きれいごとで済まぬ嫁姑問題
2014年 11月 14日
11・7日掲載
解決の糸口さえないこのケース
嫁姑のバトルは時代は変われど、未来も解決の糸口もない難問かもしれない。先日、半分うつ状態になり円形脱毛症になった友人から愚痴を聞き、改めてそう思った。
「高齢者と向き合う」といった講演のテーマのような綺麗事ではないようだ。高齢者の威厳、高齢者の心理など尊重してみても、本人の性格、人柄は納得しょうと努力するにも、嫁の心には重くのしかかる。
友人のケースでは、姑は何があっても、自分の間違いを絶対に認めない。理屈をつけてでも、正当化する。あてつけ、嫌味を言いながら、自分の要求を出してくる。以前は、それでも、「きっと、こうして欲しいのだな」、と、気をまわして、動いていたそうだがーー。
台所は譲らない姑。家の中で、役割を持たせることも大切かも、認知症予防にもね。「台所は、あなたに任せた」。姑には、「いつまでも、私がやらなければ」と思わせる。おかげで、嫁は自分の用事も出来るので、ありがたい。
だが、昨日の鍋に、残ったままの味噌汁、暑い夏、中味を腐らせている。自分の食器は自分で洗うという。しかし、お皿にはマヨネーズが、マグカップは、真っ赤な口紅が、ビタッとついたまま乾燥機に。それでも、「ちゃんと洗ってる!」と強く言う。この性格、死ぬまで治らないよね。
決して綺麗事ではすまされない現実がある。
そういう私も、姑の立場なのだ。嫁と仲良くしたいから、なるべく距離をおき、子供たちは、子供たちの生活があると思う。
可愛いおばあちゃんになりたいとは、誰でも願うこと、いずれ自分も行く道だ。嫁姑バトルを避けるためにも、人の振りみて、我が振り直せという言葉も、肝に命じなければと、感じるこのごろである。
(市野 政子)
解決の糸口さえないこのケース
嫁姑のバトルは時代は変われど、未来も解決の糸口もない難問かもしれない。先日、半分うつ状態になり円形脱毛症になった友人から愚痴を聞き、改めてそう思った。
「高齢者と向き合う」といった講演のテーマのような綺麗事ではないようだ。高齢者の威厳、高齢者の心理など尊重してみても、本人の性格、人柄は納得しょうと努力するにも、嫁の心には重くのしかかる。
友人のケースでは、姑は何があっても、自分の間違いを絶対に認めない。理屈をつけてでも、正当化する。あてつけ、嫌味を言いながら、自分の要求を出してくる。以前は、それでも、「きっと、こうして欲しいのだな」、と、気をまわして、動いていたそうだがーー。
台所は譲らない姑。家の中で、役割を持たせることも大切かも、認知症予防にもね。「台所は、あなたに任せた」。姑には、「いつまでも、私がやらなければ」と思わせる。おかげで、嫁は自分の用事も出来るので、ありがたい。
だが、昨日の鍋に、残ったままの味噌汁、暑い夏、中味を腐らせている。自分の食器は自分で洗うという。しかし、お皿にはマヨネーズが、マグカップは、真っ赤な口紅が、ビタッとついたまま乾燥機に。それでも、「ちゃんと洗ってる!」と強く言う。この性格、死ぬまで治らないよね。
決して綺麗事ではすまされない現実がある。
そういう私も、姑の立場なのだ。嫁と仲良くしたいから、なるべく距離をおき、子供たちは、子供たちの生活があると思う。
可愛いおばあちゃんになりたいとは、誰でも願うこと、いずれ自分も行く道だ。嫁姑バトルを避けるためにも、人の振りみて、我が振り直せという言葉も、肝に命じなければと、感じるこのごろである。
(市野 政子)
by mako0491
| 2014-11-14 23:58
| 女の視点