わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

カンボジアの孤児院の代表

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メアス博子さん


昨年7月にフォルテワジマにてカンボジアの孤児院「スナーダイ・クマエ」の子どもたちの絵画展が行われた。例年、和歌山市をはじめ、吹田市、尼崎市、神戸市、東京や名古屋市、長野市、旭川市においても開催されている。この孤児院の代表メアス博子さんに会って話を聞く機会を得たので紹介したい。

(中村 聖代)

【スナーダイ・クマエとは】

 「カンボジア人の手によるもの」という意味の「スナーダイ・クマエ」は、カンボジアの明日を担う人間の育成と、この孤児院の運営を担う人材の育成の二つを目指す。

 代表はメアス博子さん。和歌山県海南市の出身だ。

【厳しい幼児教育】

 「これからの人は英語が出来なければ」という母の信念のもと、博子さんは幼少児から英語学校に通い、親しんだ。英語教育の盛んな星林高等学校国際交流科(第3期)に推薦されたのも当然の流れだった。

 博子さんの母は、茶道華道の師範。「自分のことは自分で」と、炊事・洗濯・掃除なども小さな時から当たり前だった。

 そんな躾の厳しい家庭だが、愛に満ちていて、「家では性別・職業・年齢・人種などによって差別する意識は全く存在しませんでした」と、博子さんは振り返って言う。

【卒業旅行で知り合う】

 あまりに英語漬けの学生生活を送った反動として、甲南大学の経営学科に進んだ博子さん、卒業旅行はカンボジアだった。

 母の知人がカンボジアの中学校の校舎を寄付したのでその視察をかねたツアーなら旅費を出してくれるという。そしてそこでトミー氏と知り合い、結婚。

【設立者トミー氏】

 トミー氏は中学生の時にインドシナ難民として家族で日本に移り住み、大学院を卒業後カンボジアに戻って日系企業に就職した。

 カンボジアに戻った1995年、10数年前と何ら変わっていない自国の教育事情に愕然とし、かつてお世話になった日本人の協力を得ながらシェムリアップ州に寺子屋風の語学教室や学校の建設を主活動とする団体を設立する。それが現在の「スナーダイ・クマエ」の前身だ。

【孤児院との出会い】

 博子さんは1998年結婚当初は首都プノンペンで暮らしていた。専業主婦で、仕事といえば日本にいる支援者にお礼と報告の手紙を書くことだが、現地に行ったことがないので通り一遍のことしか書けない。生まれたばかりの幼い長男を抱え、交通事情も治安も、病院施設も空気も悪い環境で夫の帰りを待つ「かごの鳥状態」に不安ばかりが募った。

 で、決心して孤児院のあるシェムリアップ州に子どもと二人移った。2000年のことだった。

【孤軍奮闘】

 1998年当時は全てカンボジア人スタッフ、貧困で子だくさんのため養育困難な児童や身寄りのない子ども20人ほどがいて公立の小学校に通わせていた。

 現地に来た博子さんは、初めは毎日毎日ごみを拾い、燃やしていた。広大な敷地全部がごみ捨て場と化し、2年分のごみが溜まっていたからだ。

 それを見ていた子どもたちが徐々に手伝うようになり、自分のことは自分でするようになり、さらに掃除だけでなく調理や水汲み、えさやりなどの手伝いも出来るようになった。

 2004年ごろからは虐待から保護された子どもたちを積極的に受け入れるようになった。

【夫との別れ】

 仕事の関係でプノンペンに単身暮らしていたトミー氏と別れることになったが、孤児院を途中で放棄するわけにはいかない。設備も少しずつ充実し、子どもたち・卒業生・スタッフ・何より博子さん自身を成長させてくれた孤児院だ。

カンボジア政府からの援助は全くない。定期・不定期に継続的に支援する多くの日本人に支えられてここまで来れたのだ。

【絵画展を続ける】

 スナーダイ・クマエでは学校で触れる機会のない絵画の時間を2008年から施設の時間割に取り入れている。子どもたちの今の姿を見てもらいたい、そして感謝を表したいとの思いから日本での絵画展が始まった。作品をもとにしたオリジナルグッズを販売することで、運営費の一部としている。

博子さんの思い・

「これらのこと全ては亡くなった両親から受け継いだものを次に伝えている、という気がします。カンボジアの子どもたちから多くのことを学びました。私は現代の日本の若い人たちが親(先祖)から受け継いで繋ぐーという行為が廃れているような気がしてなりません。カンボジア人のような、ある意味自然な生活を送ることで素直に受け継ぐことができる、それが幸福への近道のひとつではないでしょうか?」


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# by mako0491 | 2018-01-16 18:31 | アタマ記事


男がスーパーへ買い物に行く

 たまたま、私の家内が1か月の入院生活を余儀なくされた。それまではマイカーでのアッシー君役で、駐車場で本を読みながらの辛抱、店に入ることはまずしなかった。店の買い物かごを持つ嫁はんのそばにくっ付き、魚売り場のカウンターで品物を指差す姿を他人の目に晒すことに強い抵抗感があった。

 ところが、独り暮らしとなるとそうは行かなくなった。最初の1週間は、高齢者支援センターのお世話で、配食センターから一日2回の配食をしてくれることになった。

ところが私の毎日の食事は、55年間の家内の手作り味に慣らされてしまっており、しかもその間、胃の全摘手術や前立腺癌や膵臓炎と家内に言わせると病気の百貨店の様な病歴を重ねただけに、それに対応する食材と味付けが求められていたのである。

入院していた家内は、夫は三食どうして食べているのか、自分の病状よりそちらの方が心配であったらしい。「大丈夫だよ」と言いながらも、長期には耐えられなかった。

 

 もともと私は田舎の農家育ち。太平洋戦争直後、自家の田畑で採れるコメ、麦、野菜で育った世代である。夕刻、学校から自宅に帰ると、玄関の上がり框に、農作業に出ている母親から置手紙があった。最後に「頼みます」と付記されていることもいつもの通りであった。ある日、「里芋と油揚げの煮っころがし」のメニューがあった。芋が変わるだけで大変だと思った。

私の家族は祖父夫婦と母と兄弟6人の9人、大家族であった。竹ベラをナイフの様に使って最後の仕上げをする皮むき作業が難儀だったのだ。小学生の妹に手伝わせながら必死であった。家族揃っての温かい夕食を思うとき、手抜きは出来なかった。

 そんなの経験が80歳の今、活きて来るなど思いもしなかった。スーパーの手押し車に駕篭を載せて巡る抵抗感など、知らぬ間に吹っ切れていたのである。売り場カウンターを覗く面白さ、料理を作る楽しさが芽生えてきたのである。見回すと、同じ世代や一人者の男が目を輝かして食材を物色している。「男のこだわり」など、なんの意義も無いと知った次第である。 (久山みのる


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# by mako0491 | 2018-01-16 18:06 | オトコの独り言

12日ヒト交差点


和歌山に暮らす外国人妻

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前田 芳(ホウ)さん=写真=が内モンゴルに留学していたご主人と結婚したのは芳さん23歳の時。卒業後二人で中国の学校に通い、資格を取得して来日。3年ほど大阪で暮らした後、ご主人の実家のある和歌山に来て12年が経つ。         

今では日本語もうまくなり、夫婦で中国式リフレクソロジー(足裏マッサージなど反射療法)の店を営むかたわら中国語を教え、ご主人の実家の老舗料亭を手伝い、妻としても、主婦としても、一男一女の母としても、日本社会にしっかり根を下ろして生活している。

来日して間もないころ、信号のない横断歩道を渡ろうと立っていると一台の車が停まり、どうぞと手で合図して渡らせてくれた。また道を尋ねた時はそこまで連れて行ってくれたり、地図を描いてくれたりした。その方たちのやさしさと親切に芳さんは感激。

一番苦労しているのは、やはり日本語。漢字で書けば意味が理解できるものもあるが、日本語にはいろんな言い方があり相手に失礼なことを言っていないか心配だと言う。

日本で生まれ育った中学1年と3年の子どもたちからは「お母さんの日本語、変だ」と言われる。「ラベンダーの香り」を「ベランダの香り」と言ったり、「ハーゲンダッツ」が「ハゲンダッツ」になったりして大爆笑されたことも――車の運転免許試験にも、日本語能力検定試験1級にも合格しているのだけれど・・・

日本人より日本人らしい細やかな心遣いをする芳さんは、日本語をもっと上手になって日本と中国の交流の役に立ちたい、誤解が深くならないように中国人にもっと日本のことを伝えて教えてあげたい、日本人にも中国のことを知ってもらいたいと願っている。

 民間の草の根交流を深めたいものである。

  (林 多恵子)


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# by mako0491 | 2018-01-16 18:01 | ヒト交差点

1月9の視点

結婚式

 大学で家族機能について講義する時、学生たちに「結婚とは何か」という問いを投げかけています。まだ二十歳前後の若い学生たちからは、「永遠の愛を誓うこと」や「好きな人と一緒に人生を歩むこと」といった回答が返ってきます。人はいつ頃から「結婚は人生の墓場だ」などと言うようになるのだろうかと思いながら、結婚を夢見る世代の大学生たちと結婚や家族機能について話し合っています。

 結婚といえば、先日、久しぶりに結婚式に出席する機会がありました。昔いっしょに働いた同僚の挙式ですが、いわゆる晩婚カップルの大人結婚式です。高級ホテルに新郎新婦双方の職場関係者の方々が招かれ、披露宴には奇抜な演出や余興などはなく、しっとりとした良いお式でした。女性にとって白無垢姿や純白のウェディングドレスは幼い頃からの憧れであり、それを身にまとう結婚式は幸せの象徴のようなものです。 

それも時代背景によって、派手婚や地味婚といった変化を経て来ました。近年は、女性にとって結婚が決してゴールではなく、結婚後も仕事を続け、社会的立場を大切にしていくという女性も多くなってきています。そんな時代だからこそ、結婚式は人生儀礼としての意味合いが強くなるのかもしれません。

 生を受け、天寿を全うするまで、人の一生にはさまざまな人生の節目があります。七五三や成人式など、どの節目にも成長を喜び見守ってくれる家族の存在があります。それらの人生儀礼の中でも、結婚式は最も華やかで特別なものだと感じます。それは、新たな家族を創るに至るだけの人としての成長の喜びがあるからではないでしょうか。「結婚とは何か」それは「家族の創始」だと思うのです。

(石井 敦子)


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# by mako0491 | 2018-01-16 17:53 | 女の視点

12.8頭記事

シンギングボウル

最近ヨガ教室では不思議な、そして心地のよい音色が響いています。どんな音色でしょうか?それはシンギングボウルです。あまり聞いた事がない言葉ですね。ここではシンキングボウルについて詳しく説明しましょう。

(ヨガシャンティ・神谷弥生)

ネパール仏教などで

シンギング=歌う ボウル=鉢(はち)シンギングボウルとは5世紀以前から使われていたネパール仏教やチベット密教の儀式にラマ僧が使っていた神聖な仏具と言われています。 

現地では「ドニパトロ」と呼ばれています。私の持っているシンギングボウルもネパールで作られたものです。

このシンギングボウルを木のスティックで叩いたり、なぞるようにこすると心地よい倍音を伴った不思議な音色と振動が起こります。

古来からこのシンギングボウルの音色は身体の痛みを和らげ、心や身体が安らぐという効果があると言われていました。

欧米での取り入れ盛ん

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現在ではシンギングボウルを使って演奏したり、身体に振動を与えてマッサージ(シンギングボウルセラピー)することでその場所や身体、心、エネルギー(ヨガの用語でプラーナ)を浄化し、副交感神経優位(リラックス状態)に導くなど様々な効果が期待されています。

日本ではまだなじみがありませんが欧米を中心にヨガや瞑想などにも取り入れられています。

7つのボウル使う

本格的な演奏やシンギングボウルセラピーをするには7つのシンギングボウルを使います。

この7つのシンギングボウルはその澄んだ響きと音色で身体にあると言われている7つのエネルギーの出入り口「チャクラ」を活性化し、心身のバランスを整え、精神面に置いて高次の成長を促してくれます。 

このチャクラのエネルギーの流れがスムーズに各チャクラに伝わる事で心身共に健康でいる事ができるともいわれています。

特に手打ちのシンギングボウルは音の響きと振動がとてもよく響くので高いリラックス効果が期待されます。

トラウマから解放

また最近注目されているソルフェジオ周波数が音に含まれているシンギングボウルもあります。

このソルフェジオ周波数はこの周波数が含まれている音色を聴く事でトラウマから解放されたり心がリラックスするのです。

胎教に良いと言われている愛の周波数と言われているソルフェジオ周波数528HZはモーツァルトの曲によく含まれています。

実際にモーツァルトの生演奏を聞いた後ストレス度やリラックス度がどう変化するのかと言う実験に参加したことがありますが被験者は全て良い結果がでていました。

このように音には色んな身体と心に良い影響を与えてくれます。シンギングボウルはその音色と響きでストレス社会に生きている私達に癒しやエネルギーを与えてくれます。

ヨガシャンティではヨガのクラスにシンギングボウルを取り入れています。機会があれば体験してみてください。


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# by mako0491 | 2017-12-22 12:32 | アタマ記事

Airbnbで民泊運営

12・8・ ヒト交差点

Airbnbで民泊運営、海外の客増える

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Airbnb(エアビーアンドビー)とは、インターネットなどによると、空き部屋短期間貸したい人と、旅行などで宿泊地を借りたい人をマッチングするサービスAirbnbでは、宿泊したい地域検索し、日程条件マッチした場合には賃料支払って宿泊約束を取ることができる。詳細情報やり取り基本的にホストゲストとの間で個人的に行う仕組みとなっている。支払いもカードで前払いシステムなので、双方に安心・安全に利用できるそうだ。

Airbnb2008に提供が開始され、商用ホテルでは味わえないさまざまな建物宿泊できたり、現地の人とのコミュニケーションが図れる、商用サービス比べれば安価、などの点から、人気を呼んでいるそうだ。

新宮市で20164月よりこのシステムを利用してご自宅で民泊をされている、『Airbnbふくろく』を運営されている平見靖子さん=写真=にお話を伺った。

始められたきっかけは、市内に空き家が目立ってきたので、買取り、リフォームを検討してみたが、コストパフォーマンスが高く、そんなとき自宅に空き部屋が2部屋あることを生かせないかと思いつき、すぐに保健所で旅館業の申請をし、許可を受け、民泊に踏み切られたそうだ。

次は宿泊施設の宣伝だが、最初は市の観光協会からの当日宿泊客を紹介してもらっていたが、利用は芳しくなかった。そこで知人を通じてAirbnbに加入してシステムを導入したそうだ。

現在は、海外の熊野人気に後押しされ、ほとんどが海外からのお客様という。会話には苦労しているということだが、スマホの英会話サイトを利用してコミュニケーションをとっている。と常に前向きに物事を考えられる姿勢と明るさで、リピーターや宿泊客からの紹介で忙しい毎日だという。平見さんのフレンドリーな対応に国内外を問わず安心感を得られるのではないかと感じた。                   (玉置 ひとみ)


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# by mako0491 | 2017-12-22 12:21 | ヒト交差点

娘を送り迎えする効用

 末っ子娘が小学校に入学して、はや8ヶ月。毎日、送り迎えをする生活から遂に解放されました。今思えば、「愛おしい時間。なんと贅沢な時間を過ごしていたんだろう!」の一言に尽きます。が、周りから「大切に」とさんざん言われていたので、最後の1年は存分に味わらせていただき、悔いはありません。

しかし、毎朝、ダラッとした部屋着で娘達を送り出す生活に変わったことにより(それだけではない気もしますが)、体重計に見たことのない数字が並ぶようになりました。

思えば、幼稚園に送り迎えをしていた時は、それなりにキレイにし、動いていました。毎朝、笑顔を作り、娘と手をつなぎながら歩くこと15分。幼稚園から自宅に戻る時は背筋を伸ばして、早歩き。自転車でスーパーへ行き、早歩きで買物。幼稚園の行事に参加。そして、2時のお迎えに向けて早歩き。またまた、娘と15分歩いて帰宅。

それが今や、娘達を玄関から見送り、仕事はデスクワーク。外出するにも、車か自転車。買物も時間ができたのに今まで通り、ネット中心。歩く量が完全に減ってしまいました。

これではいけないと、時間的に余裕のある場合の買物はリュックを背負って、歩いていくようにしました。はじめは行くだけでも、遠い気がして大変でしたが、徐々に慣れ、体もポカポカ。いい事ずくめ。

車社会の和歌山では何もかも車に頼り、足腰が弱り、健康寿命が短いとのこと。和歌山市でも様々な取組がありますが、歩くだけならハードルも低め。帰りのことを考えて、要らないセール品を買わない効果も期待できますよ♪

(浦田 ひろみ)


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# by mako0491 | 2017-12-22 12:09 | 子育て

懐かしい上海の風景

古き良き時代というのは、日本も中国も同じ。

私が初めて中国、上海で住むことになったのは、今から20年ほど前。

主人の転勤での帯同。

話せる中国語は、ニイハオ、シェシェ、ツァイチェンの三つだけだった。

その頃の上海は、国際空港と言えば、虹橋空港。空港へ続く延安路は、いつも混雑していた。

今のように高架路はない。少し大雨が降れば、大洪水。タクシーが、

床下をピチャピチャと言わせながら走る。

洪水の交差点では、人を背負って、向こう側まで渡す。にわかのアルバイトだ。

ある日、タクシーに乗っていると、バイクのお兄さんが、タクシーの窓越しに、

こっちに乗らないか、バイクの方が早いよ、

なんと、タクシーの乗客を引き抜くとは。

延安路全部の家が壊され、初めての高架路の建設が始まった。

路に面した家は、片っ端から、ハンマー一つで壊される。レンガで積み上げた家だから、

壊すのは、早かった。

大阪で言えば、御堂筋の北から南まで、瓦礫の山という光景、想像できるだろうか

行けども行けども両脇は、瓦礫の山。電信柱だけが、続いている。

上海が、大きく様変わりする時代だった。

地下鉄もまだなかった。

初めて地下鉄が出来上がったとき、物見遊山でみんな乗りにいった。

ほのかに、ラーメンの匂いがしたのを覚えている。

もう、いまでは、見ることも出来ない懐かしい上海の光景 (市野 政子)


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# by mako0491 | 2017-12-22 12:01 | 女の視点

短歌、物語、企画展など次々と発表する香月(かづき)にいなさん

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 実家である海草郡紀美野町にアトリエを持ち短歌、物語、企画展などを発表する香月(かづき)にいなさん。とりとめないというか、謎と言うか、独特な世界に誘い込んでくれる彼女に会って、話を聞いた(中村 聖代)。

【14歳でペンネーム】

 香月にいなさんは、本名を「きむらともこ」という。小学生時代から詩・作文など文章を書くのが大好き。全国作文コンクールにも入賞の経験がある。中学・高校時代には演劇の台本も担当した。

 「もし結婚して苗字が変わってしまうならその前にペンネームを」と、14歳のころから「香月にいな」と名のり始めた。グローバルで呼んでもらいやすい名前―をその時自分で考えた。


【祖母のおどけ話の影響】

 にいなさんのルーツは祖母の「おどけ話」だという。小さいころから祖母がアドリブで作ったおどけ話を聞いて育った。人をおもしろがらせることの喜びを知ったのだ。

2007年から祖母に本格的に短歌を学んだ。以前は同人誌「竹垣」(代表:津田美智)にも所属していた。今も継続して短歌を学び続けている。

紹介の冊子によると、「作品の中心に『恋愛』を描くのが特徴で、絵画・写真などを空間で融合させ、全体として作品を表現することを追及している」のだそうだ。


【大学生活と就職】

 にいなさんは、世界平和のためには国連で働くのが一番と考え、愛媛大学総合政策学科に進んだ。しかし大学デビューを果たしたものの、自由な学生生活の中で挫折も味わい、ついに大学3年で引きこもることになるーそのとき読んだ膨大な量の書物や観た映画は今となっては大きな糧である。

 恋愛をきっかけに、引きこもりの生活から抜けた後、大学を辞めて、仕事をしながら放送大学を卒業。住宅関連会社を始めとし、コンビ二のアルバイトや建設コンサルタント会社に勤めた。


【絵本作家との出会い】

 会社に勤めながら創作活動を続けていたにいなさんは、2017年7月「絵本作家のぶみ先生講演in和歌山!」を主宰した。のぶみ氏は、まだ出版されていない原稿をそのまま自身で読み聞かせする独特のスタイルで皆を魅了した。

そのことをきっかけに、身体や時間を削る生活に見切りをつけ、文章で生計をたてる決心をする。


【次々と企画】

 2016年7月から読み終えたあとは折り紙を楽しめるフリーペーパーを開発。地元の印刷屋に依頼し、100部ずつ作っている。テスト版0号から今は9号まで発行。100号を目指す。

 各地で企画展を開催。その時その場所に行かなければ得られないモノを提供する。

 企画は多種多様で、書家やアクセサリー作家・演劇などとのコラボし、そのたびに不思議な空間を創造している。

 来年2月中旬にも、じゃんじゃん横丁の珈琲もくれんでBAR0214を予定している。詳細は「香月にいな」ブログで順次配信する。

 和歌山で新しいものを生み出し、和歌山で発信し、和歌山で活動を続けるにいなさんのファンは今後も増え続けていくと確信する。

「あの時のあの子が遂に出版したのか!と、言っていただけるように、たくさんの出逢いを大切に精進していきたいですねーーと最後に語った。


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# by mako0491 | 2017-11-29 14:16 | アタマ記事

「3匹の蛙の行動」

「3匹の蛙の行動」からの教訓

  このたびの衆院選挙騒動を見ていて、「3匹の蛙」という挿話を思い出しました。ある博識な友達から教えられた例え話です。出自は分かりません。

  『三匹の蛙が牛乳の容器の入った容器の中に落ち込みました。周囲の壁はガラスで爪を掛ける僅かの突起もありません。一匹の最も悲観主義な蛙は、どうせ何をしても駄目だとあきらめ、浮いている力も絶えて溺れ死にました。楽観主義な一匹の蛙は、誰かが葉っぱを落としてくれるか、容器を割ってくれるかして、結局うまく行くだろうと考え、何もせずに溺れ死にました。

  残った現実主義の蛙は、ただ生きるため、もがき続けるだけでした。ところが何としても生きようと激しく4足を蹴っているうちに、足元のミルクにバターが出来始めました。それが固まり足場が出来、一飛びに容器の外に逃げ出しました。』とさ。

生乳を激しくかき混ぜているとバターが出来始めるという事から作られた挿話らしく、イソップくさい臭いがあります。 


 今度の選挙戦のドサクサ騒ぎで、この小話を思い出させてくれたことは、私にとって大変意義のあることでした。

選挙戦の意義なんて皆目わかりませんでしたが、蛙のきょとんとした顔と、「女ごころと蛙の飛ぶ方向は分からない」という言葉を思い起こし、滑稽さに救われながら、色々の立場からの偉い人達の評論を読み聴きしています。


 現在の世の中、技術的革新が先行するだけで、政治的課題も、経済・社会的問題も、宗教的世界の問題さえも後追いで、その解決行動の指針など生まれようがありません。                    

ただこのグローバルな世界の中で、必死になって残された人生の安定を求めて、4つの手足でかき混ぜていくしか無いのでしょう。

その汗をかく行動の中に楽しさも生まれ、次の世代に引き継いで行く姿もみえてくるのでしよう。そう信じることにします。                            

(久山みのる)


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# by mako0491 | 2017-11-29 14:07 | オトコの独り言

11・10掲載分 絵本

『おたすけやたこおばさん

高林 麻里作 

偕成社 2014年 1296

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対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)4歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

<あらすじ>

海に住んでいるたこの「たこおばさん」はいつも、海から人間たちを見ていました。人間たちは遊んだり、食事したりして楽しそうです。「たこおばさん」は思います。「仲間に入りたいなぁ。」

「たこおばさん」は一大決心をします。そして、ついに、人間の世界に引越しをしました。ところが、町を歩くと、「ぬめぬめしてる。こっちに来ないで欲しい」などの心ない声が聞こえてきました。

「たこおばさん」は悲しくなります。そしてしばらく町に出ることが出来なくなりました。でも、こんなことでくじける訳にはいきません。人間と友だちになりたいんですもの。

「たこおばさん」は考えに考えました。そして、「たこおばさんのお助けや」のチラシを貼ることにしました。怪訝そうな顔で見られても気にしない。気にしない。

最初に連絡があったのは小さな女の子ルルちゃんです。お友達が出来ない、と今にも泣き出しそう。次の日に会うことにしました。

「たこおばさん」はルルちゃんと公園に行きました。公園に着くと、「たこおばさん」はたくさんの手足を使ってルルちゃんと遊びます。他の子ども達も集まってきました。子ども達は「たこおばさん」の手足にぶら下がったり、滑ったりと大喜び。一緒に遊べばもうお友達です。ルルちゃんも笑顔です。

それを見ていた大人たちが「今日はありがとう」「私も電話番号教えて」…と、笑顔で話しかけてきました。

それから「たこおばさん」の電話は鳴り止みません。「六つ子が泣きやまないの。助けて」「部屋の片付けを手伝ってもらえますか」…。たこおばさんのたくさんの手足が大活躍。私達も何かが強みになるかもしれませんね♪

(浦田 ひろみ)


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# by mako0491 | 2017-11-29 13:57 | 絵本この一冊

ボランティアスタッフとして

10月に、大型の台風が二つ発生し、和歌山県には各地で大きな被害がでた。

ここ新宮市でも、旧市内で床上浸水に遭われた家が多く、高齢で独り暮らし世帯が被災された。自力での片づけは困難である。

翌日に、市の福祉センターに災害ボランティアセンターが立ち上がった。センター運営スタッフとして参加した。

これは、6年前の紀伊半島大水害の時、防災についての取組の甘さを反省して作られたもので、災害ボランティアの速やかな要請、派遣が災害を小さくするという考えの元、市役所や社会福祉協議会職員と市民ボランティアが定期的に設置訓練を行ってきた。

今回も、市内や近隣市町から多くのボランティアの方が駆けつけてくださり、2週間くらいで、被災家庭の片づけは落ち着いてきた。

連日被災家庭に支援に出かけてくださる方もいるが、仕事の合間に駆けつけてくださる方もいた。善意の気持ちが被災された方の心の支えになったのではないかと思う。

紀伊半島は近い将来、大きな地震が起こるといわれている。

各地で、町内会や地区の事情により訓練の内容は異なるが、熱心な取組が行われている。

私の居住地は、高台にあるため、防災訓練は被災された方の受入れや炊き出しが多い。

しかし、災害は人間の想像を超える。どれだけ準備してもこれで良しということはない。臨機応変に前に向かう気持ちも訓練しておきたいと感じる。

(玉置ひとみ)


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# by mako0491 | 2017-11-29 13:38 | 女の視点

「今日の出会いに感謝」

10月13日付けあたま takeno

「リトミックって何?」

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曲に合わせて手遊びをする

今回登場する武野美智子さんは、ごく普通の女性である。が、名詞には「今日の出会いに感謝」と書かれている。それだけで素敵な人という気がするのは筆者だけだろうか。職業は①家業の電気店専務取締役兼経理事務・販促担当②武野音楽教室講師③レディスインナー、化粧品、健康食品を取り扱う販売特約店。日々忙しく楽しく過ごす彼女を紹介したい。

 ( 中村 聖代 )

【下津の電気店】

 美智子さんは海南市下津に生まれ、和歌山市内に移ったが、現在は海南市下津で夫と共に電気店を営んでいる。株式会社形態であるため代表取締役は夫の和行さん。美智子さんは専務取締役で経理事務・販売促進を担当している。要するにお店の雑務一切をこなしているということだ。

【音楽教室の講師】

 美智子さんはまた、自宅で音楽教室を開き、ピアノ科・電子オルガン科・リトミックを教えている。

「リトミックって何?」実は筆者もよくわかっていなかったので、今回はそちらを重点的に尋ねた。

【リトミックとは】

 スイスの音楽教育家エミール・ジャック・ダルクローズが開発したリトミックは、身体を使って音楽を楽しむことから始まる。

・曲に合わせて手遊びをする。

・曲に合わせて体操をする。

・楽器を自由に鳴らす。

 といったふうに音楽を身体全体で感じ、さらにそれを表現することがリトミックの基本であるという。

【リトミックの効果】

 「ピアノやエレクトーンを習うことで情操教育に良い影響があり、集中力がつき、偏差値の高い学校への進学が多いことをよく耳にすると思います。リトミックも同様、脳の活性化や癒し、身体能力の向上、昨今、話題の認知症予防などさまざまな効果があります」と美智子さん。

 いくつかの手遊びを教えてもらった。いつでもどこでも誰でもできるので是非ひとつふたつ継続的にやりたいものだ。

【美智子さんのこれから】

音楽が大好きで小学校のときから高等学校までエレクトーンを習い、事情で専門の大学には進めなかったが、ローランド音楽教室の講師育成コースで資格を取得し、現在も子供から大人まで多くの生徒を教えている。

笑顔がとてもチャーミングな美智子さん。

「これからもたくさんの人との出会いを大切にし、学ばせていただき、三つの仕事を楽しみながら、人のお役に立てるように、周りの人が笑顔で居られるような女性になれたら嬉しいです」と語った。


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# by mako0491 | 2017-10-13 11:50 | アタマ記事

子育て

10・23

母子で素敵なレストランへ

いつかは母娘ふたりで旅行に行きたい、息子と腕組んでデートしたいなど、いつか子どもが大きくなったらしたいことを子育て中はいろいろ夢見るものですが、それを実現できるくらいに育った頃にはすっかりそんな夢見ていたことも忘れ、目の前の生活に追いかけられる日々です。

東京で一人暮らしをしている大学生の娘の様子をたまに見に行くと、いつもここぞとばかりにあれこれ手料理のリクエストをしてくる娘に、せっかくならどこかに美味しいものを食べに行きたいという思いを堪え、ワンルームマンションの手狭なキッチンで娘の好物を作り続けていました。

ところが最近、娘は「学生ではなかなか行けないようないいお店でちょっと贅沢なランチとか食べてみたい」と言い出したのです。毎日の食事を一緒にしていた日常から巣立ち、たまに会う母にいつもの料理をせがむのも、自分の料理でこの子がこんなに大きくなったのだと、母として誇らしいことではありますが、素敵なレストランで食事を愉しみたいと言い出してくることもまた成長を感じて嬉しいものです。


東京で暮らし始めて一年が経ち、行動範囲も広がって、東京には美味しいものがたくさんあることに気づき始めたのでしょう。私は、喜び勇んで早速、銀座のフレンチレストランに予約を入れました。

レストランでちょっと贅沢なランチをして、その後、ショッピングをして、それは私が昔、娘が大きくなったらいつかしたいことだったのです。そんなふうに夢見ていたことはすっかり忘れていましたが、レストランで食事をしながら、テーブルマナーを繰り返し教えた懐かしい記憶とともに、忘れていた夢を思い出しました。子育て中にみるささやかな夢は、子育て一段落のちょっとしたご褒美として、とても幸せな時間を与えてくれています。

(石井 敦子)


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# by mako0491 | 2017-10-13 11:10 | 子育て

祖母の教えのお蔭

10・13

視点 祖母の教えのお蔭

私は、昭和の高度成長期に育ち、四人兄姉の末っ子で、贅沢はできなかったが、兄姉よりは物資に恵まれ甘やかされていたと思う。

祖母は躾に厳しく、姉たちは、登校する前に家の拭き掃除をしていた。私は、酷いしもやけのため、玄関前の掃き掃除と靴揃えだけにしてくれた。

熊野の山奥で育った私たちは、高校は家から通うことができない。皆、下宿をした。よって、中学校を卒業すると一人減り二人減り。私は中学生で一人っ子になった。

時代とともに熊野の山奥も豊かになってきた。それでも、祖母の躾は衰えることはなかった。「これからの女子は、勉学が大事だ。でも、鎌を使えるようになっておきなさい。そしたら、どんな家庭に嫁いでもお前は役に立つ」

頭でっかちではいけない。鎌を使い雑草を刈り取ることは忍耐のいることだ。謙虚な姿勢が大事ということだったのか?

高校を卒業して、更に上の勉学を相談したとき、「タンスを取るか?頭を取るか?」と言われた。上の勉学を望むなら嫁入り道具は揃えてやれない。という意味なのだろうと理解した。タンスは持ち運びに苦労するが、頭は、持ち運びが楽。

やがて、結婚をして、これといった嫁入り道具のない私は婚家で『裸嫁』と揶揄された。しかし、妊娠8か月のお腹をかかえて、鎌で草刈りをしていたところ、舅が「お前は鎌が使えるのか」と。つまり、ちょっとやそっとでは音を上げない。工夫する嫁だと。その後はとても大事にしていただいた。

今、一つ一つを確実に歩いてこられたのも祖母の教えがあったからだと思う。

(玉置 ひとみ)


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# by mako0491 | 2017-10-13 10:56 | 女の視点

パートナーとの付き合い方

 医師から、肩に手を置かれ力付けられた瞬間、思わず抱きつきヨヨと泣き崩れ、「取り乱して恥ずかしい」と、その場を去る夫人― 先日、TVや映画のような場面を現実にやってしまいました。

 相手がもがき苦しみ、訴えているとき、あなたならどうします?代われるものなら代わってあげたい。けど、どうしようもありません。  

「治すのは医師の仕事です。あなたは傍で見守るだけでいいのです。あなたは一生懸命やっているではありませんか」と言われたからでした。

血をわけた子どもへの愛と、パートナーへの愛は違うのでしょうか?負のオーラ全開でまとわりつかれ、自身の具合が悪くなった経験はありませんか?負のスパイラルから逃れたいと思うのは私のエゴでしょうか?

 体調不良は身体だけではありません。こころの問題の場合、どう接していいのか特にわからないー共鳴しづらいというか、物事の視点というか、捉え方が理解できないため、いっそうお互いが苦しむ結果となってしまいます。

 慰めも意見もなんら効をなさず、言葉を発することもはばかられます。ただ黙って抱きしめるしかないような気がします。

 独立した子どもから時々電話がかかってきます。彼も苦しんでいるようです。つい自分の意見を言ってしまいます。彼はそんなことは聞きたくないー黙って聞いてくれるだけでいい、と思っているようです。

 「沈黙は金」。昔の人は知恵を多く持っていたと思います。なんだかYAHOOの知恵袋の質問者みたくなってきました。この紙面に登場する「男の独り言」ではなく「女の独り言」として受け止めてください。誰かに聞いてもらうだけいいのですから。

 (阪本 美佐子


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# by mako0491 | 2017-09-30 14:04 | 女の視点

『クレヨンからのおねがい!

ドリュー・デイウォルト作 

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オリヴァー・ジェファーズ絵 木坂涼訳 

ほるぷ出版 2014年 1620

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。(読んでもらうには)4歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

●○あらすじ●○

ある日、ケビンにたくさんの手紙が届きました。全部で12通もあります。

1通目を開いてみると、赤い文字で「やあケビン!」と始まりました。「赤いクレヨンの俺だよ。あのさ」と、なんだか親しげです。「話せばわかると思うけど、クレヨンの中で一番働いていると思うんだ。消防車だろ、いちごにりんご、な?それに…」と日々の働きぶりが長々と綴られています。しまいには「人気者はつらいぜ。」と強がったかと思うと、「だから休ませてほしいんだ。働きすぎだと思うお前の友達赤いクレヨンより。」と本音をちらり。少しキザな赤いクレヨンからのお手紙でした。

2通目はなんだか雰囲気が違います。「ケビン君へ。僕のことを気に入ってくれているのはよーくわかっているつもりです。いつも僕を使ってくれてとても嬉しいんです。」なんだかまえがきが長いです。言いにくい事でもあるのでしょうか。「美しい色が台無しになっちゃうので、お願いですから、丁寧に塗ってください。きれい好きなきみの友だちの紫のクレヨンより。」なるほど、クールな紫らしいお手紙です。

その後も黄色、橙色、灰色、白、黒、緑…と12通も続きます。

緑はお礼、黒は主役になりたいとの希望、ピンクは利用のお願い、等など。それぞれ個性たっぷりに熱い思いを自分の色と文字で訴えます。

12通を読んだケビン。クレヨン達の言いたいことはよく分かりました。

ケビンは考えます。そして、クレヨン達の要望を聞き入れた新しい絵をかきます。

**

私達も普段何気なく行っていることを違う角度から考えてみると、新たな発見があって楽しいかもしれませんね。

(浦田ひろみ)


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# by mako0491 | 2017-09-30 13:21 | 絵本この一冊

「男の独り言

  「和歌山新報」の9月1日付・「をんな情報局」の記事、「難病と付き合い患者交流会」を読みました。期せずしてその日、弟の嫁さんから電話がありました。義兄さんどうしよう。もう私、とても駄目。担当医さん・看護師さん・介護士さんが相談し、「たとえ1週間でも自宅で、家族・親族で、過ごす期間を患者さんに持たしてあげられないか」との連絡が入りました。出来る事ならそうしたいと横浜に居る娘が急遽「介護休暇」を取り帰宅し、それに対応しようと準備し、一旦、自宅に引きとったのですが、3日後には嚥下能力不足で呼吸困難も引き起こし失神、救急車で元の病院に逆戻りしました。本人の意識は確かで、この病気の発症直後から、「延命治療拒否」の想いを頑なに主張しています。もう助かる道も生きる時間も無いのでしょうか!

悲痛な電話でした。弟の「筋委縮性側索硬化症」のその後の経過の報告でした。

2年前の事でした。左手が不自由になったという症状から街の整形病院にかかっていたが、はかばかしくなく、和歌山医大で診察を受けてみてはという医師の勧めから、検査入院という事になったのでした。「その診断結果を報告したいので、ご本人、奥様、それにご兄弟の代表者も同時にお聞き頂きたい」とのことで、親族代表で私が選ばれたのでした。

結果報告というより「病名告知」そのものでした。病状診断した担当医師2人から、丁寧で心配りが痛いほどよくわかる報告がありました。説明は情を交えず客観そのもので、患者本人にとって「酷すぎる」とさえ思えました。医師のつらい役割なのでしょう。一般に「筋萎縮症」と言われ、だんだんと筋肉が衰えていく難病とのことでした。

「現在は治療の方法がありません。症状の進行を遅くする方法はあります。しかしこれからどこの筋肉に症状が出始めるかにより異なり、今は左手の筋肉に出ていますが、それが心臓や、肺の筋肉に出始めた時は、多くの問題を医師も、患者も、親族も抱え込みます。

心臓や肺にその機能を助ける器具を体につけることは出来ます。そこから先どうするか医師の判断の範囲を超えてしまいます。」

担当医師は、最後の所で、そのことを患者本人に、奥さんに、親族代表によく理解しておいて欲しかったのだろうと思いました。

「延命治療はお断り」と書き置くことは簡単です。しかし延命治療の定義を克明に記すことは難しいでしょう。癌の告知なら医療技術の進歩もあり、延命治療を続けながら完治に至る確率も高いでしょう。 

3か月前までは、弟は病気の現状を知りながら普段通り、田舎の里道を明るい顔で散歩していたそうです。一番苦しいのは本人なのか、奥様なのか、子供なのか、それに関わってくれている医療スタッフなのか。回答など出しようがありません。どうか苦しまないで旅立つことを神様におまかせし祈るだけです。悩む心を支え、支援し合おうとしているボランテイア・グループの活動に敬意を表しつつ。 

(久山みのる)


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# by mako0491 | 2017-09-30 12:07 | オトコの独り言

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2つの鯨おどり盛大に

青年団のメンバー軸に

新宮市の三輪崎の鯨踊りを訪ねて、三輪崎郷土芸能保存会の会長濱口仁史さんにお話を伺った。(玉置ひとみ)

日本遺産に登録

紀伊半島の南東部、新宮市、那智勝浦町、太地町、串本町の黒潮が流れる熊野灘沿岸の人々は、昔から鯨とともに生きてきた。

地域の有形、無形の文化財をもとにまとめられ2016年、日本遺産に登録された。

新宮市では、三輪崎の鯨踊り、鯨山見跡(熊野古道高野坂)羽指中建立の石祠、そして今年、三輪崎八幡神社の石灯籠、孔島の石造物が追加登録された。

鯨をとる様子で踊る

三輪崎は、熊野灘に面する漁港で、ここに伝わる鯨踊は別名を「捕鯨おどり」 ともいい、鯨をとる様子を踊りに仕立てたもの。

三輪崎の鯨踊りは、約300年前、当時この地の領主水野氏が、京都の公家に鯨の肉を献上した際に鯨おどりとして整えたといわれている。

以来、三輪崎八幡神社の例大祭に大漁を祈って「殿中踊り」と[綾踊り」が披露される。昭和421月、市の無形民俗文化財、昭和

4912月、県の無形民俗文化財の指定を受け、伝承されている。

「殿中踊り」は、鯨に絡めた網を巻いている様子を、扇子を持って表現し、「綾踊り」は、鯨に銛を打ち込んでいる様子を、綾棒を持って表現したもの。また、踊る時に身につける衣装は、白地に黒・赤・緑の線が入っている。黒は鯨を、赤は鯛を、緑は陸地を表しているといわれている。

地域を守る愛

毎年、8月25日に三輪崎青年会館に保存会の皆さんは集まり、三輪崎八幡神社から宮司を迎え、「修祓式」を執り行い鯨踊りの練習を始める。

この伝統芸能は青年団の先輩から後輩へ教えられ、さらに未来をも見据えて、地元、三輪崎小学校5年生になると青年団のメンバーが踊りを伝えている。

「人口減少により、伝統芸能の存続が難しいと聞くが、ここ三輪崎は安泰です。」と締めくくってくださった。地域を守ろうとする人々の熱い愛を感じた。

今年は9月17日に三輪崎漁港で奉納される。


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# by mako0491 | 2017-09-30 12:02 | アタマ記事


ソロソロ我らを解放してよ、と。寝返り打ちつつ熱帯夜、 幾番超えたことやろか

老いも若きもお互いに、うんと沢山耐えた日々。寄る年波は、越せないけれど、気持ちは大波乗り越えて、遥か彼方の大海原へ、飛んで跳ねて夢を追う。

乙女心?に秋近く、ボヤキつぶやき嘆く中 やっと目にしたウロコ雲。ふと立ち止まり見上げると、「待ってました」のヒグラシの声

哀愁漂う季節が廻り、ああ、ありがたや、と生き返る。

憎き夏ともおさらばと、きびす返して小走りに 走ってみたい、裾を払って、カタカタと下駄の音たてて・・

ここまで書いて、一か月、

夏が去ったと、勘違い。天然入った早とちり。平気でひと月間違えて、祖父母参観行きました。

南へ運転、なぜか北、阪神・阪急・JR乗り間違いが茶飯事で、仲間も呆れて、この命名。 先天性(の)体内磁石(どこかに)欠落(した)症状。

誰もが分かる言葉にすれば、ごく単純に「方向音痴」

当の私は、平気のへ。その命名がお気に入り。

もうくよくよと悩まない、行く方向に身を任せ、迷ったところで、楽しんで、心機一転することに。

秋に迎える誕生日、まだ若いのか年なのか、67の過ごし方。のんびり、ゆっくり、急がず、焦らず、まったり、しっとり、暮らそうか。

そこにかしこに鎮座する、予断許さぬ残暑の中で、先ほど、歩いた川沿いで、力尽きたと、残りゼミ。

鳴きつつ、こんな質問を、私に投げかけ聞くのです。

蝉さん、曰く。

梅雨前・最中・その後か。梅雨明け、真夏・それとも、今か?

蝉の出番はいつやったん?この夏足並み揃わずに、今頃鳴いているんです。

また来年にとご挨拶、皆さん元気でさようなら。

 (シャーリー橘)


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# by mako0491 | 2017-09-02 14:08 | 女の視点

久保岡 敏子さんの活動


「脊柱靭帯骨化(せきちゅうじんたいこっかしょう)」という病気をご存知だろうか。久保岡 敏子さんは、自らこの難病とつきあいながら患者交流会の主宰や、認知症見守り支援などの活動を続けている。彼女に会って話をきいた。

 ( 中村 聖代 )

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久保岡 敏子さんは,高校時代、九州への修学旅行時にであったバスガイドがとてもかっこよかった。自分もそうなりたいとバス会社に就職。そこで知り合った人と結婚、2子を授かった。両親から見たら自分の意思を貫く娘であった。が、順風満帆な生活だった。

結婚後は事務でパートとして13年間働いた。平成13年からはヘルパーの資格を取り、介護施設に勤務した。

あるとき左腕があがらなくなった。整形外科にかかると、「脊柱靭帯骨化症」と診断された。きいたこともない病気だ。平成23年のことだった。

完治は見込めず原因もわからない難病だと知った。医師から、将来は車椅子か寝たきりの生活、転んではだめだと告げられた。不安な日々だった。

【つれもていこら創刊】

 そんななか、大阪でこの病気に関する講演会があったので参加した。そこには紀南から参加している患者がいた。大阪の友の会々長から、「和歌山にも友の会ができないかなぁ」といわれ、発足を約束し、会長になってしまった。

 まわりの人たちに支えられ、平成27年12月には「紀の国・和歌山脊柱靭帯骨化症友の会―紀の国OSL友の会」会報誌『つれもていこら』を発刊した。

 友の会発足の準備はおろか、交流会の開催、専門の医師を呼んでの講演会、友の会の維持、事務局の仕事―難病を抱えて日々難儀していることだろう。

【認知症見守り支援員】

 公益社団法人認知症の人と家族の会和歌山支部では、メイト派遣事業を行っている。

認知症の人を介護する家族の外出時や休休息したい時に、認知症の方のお宅に伺い、話し相手になるという活動だ。時給は出るが、往復の時間や交通費は配慮されないため、ボランティアに近い。

 敏子さんは、5年前、梅本靖子さんと二人でこの仕事を立ち上げた。実際にメイトとして訪問もする。心身ともに辛くなることもあるが、信頼を得たときの喜びは何事にも代えがたい。

【日々の暮らし】

 「からだの具合はその日によって異なり、歩くことがつらいことも多いです」。「手術と言われたり、まだ大丈夫のように言われたり悩む日々です」。

 家でじっとしていることが嫌いな敏子さんは、患者の中では比較的軽い症状だと考えるようにし、日々できることをやっているようだ。

 「外からみて、難病にかかっていることが分からないのがつらいことがあります」と敏子さんは言う。

 最近出来た「ヘルプマーク」

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が広がれば様々な病気で苦しむ人に対する理解が得られるだろう。広く普及することが望まれる。

 ヘルプマークとは、

マタニティーマークが妊婦であるこ

とを周囲に知らせるように、ヘルプマークは、外見から分からなくても援助を必要としていることを周囲に知らせることを目的として作られた。

ただ電車の中で席を譲ってもらうために着けているものではない。緊急時(外で倒れたとき、事故に巻き込まれたときなど)に適切な対処ができるようにするためにもヘルプマークは役立つ。

 ヘルプマーク付けている方見かけたらとりあえず「お手伝いすることはありますか?」みたいな風に聞いてくださればいいと思われる。


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# by mako0491 | 2017-09-02 13:58 | アタマ記事

読める、読める

  この紙面に掲載させてもらって早8年。うちの子は保育園児でした。それをいいことに、わが子ネタもわが子を通した世界ネタも書いてきました。

しかし、最近困ったことが…少し前までは漢字たくさん並んだ新聞は、難しくて読めないものと手の届くところに置いてあっても、手にしなかったのですが、最近は手を伸ばします。そして、漢字も読めるようになっていますし、難しい単語も漢字も前後の文脈や内容でどんなことなのか類推できるようになりました。類推よりも私は、辞書を引いてほしいのですが、そこには到達せず、イライラしているのですが。

  それより大きな問題は、新聞に自分のネタが掲載されていることを知ってしまった…のです。そこでうちの子の一言。モデル料はいくらですか?

  え、モデル料、取りますか…

  そうしましたら、わたくし、若さも体力もイチバンイイトキモ、あなたに捧げたサービス料いただきます。

 といったら、私の母は、私もいただきます。というだろうな…

 なんかな~こどもの成長ってありがたいようで、やっかいだな~
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# by mako0491 | 2017-09-02 12:46 | 子育て

私の「おんな友達」

私の「おんな友達」


昨日、「S・ウイリアムさん」からメールが届きました。彼女は知る人ぞ知る和歌山の「ジャズ・ヴォーカリスト」で、30年余も前からお付き合いを頂いている方です。年に何回か、そのライブを聞かして頂いています。

久しぶりに彼女から「『4人の女のオモテウラ』と題して和歌山でコラボ・ライブを開きます。よろしければどうぞ」とお誘いがかかりました。

「女共の哀歌を心して聞かして頂きます」と予約のメールを入れると、すぐさま、『ひやー!、さて女の哀しみ、表現できますでしょうか。最近は「おかんのたくましさ、」「おバンの厚かましさ」が色濃くなっています(笑い)。奥様とお二人でお目にかかれるのを楽しみにしています。』との返信。 

男というものは、何歳になっても女性の前でいい格好をしたいものです。自分が定年(65歳)で現職を離れたとたんに、「20歳時代にギターを習い始めた時の動機」と全く変わりがない「想い」が胸に蘇りました。早速、自宅の押し入れからクラシックギターを引っ張り出したのでした。

「ジャズを格好良く演奏したい」。その格好の良さに魅かれて途中でウッド・ベースに転向しましたが、その「女性の前で格好良く」という不純な(純粋かな?)動機はついて回りました。その結果、今この歳になって、ざっくばらんに付き合ってくれている女性は音楽繋がりが多くなってしまいました。

想い出を遡って音楽繋がりを辿ってみますと、40年も昔、仕事の上で地域の大新聞支社の記者のたまり場で顔を繋いでおく必要から通った新内(あろち)の小さなスナックに辿り着きました。

経営者は弾き語りで名の知れた男性ピアニストでした。ジャズ・バラードを静かに、柔らかく聞かしてくれました。そのお嬢さんがお父さんの亡きあと、弾き語りを受け継ぎ、カラオケを置かないスナックとして常連顧客を引き付けました。バブル経済の盛り上がった頃でした。そのスナックに週に2回、アルバイトでジャズを歌いに来ていたのが、先のメールを頂いた「S・ウイリアムさん」でした。

旦那様は外国の方で、その指導によったものでしょうか、アメリカ英語で歌うジャズの歯切れの良いリズムと、情感の盛り込みに、素人の私なりに惚れ込んだものでした。

人の繋がりとは不思議なものです。この音楽繋がりがこんな形で更に拡がっていくとは、自分でも予想しませんでした。80歳になった今。自分の下手なウッド・ベースの技術を演奏の中に包み込んでもらえているバンド仲間のお陰で、更に女性仲間とのお付き合いが広まっているのです。新しく「オカリナのデユェット奏者」や、「キーボード奏者」が見事な演奏で私達とのグループに溶け込みさらに幅と深みを創り出してくれました。「女性の前で恰好を付けたい」。男の本性が私の生きるエネルギーまで生み出してくれているのです。

先日も、ある福祉施設の「七夕まつり」に招かれてバンド演奏をバックに「みんなで歌おう」の会で演奏をしてきました。会場の盛り上がりは大変で、アンコールも曲を重ね、

予定時間を20分も超えてしまう様なことになりました。私のアドレナリンは最高の水準で、湧出されている状態でした。有難い事でした。

これからは、体力勝負と自覚し「リハビリ・筋肉増強トレーニング」に励んでいます。男にとって女性は生きる力の根源だと今更ながら再認識しています。  (久山 みのる)


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# by mako0491 | 2017-09-02 12:32 | オトコの独り言

心のブロックを解除

片手に軽く触れるだけ

3分で1個 心のブロックを解除

マインドブロックバスターのさらら凜です。

私は2014年4月 マインドブロックバスターになりました。その時、和歌山市にマインドブロックバスターを養成できるインストラクターがいなかったので、大阪に習いに行き和歌山市初のマインドブロックバスターになりました。

そしてその年の9月、インストラクターになり、たった一人から今では受講中の方を含め29人を養成。その中からインストラクターも数名誕生しています。

マインドブロックバスターは、悩みや気になっていることを片手に触れ、潜在意識が見せてくれるブロックのイメージと解除のイメージを書き換えするだけの簡単なセッションです。 道具もいらないので いつでもどこでもできます。 

潜在意識の部分で書き換えをするので無理することなく自然に自分が望む方に進むことができるようになります。

マインドブロックバスターに、「自ら投資し」で始まり「共に豊かになる」で終わる7つの教えがあります。

私はマインドブロックバスターのリーダーとして活動するため、その教えを軸に創始者の栗山葉湖先生から直接学び続けています。

 以前の私は自分の人生が自分のものだという実感がありませんでした。今までは「自分で決められない」。「誰かに決めてもらう方がいい」。そんな人生を生きていました。

そんな中、出逢ったマインドブロックバスターは違いました。ただ気になること、心が反応したことをブロック解除していただけです。

それなのに50年以上自分で何も決められなかった私が根っこの部分から変われました。 

50年以上もそんなものと思っていた自分の人生が変わったのだから、変わりたいと思っている人は誰で変われる。

それは私だけでなく誰にでもできること。特別な事ではなく、ブロック解除を続けるだけで誰でもできること。それを伝えるために、活動しています。

(さらら凜)


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# by mako0491 | 2017-08-23 04:11 | ヒト交差点

「オワコンにならないために」

とある若者の会話で「〇〇っておもしろそうやんなー」「えー、〇〇ってオワコンやん」と耳にすることがある。

「オワコン」って何…?あとで調べると、どうやら「オワコン」とは「終わったコンテンツ」の略で、流行のピークが去ったコト・モノを指すらしい。

お笑い芸人もあてはまるようで、過去に一世を風靡した一発屋芸人も「オワコン芸人」とみなされるようだ。

全裸でお盆をひっくり返しているあの人もいずれオワコンになるのだろうか。あれだけ世間の話題になっていた人や、みんなが夢中になっていたゲーム、かつてみんなが身に着けていた流行のファッションが「オワコン」というひと言で一蹴されてしまうわけである。なんともむなしい気分だ。

スマートフォンの普及によって、あらゆる情報がスマートフォンによって手に入れられるようになった。若者は新しい情報を常に探し、過去の情報はどんどん切り捨てられていく。

前に比べて、ひとつのモノやコトが長続きしなくなったように感じる。1年前にめちゃくちゃ流行ったポケモンGO。街中や公園にはスマートフォンを持った人がたくさんいたのに、1年経った今ではプレイする人がすっかり少なくなってしまった。流行り廃りは激しい。

オワコンはさまざまな場面で使われる。

なんと女性も「オワコン女」と認定されてしまうことだってあるようだ。例えばおしゃれに無頓着だったり、酒グセが悪い、マナーや常識が足りないなど、男性から見て女性の魅力がすっかり失われた人を「オワコン女」と陰で呼んでいるとかいないとか。どきっ。案外みられている、身を引き締めなければ。

(宇都古 舞)


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# by mako0491 | 2017-08-23 04:04 | ちまたで近ごろ流行るもの

大阪の豊中市のステップホールで、先日、一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)、NPO法人おおさかこども多文化センターなどの主催で、「大阪発 外国にルーツをもつ子どもたちの現状と課題ー権利・貧困・教育・文化・国籍と共生の視点からー」について、当事者や民間の支援団体や教員、弁護士、研究者などの関係者が話し合うワークショップがあった。その一部を紹介する。

(中山まり)

・外国人当事者から発言

第一部「当事者からの発信」では、フィリピンと日本のハーフや日系ブラジル人、在日韓国・朝鮮人の子どもや若者、親が、日本で暮らす苦労や経験、言葉や文化の違い、日本に対する想いなどを語った。

それに続いて、第二部「共生に向けて」では、大阪で外国にルーツを持つ子どもの教育活動や支援活動に携わる関係者が、大阪の現状と課題を把握・整理し、具体的な解決策について話し合った。


・個別に対応する必要

地域の民間の学習支援や各種支援を行うスタッフや市の国際交流センターの職員は、在日外国人の子供の抱える問題は、学校での勉強や言語の問題、家庭の事情や親の仕事、医療や社会保障の問題など様々で、個別に対応する必要があり、現状では十分対応できていないと語っていた。

必要に応じて専門知識や能力を備えた専門家にすぐ問い合わせできるように、一括して支援者の情報を集約しておく必要があり、また、支援する側の専門家もどこに支援の必要な者がいるのか分からないため、支援を必要とする者の情報も集約して必要があると提案していた。

・日本語教育の支援不十分

小中高校の教育現場では、外国人の子どもに対する日本語教育や支援などの対応が不十分で、対策が追い付いておらず、教員は市民団体の支援や市の国際交流センターなどに頼ったりしている状況とのことだった。

現場の民間の支援者や教員も、目の前のことで精一杯で、なかなか外部の人たちと繋がることもなく、苦労されているようだった。

・安価な労働力として扱われる  

また、日本に来ている外国人労働者は、技能実習生として期限付きで雇用され、期間が終われば、期限の延長もなく、本国に帰らざるを得ず、一部の悪質な業者から安価な労働力としてモノのように扱われて、悪質な業者により劣悪な環境で働かされている問題もあるとの指摘もあった。

外国人を受け入れるのであれば、人として人権を尊重し、教育、家族、社会保障、労働、介護などの問題を含めて考えていくことが必要と、コメンテーターで弁護士の空野佳弘さんの提言もあった。

欧米では大量の難民や移民の流入は深刻な社会問題となっている。日本で暮らす外国人が増える中で、今後は日本でも外国人を受け入れて支援する体制の整備や充実が求められているように思われた。


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# by mako0491 | 2017-08-23 03:58 | アタマ記事

「異端者よ出でよ」の嘘

可笑しなものです。世の男どもは、組織の長となると、「異端者よ出でよ」というセリフを、誰しも吐きたくなるようです。

 異端者というのは、伝統的な組織風土や、現在の組織トップのリーダーシップ・スタイルなどに反好意的意識を持つ者の事でしょう。余程の大きな深い度量を持つトップでない限り、通常はその異端者の考えを素直には聴けません。 

その事を、本当に身をもってトップが知るのは、その組織が生きるか死ぬかの瀬戸際に至った時か、死ぬと決まってしまってからです。

バブル経済崩壊後、日本の4大証券の一つと言われていた会社の代表取締役が、テレビの大写し画面の中で、大粒の涙を流しながら世間にお詫びの言葉を述べたシーンを記憶している人は多いでしょう。そのトップは消えてゆく企業の後始末に奔走した最後の経営トップでした。

 大粒の涙を流したその証券会社のトップは、今どうして生きていかれているのでしょうか。私と同年代の男であっただけに気になって仕様がありません。

 企業の競争社会では一位と二位の差は月とスッポンの差なのです。自分の所属する企業がトップ集団で走る努力もしないで、評論家ぶって自分は組織内での異端者だとパフォーマンスする奴の傲慢さ・勝手さは鼻持ちなりませんが、「異端者よ出でよ」と叫ぶトップの欺瞞にも鼻持ちがなりません。

私ならさらに鼻持ちならない手法を身に付ける努力をします。マラソン競技と同じ、「トップ集団には必死について行く力を身に付ける。出来ることならトップの肩口で、その息遣いが聞こえる距離でついて行き、風圧やトップを維持したいというストレスはトップに背負わせて、最後のトラック競技に入り、ゴール寸前に余力があれば抜き去ればよい」と思う。余力があれば最初から正々堂々とトップを走ればよいという立派な人もいる。

そんな勝負をして、いったい何の意味があるのかと問われれば、「そんな世界で生きることを選んだのだから」という以外に言いようがないのです。

「面白いよなあ、人生って」という歌の文句を思い出しながら。

         (久山 稔)


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# by mako0491 | 2017-08-20 19:45 | オトコの独り言

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小学1年生の娘が和歌山電鐵貴志川線を1年間(土曜・日曜・祝日のみ)、無料で乗車できる「小1ホリデーパスポート」をもらって帰ってきました。電車の種類も4種類に増え、中国からの観光客に大人気だという貴志川線。親子で乗車してきました。

(浦田ひろみ)

緊張した改札

和歌山電鐵貴志川線はJR和歌山駅の9番線ホームにあります。そのため、和歌山駅から乗車する私達は、まず、JRの改札を通らなければなりません。

久々に行く和歌山駅。新設されている相談所や観光客の多さに驚きながら、券売機をウロウロ。少々、手間取りながらも、JR改札口を抜け、貴志川線へ向いました。

階段を降り、少し暗めの渡り廊下を抜けると、貴志川線の階段が現れます。階段へ到着すると、急に雰囲気が変わりました。階段、壁と可愛さ満点。期待が膨らみます。

大人気のたま電車

たま電車が待つホームにはたくさんの観光客。まず、人数の多さにびっくりです。たま駅長は本当に、中国で大人気なんですね。同じように写真撮影をして、乗車しました。

出発後、しばらくは家の隙間を走っていくたま電車。景色よりも、車内の雰囲気に気分が盛り上がります。木の机、木の手すり、シートの種類や絵柄等など、見たい箇所がたくさん。そして、滅多に電車に乗らない娘と「ガタン・ゴトン」の心地よい振動を体験。なんと、贅沢な時間の過ごし方でしょうか。

短時間で電車の旅

日前宮駅・交通センター前駅では他の種類の電車とすれ違います。反対線路に停まる電車。外装を見て、「そちらの電車にも乗ってみたい。」またまた、夢を膨らませます。ここからは景色もだんだん、緑が増えてきます。所々に田園風景が現れました。

駅長見習い「よんたま」がいるという伊太祈曽駅からは電車が山々の中を抜けるよう。景色も楽しめます。

和歌山駅から終点の貴志駅までは電車に揺られて約半時間。短いながらも、時間はゆっくり感じました。旅気分を満喫。

再建された貴志川線

こんなに観光客が多くて、楽しい時間を過ごすことができる貴志川線。だが、有人駅は始発の和歌山駅と伊太祁曽駅の2駅のみ。2004年には年間5億円という赤字が膨らみ、廃線の危機に瀕していたといいます。

それから約10年。路線と設備を「和歌山市・紀の川市・和歌山県」に購入してもらい、「貴志川線の未来をつくる会」、「和歌山電鐵」の人々の知恵と労力により、再建し、現在の姿になっています。

再生への新たな10年

現在、年8200万の運営補助金は終了し、貴志川線は設備の補助のみで運営されています。乗車人口を増やそうと、新たに大人の雰囲気の「うめ星電車」も登場させています。

車社会の和歌山で車から電車に乗り換えてもらうことは容易でありません。しかし、電車が必要な人もいるし、沿線には学校もあります。さらに、海外からの観光スポットにもなっています。

実際、切符を買って乗車した貴志川線は、電車に乗るだけでワクワクしました。さらに沿線には様々な観光コースがあるよう。大人780円、子ども390円で貴志川線は1日乗り放題。かわいいレンタサイクルも4時間まで100円です。車とは違った休日旅気分を満喫しに、時には貴志川線に乗ってみませんか?


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# by mako0491 | 2017-08-20 19:16 | アタマ記事

フェイスブックの面白さ

元気なうちに終活をと、考えている私には、今のご縁は大切にしつつも、新たなご縁はなるべく避けて生きたいと考えている。しかし、仕事の関係上避けきれなくなり、遅ればせながらフェイスブックを始めた。

コメントを受け付けないように設定しているブログは、もう5年ほどマイペースで更新しているが、フェイスブックは、なんだか気忙しい。自身が話題を載せなくても、一応朝夕チェックをして、ご縁をいただいている方の投稿には「いいね」をポチッと押す。

システムに慣れてくると、会ったこともない人と友達になることで、文章を読んでいるだけだが、その人物像も見えてきて、何度かコメントのやりとりをしている内に、すっかり旧知の仲のように感じてしまう。

フェイスブックを毛嫌いしていたが、それはそれで面白い。

このフェイスブック、日本では既に若者離れが進んでいて、40歳代より上の世代にしか支持されていないようだ。

若者は、写真に特化したSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)インスタグラムを楽しんでいるようだ。

写真や動画を簡単にシェアすることが出来るアプリやサービスを指すらしい。と、知ったかぶりをしてみたが、頭はついていっていない。

さて、フェイスブックは情報をいち早く共有できるという点では、大いに活用させていただいている。情報提供してくださる方の視点の鋭さにも学ぶことは多い。

(玉置 ひとみ)
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# by mako0491 | 2017-08-20 18:34 | 女の視点

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熊本県の慈恵病院に日本で初めて、親が育てられない赤ちゃんを匿名で預け入れるシステム「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の運用から10年。これまで125人の赤ちゃんを救い、大きな反響を呼んた。安易な棄子や育児放棄の助長につながり、匿名で預け入れることに子の出自を知る権利が損なわれるなど批判もある。

今回は関西で初めて「面談型こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の設置を目指して、活動されている神戸市のマナ助産院院長の永原郁子さん=写真=にお話を伺った。

 きっかけは、関西でこうのとりのゆりかごを設置するために「特定非営利活動法人こうのとりのゆりかごin関西」(理事長:人見滋樹京都大学名誉教授)が立ち上げられ、その理事に就任したことだった。

「何とかして命を守れないかと思いました。赤ちゃんはけなげに生まれてきます。生まれたばかりの赤ちゃんは、ここはどこ?というふうに周りをきょろきょろ見回しています。お母さんを信頼しきっています。泣いてもお母さんが抱っこしたら泣き止みます。信頼していたお母さんに殺されてしまうんです。そのような女性は、極悪非道ではない普通の女性です」。

「病院で産んだり、育てられない命を産むとこまで守り、後は託すという形にしたいと思っています。中絶される命も確実に人格がある命です。5か月くらいから記憶があります。計り知れない可能性のある命を、自分で生み出せないなら、託せば良いというふうにしていきたいと思います」。

保育器につながるドア(赤ちゃんポスト)の設置には、24時間医師の常駐が必要と神戸市の指導があったため、面談型に切り替えた。面談で話し合うことでお母さんが困っていることに焦点を当てて、問題を解決できると考えている。

お母さんの考えを整理して、一人でいるお母さんと一緒に考えられる。顔を見せたくない人や、夜来る人、誰にも言えない人もいる。助産師の仕事は女性に寄り添って母子の必要に応えることだ。母である女性の痛みにもふれることが出来ると考えている。

永原 郁子さん=1980年大阪大学医学部付属助産婦学校卒業後、病院勤務を経て1993年神戸市北区ひよどり台にてマナ助産院を開業。自然出産/母乳育児の推進/子育て支援/環境問題/戦争を語り継ぐ活動などを通して地域母子保健に携わる。

ヒト交差点  下 8.4掲載

「面談型赤ちゃんポスト」目指す㊦

 

今までわが子が妊娠して困っているという相談をたくさん受けてきた。普通に育てられた子供が性交後に妊娠する。自分の子育てが間違っていたのではないかと悲しんだり、怒ったりする母親に、「大変な時期に、どう乗り越えるかでその後の親子関係が変わっていく。乗り越え方が大切です」と話している。

全国の小中高校の教職員や保護者から講演の依頼がある。小中高校の教職員は、必要に迫られていると感じている。実際学校で問題になっており、生徒は教員に相談するようなことはしない。「意識改革」が必要になっている。

助産院に隣接した土地に、思いがけず妊娠した女の子たちが暮らす「マタニティーホーム」を建てたいと考えている。かつては結婚する前に妊娠することは社会的に認められないことだったが、ここ10年ほどで「できちゃった婚」は隠すことでなくなった。しかし今なお、結婚にいたらない妊娠は認められず、人工妊娠中絶する人がほとんどだ。

事情抱えて妊娠し、職場にも言えない人もしばらくの間「マタニティホーム」で過ごすことで出産できるようにしたいと考えている。

日本では、養子縁組には否定的な人が多い。夫婦の選択肢として、自分の赤ちゃんも生んで、養子も育てるように、養子縁組が一般化するような社会になればよいと考えている。実親も生まれた子供とコンタクトを取り、生まれた子供も私には2人のお母さんがいると、胸を張って生きていけるような社会にしていきたいと考えている。

面談型24時間母子相談窓口」を来年3月開設する予定だ。熊本慈恵病院のような「赤ちゃんポスト」の開設を目指していたが、面談型に変更した。マナ助産院の診察室のすぐ側に専用の面談室を設け、母子のプライバシーに配慮して、通常の入り口と別の入り口を設ける。助産師が24時間対応し、面談室で相談に応じる。匿名でも対応する。産婦人科医が駆けつける体制も備え、児童相談所や養子縁組斡旋民間団体、一時保護施設など関係機関とも連携する。電話での相談も今年12月に開始し、緊急時は24時間で対応する予定だ。」

「面談型こうのとりのゆりかご」の開設に合わせて、思いがけず妊娠した女性と胎児のいのちを守る家として一般社団法人「マタニティホーム・マナ」を建設予定で、寄付を募っている。連絡先は以下の通り。

【マタニティホーム・マナ】ikuko@mana-mh.com

(中山まり)



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# by mako0491 | 2017-07-15 09:50 | ヒト交差点