皇位継承の準備
2018年 02月 10日
「男の独り言」
「昭和」が沈み込む
昨年暮れ、12月1日に宮内庁で開かれた「皇室会議」で、平成の時代が終焉していく道筋が決定されました。「来年、平成31年(2019)4月30日に現・天皇陛下が退位され、5月1日に現・皇太子が天皇に即位する」という事でした。
元号も本年、早い時期に決定され、皇位継承の準備が進められるとの事でした。
かねてより天皇よりご意向が示されていた事でもあり、元号が新しくなっても、政治や経済・文化に大きな変革が予測されるわけでもありません。それだけにテレビや新聞が大袈裟な特集を組み大騒ぎをすることに「視聴率狙い」を嗅ぎ取り反発も感じます。
しかしそこが節目になって、現代社会が引きずっている汚れた世のしがらみを断ち切り、少しは「『清楚で静かで、安定した社会』に生まれ変わって行ったらいいのに」くらいの期待を誰しも持ってしまうのも正直なところです。
現・天皇が私より2歳年上であられるだけに、同世代に生きたものとして共通の記憶と感性を積み重ねてこられたのでないか。過ごした世界が違うとしても、歴史の事実から生まれ出た憤りや、悲しみや、喜びを理解し共感できる世代だと思っています。
御父上が太平洋戦争の「終戦の詔」を、肉声で国民の前にラジオの電波に乗せて語られた記憶は鮮明であられるでしょう。当時小学校3年生であった私でさえ、その日の玉音を聴いた村の幾つかの風景が、記念写真の様に記憶に残っているのですから。
今私は「平成」という30年間の終焉を意識するよりも、昭和という時代の記憶が完全に歴史の淵に沈みこんでしまうのだという感慨の方が重いだけに、現・天皇も同様なのではないかと拝察するのです。
「平成天皇」(多分そう称せられる)は、自分の父親・昭和天皇の耐え難い悲しみを自分の事として受け継ぎ、沖縄をはじめ東南アジアの国々を訪歴し、戦没した幾十万の人々の前に深く頭を垂れてこられたのでしょう。
その瞬間々が静止画像の様に私の記憶にあります。私自身、そういう時代の残滓を引きずりながら、次の平和な「平成の時代」の恩恵を享受し、その感謝の念を次の「元号」の時代の息子・孫の世代に申し送ろうとしているのです。
現・平成天皇も同様の深い感慨の中で、皇室会議の今後の経過を見守っておられるのでないかと拝察し、深い敬意を捧げているのです。(久山みのる)