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わかやま新報女性面 (月一回金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

書家の人生の軌跡

11月8日付けあたま

北原美麗さん、和歌山の高い

レベル背負って奮闘


 県下書初め会、年3度の競書会、市民憲章など特長ある教育書道のしくみを持つ和歌山県は、特に書道が盛んな県であり、全国的にレベルも高い。これらは天石東村氏をはじめそれに続く多くの師によって脈々と受け継がれている。その流れを汲み、現在は、「美文字講座」を開設している書家の北原美麗さんに紀望塾(当NPO共催の研究会)で話を聞いた。

                                              (中村 聖代)


研究会で発表する北原さん(中)

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 【旧家に嫁いで】
 美麗さんは東京オリンピック開催の年、1964年和歌山市内で生まれた。短大卒業後21歳で結婚し、3人の子供を出産。高校時代のバトミントン部のОB同士で知り合った夫の実家は、井戸や土間のある旧家で、舅や姑をはじめとする10人の大世帯だった。朝早くから夜遅くまで家事と育児に専念する毎日を送っていた。

 そんな中で唯一自分の時間が持てたのは、子供のころから続けてきた書道だった。1991年に師範免許を取得。2年後には自宅で教室を開くことになる。以来なんの疑問も持たず、子育てと家事、そして書道の毎日が続いた。

 そんな人生を、変えるきっかけとなる二つの出来事があった。
 一つ目は母を亡くしたこと。嫁ぎ先への遠慮から、長年里帰りもままならなかったが、2006年、余命10ケ月の癌だと宣告された母親のもとに帰り、数か月付き添った。

 【FM和歌山に出演】
 書道を教えてはいたが、人前で話すことが苦手だった美麗さんは、色々なカルチャースクールの「話し方教室」に通った。和歌山市にある全ての講座を終了した後は、大阪天満まで通ったこともあった。

 ある時、お世話になった先生からFM和歌山のパーソナリティの仕事を紹介された。月曜日の夕方、2時間の生放送「バナナドライビングミュージック」という番組だった。
 全くの素人からの出発だったが、アナウンス教室に通うなどしながら3年間頑張った。

 【自身にも癌宣告】
 二つ目は自分自身の病気だ。FMでのパーソナリティの仕事は最後まで満足できる域までは達しなかったが、三年目に入ったころ、今度は自分自身に癌が宣告される。青天の霹靂だった。幸い発見が早かったため手術も成功し、今は元気だが、この時を境に残りの人生を考えるようになった。そして常に自分の傍にあったのは書道だと気付く。

 【フリーで活動】
 2012年、それまで書道家としての活動の大部分を占めていた所属団体を脱退、各協会の役職も全て辞任した。今は全くのフリーの書家として日々様々な活動に取り組んでいる。

 それらの活動は大きく3分野に分けられる。書道教室を中心とする教育書道、芸術家としてアート書作品を創り出す書道作家、そして、依頼に基づき文字を書くことを生業とする筆耕業である。

 それら三つに共通する基本として、昨年より取り組んでいるのが「美文字講座」だ。これは手本通りに真似るのではなく、これまで長年培って確立した美麗流美文字の法則を会得してもらうことを目的としている。

 「理論とルールがわかれば、もうどんな字がきても大丈夫です」と、美麗さんは言う。この講座は、要望に合わせて団体やグループ毎に時期や場所を設定する訪問講座も行っている。

 【今後の夢は】
 美麗流美文字の理論の普及に力を入れることで、世界的にも美しいフォルムの漢字かな交じりの手書きの文字を、日本人ならすべての人が書けるようになること。このことが、自身が育てられてきた書道界への恩返しでもあると思っている。 

 以前はよく「NHKの大河ドラマのタイトルを書きたい」と公言していたが、いまではそれも夢の通過点でしかなくなってきた。

 未来の子供たちに、手書きで美しい文字が書けることを残し伝えること、そして美麗流フォントを作ることが大きな夢となっている。

 そのためにも自分自身が広告塔になって、県外へ、そして世界へと活動の幅を広げていきたい、と美麗さんは語ってくれた。
by mako0491 | 2013-11-09 02:53 | アタマ記事