わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491


ソロソロ我らを解放してよ、と。寝返り打ちつつ熱帯夜、 幾番超えたことやろか

老いも若きもお互いに、うんと沢山耐えた日々。寄る年波は、越せないけれど、気持ちは大波乗り越えて、遥か彼方の大海原へ、飛んで跳ねて夢を追う。

乙女心?に秋近く、ボヤキつぶやき嘆く中 やっと目にしたウロコ雲。ふと立ち止まり見上げると、「待ってました」のヒグラシの声

哀愁漂う季節が廻り、ああ、ありがたや、と生き返る。

憎き夏ともおさらばと、きびす返して小走りに 走ってみたい、裾を払って、カタカタと下駄の音たてて・・

ここまで書いて、一か月、

夏が去ったと、勘違い。天然入った早とちり。平気でひと月間違えて、祖父母参観行きました。

南へ運転、なぜか北、阪神・阪急・JR乗り間違いが茶飯事で、仲間も呆れて、この命名。 先天性(の)体内磁石(どこかに)欠落(した)症状。

誰もが分かる言葉にすれば、ごく単純に「方向音痴」

当の私は、平気のへ。その命名がお気に入り。

もうくよくよと悩まない、行く方向に身を任せ、迷ったところで、楽しんで、心機一転することに。

秋に迎える誕生日、まだ若いのか年なのか、67の過ごし方。のんびり、ゆっくり、急がず、焦らず、まったり、しっとり、暮らそうか。

そこにかしこに鎮座する、予断許さぬ残暑の中で、先ほど、歩いた川沿いで、力尽きたと、残りゼミ。

鳴きつつ、こんな質問を、私に投げかけ聞くのです。

蝉さん、曰く。

梅雨前・最中・その後か。梅雨明け、真夏・それとも、今か?

蝉の出番はいつやったん?この夏足並み揃わずに、今頃鳴いているんです。

また来年にとご挨拶、皆さん元気でさようなら。

 (シャーリー橘)


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# by mako0491 | 2017-09-02 14:08 | 女の視点

久保岡 敏子さんの活動


「脊柱靭帯骨化(せきちゅうじんたいこっかしょう)」という病気をご存知だろうか。久保岡 敏子さんは、自らこの難病とつきあいながら患者交流会の主宰や、認知症見守り支援などの活動を続けている。彼女に会って話をきいた。

 ( 中村 聖代 )

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久保岡 敏子さんは,高校時代、九州への修学旅行時にであったバスガイドがとてもかっこよかった。自分もそうなりたいとバス会社に就職。そこで知り合った人と結婚、2子を授かった。両親から見たら自分の意思を貫く娘であった。が、順風満帆な生活だった。

結婚後は事務でパートとして13年間働いた。平成13年からはヘルパーの資格を取り、介護施設に勤務した。

あるとき左腕があがらなくなった。整形外科にかかると、「脊柱靭帯骨化症」と診断された。きいたこともない病気だ。平成23年のことだった。

完治は見込めず原因もわからない難病だと知った。医師から、将来は車椅子か寝たきりの生活、転んではだめだと告げられた。不安な日々だった。

【つれもていこら創刊】

 そんななか、大阪でこの病気に関する講演会があったので参加した。そこには紀南から参加している患者がいた。大阪の友の会々長から、「和歌山にも友の会ができないかなぁ」といわれ、発足を約束し、会長になってしまった。

 まわりの人たちに支えられ、平成27年12月には「紀の国・和歌山脊柱靭帯骨化症友の会―紀の国OSL友の会」会報誌『つれもていこら』を発刊した。

 友の会発足の準備はおろか、交流会の開催、専門の医師を呼んでの講演会、友の会の維持、事務局の仕事―難病を抱えて日々難儀していることだろう。

【認知症見守り支援員】

 公益社団法人認知症の人と家族の会和歌山支部では、メイト派遣事業を行っている。

認知症の人を介護する家族の外出時や休休息したい時に、認知症の方のお宅に伺い、話し相手になるという活動だ。時給は出るが、往復の時間や交通費は配慮されないため、ボランティアに近い。

 敏子さんは、5年前、梅本靖子さんと二人でこの仕事を立ち上げた。実際にメイトとして訪問もする。心身ともに辛くなることもあるが、信頼を得たときの喜びは何事にも代えがたい。

【日々の暮らし】

 「からだの具合はその日によって異なり、歩くことがつらいことも多いです」。「手術と言われたり、まだ大丈夫のように言われたり悩む日々です」。

 家でじっとしていることが嫌いな敏子さんは、患者の中では比較的軽い症状だと考えるようにし、日々できることをやっているようだ。

 「外からみて、難病にかかっていることが分からないのがつらいことがあります」と敏子さんは言う。

 最近出来た「ヘルプマーク」

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が広がれば様々な病気で苦しむ人に対する理解が得られるだろう。広く普及することが望まれる。

 ヘルプマークとは、

マタニティーマークが妊婦であるこ

とを周囲に知らせるように、ヘルプマークは、外見から分からなくても援助を必要としていることを周囲に知らせることを目的として作られた。

ただ電車の中で席を譲ってもらうために着けているものではない。緊急時(外で倒れたとき、事故に巻き込まれたときなど)に適切な対処ができるようにするためにもヘルプマークは役立つ。

 ヘルプマーク付けている方見かけたらとりあえず「お手伝いすることはありますか?」みたいな風に聞いてくださればいいと思われる。


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# by mako0491 | 2017-09-02 13:58 | アタマ記事

読める、読める

  この紙面に掲載させてもらって早8年。うちの子は保育園児でした。それをいいことに、わが子ネタもわが子を通した世界ネタも書いてきました。

しかし、最近困ったことが…少し前までは漢字たくさん並んだ新聞は、難しくて読めないものと手の届くところに置いてあっても、手にしなかったのですが、最近は手を伸ばします。そして、漢字も読めるようになっていますし、難しい単語も漢字も前後の文脈や内容でどんなことなのか類推できるようになりました。類推よりも私は、辞書を引いてほしいのですが、そこには到達せず、イライラしているのですが。

  それより大きな問題は、新聞に自分のネタが掲載されていることを知ってしまった…のです。そこでうちの子の一言。モデル料はいくらですか?

  え、モデル料、取りますか…

  そうしましたら、わたくし、若さも体力もイチバンイイトキモ、あなたに捧げたサービス料いただきます。

 といったら、私の母は、私もいただきます。というだろうな…

 なんかな~こどもの成長ってありがたいようで、やっかいだな~
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# by mako0491 | 2017-09-02 12:46 | 子育て

私の「おんな友達」

私の「おんな友達」


昨日、「S・ウイリアムさん」からメールが届きました。彼女は知る人ぞ知る和歌山の「ジャズ・ヴォーカリスト」で、30年余も前からお付き合いを頂いている方です。年に何回か、そのライブを聞かして頂いています。

久しぶりに彼女から「『4人の女のオモテウラ』と題して和歌山でコラボ・ライブを開きます。よろしければどうぞ」とお誘いがかかりました。

「女共の哀歌を心して聞かして頂きます」と予約のメールを入れると、すぐさま、『ひやー!、さて女の哀しみ、表現できますでしょうか。最近は「おかんのたくましさ、」「おバンの厚かましさ」が色濃くなっています(笑い)。奥様とお二人でお目にかかれるのを楽しみにしています。』との返信。 

男というものは、何歳になっても女性の前でいい格好をしたいものです。自分が定年(65歳)で現職を離れたとたんに、「20歳時代にギターを習い始めた時の動機」と全く変わりがない「想い」が胸に蘇りました。早速、自宅の押し入れからクラシックギターを引っ張り出したのでした。

「ジャズを格好良く演奏したい」。その格好の良さに魅かれて途中でウッド・ベースに転向しましたが、その「女性の前で格好良く」という不純な(純粋かな?)動機はついて回りました。その結果、今この歳になって、ざっくばらんに付き合ってくれている女性は音楽繋がりが多くなってしまいました。

想い出を遡って音楽繋がりを辿ってみますと、40年も昔、仕事の上で地域の大新聞支社の記者のたまり場で顔を繋いでおく必要から通った新内(あろち)の小さなスナックに辿り着きました。

経営者は弾き語りで名の知れた男性ピアニストでした。ジャズ・バラードを静かに、柔らかく聞かしてくれました。そのお嬢さんがお父さんの亡きあと、弾き語りを受け継ぎ、カラオケを置かないスナックとして常連顧客を引き付けました。バブル経済の盛り上がった頃でした。そのスナックに週に2回、アルバイトでジャズを歌いに来ていたのが、先のメールを頂いた「S・ウイリアムさん」でした。

旦那様は外国の方で、その指導によったものでしょうか、アメリカ英語で歌うジャズの歯切れの良いリズムと、情感の盛り込みに、素人の私なりに惚れ込んだものでした。

人の繋がりとは不思議なものです。この音楽繋がりがこんな形で更に拡がっていくとは、自分でも予想しませんでした。80歳になった今。自分の下手なウッド・ベースの技術を演奏の中に包み込んでもらえているバンド仲間のお陰で、更に女性仲間とのお付き合いが広まっているのです。新しく「オカリナのデユェット奏者」や、「キーボード奏者」が見事な演奏で私達とのグループに溶け込みさらに幅と深みを創り出してくれました。「女性の前で恰好を付けたい」。男の本性が私の生きるエネルギーまで生み出してくれているのです。

先日も、ある福祉施設の「七夕まつり」に招かれてバンド演奏をバックに「みんなで歌おう」の会で演奏をしてきました。会場の盛り上がりは大変で、アンコールも曲を重ね、

予定時間を20分も超えてしまう様なことになりました。私のアドレナリンは最高の水準で、湧出されている状態でした。有難い事でした。

これからは、体力勝負と自覚し「リハビリ・筋肉増強トレーニング」に励んでいます。男にとって女性は生きる力の根源だと今更ながら再認識しています。  (久山 みのる)


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# by mako0491 | 2017-09-02 12:32 | オトコの独り言

心のブロックを解除

片手に軽く触れるだけ

3分で1個 心のブロックを解除

マインドブロックバスターのさらら凜です。

私は2014年4月 マインドブロックバスターになりました。その時、和歌山市にマインドブロックバスターを養成できるインストラクターがいなかったので、大阪に習いに行き和歌山市初のマインドブロックバスターになりました。

そしてその年の9月、インストラクターになり、たった一人から今では受講中の方を含め29人を養成。その中からインストラクターも数名誕生しています。

マインドブロックバスターは、悩みや気になっていることを片手に触れ、潜在意識が見せてくれるブロックのイメージと解除のイメージを書き換えするだけの簡単なセッションです。 道具もいらないので いつでもどこでもできます。 

潜在意識の部分で書き換えをするので無理することなく自然に自分が望む方に進むことができるようになります。

マインドブロックバスターに、「自ら投資し」で始まり「共に豊かになる」で終わる7つの教えがあります。

私はマインドブロックバスターのリーダーとして活動するため、その教えを軸に創始者の栗山葉湖先生から直接学び続けています。

 以前の私は自分の人生が自分のものだという実感がありませんでした。今までは「自分で決められない」。「誰かに決めてもらう方がいい」。そんな人生を生きていました。

そんな中、出逢ったマインドブロックバスターは違いました。ただ気になること、心が反応したことをブロック解除していただけです。

それなのに50年以上自分で何も決められなかった私が根っこの部分から変われました。 

50年以上もそんなものと思っていた自分の人生が変わったのだから、変わりたいと思っている人は誰で変われる。

それは私だけでなく誰にでもできること。特別な事ではなく、ブロック解除を続けるだけで誰でもできること。それを伝えるために、活動しています。

(さらら凜)


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# by mako0491 | 2017-08-23 04:11 | ヒト交差点

「オワコンにならないために」

とある若者の会話で「〇〇っておもしろそうやんなー」「えー、〇〇ってオワコンやん」と耳にすることがある。

「オワコン」って何…?あとで調べると、どうやら「オワコン」とは「終わったコンテンツ」の略で、流行のピークが去ったコト・モノを指すらしい。

お笑い芸人もあてはまるようで、過去に一世を風靡した一発屋芸人も「オワコン芸人」とみなされるようだ。

全裸でお盆をひっくり返しているあの人もいずれオワコンになるのだろうか。あれだけ世間の話題になっていた人や、みんなが夢中になっていたゲーム、かつてみんなが身に着けていた流行のファッションが「オワコン」というひと言で一蹴されてしまうわけである。なんともむなしい気分だ。

スマートフォンの普及によって、あらゆる情報がスマートフォンによって手に入れられるようになった。若者は新しい情報を常に探し、過去の情報はどんどん切り捨てられていく。

前に比べて、ひとつのモノやコトが長続きしなくなったように感じる。1年前にめちゃくちゃ流行ったポケモンGO。街中や公園にはスマートフォンを持った人がたくさんいたのに、1年経った今ではプレイする人がすっかり少なくなってしまった。流行り廃りは激しい。

オワコンはさまざまな場面で使われる。

なんと女性も「オワコン女」と認定されてしまうことだってあるようだ。例えばおしゃれに無頓着だったり、酒グセが悪い、マナーや常識が足りないなど、男性から見て女性の魅力がすっかり失われた人を「オワコン女」と陰で呼んでいるとかいないとか。どきっ。案外みられている、身を引き締めなければ。

(宇都古 舞)


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# by mako0491 | 2017-08-23 04:04 | ちまたで近ごろ流行るもの

大阪の豊中市のステップホールで、先日、一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)、NPO法人おおさかこども多文化センターなどの主催で、「大阪発 外国にルーツをもつ子どもたちの現状と課題ー権利・貧困・教育・文化・国籍と共生の視点からー」について、当事者や民間の支援団体や教員、弁護士、研究者などの関係者が話し合うワークショップがあった。その一部を紹介する。

(中山まり)

・外国人当事者から発言

第一部「当事者からの発信」では、フィリピンと日本のハーフや日系ブラジル人、在日韓国・朝鮮人の子どもや若者、親が、日本で暮らす苦労や経験、言葉や文化の違い、日本に対する想いなどを語った。

それに続いて、第二部「共生に向けて」では、大阪で外国にルーツを持つ子どもの教育活動や支援活動に携わる関係者が、大阪の現状と課題を把握・整理し、具体的な解決策について話し合った。


・個別に対応する必要

地域の民間の学習支援や各種支援を行うスタッフや市の国際交流センターの職員は、在日外国人の子供の抱える問題は、学校での勉強や言語の問題、家庭の事情や親の仕事、医療や社会保障の問題など様々で、個別に対応する必要があり、現状では十分対応できていないと語っていた。

必要に応じて専門知識や能力を備えた専門家にすぐ問い合わせできるように、一括して支援者の情報を集約しておく必要があり、また、支援する側の専門家もどこに支援の必要な者がいるのか分からないため、支援を必要とする者の情報も集約して必要があると提案していた。

・日本語教育の支援不十分

小中高校の教育現場では、外国人の子どもに対する日本語教育や支援などの対応が不十分で、対策が追い付いておらず、教員は市民団体の支援や市の国際交流センターなどに頼ったりしている状況とのことだった。

現場の民間の支援者や教員も、目の前のことで精一杯で、なかなか外部の人たちと繋がることもなく、苦労されているようだった。

・安価な労働力として扱われる  

また、日本に来ている外国人労働者は、技能実習生として期限付きで雇用され、期間が終われば、期限の延長もなく、本国に帰らざるを得ず、一部の悪質な業者から安価な労働力としてモノのように扱われて、悪質な業者により劣悪な環境で働かされている問題もあるとの指摘もあった。

外国人を受け入れるのであれば、人として人権を尊重し、教育、家族、社会保障、労働、介護などの問題を含めて考えていくことが必要と、コメンテーターで弁護士の空野佳弘さんの提言もあった。

欧米では大量の難民や移民の流入は深刻な社会問題となっている。日本で暮らす外国人が増える中で、今後は日本でも外国人を受け入れて支援する体制の整備や充実が求められているように思われた。


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# by mako0491 | 2017-08-23 03:58 | アタマ記事

「異端者よ出でよ」の嘘

可笑しなものです。世の男どもは、組織の長となると、「異端者よ出でよ」というセリフを、誰しも吐きたくなるようです。

 異端者というのは、伝統的な組織風土や、現在の組織トップのリーダーシップ・スタイルなどに反好意的意識を持つ者の事でしょう。余程の大きな深い度量を持つトップでない限り、通常はその異端者の考えを素直には聴けません。 

その事を、本当に身をもってトップが知るのは、その組織が生きるか死ぬかの瀬戸際に至った時か、死ぬと決まってしまってからです。

バブル経済崩壊後、日本の4大証券の一つと言われていた会社の代表取締役が、テレビの大写し画面の中で、大粒の涙を流しながら世間にお詫びの言葉を述べたシーンを記憶している人は多いでしょう。そのトップは消えてゆく企業の後始末に奔走した最後の経営トップでした。

 大粒の涙を流したその証券会社のトップは、今どうして生きていかれているのでしょうか。私と同年代の男であっただけに気になって仕様がありません。

 企業の競争社会では一位と二位の差は月とスッポンの差なのです。自分の所属する企業がトップ集団で走る努力もしないで、評論家ぶって自分は組織内での異端者だとパフォーマンスする奴の傲慢さ・勝手さは鼻持ちなりませんが、「異端者よ出でよ」と叫ぶトップの欺瞞にも鼻持ちがなりません。

私ならさらに鼻持ちならない手法を身に付ける努力をします。マラソン競技と同じ、「トップ集団には必死について行く力を身に付ける。出来ることならトップの肩口で、その息遣いが聞こえる距離でついて行き、風圧やトップを維持したいというストレスはトップに背負わせて、最後のトラック競技に入り、ゴール寸前に余力があれば抜き去ればよい」と思う。余力があれば最初から正々堂々とトップを走ればよいという立派な人もいる。

そんな勝負をして、いったい何の意味があるのかと問われれば、「そんな世界で生きることを選んだのだから」という以外に言いようがないのです。

「面白いよなあ、人生って」という歌の文句を思い出しながら。

         (久山 稔)


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# by mako0491 | 2017-08-20 19:45 | オトコの独り言

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小学1年生の娘が和歌山電鐵貴志川線を1年間(土曜・日曜・祝日のみ)、無料で乗車できる「小1ホリデーパスポート」をもらって帰ってきました。電車の種類も4種類に増え、中国からの観光客に大人気だという貴志川線。親子で乗車してきました。

(浦田ひろみ)

緊張した改札

和歌山電鐵貴志川線はJR和歌山駅の9番線ホームにあります。そのため、和歌山駅から乗車する私達は、まず、JRの改札を通らなければなりません。

久々に行く和歌山駅。新設されている相談所や観光客の多さに驚きながら、券売機をウロウロ。少々、手間取りながらも、JR改札口を抜け、貴志川線へ向いました。

階段を降り、少し暗めの渡り廊下を抜けると、貴志川線の階段が現れます。階段へ到着すると、急に雰囲気が変わりました。階段、壁と可愛さ満点。期待が膨らみます。

大人気のたま電車

たま電車が待つホームにはたくさんの観光客。まず、人数の多さにびっくりです。たま駅長は本当に、中国で大人気なんですね。同じように写真撮影をして、乗車しました。

出発後、しばらくは家の隙間を走っていくたま電車。景色よりも、車内の雰囲気に気分が盛り上がります。木の机、木の手すり、シートの種類や絵柄等など、見たい箇所がたくさん。そして、滅多に電車に乗らない娘と「ガタン・ゴトン」の心地よい振動を体験。なんと、贅沢な時間の過ごし方でしょうか。

短時間で電車の旅

日前宮駅・交通センター前駅では他の種類の電車とすれ違います。反対線路に停まる電車。外装を見て、「そちらの電車にも乗ってみたい。」またまた、夢を膨らませます。ここからは景色もだんだん、緑が増えてきます。所々に田園風景が現れました。

駅長見習い「よんたま」がいるという伊太祈曽駅からは電車が山々の中を抜けるよう。景色も楽しめます。

和歌山駅から終点の貴志駅までは電車に揺られて約半時間。短いながらも、時間はゆっくり感じました。旅気分を満喫。

再建された貴志川線

こんなに観光客が多くて、楽しい時間を過ごすことができる貴志川線。だが、有人駅は始発の和歌山駅と伊太祁曽駅の2駅のみ。2004年には年間5億円という赤字が膨らみ、廃線の危機に瀕していたといいます。

それから約10年。路線と設備を「和歌山市・紀の川市・和歌山県」に購入してもらい、「貴志川線の未来をつくる会」、「和歌山電鐵」の人々の知恵と労力により、再建し、現在の姿になっています。

再生への新たな10年

現在、年8200万の運営補助金は終了し、貴志川線は設備の補助のみで運営されています。乗車人口を増やそうと、新たに大人の雰囲気の「うめ星電車」も登場させています。

車社会の和歌山で車から電車に乗り換えてもらうことは容易でありません。しかし、電車が必要な人もいるし、沿線には学校もあります。さらに、海外からの観光スポットにもなっています。

実際、切符を買って乗車した貴志川線は、電車に乗るだけでワクワクしました。さらに沿線には様々な観光コースがあるよう。大人780円、子ども390円で貴志川線は1日乗り放題。かわいいレンタサイクルも4時間まで100円です。車とは違った休日旅気分を満喫しに、時には貴志川線に乗ってみませんか?


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# by mako0491 | 2017-08-20 19:16 | アタマ記事

フェイスブックの面白さ

元気なうちに終活をと、考えている私には、今のご縁は大切にしつつも、新たなご縁はなるべく避けて生きたいと考えている。しかし、仕事の関係上避けきれなくなり、遅ればせながらフェイスブックを始めた。

コメントを受け付けないように設定しているブログは、もう5年ほどマイペースで更新しているが、フェイスブックは、なんだか気忙しい。自身が話題を載せなくても、一応朝夕チェックをして、ご縁をいただいている方の投稿には「いいね」をポチッと押す。

システムに慣れてくると、会ったこともない人と友達になることで、文章を読んでいるだけだが、その人物像も見えてきて、何度かコメントのやりとりをしている内に、すっかり旧知の仲のように感じてしまう。

フェイスブックを毛嫌いしていたが、それはそれで面白い。

このフェイスブック、日本では既に若者離れが進んでいて、40歳代より上の世代にしか支持されていないようだ。

若者は、写真に特化したSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)インスタグラムを楽しんでいるようだ。

写真や動画を簡単にシェアすることが出来るアプリやサービスを指すらしい。と、知ったかぶりをしてみたが、頭はついていっていない。

さて、フェイスブックは情報をいち早く共有できるという点では、大いに活用させていただいている。情報提供してくださる方の視点の鋭さにも学ぶことは多い。

(玉置 ひとみ)
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# by mako0491 | 2017-08-20 18:34 | 女の視点

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熊本県の慈恵病院に日本で初めて、親が育てられない赤ちゃんを匿名で預け入れるシステム「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の運用から10年。これまで125人の赤ちゃんを救い、大きな反響を呼んた。安易な棄子や育児放棄の助長につながり、匿名で預け入れることに子の出自を知る権利が損なわれるなど批判もある。

今回は関西で初めて「面談型こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の設置を目指して、活動されている神戸市のマナ助産院院長の永原郁子さん=写真=にお話を伺った。

 きっかけは、関西でこうのとりのゆりかごを設置するために「特定非営利活動法人こうのとりのゆりかごin関西」(理事長:人見滋樹京都大学名誉教授)が立ち上げられ、その理事に就任したことだった。

「何とかして命を守れないかと思いました。赤ちゃんはけなげに生まれてきます。生まれたばかりの赤ちゃんは、ここはどこ?というふうに周りをきょろきょろ見回しています。お母さんを信頼しきっています。泣いてもお母さんが抱っこしたら泣き止みます。信頼していたお母さんに殺されてしまうんです。そのような女性は、極悪非道ではない普通の女性です」。

「病院で産んだり、育てられない命を産むとこまで守り、後は託すという形にしたいと思っています。中絶される命も確実に人格がある命です。5か月くらいから記憶があります。計り知れない可能性のある命を、自分で生み出せないなら、託せば良いというふうにしていきたいと思います」。

保育器につながるドア(赤ちゃんポスト)の設置には、24時間医師の常駐が必要と神戸市の指導があったため、面談型に切り替えた。面談で話し合うことでお母さんが困っていることに焦点を当てて、問題を解決できると考えている。

お母さんの考えを整理して、一人でいるお母さんと一緒に考えられる。顔を見せたくない人や、夜来る人、誰にも言えない人もいる。助産師の仕事は女性に寄り添って母子の必要に応えることだ。母である女性の痛みにもふれることが出来ると考えている。

永原 郁子さん=1980年大阪大学医学部付属助産婦学校卒業後、病院勤務を経て1993年神戸市北区ひよどり台にてマナ助産院を開業。自然出産/母乳育児の推進/子育て支援/環境問題/戦争を語り継ぐ活動などを通して地域母子保健に携わる。

ヒト交差点  下 8.4掲載

「面談型赤ちゃんポスト」目指す㊦

 

今までわが子が妊娠して困っているという相談をたくさん受けてきた。普通に育てられた子供が性交後に妊娠する。自分の子育てが間違っていたのではないかと悲しんだり、怒ったりする母親に、「大変な時期に、どう乗り越えるかでその後の親子関係が変わっていく。乗り越え方が大切です」と話している。

全国の小中高校の教職員や保護者から講演の依頼がある。小中高校の教職員は、必要に迫られていると感じている。実際学校で問題になっており、生徒は教員に相談するようなことはしない。「意識改革」が必要になっている。

助産院に隣接した土地に、思いがけず妊娠した女の子たちが暮らす「マタニティーホーム」を建てたいと考えている。かつては結婚する前に妊娠することは社会的に認められないことだったが、ここ10年ほどで「できちゃった婚」は隠すことでなくなった。しかし今なお、結婚にいたらない妊娠は認められず、人工妊娠中絶する人がほとんどだ。

事情抱えて妊娠し、職場にも言えない人もしばらくの間「マタニティホーム」で過ごすことで出産できるようにしたいと考えている。

日本では、養子縁組には否定的な人が多い。夫婦の選択肢として、自分の赤ちゃんも生んで、養子も育てるように、養子縁組が一般化するような社会になればよいと考えている。実親も生まれた子供とコンタクトを取り、生まれた子供も私には2人のお母さんがいると、胸を張って生きていけるような社会にしていきたいと考えている。

面談型24時間母子相談窓口」を来年3月開設する予定だ。熊本慈恵病院のような「赤ちゃんポスト」の開設を目指していたが、面談型に変更した。マナ助産院の診察室のすぐ側に専用の面談室を設け、母子のプライバシーに配慮して、通常の入り口と別の入り口を設ける。助産師が24時間対応し、面談室で相談に応じる。匿名でも対応する。産婦人科医が駆けつける体制も備え、児童相談所や養子縁組斡旋民間団体、一時保護施設など関係機関とも連携する。電話での相談も今年12月に開始し、緊急時は24時間で対応する予定だ。」

「面談型こうのとりのゆりかご」の開設に合わせて、思いがけず妊娠した女性と胎児のいのちを守る家として一般社団法人「マタニティホーム・マナ」を建設予定で、寄付を募っている。連絡先は以下の通り。

【マタニティホーム・マナ】ikuko@mana-mh.com

(中山まり)



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# by mako0491 | 2017-07-15 09:50 | ヒト交差点

「夢」についてあれこれ

 毎日「夢」を見ているようです。睡眠中に見る「夢」の話です。朝、目が覚めた直後はよく覚えていて、すぐに家人に先ほど見た夢の内容を話します。

 近ごろはリアル系が多くて、日常の延長上のようなお話が多いのですが、登場人物は全く覚えのない人が大半です。なのに、とてもよく知っている人として行動するのです。

 夢判断などによると、そうした人たちは、前世において深い関わりがあったらしいです。でも、現実は見たことも会った覚えもありません。

 パートナーや息子たちよりも、亡くなっている両親なんかが頻繁に出てきて、当たり前のような顔をして活動しています。そして彼らに呼びかけ、話しかけている声で目が覚めることも多いです

 「カラー」の夢がほとんどです。半世紀以上前からカラーです。昔は色つきの夢を見ると、異常だとか言われましたが、今はそうでもないようで、安心しています。

夢の中で「食べる」行為は少なく、たいていは食べる前に目が覚めてしまいますが、2度ほど美味しい美味しいと、ぱくぱくやっていました。もちろん何の味もしませんでした。が、食べられたことで満足です。

かなり前は、道がすべて水で埋まり、2~3mの深さの水路となっていて、その中をスイスイ泳ぐ夢をよく見ました。息が苦しくないので、とても爽快です。

戦争になって回りがバタバタ倒れているのに、自分は死んだフリをして目を瞑っている夢も何度見たか知れません。

実家がいつのまにか部屋が増え、広い大きいおうちになっている夢もしょっちゅうです。

内容が幼稚すぎて、お話しするのも恥ずかしくなってきました。

こうした夢を分析してみるのも面白いかもしれません。

おめでたい人、といわれそうですね。

  (中村 聖代)


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# by mako0491 | 2017-07-06 03:17 | 女の視点

TOPIX

久留米かすりを使った

地下足袋スニーカーなど

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久留米絣(かすり)をご存じですか?福岡県の筑後地方で200年続く膨大な細やかな工程と長い時間をかけて織りあげられる日本伝統の織物。

ギャラリー木綿(ゆう)=和歌山市西高松=では主に久留米絣を使った洋服やバッグなどを販売。2年前、オープン10周年にむけて久留米絣を使った商品は出来ないものかと考え、出来上がったのがこの地下足袋スニーカー&サンダル=写真。

久留米絣との出会いはオーナーの谷口登喜子さんが久留米絣の服を購入したのがきっかけ。肌が弱く化学繊維の服を着ると肌荒れなどをおこしていたのがこの久留米絣の洋服を着たところ夏は涼しく、冬は暖かくそして何より肌荒れが全くおこらなくなった事で久留米絣の素晴らしさを体感しその魅力を伝えるべく和歌山にお店をオープンした。

実はこの久留米絣はほとんどが福岡の小さな工房で作られている。工程に手間がかかるため後継者が減っていっているのが現実。この伝統工芸をたやさない為にオーナーの娘さんの谷口まりこさんも織物屋さんとの交流を深め、この伝統工芸を残すべく和歌山県内外へと販路を広げている。

ギャラリー木綿では久留米絣の生地を使ったオリジナルな製品を扱っているが、洋服と同じ柄でトータルコーディネート出来るように地下足袋シリーズが考案された。

地下足袋は自然と親指に力をいれて歩くことで正しいい歩き方ができるので腰痛の方や外反母趾の方にお勧め。男性にもお勧めという。

地下足袋スニーカー22cm-28cm ¥8,640税込み

地下足袋サンダル242628cm ¥7,480税込み

(神谷 弥生)


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# by mako0491 | 2017-07-06 03:07 | TOPIXS

山崎亭が静かなブーム

山崎亭が静かなブーム。地元住民とNPO(非営利団体)、社会福祉法人などボランティアが軸になって、さまざまな交流から、新たな活動を生みだしている。ハード(古民家)と、ソフト(地域文化)の魅力から地域創生のきっかけになると期待される。

(市野 政子)

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県外からも客多い

 JR 粉河駅を降り立つと、すぐ右に赤茶色の土塀が見える。

100年の古民家山崎邸。その佇まいだけでも、癒される。

近代和風建築と呼ばれる貴重な文化財建造物。

今は、いろんな趣向を凝らして、人の交流の場、多彩な企画が予定され、折に触れ、地域はもとより県外からも、山崎邸を訪れる人が多くなってきた。

母屋は、1917(大正6)に棟上げされた。当時は第一世界大戦の影響で景気がよく、特に県内では紀北紀中を中心に綿ネルと呼ばれる綿織物の生産加工が繁栄し、全国でも有数の産地だったそうだ。

見どころは大広間

この住宅を建築したのは山﨑家の当主栄助及び次の代を担う栄吉である。

山﨑家は和歌山市に綿ネル生産工場を持ち、朝鮮半島方面への販売で財を成したと伝わっている。

この建物の一番の見所は、大広間。5畳の主座敷と10畳の仏間からなり、主座敷には床の間、違い棚、琵琶床、付け書院等の座敷飾りを備え、壁は、金唐紙を張り、天井は折上げ格天井などと豪華なもの。

壁に掛けられた先祖代々の写真が、今の山崎邸を見守っている。

この大広間に、いろんな企画で集う人たちが賑やかにしている様子をきっと、壁の額の中から、賑やかなことだと、喜んでいるのかもしれない。

昔は、きっと、この部屋で親戚一同が集まって法事や大切な行事等してきたことだろう。

回り廊下に庭木を眺め、龍門山が、居ながらにして眺められる大広間は、春の日差しなどあびると、お昼寝でもしたくなる空間だ。

畳がこんなにいいものだと、改めて気付かされる瞬間だ。

今は使用不可だが、お手洗いも贅沢な作りになっているのが如何に資産家の贅沢さがよくわかる。

また1階と2階にある傘天井の部屋や、和洋折衷の階段室に質の高い意匠を見ることができ、多くの良材が使われていることも魅力のひとつ。

部屋の押し入れの中壁に、明治の新聞が壁の補修に貼ってある。これは大切な時代の証だ。是非、必見。

お雛祭り華やかに

行事はいろいろあるが、特に春のお雛祭りの季節に、地元のとんまか通りの商店街の実行委員の方々たちが、毎日山崎邸に詰めて、お雛祭りが、盛大に行われている。

山崎邸は、玄関から各部屋、お雛様。またお雛様と晴れやかになる。

また西国三十三ヶ所観音霊所第三札所粉河寺へと続く参道の、とんまか通りの商店街は、両脇に、家の古くから伝わったお雛様を飾り、道行く人に見ていただこうと、街とともに華やかな季節になる


明治にタイムスリップ

729日には、紀州三大祭りの粉河祭りは、見ごたえがあり、是非おすすめ。

その他、山崎邸は、改造が少なく屋敷全体の構成も含めた保存状態が良いこともこの住宅の特徴である。  

一階に「 コミニティcaféHAJIMEが来られた方々とのコミュニケーションの場として、人気の場。

昔懐かしい雰囲気の中で、ゆっくり時間を忘れて、コーヒーを味わいながら、どんな人がここに住んでいたのか、土間の椅子に座ってぐるりと眺めながら、明治時代にタイムスリップをしてみるのも山崎邸の魅力..




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# by mako0491 | 2017-07-06 02:47 | アタマ記事

雅楽―笙と龍笛

 塚田由里子さん・稲垣昭子さん

「雅楽」(ががく)とは千年以上前から主に宮廷音楽として伝承されてきた現存する世界最古のオーケストラであると説明される。それぞれの国で盛衰があるが、ここでは、宮内庁式部職楽部に伝わる日本の雅楽を「雅楽」として述べることにする。今回笙(しょう)の演奏、塚田由里子さん・龍笛(りゅうてき)の稲垣昭子(あきこ)さんに来てもらい演奏会が催されたので紹介したい。

  (中村 聖代)

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【塚田さんは元教師】

 塚田由里子さんは、東京浅草近くに生まれ育った。大学卒業後は、中高一貫の女子校の数学の教師をしていた。縁あって結婚。和歌山市に移り住んで13年になる。当初は、畑を耕し、野菜作りなどを楽しんでいた。

【雅楽との出会い】

あるとき市民会館で親子向けの雅楽教室があるのを知った。

 大河ドラマで東儀秀樹の篳篥(ひちりき)の演奏を見て以来雅楽に興味を持っていた由里子さんだが、東京で雅楽を学びに行こうと思っても、講座を開催している場所も少なく、受講料もとても高額であったため、当時は習いに行けなかった。

「十回の受講で500円、しかも楽器まで貸してくれるのです。和歌山ってすばらしい!」

 そのあと親子教室の参加がかない、観世流の小林慶三先生について能の仕舞と、謡も真剣に学び始めたところだ。

 今では笙をこよなく愛する演奏家である。和歌山雅楽会に属し、定期演奏会等にも出演するほか、近所の紀ノ川のほとりにある宇治神社で奉納演奏をする。毎年6月から行われる伊勢神宮での雅楽講習会の合宿にも参加している。

【お話会とのコラボ】

 ちいさな子どもたちに昔話を聞かせる和歌山むかしばなしの会「語りの森」の中で、合間に笙の演奏をすることもある。「遠い昔から伝わる曲を、笙が日本に伝わった1400年前と変わらぬ音で演奏することで、お話を聞く皆さんにも、遠い昔にタイムスリップしてもらうという気持ちで演奏させていただいております」。

【和歌山を愛でる】

 由里子さんは、紀ノ川や妹背山で独り舞いの練習し、悠久の歴史を感じることもある。和歌山県に移り住んできた人たちの方が、和歌山の良さに敏感なのかもしれない。

 また、今年3月に和歌山雅楽会の定期演奏会で舞人として舞台に立った。日本に伝わる伝統的な雅楽の舞をもっと身近に私たちの健康をサポートする体操に応用してはどうかとも考えている。面白い試みである。

 【天理教会の稲垣さん】

 龍笛を演奏する稲垣昭子さんは、名古屋出身。和歌山に来て21年になる。実家は天理教の教会。幼い時から雅楽に親しみ、笙をしたこともある。結婚式やお葬式には必ず雅楽が演奏され、天理教と雅楽は切っても切れない関係なのだ。

 昭子さんも和歌山雅楽会に属している。元宮内庁式部職楽部から直接指導を仰ぐこともあるが、雅楽会の先生は、ほとんどが天理教教会のひとたちなのだ。

【龍笛手となったわけ】

 昭子さんは、嫁ぎ先も天理教の教会だ。龍笛を演奏する人がいないのでお鉢が回ってきたという。今はとても龍笛を愛している。

 余談ではあるが、プロ並みのお料理、お菓子作りで、和歌山雅楽会のメンバーを喜ばせている。

【雅楽の世界】

 今回の演奏会では「涙そうそう」や「ジュピター」を聞くことが出来た。

 現代西洋楽の音程をひとつひとつ拾い、雅楽の音として作り上げる。大変な作業だったようだ。完成まで2カ月以上かかったという。

素晴らしいものだった。

 そのあと、雅楽や楽器についての説明がなされたので一部紹介しよう。

 雅楽の演奏は3つの要素、即ち管楽器(吹物)、打楽器(打物)、絃楽器(弾物)で成り立っている。笙・龍笛・篳篥は管楽器である。特に笙はリード部分に息の湿気で水滴が付くと、音が鳴りにくくなったり、接着剤の役目をしている蜜蝋と松脂の粘着力がなくなると調律が狂ったり、振動しなくなったりするため、必ず演奏前と演奏後に炭火(現在では電熱器など)で楽器を焙って温める必要がある。そうした手間ヒマが愛でる一因のようだ。

 また、雅楽は合奏ではあるが洋楽のオーケストラのように指揮者はいない。多くは相の手のような打ち方をする。

 よって、演奏者が各々で取る「拍子」が重要になる。そのためには曲を音声に置き換えた「唱歌」を手で拍子をとりながら、何度も何度も歌って覚えるのだという。故に、奏者相互の融和が最も大切な要素となる。

 昭子さんが龍笛の楽譜を見せてくれた。そして歌ってくれた。

 日本に伝わるこの優美な世界にもっと触れ、伝えていきたいものである。雅楽に必要とされる相の手、融和の世界を、私たちの日常生活にも取り入れるべきだと感じた。


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# by mako0491 | 2017-06-25 16:57 | アタマ記事

日蓮宗本廣寺と江戸千家の祖 川上不白

茶道の流派には、千利休直系の三大流派、表千家、裏千家、そして武者小路千家がある。その他にも数多くの流派があるが、今回ご紹介したいのは、江戸千家。

江戸千家の祖、川上不白は、享保4(1719)、紀州藩水野家の家臣川上家の次男として新宮市に生まれた。

16歳の時、京都にて表千家の中興の祖といわれる7世 如心斎のもとに入門した。

31歳の時、真台子の伝授を受け、茶道の中で重んじられる所作をすべて活かし、客人に茶を振る舞う動作の集大成)如心斎の命により茶道を広めるために江戸へ赴く。90歳で没するまで、江戸千家の茶道を武家階級や町人階級に広めた。

また、川上不白は、法華経(妙法蓮華経)の熱心な信者として、日蓮宗の寺院と仏縁が深い。生まれ故郷 新宮市の日蓮宗本廣寺には、不白が建立した「書写妙法蓮華経印塔」がある。和歌山県の文化財に指定されている。 79歳の高齢にもかかわらず、江戸より新宮に帰り、先祖菩提所の本廣寺の山内に法華経869384の文字を11石に書写し地下に埋蔵ししているという。

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本廣寺は、JR新宮駅から西方、千穂が峰の麓、熊野速玉大社から神倉神社方面へ徒歩5分のところにある。通称、寺社町。新宮市の歴史を感じられる街並みの中にある。更に、新宮城跡にも川上不白直筆の碑が建立されている。お父上が新宮城主、水野家の家臣であった由縁であろう。


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# by mako0491 | 2017-06-25 16:37 | お勧めスポット

和歌山大学硬式野球部、春季優勝、神宮大会初出場。歴史的一勝と8強進出。和歌山の野球界、スポーツ界は沸いた。私もひとむかしちょっと前に属していた硬式野球部。念願のマネージャーをしていた。その和大野球部が神宮。私がいた頃、千里のあの賢い大学に当時、地名をもじって「バカ山大学」なんて呼ばれていた。何せ大学偏差値ランキング表では、和大より上の、神戸大学、大阪大学、同じくらいかな?大阪府立大学、大阪市立大学などの当時国公立ひしめくリーグで、一部から降格して二部で優勝争いをしていたあの頃。その後三部へ降格して暗黒の時代も味わったとか。

 今はSNSで情報発信できる、受け取れるありがたい時代。神宮大会始まってから気づいた私は、いてもたってもいられず…外せる予定は外して神宮行こうとした前日、和大惜敗。一報を聞いて、連絡してみた。宿舎はどこですか?と。

大きな教室で講義していたが、授業でお世話になった当時若手研究者だった方が、どういうわけか硬式野球の部長をしていた。その部長に突如連絡してみた私。先生の授業受けた○○と申します…と。さすが温かい和歌山、来てええで~とお返事もらって、すぐに準備できるものをもって、いざ宿舎へ。宿舎に交渉したけれど、食事をアップグレードするなどは、発注リミットあってできなくて、こういう段取りができる心の余裕がほしいと反省した。

 300人の一人の私を先生は覚えているわけはないが、思い出話に花が咲き、夕食時間に若い若い部員、マネージャーと対面。もう、よくよく考えると、弟妹というより息子娘により近くなっている…この現実。入学した年を○○期というのだが、先生が期数をいうたびにばばあ丸出しになる私。言ったらだめ~~ばばあになるやん、というとても地域性の高いやりとりを東京のど真ん中の宿舎でしたのでした。

 野球部の卒業生、和歌山大学の卒業生、和歌山の皆様、現役、卒業生の部員マネージャーのご家族の皆様が一丸となった神宮大会。卒業してない私が一番狂喜乱舞していた気もしないではない。やっぱり、和大って和歌山っていい!!

 学生時代お世話になったスポーツ用品店の皆様にご挨拶すると人づてにお約束したので、涼しくなったころ秋リーグ、紀三井寺へ応援に行こう。そうだ、和歌山へいこう~

(田中 麻衣子)

※筆者は2年次修了退学し、別の大学を卒業している


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# by mako0491 | 2017-06-25 16:31 | 女の視点

シニアとゲーム楽しむ

地域の高齢者の方々にいつまでも住みなれた地域でいきいきと健康でいられるようにと、看護学生が軽い運動などを考えてお話しさせていただく機会があり、私も一緒に御坊市にある地域の高齢者サロンにお邪魔させていただきました。

学生たちの話があるというので、わざわざ小雨の中、タクシーに乗り合わせて来て下さった方々もいて、学生の教育はこのような温かい地域の方々に支えていただいていることを本当にありがたく思う毎日です。

 学生の話のあとは、日頃、皆さんが楽しまれているゲームを一緒にさせていただきました。それは道具も手作りで、大きなレジャーシートに40個ほどの数字が書かれたマス目が的になり、その的を目掛けてパターゴルフのようにボールを5つほど転がして、ボールが止まった的の数字の合計を競うというものでした。

またそのボールが角のないサイコロのような形をしているので、思った方向に転がらず、その力加減もなかなか難しいのです。

学生も私も一緒に真剣に取り組んでみたのですが、サロンの方々には全く歯が立ちませんでした。「なかなか思う通りにいきませんねえ」と苦戦している私に、サロンの皆さんが「そうでしょう、人生とおんなじよ」と笑っておっしゃるのです。さすが、人生の大先輩です。 

その言葉になんともいえない重みを感じている私を不思議そうに見ている学生たちの若いまなざしもまた印象的でした。

 そういえば、私もこの学生たちの頃は、そんなことを考えもしませんでした。学生たちの2倍の人生を生きている分の経験の差なのでしょう。そのまた私の2倍近い人生を生き抜いてこられたサロンの方々のように、美しい笑いジワが似合うように歳をとりたいものです。

(石井 敦子)


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# by mako0491 | 2017-06-25 16:27 | ヒト交差点

『まねきねこがっこう』

『まねきねこがっこう』きたあいり作



PHP研究所 2015年 1404円対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)4歳から(自分で読むには)5歳から大人まで 


 ●○あらすじ●○ある街のラーメン屋さんはいつもガラガラ。店長の親父さんは無愛想だし、壁のビラは剥がれているし、天井には蜘蛛の巣があります。店はどんより暗~い感じです。その店先にいるのが招き猫のにゃん吉。にゃん吉は今日も親父さんに怒られています。「今日もお客さんが来なかったぞ。この役立たず」もちろん、にゃん吉は思います。(僕だけのせいにしないで欲しいにゃん……)でも、実はにゃん吉は怠け者。招き猫にもかかわらず、腕をあげるのはしんどいとダラダラしていたのです。

 そんなある日のこと、猫型の紙が飛んできて、にゃん吉のおでこにピタッ。すると、体が勝手に裏山に向います。そこには招き猫の先生と半人前の招き猫達がいました。「一週間、みっちり特訓するから覚悟するように!」みっちりと、講習と実技訓練を受けました。

 次の日、にゃん吉は初めて筋肉痛に。お店には店長と女将さんだけです。「アイタタタ~誰も見ていないし、腕をおろしちゃおう。学校も休むにゃん」ところが、真夜中になると足が勝手に学校の方へ動きます。先生はカンカン。「サボるとは何事じゃ!わしらは幸せを招くのが仕事じゃ。そんなんじゃ、立派な招き猫になれんぞ」にゃん吉は言います。「招き猫より自由に動ける猫に生まれたかったにゃん!立派にならなくてもいいにゃん。」先生は立派な招き猫になれば、本物の猫になれると教えます。本物の猫も話しかけくれました。頑張って損はありません。

 シコ踏み、腕立て、と一週間頑張りました。その後、にゃん吉は一生懸命働きました。店は大繁盛し、親父さんと女将さんにも笑顔が溢れます。「ご苦労さん」と頭もなでてくれるようになりました。にゃん吉は満足に思います。(猫に生まれ変わるのはもっと先でもいいかにゃ~)自信に溢れた表情のにゃん吉に元気をもらえますよ♪(浦田ひろみ)

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# by mako0491 | 2017-06-12 17:18 | 絵本この一冊

ダンスチームエネルギー全開

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10回 「南紀海彩まつり」が今年も5月の第三日曜日、新宮市の新宮港をメイン会場に、スーパーセンターオークワ南紀店をサブ会場として、ダンスの祭典がおこなわれた。3月から実行委員会のスタッフの方と話す機会があり、心意気のスゴさとそのエネルギーの源を知りたいとまつりの後、実行委員長の北道さんにお話を伺った。(玉置ひとみ)。

大人と子供が一緒に

実行しているのは、新宮市で活躍しているダンスチーム『Team雅龍』

Team雅龍の発足は、2002年。当時子どもが踊れるチームは少なかった。大人と子どもが一緒に踊れるチーム作りを目指したという。

その年に北海道で行われた『よさこいソーラン』に出場したことを契機にダンスの魅力にはまり、メンバーの士気は高まり、とぎれることなく現在へと続いているのだそうだ。

大人と子どもが一緒に作り上げることで、子どもは、自然に挨拶ができるようになり、礼儀正しくもなる。更に身近にいる大人を見て目標を持つことができるので、しっかりとした将来を意識することもできる。確かに、会場での皆さんの行動は、指示も動きもとてもスピーディーだと感じた。

会社員が支える

メンバーの大半は学生だそうだが、10代から60代まで40人ほどで構成されている。

中心を支えている人たちは会社員。平日の昼間は仕事をして、夜に企画会議や練習をしている。練習は主に、市内の神倉小学校の体育館や福祉センターで行っているそうだ。

振付メンバーで

衣装をよさこいの本場、高知県で作ってもらっている以外は、ダンスの振り付け、選曲などすべてメンバーで作り上げているという。

『南紀海彩まつり』も、最初は、紀伊半島で活躍するダンスチームの発表の場にと、ただただダンスの祭典だけにしていたようだが、だんだんマンネリ化し、更に見物客も少なくなつた。ミーティングを重ねて、地元商店や地元プロのミュージシャンに参加依頼をかけ、規模を拡大されたそうだ。

舞台の設営も総て

 今年も招きするために、Team雅龍の皆さんは、昨年の6月から準備を始め、ボランティア団体のため資金作りに1月から3月は、協賛月間として、地元企業や商店を回って協賛金を募り、開催日が近づくと、港の草地をメンバー自ら草刈りをして駐車場を作り、舞台の設営も全ておこなったという。

42チームが参加

 今年の南紀海彩まつりは、県内外から42チームが参加された。

 大阪府、和歌山県は和歌山市、串本、粉河、田辺

新宮、那智勝浦町。愛知県は、名古屋市、知多市。三重県は、尾鷲市、津市、伊勢市、鈴鹿市、紀北町、紀宝町。奈良県は十津川村。と前日から観光を兼ねて来られた方や早朝に出発して会場へ来られた方々など。順位など付けないのに、ただ純粋にダンスを見てもらいたいだけだそうだから、熱意に驚く。

 まつり終え、熱気も冷めやらない夜のインタビューにもかかわらず、快くお引き受けいただき、一通り聞き終えた後の雑談で「これから帰ってから会計報告をまとめます。各企業や商店の皆様のご支援への感謝の気持ちを結果報告として少しでも早くお伝えしたいので」とおっしゃっていた。今後も地域を盛り立てていきたい。『南紀海彩まつり』にゴールはない。ずっと語り継いでいきたいと。どこまでもエネルギッシュで、ピュアで。もう次への目標に向かって進まれていた。


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# by mako0491 | 2017-06-12 16:08 | アタマ記事

健康ナビ6・9

健康ナビ6・9

「延命治療拒否」を決断する時

  

検査入院結果報告に親族代表として立ち会う経験なんて過去に一度もなかった。自分がその代表に選ばれたのは、患者の兄であったからだ。報告というより「告知」そのものが行われた。病状診断した担当医師2人から丁寧で心配りが痛いほどよくわかる報告があった。

告知された病名は、「筋萎縮性側索硬化症」であった。説明は情を交えず客観そのもので、患者本人にとって「酷すぎる」とさえ思えた。医師のつらい役割なのだろう。一般に「筋萎縮症」と言われ、だんだんと筋肉が衰えていく難病とのことであった。

「現在は治療の方法がありません。症状の進行を遅くする方法はあります。しかしこれからどこの筋肉に症状が出始めるかにより異なり、今は左手の筋肉に出ているが、それが心臓や、肺の筋肉に出始めた時は多くの問題を医師も、患者も、親族も抱え込みます。

心臓にペースメーカーを埋めたり、呼吸を助ける器具を体につけたりできますが、この延命治療の器具を『今、取り外せ』と誰が決断するのでしょうか。それは医師の判断の範囲を超えてしまっています。即・臨終を意味するからです」

担当医師は、最後の所で、そのことを患者本人に、奥さんに、親族代表に理解しておいて欲しかったのだろうと思いました。

「延命治療はお断り」と書き置くことは簡単です。しかし延命治療の定義を克明に記すことは難しいでしょう。弟にはまだやりたいこともあるでしょう。社会的地位も、相続財産も有ります。癌の告知なら延命治療を続けながら完治に至る確率が高いでしょう。 

貴方がこの患者なら残された一生をどう生きますか。弟は普段通り、田舎の里道を明るい顔で散歩しているそうで、病状も変わらず安心していますと、奥さんから私の家内に連絡が有ります。一番苦しいのでしょう。

(久山 稔)


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# by mako0491 | 2017-06-12 15:53 | 健康ナビ
視点掲載6.9
正しいことが正しいといえる世に

  西の方で「忖度」とか「ご意向」とかいろいろあるらしい。気にはなる。埋まってる廃棄物の影響って、本当にないのだろか。豊洲の市場では、何百倍って基準値を超えているようだ。  

 報道の自由、言論の自由。ジャーナリストや記者が集めた資料や情報が毎日紙面やネット、テレビを通して目にする。ふと、思う。出てきた資料が存在しないって、どういうことなのだろう。調査の結果、ありませんでした。という霞が関のお偉方。ではあれは何だろう。ん、偽造か…  

 最後は事務次官を務めた女性が検察の偽造偽造によって自由を奪われた。組織の中で、意思決定する時には見えない力が働くことをまざまざと見せつけられた事案だった。 
 あれから皆、何も感じなかったのだろうか。 いち組織に属するものとして、潔白であろうとすればするほど、正しいことをしようとすればするほど、足を引っ張られる感覚がある。
 
 次元が低いとお叱りを受けるだろうが、人事評価を得るために他を蹴落とす、頑張っている人を陥れる、頑張る気持ちを削いで自分を高くおこうとする輩はいる。私の周りにうようよ、いる。 あるものをない、あるものをないことにする、あったものをなかったことにする、これらすべてに「忖度」や「ご意向」を感じるのはきっと私だけではないはずだろう。 

 そうした汚れた部分を見えないものとして、あえて言う。日本を強い国にするからには教育。その通りだと思う。じゃ、早く完成させてしまえ!!優秀な人材を輩出して世界に通用するようにしてしまえ!!日本経済が安寧となる特許や技術を確立してしまえ!!あーだこーだ言われる前に協力に推し進めてしまえ!!なんだか、55年体制時代の政治家が頭に浮かぶ。結果的に彼等の牽引力は素晴らしかったということか。 腑に落ちないけれど、正しいことが正しいといえる世の中であれ。                  (田中 麻衣子)

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# by mako0491 | 2017-06-12 15:27 | 女の視点


ボランティアに輝く毎日

林 多恵子さん

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 林 多恵子さんは、和歌山市内の小学校教師を退職後、よみきかせや国際交流センター・YМCA日本語科でのボランティア活動に忙しい日々を送っている。少子高齢化の現代社会、健康で生き生き輝く毎日を送りたいと誰しもが思う。我々も彼女の生活を横に見ながら、自分の居場所や、やれることを見つけて社会に関わっていきたい。

(中村 聖代)


 林 多恵子さんは、市内に生まれ吹上小学校、西和中学校、桐蔭高等学校を経て和歌山大学教育学部に進んだ。

 人材の多くが県外に流出する和歌山県であるが、多恵子さんは和歌山で働くことを望んだ。大学卒業当時、和歌山市では中学校の英語課程の採用枠は無かったが、小学校課程の枠が多くあった。多恵子さんは近くの小学校に正式採用されたのだった。

【教師時代の失敗】

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日本語クラスは様々なコースが

 教師である多恵子さんは、子どもたちから学ぶことも多かった。今でも心に残ることがあると言う。子どもの声にきちんと耳を傾けるべきだったと。

 それは着任1年目の話だ。カレーを残したいという子どもがいた。何故かと思いつつ、「がんばってもう少し食べよう」といった対応をした。そうしたやりとりがあったあと、懲りずにまた残したいと言ってきた。どれだけ食べたのかと見に行くと、その子の食器の中には溶けずに残っていたカレールーの塊があった。現状を見ずに判断したことを猛反省した一件だった。

【年下の夫との出会い】

 教師生活を続けていると自ずとベテランになる。多恵子さんが30歳になった頃、若干23歳の男性が補助教員として着任してきた。「声も小さいし、頼りないな。大丈夫やろか」多恵子さんの母性本能がくすぐられた。その彼は十年後、生涯の伴侶となった。

 結婚後1年目、41歳にして一児の母となった多恵子さんにとって、教え子が出産・育児の先輩にあたる。出産祝いに来てくれた教え子が3児の母となっていたり、クラスの子どもの保護者がかつての教え子だったり。ここでも本当に教えられることが多かった。

【定年退職後の日々】

 平成17年、54歳になった時に小学校を退職。それから次の人生が始まる。よみきかせグループ「言の葉」として幼稚園・小学校・書店などを訪れる。

 JAF(日本自動車連盟)和歌山支部にて「ドレミぐるーぷ」を立ち上げ、子どもたちに交通安全指導を行う。国際交流センター「おはようクラス」では日本語の勉強や日本文化の紹介を行う。

 そしてYMCAでの活動。日本語を学びに来た学生たちが、放課後に1対1で会話の練習をする相手として多恵子さんのようなボランティアがいる。

 1週間に1度、1時間程度のコミュニケーション。言葉が通じなくても紙に書いたり、身ぶり手ぶりで何とか分かりあおうとする。お互いの気持ちが分かりあえた時の嬉しさ―そのために頑張る。

「『今日何を食べた?何か困っていることはない?』といった簡単な日常会話をするのですが、親密になると情がわいてきて、彼らの母親になったような気がしてーハハというよりオバアチャンでしょうか?」

【文化の違いを超えて】

 日本語クラスは様々なコースがあり、2年間であったり1年間であったり、もっと短い期間も、途中で帰国することもあるが、これまで16人の学生と交わってきた。

 こんなこともあった。感謝の気持ちとしてボールペンを贈られた。が、包まれていたのは黄色と白の水引のかかった金封であった。風習を知らない外国人はリボンのようなものが付いている封筒がプレゼント用として最適だと思ったのだろう。多恵子さんは有難く頂戴するとともに、日本で暮らすなら、と水引の色や形の違いによる用途を説明したのだった。

 文化の違いは様々あれど、同じ人間同士分かりあえることができる―多恵子さんは今日もボランティアに向かう。


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# by mako0491 | 2017-05-30 13:10 | アタマ記事

初めての調理実習

緊張した面持ちで調理実習前夜を迎えたわが子。教科書を開いて実習の予習をしていた。

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平素、時間がないため下手に手伝ってもらって余計な手間がかかるなら、テレビでも見ていてくれたほうがいいと手伝ってとあえて言わなかった私。そのほうが早いし、イライラしなくてもいいし。自分でコントロールできることを優先してきた。

それは同時にわが子をキッチンから遠ざけていた。ベビーゲートをつけていたのは本当に「赤ちゃん」のころだけで、ゲートを外して以降は、近づくな!オーラを漂わせてバリアを張ってきた。CMしている防虫剤以上の効き目があるらしく、料理している片づけをしていると寄ってこなくなった。

そのせいで、わが子ことって「家庭科」、しかも「調理実習」は緊張することこの上ないことになった。なぜ、こんなことに緊張するんだろうと私には理解不能だけれど、わが子からしたら何もかもがわからないこと、ばかりの教科が「家庭科」。ちょっと、いやふた昔、干支2周り分遡ってみた。

いたいた、クラスにとても不安げな子が。当時の私にとっても理解不能な同級生。わが子のような状態だったのかな…もっと優しくしてあげればよかった。小学5年生に戻った私は反省しきり。

調理実習に限らず、天性の負けん気で大概のことはできる、しかも上手にできるレベルを維持していた幼少期。できないことが理解できなかったあのころ。トゲトゲしてたな、私。わが子を通して、これもわかったこと。

前夜の教科書開いて、座学した授業の復習。翌日やることを一通りやってみた実習の予習の甲斐あって、無事に「卵」と「ホウレンソウ」を「ゆでる」初の調理実習は終了。帰宅したわが子に聞いてみた。「どうだった?」「うん、○○さんに教えてもらいながらやったー」え、えーー、実習の予習していったのに?のど元まで出かかったが、ぐっと我慢した。ミッドサーティ、わが子の鍛えがあってまたひとつ体得した。

(田中 麻衣子)


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# by mako0491 | 2017-05-30 12:26 | 子育て

日中友好、庶民レベルでは・・・

9年前の519日は、四川省大地震の日。

私たちは、四川省南充市蚕糸学校とお付き合いがあった。

地震が少ないと言われている中国での大地震というのが信じられなかった。

また、レンガを積み上げた家が多いので、地震には耐えられないだろうとも思った。

卒業生も沢山、日本で働いていて、彼女たちに連絡をとり、家族の無事を確認したが、犠牲者がなんと多かったことか。

和歌山駅頭で、マイクを握り、四川省大地震災害の募金に立った。日中友好コミニティーかいこ倶楽部として、募金箱を持つ人、地声で訴える人、みんな中国のことではなく、自分のことのように募金活動に、力が入っていた。

マイクを通して一日中しゃべるのも、エネルギーがいる。

通りすがらの、中国人の方が、日本人が中国のためにあんなに募金活動をしてくれているのにと、10.000円を入れてくださった。

中国の方が、声をかけてくれて、その場で、一緒に私たちと募金活動に立って参加してくれる人もいた。

中国と日本での国境線なんてないですね。心が一つと感じた。

国は違っても、じっとしてはおれなかったが、駅頭に立って、みんな心配しながら、募金に応じてくれた人、一人一人の温かい気持ちに感謝💓

二日間で、140.000円ほど募金をいただいた。

中国大使館へ振り込みをすませ、地元誌で、みなさんへご報告をした。

温かい気持ちに、私たちのほうが、心うたれたものでした。

日中友好、国レベルでは、微妙で難しいことが多いが、庶民レベルでは、面子も関係なく、みんなお互いを思いやる大切なお友達だ。

(市野 政子)
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# by mako0491 | 2017-05-30 12:09 | ヒト交差点

息子夫婦から学ぶもの

 民族大移動の大型連休も過ぎ、ここ熊野もやや落ち着いてきた。

我が家にも長男夫婦と孫が来てくれた。関東から一歳になったばかりの子どもを連れて長旅をしてきてくれたことに有難いという思いしかない。

我が夫婦もいい舅、姑を演じようとは思っていないが、ふだん独りで頑張っているお嫁ちゃんに少しでも気楽に過ごしてもらいたいと話していた。

孫に健やかな成長を期待するのなら、そのお母さんが健やかでいることが大事。その環境はやはり周りが作り出すことでないのだろうか。

なにより、息子は家族を持って笑顔が増えた。二男が兄の結婚式の時言っていた。「俺は一生独身でいようと思っていた。でも兄貴の幸せそうな笑顔を見ていると、家族もいいなと感じた。なにより一緒に育ってきてあんなに笑う兄貴を見たのは初めてだ」と。

おいおい私が作った環境はそんなに悲惨だったか?う~ん。どうひいき目に自己採点してもやはり反省する点は多い。

息子夫婦から学ぶものは多い。穏やかに二人で協力して子どもに接している。最近は、男性も育児に積極的に参加をするイクメンが多いそうだ。 

息子もよく子どもの面倒をみていると思うが、それでも育児の負担は女性にかかっていると感じる。

お嫁さんには、口を出さず、お腹いっぱいご飯を食べてもらうことを心掛けたつもりだが、やはり気を遣っただろう。いたらなくてごめん。と心の中で謝る。





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# by mako0491 | 2017-05-30 11:57 | 女の視点

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近畿各地の和歌山に似たエリアで、地域活性化に努力するまち・ひとを紹介、和歌山各市町村のまちおこしのヒントにしたい。今回は兵庫県明石市の江井ヶ島海岸のケースを取り上げてみよう。

(中山 まり)

明石市の海岸線(ビーチライン)活性化を目指す実行委員会が主催した、江井ヶ島海岸まつりが4月下旬、「ながさわ明石江井ヶ島酒館」で開催された。和歌山から紀伊水道を通って、淡路島の北端の向かい側にある瀬戸内海に面した明石は、海岸線が長く、和歌山エリアに近似する点もあり、まちおこしの参考になる。

手作り雑貨など販売

江井ヶ島海岸まつりは、毎年恒例となり、今回は6回目の開催である。ステージでは、地元の多様なミュージシャン達による演奏や明石発のご当地アイドル「YENA☆(イエナ)」の元気溢れるライブなどのパフォーマンスがあった。明石の地ビールの販売や西灘の地酒の飲み比べ、明石たまご焼きなど地元の特産品を販売するフードブース、クラフターによる手作りの雑貨や洋服、手作りジャムやクッキーなどを販売する「はないろプチマルシェ」などの店舗が出店していた。イベントには地元の人々が多く来て賑わった。

地元のバスと連携も

地元を盛り上げるために地域に根差したまちおこしイベントを企画されるに至った経緯について、主催した明石ビーチライン活性化実行委員会の事務局を務める西海恵子さんにお話を伺った。

このイベントを開催しようと思ったきっかけは、9年前に、江井ヶ島にそれまであった海の家が閉鎖され、海の家やライフセーバーもいなくなり、海水浴場でなくなったことだった。「キレイな景色もある江井ヶ島をなんとか住民の手で盛り立てていきたいと思いました」と恵子さん。江井ヶ島は小規模であまり知られていない分、白い砂浜もキレイで自然も美しい。

第1回は、江井ヶ島沿岸の砂浜地帯でステージを設けて開催した。「景色もすごくキレイなので、淡路島や海、空をバックにして砂浜にステージを設けました」。海岸には電気もなく、機材を運び込むのに苦労して、ステージの設営や撤収も大変だった。

人や車の出入りが多く、混雑して、海岸地帯に駐車場もなかったため、その後、江井ヶ島海岸に面した「ながさわ明石江井ヶ島酒館」に場所を借りて開催するようになった。来場者のために、地元のコミュニティバスTaco(タコ)バスが連携を申し出た。

お金はかけず、皆持ち寄りで行っている。明石ケーブルテレビの企画したご当地アイドルからも、出演の希望があり、無償で、明石を盛り上げる歌を歌ってくれる。イベント関連で知り合った出店店舗も、出店料を支払うことで、運営に協力している。会場のながさわ明石江井ヶ島酒館も場所や機材を無料で提供している。まちを盛り立てていこうという地元の人の熱意や善意で支えられている。 

若い人が喜んだ

「当初、続けるのはしんどいし、止めようかという意見もでました。でも一回目で、ものすごく喜んでいる方が多かったので続けようと思ったのです。特に、江井ヶ島に引っ越してきた若い人が喜んでくれました。友人にも自慢したいいい景色だけれども、これまでこの地域で、みんなで楽しめるようなことがなかったので、こんなかイベントがあれば、招待しやすいと話してくれました」。

「みんな明石が大好きなんです。地元のアーティストは、特に明石の歌と言わなくても、地元を盛り上げるためにオリジナルの曲を作ってくれるんです」。

その努力や想いが伝わったのか、来場者は増加し、コミュニティバス「Tacoバス」は、当初の50人から、今年は300人と利用者数を伸ばしている。

 

和歌山にも関心

今後の活動として、明石ビーチライン活性化実行委員会側で、日本の他の海岸地帯とのコラボレーション企画など考えているかと質問すると、「和歌山でも呼んでいただけたら行きたいと思います」。

現在、明石市に、海の家ができるように海岸を整備してほしいと要望を出している。しかし、そのためには、このまま静かで、穏やかな江井ヶ島がいいという住民との折り合いが必要で、「このようなイベントでムーブメントが大きくなれば、海の家や海岸も整備され、今後人も集まることもあると思います」。

 コミュニティ主体で、まちおこしのイベントを市民自らが企画し、実行し、積極的に参加してうまく機能している一例として和歌山各地の活性化に大いに参考になると思われる。何よりも市民たちが住むまちを自分たちで盛り上げていこうという強い想いでつながっていることが印象的だった。


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# by mako0491 | 2017-05-18 21:06 | アタマ記事

女性の愛と性

 インターネットでSNSやブログなどで各自が好きな情報をアップすることが当たり前になって久しい。 

 役に立つ情報がある一方、誹謗中傷はおろか、箸の転んだことのどうでもよいたぐいも数限りなくある。

 先日ふとしたことで、今とても話題になっているブログを知った。彼女は自称慶應大学4年の女性。東大・京大・一橋・東京工大・早慶と医学部医学科のほかは超イケメンなら明治立教に限る男性たちと、出会い系サイトで知り合い、彼らとの情事をブログで発信している。その数はすさまじいものがある。

 下ネタ言葉を連発。「膣きゅん」するのは先述のエリートのみ。自らを「膣ドカタ」と呼び、性交に至り満足すれば「優勝」。引いてしまえば「砂漠」とか、独特の言い回しをする。

 その正体は不明で、本当に在学生なのか、女性なのか?マスコミにも取り上げられたらしい。

 日本社会はいつのまにか性革命を経験し、性と愛が分離した。愛がなくても性を経験できることに気付く。

 ひと昔前は、性的に自由な女性は、ふしだらでけがれた女性とみなされた「性=人格説」がまかり通っていたが、これがなくなったのだ。

 愛のないセックス、複数恋愛、夫以外とのセックス、いとも簡単に出来る世の中になった。

 私たちの常識では「男性が能動、女性は受身」と思っている。動物の世界でもオスが求愛し、メスは受け入れるかどうかを選択する。古今東西そういうものだと思っていた。

 がしかし、ついに女性が主権を握るようになったのか?先のブログも今は「怪物」扱いされているが、性の世界にも主体が入れ替わることも普通の世界になるのだろうか?

 いずれにしても私自身は性に関しては、ついていけない世の中になってしまった。

  (中村 聖代)


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# by mako0491 | 2017-05-18 19:51 | 女の視点
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「第一回 天野・花祭り」開催

「わかまなび」サークルというのは、和歌山大学を中心に・県立医科大学・信愛女子短期大学・高野山大学等の学生が連携して、社会教育・生涯学習をベースに、地域起こしを目指して作った研究サークルです。

 このサークルが最初に取り組んだのが、丹生都比売神社を核とした「天野の里の宝を発掘し、地域再生・活性化を目指す」ことでした。

彼らは、去る3月3日開催された、和歌山大学の主催の「クリエ・フォーラム」(学生の創造性を育てる活動)で、この天野地域での活動を、展示パネルを通じて発表していました。 数あるニュース性豊かなテーマの中で、地味ながら興味を引く報告でした。

たまたまそのフォーラムに出席していた私(和大OB)は彼らの活動に強く共感しました。その後彼等とのメールの交換が始まり、この「天野・花祭り」へのお誘いを頂いたわけです。 参加して私は多くの楽しさと今後の生き方の教訓を得ました。

中でも「天野の里」の自然や歴史・文化に魅せられ、他府県から移住されている複数のご家族のお話。学生たちの、参加者に対するサービス活動のチームワークの姿。さらに深まった「天野の里の持つ宝」の知識、それに加えて、地域の人たちの「天野の里づくりの会」の意気込み、等々。それを感じながら素晴らしい一日を過ごさせて頂きました。

 花見の会ばかりでなしに、場所を「天野地域交流センター」に移して開いた参加者35名余りの自己紹介と意見発表は地域と世代を超えて、新鮮で興味深いものでした。6月には「蛍の乱舞・鑑賞の会」も地元で企画されているようです。

(久山 稔)


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# by mako0491 | 2017-05-18 19:30 | ヒト交差点

 人生の「逆さ年表」を作ってみよう       オトコの独り言


前回(324日)は、将棋の名人とコンピュータソフトの戦いで、生身の人間が負けたことにかこつけて、日常生活上の問題解決は、多くの所でコンピュータソフトとロボットに任す時代が来たのかと、その不甲斐なさと不自由について独り言をした。今回は人生の「逆さ年表」を作ってみようという提案である。

(久山 稔)

 

逆さに書いてゆく

私の知り合いに「近未来小説」作家がいる。何から書き始めるのかと尋ねたら、「まず未来のある時点を設定し、そこを第一行目とし、未来から現在、それから過去へと遡っていく年表を作る」と言う。

通常の場合は、例えば自分史を書き残そうと思えば、自分の誕生日の状況を一行目とし、現在に向かって綴っていくだろう。それを逆さまに書いていく過程で、未来のある時点の自分や社会の姿の在りたい姿を仮想し創造し、構想が固まるという。

 早速、自分史を書くつもりで、あと十年生きるとしてその逆さ年表なるものを作ってみた。

面白いことに、過去の時点での人と人との出会いが基で、現在の自分の姿があり、未来の自分の姿はこれからの人との出会いで作り上げられていくのだと実感した。


バンドで施設巡り 

私は現在、あるフォークバンド・グループでウッドベースを受け持っている。ボランテイアで福祉施設めぐりなど行っている。しかしそんな事よりも、10年後の自分の演奏技術のレベルをもっと高い水準にまで引き上げれば、さらに深く音楽を楽しめるという思いがある。その時の自分の姿を想像し、そこからの逆さ年表を創ってみたのである。 

どんな時点での師となる人との出会いが10年後の自分の姿を創りあげるのか、それは神のみぞ知る世界かもしれないが、その過程こそ自分にとって貴重なのだと自覚した。自分に出来ることは、自分の生きて来た場と異なる世界の方々に人間関係を拡げ、そのどこかに面白い人生の変節点が生まれ出て来るという事を信じる大切さに気付いたのである。


時には右に、左にまわり 

誰しも自分の一生を悔いなく終わりたいと思っている。私はあと10年の時点では90歳を超える。この10年の過ごし方の目標がこの逆さ年表が一つのレールを示してくれていると自覚した。時には右に逸れ、左に曲がり進むかもしれないが、どんな位置に今自分が居るのかは分かるのではと思っている。

 将棋のコンピューター・ソフトは過去の多様なデータを基本に次の手を決定するのだろうが、生身の人間の方は幸せな未来の自分の姿・社会の姿を目指して、自由に選ぶ楽しさを目がけて次の手を考えるのだ。

 技術の進歩は、所詮、技術の進歩の世界で、生身の人間の心の感性の世界は越えられない。いくら人工頭脳の世界が進もうとも、所詮そこは過去の知識の積み重ねの統計手法が生み出す技術の世界だろう。「喜び」という感性の世界とは異質だ。

 

感性求める権利と尊厳

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ユニセフという組織の公報がテレビ画面に映し出す、あの餓えた小児の澄んだつぶらな瞳を見る時、「彼らにも未来を夢見ている幸せ感があるだろう。今この世に生きる人間一人一人に平等に、この感性を求める権利と、尊厳が有るはずだ」と思う。  


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# by mako0491 | 2017-04-25 13:07 | アタマ記事