わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

カテゴリ:ヒト交差点( 18 )

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熊本県の慈恵病院に日本で初めて、親が育てられない赤ちゃんを匿名で預け入れるシステム「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の運用から10年。これまで125人の赤ちゃんを救い、大きな反響を呼んた。安易な棄子や育児放棄の助長につながり、匿名で預け入れることに子の出自を知る権利が損なわれるなど批判もある。

今回は関西で初めて「面談型こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の設置を目指して、活動されている神戸市のマナ助産院院長の永原郁子さん=写真=にお話を伺った。

 きっかけは、関西でこうのとりのゆりかごを設置するために「特定非営利活動法人こうのとりのゆりかごin関西」(理事長:人見滋樹京都大学名誉教授)が立ち上げられ、その理事に就任したことだった。

「何とかして命を守れないかと思いました。赤ちゃんはけなげに生まれてきます。生まれたばかりの赤ちゃんは、ここはどこ?というふうに周りをきょろきょろ見回しています。お母さんを信頼しきっています。泣いてもお母さんが抱っこしたら泣き止みます。信頼していたお母さんに殺されてしまうんです。そのような女性は、極悪非道ではない普通の女性です」。

「病院で産んだり、育てられない命を産むとこまで守り、後は託すという形にしたいと思っています。中絶される命も確実に人格がある命です。5か月くらいから記憶があります。計り知れない可能性のある命を、自分で生み出せないなら、託せば良いというふうにしていきたいと思います」。

保育器につながるドア(赤ちゃんポスト)の設置には、24時間医師の常駐が必要と神戸市の指導があったため、面談型に切り替えた。面談で話し合うことでお母さんが困っていることに焦点を当てて、問題を解決できると考えている。

お母さんの考えを整理して、一人でいるお母さんと一緒に考えられる。顔を見せたくない人や、夜来る人、誰にも言えない人もいる。助産師の仕事は女性に寄り添って母子の必要に応えることだ。母である女性の痛みにもふれることが出来ると考えている。

永原 郁子さん=1980年大阪大学医学部付属助産婦学校卒業後、病院勤務を経て1993年神戸市北区ひよどり台にてマナ助産院を開業。自然出産/母乳育児の推進/子育て支援/環境問題/戦争を語り継ぐ活動などを通して地域母子保健に携わる。

(中山まり)


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by mako0491 | 2017-07-15 09:50 | ヒト交差点

シニアとゲーム楽しむ

地域の高齢者の方々にいつまでも住みなれた地域でいきいきと健康でいられるようにと、看護学生が軽い運動などを考えてお話しさせていただく機会があり、私も一緒に御坊市にある地域の高齢者サロンにお邪魔させていただきました。

学生たちの話があるというので、わざわざ小雨の中、タクシーに乗り合わせて来て下さった方々もいて、学生の教育はこのような温かい地域の方々に支えていただいていることを本当にありがたく思う毎日です。

 学生の話のあとは、日頃、皆さんが楽しまれているゲームを一緒にさせていただきました。それは道具も手作りで、大きなレジャーシートに40個ほどの数字が書かれたマス目が的になり、その的を目掛けてパターゴルフのようにボールを5つほど転がして、ボールが止まった的の数字の合計を競うというものでした。

またそのボールが角のないサイコロのような形をしているので、思った方向に転がらず、その力加減もなかなか難しいのです。

学生も私も一緒に真剣に取り組んでみたのですが、サロンの方々には全く歯が立ちませんでした。「なかなか思う通りにいきませんねえ」と苦戦している私に、サロンの皆さんが「そうでしょう、人生とおんなじよ」と笑っておっしゃるのです。さすが、人生の大先輩です。 

その言葉になんともいえない重みを感じている私を不思議そうに見ている学生たちの若いまなざしもまた印象的でした。

 そういえば、私もこの学生たちの頃は、そんなことを考えもしませんでした。学生たちの2倍の人生を生きている分の経験の差なのでしょう。そのまた私の2倍近い人生を生き抜いてこられたサロンの方々のように、美しい笑いジワが似合うように歳をとりたいものです。

(石井 敦子)


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by mako0491 | 2017-06-25 16:27 | ヒト交差点

日中友好、庶民レベルでは・・・

9年前の519日は、四川省大地震の日。

私たちは、四川省南充市蚕糸学校とお付き合いがあった。

地震が少ないと言われている中国での大地震というのが信じられなかった。

また、レンガを積み上げた家が多いので、地震には耐えられないだろうとも思った。

卒業生も沢山、日本で働いていて、彼女たちに連絡をとり、家族の無事を確認したが、犠牲者がなんと多かったことか。

和歌山駅頭で、マイクを握り、四川省大地震災害の募金に立った。日中友好コミニティーかいこ倶楽部として、募金箱を持つ人、地声で訴える人、みんな中国のことではなく、自分のことのように募金活動に、力が入っていた。

マイクを通して一日中しゃべるのも、エネルギーがいる。

通りすがらの、中国人の方が、日本人が中国のためにあんなに募金活動をしてくれているのにと、10.000円を入れてくださった。

中国の方が、声をかけてくれて、その場で、一緒に私たちと募金活動に立って参加してくれる人もいた。

中国と日本での国境線なんてないですね。心が一つと感じた。

国は違っても、じっとしてはおれなかったが、駅頭に立って、みんな心配しながら、募金に応じてくれた人、一人一人の温かい気持ちに感謝💓

二日間で、140.000円ほど募金をいただいた。

中国大使館へ振り込みをすませ、地元誌で、みなさんへご報告をした。

温かい気持ちに、私たちのほうが、心うたれたものでした。

日中友好、国レベルでは、微妙で難しいことが多いが、庶民レベルでは、面子も関係なく、みんなお互いを思いやる大切なお友達だ。

(市野 政子)
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by mako0491 | 2017-05-30 12:09 | ヒト交差点
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「第一回 天野・花祭り」開催

「わかまなび」サークルというのは、和歌山大学を中心に・県立医科大学・信愛女子短期大学・高野山大学等の学生が連携して、社会教育・生涯学習をベースに、地域起こしを目指して作った研究サークルです。

 このサークルが最初に取り組んだのが、丹生都比売神社を核とした「天野の里の宝を発掘し、地域再生・活性化を目指す」ことでした。

彼らは、去る3月3日開催された、和歌山大学の主催の「クリエ・フォーラム」(学生の創造性を育てる活動)で、この天野地域での活動を、展示パネルを通じて発表していました。 数あるニュース性豊かなテーマの中で、地味ながら興味を引く報告でした。

たまたまそのフォーラムに出席していた私(和大OB)は彼らの活動に強く共感しました。その後彼等とのメールの交換が始まり、この「天野・花祭り」へのお誘いを頂いたわけです。 参加して私は多くの楽しさと今後の生き方の教訓を得ました。

中でも「天野の里」の自然や歴史・文化に魅せられ、他府県から移住されている複数のご家族のお話。学生たちの、参加者に対するサービス活動のチームワークの姿。さらに深まった「天野の里の持つ宝」の知識、それに加えて、地域の人たちの「天野の里づくりの会」の意気込み、等々。それを感じながら素晴らしい一日を過ごさせて頂きました。

 花見の会ばかりでなしに、場所を「天野地域交流センター」に移して開いた参加者35名余りの自己紹介と意見発表は地域と世代を超えて、新鮮で興味深いものでした。6月には「蛍の乱舞・鑑賞の会」も地元で企画されているようです。

(久山 稔)


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by mako0491 | 2017-05-18 19:30 | ヒト交差点

4.21人交差点

エキストラそれとも女優?

人生も折り返し点を過ぎて、残りのページに新しい項目を加えたいと思い、エキストラ登録をしてみました。

 同時に二つ。一つは事務所での登録。登録料が安いものを選びました(初回だけ、更新料不要の5千円)。もう一つは登録はメールアドレスのみ。自分でエントリーするので費用は一切かかりません。

 さて、事務所からエントリーしても良いかの連絡が数回ありましたが、日程などが合わず流れていたのです。エントリーというのは、広告やテレビ・映画出演などで、条件に合う人を事務所側から推薦するものです。

 当然、関西にいくつあるか分からない事務所からの複数エントリーのため、選考されるとは限りません。この方法ではギャラが発生します。

 二つめのメールエントリーは、別件です。この案内を見る限りは、その他大勢的な案件が多く、ギャラはおろか交通費もなく、全くボランティアです。お弁当がでることもあるようですが、長時間拘束される場合に限ります。有名人に会えるというだけ、思い出つくりにはいいかも知れません。このメール案件は見るだけです。早朝は定番のようですし、夜遅くまでと言うのも多いので無理。

 私は、事務所の登録直後、福山雅冶の映画でエントリー応募しましたがダメでした。かなり朝早くしかも遠い京都の山奥にもかかわらず、ボランティアでもいいと思う方は相当数いらしたのです。

 ついこの間初回エントリーで選ばれ、京都の老舗結婚式場に行ってきました。そこでの体験を。

 役は「花嫁の母」ということでした。当然「花婿の母」もいます。控室でその方のお話を聞きました。 

 彼女は大のベテランでいくつものエキストラ出演をしています。主にテレビの再現ドラマやひな壇に座るということでした。この春からレギュラー出演もあるとか。彼女いわく、

「演技とか、容姿とかより、時間の融通がきくから重宝されるのよ」。「ひな壇ではユニークな体験や赤裸々な話ができるひと」だとか。ギャラは振り込まれるけれど雀の涙程度、細かく確認する人は事務所に敬遠されるらしい。

 初体験で結局花婿の母になり、大手結婚情報誌の何号に載るのか不明。選考されたといってもギャラは本当に僅かで二ヶ月後ということでした。が、いい経験ができました。

   (中村 聖代)


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by mako0491 | 2017-04-25 11:52 | ヒト交差点

ネコと私

ヒトとの交流より濃いにゃん

 

 我が家は私が子供の頃からイヌ派で、特にこれという理由があってのことではなく、しつけをし易いとか、性格が単純でわかりやすいのがよかったからだろう。


14年間飼って最期を看取ったイヌは、かつてはうるさいことの代名詞になっていた時代もある「スピッツ」。当時の登録数としては日本全国で5,000頭程度だった。そういう犬種なので、美容師さんはスピッツカットをよく知らず、散歩に連れて出ると、「これは,何犬ですか?」とよく聞かれた。欲目ではなく、客観的にみて町内一の美人犬だった。

 

 そうこうしているうちに高齢の母まで突然、亡くなってしまい、線香を買いに行った帰り、路地をとぼとぼ歩いていると、塀の上から「にゃあ」と声をかけられた。上から見下ろして来るその子は、10㎏もありそうな、それは大きなネコに見えた。ネコに慰められるなんて…。


次回からネコ用のおやつを持って路地に行きましたとも。そして3回目の逢瀬では私の姿を遠目に認めるなり、そばに来るのが待ちきれないとばかりに、なんと身悶えするかのようなしぐさをしたのだ。


そんなネコの様子を見て、振り返ってこちらを確かめる人もいた。仕事をしていたので、貢ぎ物は土日の午後だけだったが、私のハートをがっちりつかんだという確信を得たからか、ネコと私の関係は「熱愛期」から「安定期」「倦怠期」に入った。


愛想はなくても、おやつ目当てに近寄って来る姿が十分かわいかったが、わかった、わかったと言わんばかりの態度をとられたり、日向ぼっこを優先されたこともあった。う~ん傷つくなあ。チューブ式のおやつでは、絞り出しが遅いっ!とばかりに前足を添えられ、上から歯でしごかれることもあった。

 

 そのネコは、ケンカのためか片目に怪我をしていて、いつも目ヤニをためていた。そんなミー子(実はメス)の死亡告知が春浅い日に塀に掛かった。ええ。花束が幾つもお供えされるような、浮気者でした。

(犬神なおこ)


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by mako0491 | 2016-12-03 00:54 | ヒト交差点

若者の働く意識事情

自分の興味・関心のある事柄を仕事に
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 中学生・高校生と若手の社会人が仕事や働くことをテーマに意見交換をする活動の企画会議をしていた時です。どのようなことを学生に伝えたいか話をするために、様々な若い社会人に集まっていただき、まずは自分たちがどのような意識で働いているかを聞かせてもらいました。

 その一部の紹介を通じて、若者は働くことをどのように捉えているのかを伝えたいと思います。次の意見は
それぞれ30代前半の経営者および研究員の方のものです。
 
 一人は『本気で好きな事、楽しいと思えることを仕事にしていく。同業者から一歩抜きん出るには仕事自体に創意工夫の源となる興味を持つことが必要じゃないか。』と話し、また別の方は『仕事はプライベートを充実させるためのもの。好きな事や楽しい事を仕事外でするために働いているので、仕事そのものに楽しさは求めていない。』と答えます。

 お二人とも仕事は順調にこなされている様子の方々です。このような一見して異なる考えを持っている方々が意見を伝え合う中で、ある一つの気づきを得るに至ります。それが「違うことを言っているようでも、おそらく同じことを言っていると思う。でも今はその共通の言葉が見つかっていないだけ。」という見解です。

 これについては学生に何を伝えたいかを検討している際に、共通の言葉が見つかったような気がします。それは「仕事を選ぶ際には興味・関心があるものの周辺にも視野を広げることが自身の仕事選びに役立った」という意見です。

 例えば自動車整備の仕事をしたいと考える人がいるとします。その仕事だけではなく周辺の「自動車部品の製造」や「他の機械の整備」などにも目を向けることが自分の可能性を広げることになると会議参加者の中で一致しました。

 仕事そのものを楽しいものにしたいと思うかどうかは人により違いますが、自分の興味・関心のある事柄を仕事にしていきたいしそうするべきだという想いは今の若者に共通している考えなのでしょう。
                                     (澤田 淳)
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by mako0491 | 2016-06-12 15:18 | ヒト交差点
スコットランド人との小さな交流

 ある事がきっかけで、海が見えるログハウスカフェを白浜で始めて12年を迎えました。大阪から誰一人知る人もいない土地で週末3日間、冬季は4ヶ月間休みの営業スタイルは、当初、地元の方達が、びっくりしていました。e0171960_10442416.jpg

 でも、こうして続けていられるのは、沢山のお客様との出会いとエピソードが誕生しているからだと思っています。

 観光地でもある白浜でのカフェ営業は、旅の想い出を作れる一つとして、接客することを一番心がけています。

 そんな思いを込めて、日々、奮闘している内に、よそ者扱いされていた私が、いつの間にか、すっかり地元の方の憩いの場所としても利用されるようになりました。そんな「カフェペトラの里」での出来事で心に残るエピソードを取り上げてみました。

 ある日、急に降り出した雨にびしょ濡れになって駆け込んで来られた外国のカップルのお客様。びしょ濡れになっていましたので、タオルを差し出して、濡れた服は別の場所へ掛けました。雨が止むまで、店内でゆっくりお茶をされましたが・・雨は止みません。夕方、雨の中、帰られる時に、お二人に「プリーズ}」と言って傘をお渡しました。お二人は、仲良く合い合い傘で帰られました。

 翌朝、民宿の店主が訪ねに来られ、昨日のスコットランドのお客様がこちらに大変お世話になったので、帰る時に、渡して欲しいと預かりましたと、傘と袋を手渡されました。

 その袋の中には、お二人がおそらく愛用されているイギリスの紅茶でした。よく見ると、そのパッケージには英語で「サンキューベリーマッチ」と、お二人の名前と傘の絵が描かれていました。

 まさか、戻って来るとは思わなかった傘。そして、その紅茶は、10年前からずっと冷蔵庫に保管しています。

 そして、ペトラで出会った地元の方が結婚したり、プロポーズの場所になったり、有名な切り絵師になるきっかけになったり・・・今年もいろんな出会いを楽しみにペトラは開店します。
                        (西川 福美)
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by mako0491 | 2016-03-17 10:49 | ヒト交差点

 トルコとの友好さらに深める


 東の太陽、西の月とは何でしょうか? 日本とトルコの国旗のこと。12月5日に全国公開される日本とトルコ合作映画『海難1890』。物語の舞台となった串本町大島、樫野地区で「エルトゥールル号遭難を語り継ぐ会」のガイド堀口徳弘さんに話を聞いた。

 大島の東端に樫野崎灯台がある。450m手前に樫野崎駐車場があり、灯台へと続く遊歩道が整備されている。  

 堀口さんらは通常トルコ記念館、コヨチの浜(船甲羅)、トルコ軍艦遭難慰霊碑、アタチュルク像、樫野崎灯台の順にガイドする。 

 ガイドは7名。その中には曾祖父母、祖父母が実際に救助に当たった人もいて、代々語り継がれたエピソードなども聞かせてくれる。

 堀口さんは、ガイドをする時、まず1985年イラン・イラク戦争で日本の救援機が間に合わず、イランから脱出することができなかった日本人をトルコの救援機が救ってくれたことから話す。

 時代を遡って1890年の遭難事故。軍艦には650余名が乗船。587名が死亡。生存者は69名。慰霊碑には285名が眠っている。串本町や古座町の浜辺に流れ着いた遺体も、時の大島村長の沖周は、樫野へ運び埋葬した。

 今も5年毎に執り行われる慰霊祭は、トルコと串本町合同で行う。初期の慰霊碑は簡素なものだったが、昭和天皇の樫野崎行幸の際、トルコの初代大統領ケルマ・アタチュルクが現在のものを建て、またトルコのメルシン市にも同じ慰霊碑を建てた。

 最初の慰霊碑(墓標)は、現在の慰霊碑の塔の中央へ設置されている。灯台手前のアタチュルク像のことにも触れてみたいところだが、ぜひ大島に来てガイドの話を聞き、この歴史を語り継いでいただきたい。樫野崎の丘は、これから水仙の季節を迎える。
                            (玉置 ひとみ)

(参考資料)
「エルトゥールル号遭難を語り継ぐ会」 問合せ先:0735-65-0255(代表 高山)
東の太陽、西の月は映画の台本に書かれていたもの(仮称)
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by mako0491 | 2015-12-09 17:08 | ヒト交差点
9月4日掲載

「ガンが病気じゃなくなったとき」の著者
e0171960_1134192.jpg  岩崎順子さんは「いのちの講演家」。夫を自宅で看取り、その体験を綴った「ガンが病気じゃなくなったとき」(青海社)の著者でもあります。海南市在住。
 
 全国各地で「いのち・人権・心・子ども・親子高齢者・生と死・グリーフケア・心の病気・戦争」等々色々なテーマで780回以上の講演をしています。また、「大きないのちのめぐりの中で」というブログを開いています。
 
 岩崎さんのお話「いのちの繋がり、心のこと」を聞く機会があったのは、もう2カ月近く前のことなのに、すぐに原稿にできなかった訳がありました。 それは筆者自身が母親との別れを経験したからです。

  多くの人に支えられ幸せな最期を迎えられた母。その方々への感謝の念でいっぱいです。それはとりもなおさず、母親自身の生きざまがそうさせたのではと思えてなりません。

  岩崎さんは言っています。(以下引用)
 誰ことがもが、病気より健康を願います。でも、病気や死に出逢ったからこそ、「いのち、生きること」「人との出会い」に向き合えるチャンスをもらえたように思います。

  ガンが贈り物だと思える日も、思えない日もありました。すべては、ありのままに・・・。
  弱いからこそ、人の温かさに気がつく。小さいからこそ、優しくなれる。人の心の温かさ感じることが出来るための 弱さや小ささを与えてもらったことに、気付かせてもらえたのは、病気がきっかけでした。

○その人が、その人らしく生きること
○人は、誰かの存在を通して自分の内側を観ることができる
○当たり前と思っている事の中に、大切なことがある

ブログURL
http://poku0216.blog.fc2.com/
『人のご縁や自然の中で生かされていることを ちょっと心を緩めて書かせてもらいますね』
                                               (中村 聖代)
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by mako0491 | 2015-09-03 11:45 | ヒト交差点