇には歌が溢れ 甘い涙 ほほを濡らし 心酔わす 若さの酒 (中略)去った恋よ 去った友よ 誰もいない浜辺に立ち 別れを告げる 過ぎた日々を 想い出よ」(帰り来ぬ青春―日本では尾崎紀世彦らが歌う)

 現在も活躍するシャルル・アズナブールは作詞・作曲家、俳優。トルコから移民したアルメニア人の子としてパリに生まれる。7歳のとき子役で芝居に初出演し、12歳で映画にもデビュー。1952年にソロ歌手としてのスタートを切り、独特の声とジャズの感覚を取り入れた唱法で新境地を開いた。「今日のシャンソンの父」といわれる。
 
 シャンソンは「3分間のドラマである」と言われるように、歌詞が物語性を持っているものが多い。あるシャンソンを初めて歌って成功させることを、フランス語で「クレシオン(Creation・創唱)」と呼び、シャンソンではこの「創唱」が重んじられてきた。歌い手は自分の個性を活かし、シャンソンを「演じ」、そして「歌う」ことで、作曲者とともに歌に生命を吹き込む人と見なされているから。
 
 シャンソン・レアリスト(現実的シャンソン)という分野がある。日本の演歌に似た分野。「恋」をテーマとし、曲はドラマチックな手法で展開。主人公に娼婦、舟乗りや兵士が好んで取り上げられ、下町や港町を舞台に現実の庶民生活の最も暗い面を、リアリティーを重んじて描き出している。

 ジャズは神戸が盛ん。シャンソンも和歌山を軸にして、関西の各都市でシャンソニエに人が集まってシャンソンの良さを広めていきたいものだ。
                                          (淡 美麗)
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by mako0491 | 2015-02-24 14:56 | 音の魅力・魔力
14.2.7掲載

 生への愛惜と執念


 シャンソン歌手の深緑夏代さん=写真=が歌った「生きる」(MA DERNIERE VOLONTE/マ・デルニエレ・ボレンテ)は日本でも多くのファンに愛されている曲である。原題の意味は「私の遺言」。
 作詩はシルヴィアン・ルベル。作曲はアリス・ドナ。二人ともフランスのシンガーソングライター。

「好きなように生きた この私だから
死の訪れなど 怖くはなかった
やり残したことは 沢山あるけれど
やることはやった 人の倍ぐらい
生きる 生きる 今になって私は
生きることの 尊さを知った」

深緑さんは87歳で2009年に亡くなる寸前までライブ活動を続けていた。e0171960_135694.jpg

訳詞を多く手掛けた なかにし礼さんは「先生の亡くなった日から毎晩、先生のレコードを繰り返し聞いております。表現の豊かさと的確さ。あばずれの歌を歌っても決して失われない「品格」こそが深緑夏代の人生だったと、いまさらのように感じます」と語っている。

「気がつくと仲間は 一人また一人 帰らぬ旅へと 赴いて行った・・・」
 日本語の詩は矢田部道一(故人)さんの作。彼は30歳ごろに初めて聴いたそうだ。
 深緑さんや矢田部さん自身の年齢のことを考えると、「私の遺言」では若すぎてリアリティーに欠けると感じ、その後に「生きる」と改題したと聞く。

「ろうそくの炎が 燃え尽きるように 私の迎えも もうすぐ来るから・・・」
「生きる 生きる 生きている間 生きる 生きる 悔いのないように」で終わる。

何回聞いても涙が止まらないというファンが多いのも、自分の生きてきた様々な体験への尽きせぬ愛惜、そして、残された歳月を生き切りたいという執念が伝わってくるからだろう。

   (水上 真琴)
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by mako0491 | 2014-02-07 01:42 | 音の魅力・魔力
2.15日付け

 孤独であっても冷たくない 

 e0171960_1414364.jpgフジ子・ヘミングは、夕日が沈んでいく静けさで舞台に立った。曲はリストで19世紀のヨーロッパ圏ではピアノの寵児であり、華やかで、超絶技巧を持つ名手だった。

 フジ子が奏でると世界が変わる不思議。彼女の音楽は、あの赤い柘榴(ざくろ)の実がなる遠い古代のギリシャへ、絹を運んだ砂漠に濛々(もうもう)たる砂塵の風が吹き抜けていくように変化させる。音はひっそりと人に気付かれなかったように流れるが、ジプシーのように気ままである。

 リストには「愛の夢」、「ラ・カンパネラ」、「ハンガリー狂詩曲」、「小鳥に説教するアッシジの聖フランシス」などがある。アッシジの聖フランシス教会を訪ねた時、その静けさに深く心を打たれたことを思い出す。

 リストの曲は、他のピアニストが奏でると激しく、ビゼーのオペラ「カルメン」のように自己主張をする曲たちでもある。
 
 フジ子の初めてのデビューではバーンスタインとの共演だったはず。でもウイーンの冬は寒く、貧しくて暖炉がなかったフジ子は風邪で聴覚を失った。母は日本人、父はロシア系スエーデン人だったが離婚をした。「私は国籍がないの、でもそんなことどうでもいい」と言っている。
 
 猫一匹と住み、タバコくわえてピアノ弾いている姿をテレビで見たことがある。67歳近くでデビューした稀有な人。

 聴こえるピアノは、彼女の内部に向かっていく。孤独であっても冷たくはない。創造者は、一人で歩かねばならない。きっと窓から人の歩く姿、森のざわめきを見ていたのであろう。やさしいけど人におぼれない音であった。薄氷を踏んで歩いた道は、銀河のように輝いて見える。                          

                                (山下はるみ)
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by mako0491 | 2013-03-06 14:14 | 音の魅力・魔力


 メンデルスゾーン=写真=の音楽は神話のようであり、おだやかな温度であり、ジャスミンの香りがする。でも無慈悲にもふっと消えていく風景でもある。

 春になり突風が吹いた日、多くの秩序が混乱した。同じ日、20年ぶりに異国からやってきた妹は日本にはない香りがした。吹く風が私たちの髪の毛を乱し、今から二人で過ごす時間の重さと軽さを予感させる。

 アメリカへ結婚するため渡った妹は、少女から琥珀色のイヤリングが似合う大人の女性になっていた。
家に着くと「歌の翼に」の歌曲のCDをかけた。歌は、「喪失」、「尼僧」、「あこがれ」と続く。温かい家族の中で育ったメンデルスゾーンの無垢な清純な世界が展開されていく。何処かで会ったような懐かしさの調べが流れる。かつて見た彼の部屋の絵はメルヘンに満ちていた。

 音楽は、「ガンジス河のほとりにーあそこには、静かな月の光を浴びて、はすの花が君を待っている、なつかしい姉妹であう君を。」(ハイネの詩抜粋)と歌っている。

 メンデルスゾーンは1809年ドイツで生まれ、裕福な銀行家で、幸せな家庭を持ち、ゲーテから愛された人でもある。彼に、私たちが普通に思い描く、不幸というスパイスを入れてみたら、作られた音楽はもっと深く、ブラームス以上だったかもしれないというのは夢想であり(?)、愛らしく、いとおしい誰にも描けない自分だけの音の世界を作ったのだ。しかし38歳でこの世を去っている。

 赤いワインを飲むほどに夜は深くなり、私たち二人は闇の中に溶けて行った。時間は消え、遥かな古代の異国にいるような土の香りがした。距離感は揺れて行き甘酸っぱいイチゴが両手いっぱいに零れ落ちた。

 飛行場につくと妹は日本語が話せなくなっていた。二人は深い沈黙の中にいた。
飛行機は離陸の時、グオーッと激しい音をだした。歌の翼にのって行った後には、青い空を風がふき抜けて行った。(山下はるみ)


                                                       e0171960_10592521.jpg 
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by mako0491 | 2012-05-29 11:01 | 音の魅力・魔力


2.17
音の魅力
写真付き
ベートーベンの「春」
 私がまだ髪の毛の美しい20才の学生だったころ、涼風のなかを小走りに、ある要件のため某大学の付属中学校の講堂へ行った。ひんやりとした手触りの重い扉を全力で開いた、その瞬間 恐怖にも似た感動が全身に走った。
薄暗い室内の奥で、ベートーベンの作品24番バイオリン・ソナタ「春」を演奏している二人がいた。私はその場に足が釘付けになり、しばらく異次元の世界にいた。
音楽は私を深い森の神秘な世界へ誘ってくれる。なぜだろう。
若かった母がよく歌っていた「赤とんぼ」、「ペチカ」、「故郷」などを思い出していた。
近くの大きな川で幼な友達と終日泳いで遊んでいて分かった、 たえまない水の音の柔らかさと身の危険を知らせる急流の音。
田んぼで三角形に束ねられた麦わらの長いトンネルの中を夢中で駆け抜けて、スピードの中にこだまする音を知った。
赤く燃えるかまどの前で、はじける薪の音と米粒がご飯へと変化する音とのせめぎあいに耳を集中させた温かさと緊張感。
夕餉の後片付けをする冷たい水の中で3拍子のリズムで食器を洗い、頭に磨いたばかりの鍋をかぶって歌うとよく反響して美しい音に変化することも知った。
ベートーベンは高校生の時初めて聞いた。彼は自然をこよなく愛し、生涯女性に憧れ続けた人である。音楽は「楽しい音と書くが、音楽作品は理念が詩情に化学変化したものだと思う。
 4~5才の女の子は決まって“ねえ、「エリーゼのために」 を弾いて”という、世界で最も有名なピアノ音楽である。「月光ソナタ」を聞きながら耳が聞こえなかったベートーベンの崇高さを思う。
                              (山下はるみ)
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by mako0491 | 2012-02-16 18:20 | 音の魅力・魔力

春とベートーベン


2.17
音の魅力
写真付き
ベートーベンの「春」
 私がまだ髪の毛の美しい20才の学生だったころ、涼風のなかを小走りに、ある要件のため某大学の付属中学校の講堂へ行った。ひんやりとした手触りの重い扉を全力で開いた、その瞬間 恐怖にも似た感動が全身に走った。

 薄暗い室内の奥で、ベートーベンの作品24番バイオリン・ソナタ「春」を演奏している二人がいた。私はその場に足が釘付けになり、しばらく異次元の世界にいた。
音楽は私を深い森の神秘な世界へ誘ってくれる。なぜだろう。

 若かった母がよく歌っていた「赤とんぼ」、「ペチカ」、「故郷」などを思い出していた。
近くの大きな川で幼な友達と終日泳いで遊んでいて分かった、 たえまない水の音の柔らかさと身の危険を知らせる急流の音。
田んぼで三角形に束ねられた麦わらの長いトンネルの中を夢中で駆け抜けて、スピードの中にこだまする音を知った。
赤く燃えるかまどの前で、はじける薪の音と米粒がご飯へと変化する音とのせめぎあいに耳を集中させた温かさと緊張感。
 夕餉の後片付けをする冷たい水の中で3拍子のリズムで食器を洗い、頭に磨いたばかりの鍋をかぶって歌うとよく反響して美しい音に変化することも知った。

 ベートーベンは高校生の時初めて聞いた。彼は自然をこよなく愛し、生涯女性に憧れ続けた人である。音楽は「楽しい音と書くが、音楽作品は理念が詩情に化学変化したものだと思う。
 
 4~5才の女の子は決まって“ねえ、「エリーゼのために」 を弾いて”という、世界で最も有名なピアノ音楽である。「月光ソナタ」を聞きながら耳が聞こえなかったベートーベンの崇高さを思う。
                            
                                                       (山下はるみ)
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by mako0491 | 2012-02-16 18:18 | 音の魅力・魔力

1月7日付け
音の魅力
庄司紗矢香と
ベートーベン

 春の夕暮れ、ラジオから流れるバイオリンの不思議な音に魅せられた。奏者は庄司紗矢香(写真)と告げた。こころを躍らせて彼女のチケットを1枚手にいれた。

 その日 晩秋の闇の中で、噴水が散っていく音を聞きながら、冷たいコンクリートの壁にもたれて開場をまった。
 彼女はピンク色のドレスを着、飄々としてピアノ伴奏のジャンルカ・カシオーリと出てきた。共に若い30才と31才のコンビ。曲目はバイオリン協奏曲 第2、8、9番、全てベートーベンというのも面白い。

 シャンデリアが照らすホールの光と音が沈むと最初にピアノの美しい音が私の心に響いた。呼応してバイオリンが、微かな柔らかい音をだした時 はっとした。なんと静かな音、ベートーベンの音としては聞いたことがない。そう思った瞬間身体が前のめりになっていた。夢中で聞いた。途中バイオリンとピアノが少しリズムがずれるように聴こえる。それも全曲にわたって時々聴こえる。

 これは創造の瞬間!なのだ。私は神経を集中させた。リズムが合わないのではなく、二人の心が未知の世界へ入っているのだ。それぞれの音を探っているのだ。

 「創造とは自分の道をトコトコと一人で歩くこと、頑張らないで自分を信じて惚れること、上手な人は上手に、中ぐらいの人は中ぐらいに、下手な人は下手なりに」とは私の絵の師である元永定正氏の言葉である。
 
 自分の内部を見つめることによって、心は揺れたり孤独を感じたりして深くなっていく。

 音が心から湧き出るようで爽やかであった。しかも音楽の王、ベートーベンが進化していた。
あの弱音の美しさ、闇の中にふっと希望を見つけたような、ひとの心を震わせるものがあった。

                                                 (山下はるみ)
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by mako0491 | 2012-02-16 18:13 | 音の魅力・魔力
2月28日
掲載

音の魅力
写真付き

Bach(バッハ)は 誰も言葉にしてはならない

朝の光がそっと射し、小鳥や人々に一日が始まろうとしている時にバッハを聞きたい。遠くから微かでもいい、現実にそうは行かないけど。
私は命が輝く日は、また死への誘いを遠くに感じる時にバッハを聞く。
最もポピュラーなメロデイーには『G線上のアリア』があり、ピアノ練習曲の初期に『インベンション』がある。その第1曲目は間単な少しの音だけでできている。しかし誰もこれを超える曲は作れない。
音楽は神秘な数でできている。男の子に弾くことを進めたら“すごいっすこの曲”と興奮した。彼は今から始まる人生を予感したのだろうか。クラシック世界最高峰の一曲だよと、私は心の中で語りかけ『マタイ受難曲』のCDをかけた。
いま、『無伴奏チェロ組曲』を聴いている。ピアノ伴奏もオーケストラの演奏も、和音というものもない。バッハは旋律だけが2曲、3曲と同時進行していく(対位法といいます)。『ロ短調ミサ曲』、『イギリス組曲』、『ゴールドベルグ変奏曲』、『無伴奏バイオリン組曲』その他数え切れない。
バッハは約326年前、ドイツで生まれている。モーツアルト、ベートーベン、ショパンなど多くの音楽家が彼に学んだ。曲は神秘な響きで、飾らない清冽さで、魂の静謐(せいひつ)さへといざなっていく。
音は少ないけど宇宙の深遠な宴のようである。修飾で語れば何かを失い、言葉はむなしく聴こえる、こころが沈んだ日に聞けば尊い音に凛とさせられる。「バッハが好きよ」という人がいれば「私も」と言って恋がはじまる。不思議なBach!
教会のオルガニストだった彼が、赤あかと灯る夕べのひと時、チェンバロを弾き、家族が囲み慈しみあう姿は、人々の原点ではないだろうか。
(山下はるみ)
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by mako0491 | 2012-02-16 17:30 | 音の魅力・魔力