人工関節に置換する手術
2014年 06月 18日
6.20掲載
健常者が考える親切とは
この春、15年も患ってきた左股関節を人工関節に置換する手術を受けた。連休前に退院して今現在も杖歩行で日々慣れてきてはいるがいろいろ不便なこともあり課題が多い。
術後は、車椅子から始まり、歩行器、杖歩行へとリハビリが行われる。車いすは介助ありの次は自走になる。左右確認をしてゆっくりスタートさせても二足歩行の方の急な飛び出しや前を横切ることに何度もひゃっとさせられた。歩行器も杖歩行の時も然り。
果たして術前はどうだっただろう。車いすの方との目線の高さの違いを認識することもなく、前を横切る、急な進路変更もしていたと思う。
また、不満など口にしては罰が当たるのだが、いま日常の生活を普通にすることが最高のリハビリであり、快方へ向かう手段である。なにも病院に通って歩行訓練することだけがリハビリではない。
歩くことは筋力を鍛えることなので、極力歩くようにしている。日常の家事や買い物も不自由ながらも今日できることを考えて行動している。街に出ると本当に親切な人が多く、いろいろ細やかに手を差し伸べてくださる。日本人の思いやりに感謝しながらも、思うように行動(リハビリ)ができない。
心遣いは有難く受けるべきという心と、放っておいてくれという心と。葛藤する。しかし、大抵はお心遣いに感謝し、続きは誰も見ていないところで頑張ろうと思う。
十人十色。一人一人考えは異なると思うが、体が不自由になってみて、健常者が考える親切というのは時には頑張ろうとしている人の邪魔になっているかもしれないと感じた。手を差し伸べる前に「お手伝いしましょうか?」と聞いてほしい。
(玉置 ひとみ)
by mako0491
| 2014-06-18 13:08
| 女の視点