わかやま新報女性面 (隔週金曜日)記事を発信-NPO法人「和歌山コミュニティ情報研究所」の女性スタッフが取材・編集を担当


by mako0491

短歌、物語、企画展など次々と発表する香月(かづき)にいなさん

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 実家である海草郡紀美野町にアトリエを持ち短歌、物語、企画展などを発表する香月(かづき)にいなさん。とりとめないというか、謎と言うか、独特な世界に誘い込んでくれる彼女に会って、話を聞いた(中村 聖代)。

【14歳でペンネーム】

 香月にいなさんは、本名を「きむらともこ」という。小学生時代から詩・作文など文章を書くのが大好き。全国作文コンクールにも入賞の経験がある。中学・高校時代には演劇の台本も担当した。

 「もし結婚して苗字が変わってしまうならその前にペンネームを」と、14歳のころから「香月にいな」と名のり始めた。グローバルで呼んでもらいやすい名前―をその時自分で考えた。


【祖母のおどけ話の影響】

 にいなさんのルーツは祖母の「おどけ話」だという。小さいころから祖母がアドリブで作ったおどけ話を聞いて育った。人をおもしろがらせることの喜びを知ったのだ。

2007年から祖母に本格的に短歌を学んだ。以前は同人誌「竹垣」(代表:津田美智)にも所属していた。今も継続して短歌を学び続けている。

紹介の冊子によると、「作品の中心に『恋愛』を描くのが特徴で、絵画・写真などを空間で融合させ、全体として作品を表現することを追及している」のだそうだ。


【大学生活と就職】

 にいなさんは、世界平和のためには国連で働くのが一番と考え、愛媛大学総合政策学科に進んだ。しかし大学デビューを果たしたものの、自由な学生生活の中で挫折も味わい、ついに大学3年で引きこもることになるーそのとき読んだ膨大な量の書物や観た映画は今となっては大きな糧である。

 恋愛をきっかけに、引きこもりの生活から抜けた後、大学を辞めて、仕事をしながら放送大学を卒業。住宅関連会社を始めとし、コンビ二のアルバイトや建設コンサルタント会社に勤めた。


【絵本作家との出会い】

 会社に勤めながら創作活動を続けていたにいなさんは、2017年7月「絵本作家のぶみ先生講演in和歌山!」を主宰した。のぶみ氏は、まだ出版されていない原稿をそのまま自身で読み聞かせする独特のスタイルで皆を魅了した。

そのことをきっかけに、身体や時間を削る生活に見切りをつけ、文章で生計をたてる決心をする。


【次々と企画】

 2016年7月から読み終えたあとは折り紙を楽しめるフリーペーパーを開発。地元の印刷屋に依頼し、100部ずつ作っている。テスト版0号から今は9号まで発行。100号を目指す。

 各地で企画展を開催。その時その場所に行かなければ得られないモノを提供する。

 企画は多種多様で、書家やアクセサリー作家・演劇などとのコラボし、そのたびに不思議な空間を創造している。

 来年2月中旬にも、じゃんじゃん横丁の珈琲もくれんでBAR0214を予定している。詳細は「香月にいな」ブログで順次配信する。

 和歌山で新しいものを生み出し、和歌山で発信し、和歌山で活動を続けるにいなさんのファンは今後も増え続けていくと確信する。

「あの時のあの子が遂に出版したのか!と、言っていただけるように、たくさんの出逢いを大切に精進していきたいですねーーと最後に語った。


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# by mako0491 | 2017-11-29 14:16 | アタマ記事

「3匹の蛙の行動」

「3匹の蛙の行動」からの教訓

  このたびの衆院選挙騒動を見ていて、「3匹の蛙」という挿話を思い出しました。ある博識な友達から教えられた例え話です。出自は分かりません。

  『三匹の蛙が牛乳の容器の入った容器の中に落ち込みました。周囲の壁はガラスで爪を掛ける僅かの突起もありません。一匹の最も悲観主義な蛙は、どうせ何をしても駄目だとあきらめ、浮いている力も絶えて溺れ死にました。楽観主義な一匹の蛙は、誰かが葉っぱを落としてくれるか、容器を割ってくれるかして、結局うまく行くだろうと考え、何もせずに溺れ死にました。

  残った現実主義の蛙は、ただ生きるため、もがき続けるだけでした。ところが何としても生きようと激しく4足を蹴っているうちに、足元のミルクにバターが出来始めました。それが固まり足場が出来、一飛びに容器の外に逃げ出しました。』とさ。

生乳を激しくかき混ぜているとバターが出来始めるという事から作られた挿話らしく、イソップくさい臭いがあります。 


 今度の選挙戦のドサクサ騒ぎで、この小話を思い出させてくれたことは、私にとって大変意義のあることでした。

選挙戦の意義なんて皆目わかりませんでしたが、蛙のきょとんとした顔と、「女ごころと蛙の飛ぶ方向は分からない」という言葉を思い起こし、滑稽さに救われながら、色々の立場からの偉い人達の評論を読み聴きしています。


 現在の世の中、技術的革新が先行するだけで、政治的課題も、経済・社会的問題も、宗教的世界の問題さえも後追いで、その解決行動の指針など生まれようがありません。                    

ただこのグローバルな世界の中で、必死になって残された人生の安定を求めて、4つの手足でかき混ぜていくしか無いのでしょう。

その汗をかく行動の中に楽しさも生まれ、次の世代に引き継いで行く姿もみえてくるのでしよう。そう信じることにします。                            

(久山みのる)


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# by mako0491 | 2017-11-29 14:07 | オトコの独り言

11・10掲載分 絵本

『おたすけやたこおばさん

高林 麻里作 

偕成社 2014年 1296

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対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)4歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

<あらすじ>

海に住んでいるたこの「たこおばさん」はいつも、海から人間たちを見ていました。人間たちは遊んだり、食事したりして楽しそうです。「たこおばさん」は思います。「仲間に入りたいなぁ。」

「たこおばさん」は一大決心をします。そして、ついに、人間の世界に引越しをしました。ところが、町を歩くと、「ぬめぬめしてる。こっちに来ないで欲しい」などの心ない声が聞こえてきました。

「たこおばさん」は悲しくなります。そしてしばらく町に出ることが出来なくなりました。でも、こんなことでくじける訳にはいきません。人間と友だちになりたいんですもの。

「たこおばさん」は考えに考えました。そして、「たこおばさんのお助けや」のチラシを貼ることにしました。怪訝そうな顔で見られても気にしない。気にしない。

最初に連絡があったのは小さな女の子ルルちゃんです。お友達が出来ない、と今にも泣き出しそう。次の日に会うことにしました。

「たこおばさん」はルルちゃんと公園に行きました。公園に着くと、「たこおばさん」はたくさんの手足を使ってルルちゃんと遊びます。他の子ども達も集まってきました。子ども達は「たこおばさん」の手足にぶら下がったり、滑ったりと大喜び。一緒に遊べばもうお友達です。ルルちゃんも笑顔です。

それを見ていた大人たちが「今日はありがとう」「私も電話番号教えて」…と、笑顔で話しかけてきました。

それから「たこおばさん」の電話は鳴り止みません。「六つ子が泣きやまないの。助けて」「部屋の片付けを手伝ってもらえますか」…。たこおばさんのたくさんの手足が大活躍。私達も何かが強みになるかもしれませんね♪

(浦田 ひろみ)


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# by mako0491 | 2017-11-29 13:57 | 絵本この一冊

ボランティアスタッフとして

10月に、大型の台風が二つ発生し、和歌山県には各地で大きな被害がでた。

ここ新宮市でも、旧市内で床上浸水に遭われた家が多く、高齢で独り暮らし世帯が被災された。自力での片づけは困難である。

翌日に、市の福祉センターに災害ボランティアセンターが立ち上がった。センター運営スタッフとして参加した。

これは、6年前の紀伊半島大水害の時、防災についての取組の甘さを反省して作られたもので、災害ボランティアの速やかな要請、派遣が災害を小さくするという考えの元、市役所や社会福祉協議会職員と市民ボランティアが定期的に設置訓練を行ってきた。

今回も、市内や近隣市町から多くのボランティアの方が駆けつけてくださり、2週間くらいで、被災家庭の片づけは落ち着いてきた。

連日被災家庭に支援に出かけてくださる方もいるが、仕事の合間に駆けつけてくださる方もいた。善意の気持ちが被災された方の心の支えになったのではないかと思う。

紀伊半島は近い将来、大きな地震が起こるといわれている。

各地で、町内会や地区の事情により訓練の内容は異なるが、熱心な取組が行われている。

私の居住地は、高台にあるため、防災訓練は被災された方の受入れや炊き出しが多い。

しかし、災害は人間の想像を超える。どれだけ準備してもこれで良しということはない。臨機応変に前に向かう気持ちも訓練しておきたいと感じる。

(玉置ひとみ)


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# by mako0491 | 2017-11-29 13:38 | 女の視点

「今日の出会いに感謝」

10月13日付けあたま takeno

「リトミックって何?」

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曲に合わせて手遊びをする

今回登場する武野美智子さんは、ごく普通の女性である。が、名詞には「今日の出会いに感謝」と書かれている。それだけで素敵な人という気がするのは筆者だけだろうか。職業は①家業の電気店専務取締役兼経理事務・販促担当②武野音楽教室講師③レディスインナー、化粧品、健康食品を取り扱う販売特約店。日々忙しく楽しく過ごす彼女を紹介したい。

 ( 中村 聖代 )

【下津の電気店】

 美智子さんは海南市下津に生まれ、和歌山市内に移ったが、現在は海南市下津で夫と共に電気店を営んでいる。株式会社形態であるため代表取締役は夫の和行さん。美智子さんは専務取締役で経理事務・販売促進を担当している。要するにお店の雑務一切をこなしているということだ。

【音楽教室の講師】

 美智子さんはまた、自宅で音楽教室を開き、ピアノ科・電子オルガン科・リトミックを教えている。

「リトミックって何?」実は筆者もよくわかっていなかったので、今回はそちらを重点的に尋ねた。

【リトミックとは】

 スイスの音楽教育家エミール・ジャック・ダルクローズが開発したリトミックは、身体を使って音楽を楽しむことから始まる。

・曲に合わせて手遊びをする。

・曲に合わせて体操をする。

・楽器を自由に鳴らす。

 といったふうに音楽を身体全体で感じ、さらにそれを表現することがリトミックの基本であるという。

【リトミックの効果】

 「ピアノやエレクトーンを習うことで情操教育に良い影響があり、集中力がつき、偏差値の高い学校への進学が多いことをよく耳にすると思います。リトミックも同様、脳の活性化や癒し、身体能力の向上、昨今、話題の認知症予防などさまざまな効果があります」と美智子さん。

 いくつかの手遊びを教えてもらった。いつでもどこでも誰でもできるので是非ひとつふたつ継続的にやりたいものだ。

【美智子さんのこれから】

音楽が大好きで小学校のときから高等学校までエレクトーンを習い、事情で専門の大学には進めなかったが、ローランド音楽教室の講師育成コースで資格を取得し、現在も子供から大人まで多くの生徒を教えている。

笑顔がとてもチャーミングな美智子さん。

「これからもたくさんの人との出会いを大切にし、学ばせていただき、三つの仕事を楽しみながら、人のお役に立てるように、周りの人が笑顔で居られるような女性になれたら嬉しいです」と語った。


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# by mako0491 | 2017-10-13 11:50 | アタマ記事

子育て

10・23

母子で素敵なレストランへ

いつかは母娘ふたりで旅行に行きたい、息子と腕組んでデートしたいなど、いつか子どもが大きくなったらしたいことを子育て中はいろいろ夢見るものですが、それを実現できるくらいに育った頃にはすっかりそんな夢見ていたことも忘れ、目の前の生活に追いかけられる日々です。

東京で一人暮らしをしている大学生の娘の様子をたまに見に行くと、いつもここぞとばかりにあれこれ手料理のリクエストをしてくる娘に、せっかくならどこかに美味しいものを食べに行きたいという思いを堪え、ワンルームマンションの手狭なキッチンで娘の好物を作り続けていました。

ところが最近、娘は「学生ではなかなか行けないようないいお店でちょっと贅沢なランチとか食べてみたい」と言い出したのです。毎日の食事を一緒にしていた日常から巣立ち、たまに会う母にいつもの料理をせがむのも、自分の料理でこの子がこんなに大きくなったのだと、母として誇らしいことではありますが、素敵なレストランで食事を愉しみたいと言い出してくることもまた成長を感じて嬉しいものです。


東京で暮らし始めて一年が経ち、行動範囲も広がって、東京には美味しいものがたくさんあることに気づき始めたのでしょう。私は、喜び勇んで早速、銀座のフレンチレストランに予約を入れました。

レストランでちょっと贅沢なランチをして、その後、ショッピングをして、それは私が昔、娘が大きくなったらいつかしたいことだったのです。そんなふうに夢見ていたことはすっかり忘れていましたが、レストランで食事をしながら、テーブルマナーを繰り返し教えた懐かしい記憶とともに、忘れていた夢を思い出しました。子育て中にみるささやかな夢は、子育て一段落のちょっとしたご褒美として、とても幸せな時間を与えてくれています。

(石井 敦子)


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# by mako0491 | 2017-10-13 11:10 | 子育て

祖母の教えのお蔭

10・13

視点 祖母の教えのお蔭

私は、昭和の高度成長期に育ち、四人兄姉の末っ子で、贅沢はできなかったが、兄姉よりは物資に恵まれ甘やかされていたと思う。

祖母は躾に厳しく、姉たちは、登校する前に家の拭き掃除をしていた。私は、酷いしもやけのため、玄関前の掃き掃除と靴揃えだけにしてくれた。

熊野の山奥で育った私たちは、高校は家から通うことができない。皆、下宿をした。よって、中学校を卒業すると一人減り二人減り。私は中学生で一人っ子になった。

時代とともに熊野の山奥も豊かになってきた。それでも、祖母の躾は衰えることはなかった。「これからの女子は、勉学が大事だ。でも、鎌を使えるようになっておきなさい。そしたら、どんな家庭に嫁いでもお前は役に立つ」

頭でっかちではいけない。鎌を使い雑草を刈り取ることは忍耐のいることだ。謙虚な姿勢が大事ということだったのか?

高校を卒業して、更に上の勉学を相談したとき、「タンスを取るか?頭を取るか?」と言われた。上の勉学を望むなら嫁入り道具は揃えてやれない。という意味なのだろうと理解した。タンスは持ち運びに苦労するが、頭は、持ち運びが楽。

やがて、結婚をして、これといった嫁入り道具のない私は婚家で『裸嫁』と揶揄された。しかし、妊娠8か月のお腹をかかえて、鎌で草刈りをしていたところ、舅が「お前は鎌が使えるのか」と。つまり、ちょっとやそっとでは音を上げない。工夫する嫁だと。その後はとても大事にしていただいた。

今、一つ一つを確実に歩いてこられたのも祖母の教えがあったからだと思う。

(玉置 ひとみ)


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# by mako0491 | 2017-10-13 10:56 | 女の視点

パートナーとの付き合い方

 医師から、肩に手を置かれ力付けられた瞬間、思わず抱きつきヨヨと泣き崩れ、「取り乱して恥ずかしい」と、その場を去る夫人― 先日、TVや映画のような場面を現実にやってしまいました。

 相手がもがき苦しみ、訴えているとき、あなたならどうします?代われるものなら代わってあげたい。けど、どうしようもありません。  

「治すのは医師の仕事です。あなたは傍で見守るだけでいいのです。あなたは一生懸命やっているではありませんか」と言われたからでした。

血をわけた子どもへの愛と、パートナーへの愛は違うのでしょうか?負のオーラ全開でまとわりつかれ、自身の具合が悪くなった経験はありませんか?負のスパイラルから逃れたいと思うのは私のエゴでしょうか?

 体調不良は身体だけではありません。こころの問題の場合、どう接していいのか特にわからないー共鳴しづらいというか、物事の視点というか、捉え方が理解できないため、いっそうお互いが苦しむ結果となってしまいます。

 慰めも意見もなんら効をなさず、言葉を発することもはばかられます。ただ黙って抱きしめるしかないような気がします。

 独立した子どもから時々電話がかかってきます。彼も苦しんでいるようです。つい自分の意見を言ってしまいます。彼はそんなことは聞きたくないー黙って聞いてくれるだけでいい、と思っているようです。

 「沈黙は金」。昔の人は知恵を多く持っていたと思います。なんだかYAHOOの知恵袋の質問者みたくなってきました。この紙面に登場する「男の独り言」ではなく「女の独り言」として受け止めてください。誰かに聞いてもらうだけいいのですから。

 (阪本 美佐子


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# by mako0491 | 2017-09-30 14:04 | 女の視点

『クレヨンからのおねがい!

ドリュー・デイウォルト作 

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オリヴァー・ジェファーズ絵 木坂涼訳 

ほるぷ出版 2014年 1620

対象年齢:年齢に応じて読むことができます。(読んでもらうには)4歳から

(自分で読むには)5歳から大人まで 

●○あらすじ●○

ある日、ケビンにたくさんの手紙が届きました。全部で12通もあります。

1通目を開いてみると、赤い文字で「やあケビン!」と始まりました。「赤いクレヨンの俺だよ。あのさ」と、なんだか親しげです。「話せばわかると思うけど、クレヨンの中で一番働いていると思うんだ。消防車だろ、いちごにりんご、な?それに…」と日々の働きぶりが長々と綴られています。しまいには「人気者はつらいぜ。」と強がったかと思うと、「だから休ませてほしいんだ。働きすぎだと思うお前の友達赤いクレヨンより。」と本音をちらり。少しキザな赤いクレヨンからのお手紙でした。

2通目はなんだか雰囲気が違います。「ケビン君へ。僕のことを気に入ってくれているのはよーくわかっているつもりです。いつも僕を使ってくれてとても嬉しいんです。」なんだかまえがきが長いです。言いにくい事でもあるのでしょうか。「美しい色が台無しになっちゃうので、お願いですから、丁寧に塗ってください。きれい好きなきみの友だちの紫のクレヨンより。」なるほど、クールな紫らしいお手紙です。

その後も黄色、橙色、灰色、白、黒、緑…と12通も続きます。

緑はお礼、黒は主役になりたいとの希望、ピンクは利用のお願い、等など。それぞれ個性たっぷりに熱い思いを自分の色と文字で訴えます。

12通を読んだケビン。クレヨン達の言いたいことはよく分かりました。

ケビンは考えます。そして、クレヨン達の要望を聞き入れた新しい絵をかきます。

**

私達も普段何気なく行っていることを違う角度から考えてみると、新たな発見があって楽しいかもしれませんね。

(浦田ひろみ)


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# by mako0491 | 2017-09-30 13:21 | 絵本この一冊

「男の独り言

  「和歌山新報」の9月1日付・「をんな情報局」の記事、「難病と付き合い患者交流会」を読みました。期せずしてその日、弟の嫁さんから電話がありました。義兄さんどうしよう。もう私、とても駄目。担当医さん・看護師さん・介護士さんが相談し、「たとえ1週間でも自宅で、家族・親族で、過ごす期間を患者さんに持たしてあげられないか」との連絡が入りました。出来る事ならそうしたいと横浜に居る娘が急遽「介護休暇」を取り帰宅し、それに対応しようと準備し、一旦、自宅に引きとったのですが、3日後には嚥下能力不足で呼吸困難も引き起こし失神、救急車で元の病院に逆戻りしました。本人の意識は確かで、この病気の発症直後から、「延命治療拒否」の想いを頑なに主張しています。もう助かる道も生きる時間も無いのでしょうか!

悲痛な電話でした。弟の「筋委縮性側索硬化症」のその後の経過の報告でした。

2年前の事でした。左手が不自由になったという症状から街の整形病院にかかっていたが、はかばかしくなく、和歌山医大で診察を受けてみてはという医師の勧めから、検査入院という事になったのでした。「その診断結果を報告したいので、ご本人、奥様、それにご兄弟の代表者も同時にお聞き頂きたい」とのことで、親族代表で私が選ばれたのでした。

結果報告というより「病名告知」そのものでした。病状診断した担当医師2人から、丁寧で心配りが痛いほどよくわかる報告がありました。説明は情を交えず客観そのもので、患者本人にとって「酷すぎる」とさえ思えました。医師のつらい役割なのでしょう。一般に「筋萎縮症」と言われ、だんだんと筋肉が衰えていく難病とのことでした。

「現在は治療の方法がありません。症状の進行を遅くする方法はあります。しかしこれからどこの筋肉に症状が出始めるかにより異なり、今は左手の筋肉に出ていますが、それが心臓や、肺の筋肉に出始めた時は、多くの問題を医師も、患者も、親族も抱え込みます。

心臓や肺にその機能を助ける器具を体につけることは出来ます。そこから先どうするか医師の判断の範囲を超えてしまいます。」

担当医師は、最後の所で、そのことを患者本人に、奥さんに、親族代表によく理解しておいて欲しかったのだろうと思いました。

「延命治療はお断り」と書き置くことは簡単です。しかし延命治療の定義を克明に記すことは難しいでしょう。癌の告知なら医療技術の進歩もあり、延命治療を続けながら完治に至る確率も高いでしょう。 

3か月前までは、弟は病気の現状を知りながら普段通り、田舎の里道を明るい顔で散歩していたそうです。一番苦しいのは本人なのか、奥様なのか、子供なのか、それに関わってくれている医療スタッフなのか。回答など出しようがありません。どうか苦しまないで旅立つことを神様におまかせし祈るだけです。悩む心を支え、支援し合おうとしているボランテイア・グループの活動に敬意を表しつつ。 

(久山みのる)


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# by mako0491 | 2017-09-30 12:07 | オトコの独り言

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2つの鯨おどり盛大に

青年団のメンバー軸に

新宮市の三輪崎の鯨踊りを訪ねて、三輪崎郷土芸能保存会の会長濱口仁史さんにお話を伺った。(玉置ひとみ)

日本遺産に登録

紀伊半島の南東部、新宮市、那智勝浦町、太地町、串本町の黒潮が流れる熊野灘沿岸の人々は、昔から鯨とともに生きてきた。

地域の有形、無形の文化財をもとにまとめられ2016年、日本遺産に登録された。

新宮市では、三輪崎の鯨踊り、鯨山見跡(熊野古道高野坂)羽指中建立の石祠、そして今年、三輪崎八幡神社の石灯籠、孔島の石造物が追加登録された。

鯨をとる様子で踊る

三輪崎は、熊野灘に面する漁港で、ここに伝わる鯨踊は別名を「捕鯨おどり」 ともいい、鯨をとる様子を踊りに仕立てたもの。

三輪崎の鯨踊りは、約300年前、当時この地の領主水野氏が、京都の公家に鯨の肉を献上した際に鯨おどりとして整えたといわれている。

以来、三輪崎八幡神社の例大祭に大漁を祈って「殿中踊り」と[綾踊り」が披露される。昭和421月、市の無形民俗文化財、昭和

4912月、県の無形民俗文化財の指定を受け、伝承されている。

「殿中踊り」は、鯨に絡めた網を巻いている様子を、扇子を持って表現し、「綾踊り」は、鯨に銛を打ち込んでいる様子を、綾棒を持って表現したもの。また、踊る時に身につける衣装は、白地に黒・赤・緑の線が入っている。黒は鯨を、赤は鯛を、緑は陸地を表しているといわれている。

地域を守る愛

毎年、8月25日に三輪崎青年会館に保存会の皆さんは集まり、三輪崎八幡神社から宮司を迎え、「修祓式」を執り行い鯨踊りの練習を始める。

この伝統芸能は青年団の先輩から後輩へ教えられ、さらに未来をも見据えて、地元、三輪崎小学校5年生になると青年団のメンバーが踊りを伝えている。

「人口減少により、伝統芸能の存続が難しいと聞くが、ここ三輪崎は安泰です。」と締めくくってくださった。地域を守ろうとする人々の熱い愛を感じた。

今年は9月17日に三輪崎漁港で奉納される。


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# by mako0491 | 2017-09-30 12:02 | アタマ記事


ソロソロ我らを解放してよ、と。寝返り打ちつつ熱帯夜、 幾番超えたことやろか

老いも若きもお互いに、うんと沢山耐えた日々。寄る年波は、越せないけれど、気持ちは大波乗り越えて、遥か彼方の大海原へ、飛んで跳ねて夢を追う。

乙女心?に秋近く、ボヤキつぶやき嘆く中 やっと目にしたウロコ雲。ふと立ち止まり見上げると、「待ってました」のヒグラシの声

哀愁漂う季節が廻り、ああ、ありがたや、と生き返る。

憎き夏ともおさらばと、きびす返して小走りに 走ってみたい、裾を払って、カタカタと下駄の音たてて・・

ここまで書いて、一か月、

夏が去ったと、勘違い。天然入った早とちり。平気でひと月間違えて、祖父母参観行きました。

南へ運転、なぜか北、阪神・阪急・JR乗り間違いが茶飯事で、仲間も呆れて、この命名。 先天性(の)体内磁石(どこかに)欠落(した)症状。

誰もが分かる言葉にすれば、ごく単純に「方向音痴」

当の私は、平気のへ。その命名がお気に入り。

もうくよくよと悩まない、行く方向に身を任せ、迷ったところで、楽しんで、心機一転することに。

秋に迎える誕生日、まだ若いのか年なのか、67の過ごし方。のんびり、ゆっくり、急がず、焦らず、まったり、しっとり、暮らそうか。

そこにかしこに鎮座する、予断許さぬ残暑の中で、先ほど、歩いた川沿いで、力尽きたと、残りゼミ。

鳴きつつ、こんな質問を、私に投げかけ聞くのです。

蝉さん、曰く。

梅雨前・最中・その後か。梅雨明け、真夏・それとも、今か?

蝉の出番はいつやったん?この夏足並み揃わずに、今頃鳴いているんです。

また来年にとご挨拶、皆さん元気でさようなら。

 (シャーリー橘)


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# by mako0491 | 2017-09-02 14:08 | 女の視点

久保岡 敏子さんの活動


「脊柱靭帯骨化(せきちゅうじんたいこっかしょう)」という病気をご存知だろうか。久保岡 敏子さんは、自らこの難病とつきあいながら患者交流会の主宰や、認知症見守り支援などの活動を続けている。彼女に会って話をきいた。

 ( 中村 聖代 )

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久保岡 敏子さんは,高校時代、九州への修学旅行時にであったバスガイドがとてもかっこよかった。自分もそうなりたいとバス会社に就職。そこで知り合った人と結婚、2子を授かった。両親から見たら自分の意思を貫く娘であった。が、順風満帆な生活だった。

結婚後は事務でパートとして13年間働いた。平成13年からはヘルパーの資格を取り、介護施設に勤務した。

あるとき左腕があがらなくなった。整形外科にかかると、「脊柱靭帯骨化症」と診断された。きいたこともない病気だ。平成23年のことだった。

完治は見込めず原因もわからない難病だと知った。医師から、将来は車椅子か寝たきりの生活、転んではだめだと告げられた。不安な日々だった。

【つれもていこら創刊】

 そんななか、大阪でこの病気に関する講演会があったので参加した。そこには紀南から参加している患者がいた。大阪の友の会々長から、「和歌山にも友の会ができないかなぁ」といわれ、発足を約束し、会長になってしまった。

 まわりの人たちに支えられ、平成27年12月には「紀の国・和歌山脊柱靭帯骨化症友の会―紀の国OSL友の会」会報誌『つれもていこら』を発刊した。

 友の会発足の準備はおろか、交流会の開催、専門の医師を呼んでの講演会、友の会の維持、事務局の仕事―難病を抱えて日々難儀していることだろう。

【認知症見守り支援員】

 公益社団法人認知症の人と家族の会和歌山支部では、メイト派遣事業を行っている。

認知症の人を介護する家族の外出時や休休息したい時に、認知症の方のお宅に伺い、話し相手になるという活動だ。時給は出るが、往復の時間や交通費は配慮されないため、ボランティアに近い。

 敏子さんは、5年前、梅本靖子さんと二人でこの仕事を立ち上げた。実際にメイトとして訪問もする。心身ともに辛くなることもあるが、信頼を得たときの喜びは何事にも代えがたい。

【日々の暮らし】

 「からだの具合はその日によって異なり、歩くことがつらいことも多いです」。「手術と言われたり、まだ大丈夫のように言われたり悩む日々です」。

 家でじっとしていることが嫌いな敏子さんは、患者の中では比較的軽い症状だと考えるようにし、日々できることをやっているようだ。

 「外からみて、難病にかかっていることが分からないのがつらいことがあります」と敏子さんは言う。

 最近出来た「ヘルプマーク」

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が広がれば様々な病気で苦しむ人に対する理解が得られるだろう。広く普及することが望まれる。

 ヘルプマークとは、

マタニティーマークが妊婦であるこ

とを周囲に知らせるように、ヘルプマークは、外見から分からなくても援助を必要としていることを周囲に知らせることを目的として作られた。

ただ電車の中で席を譲ってもらうために着けているものではない。緊急時(外で倒れたとき、事故に巻き込まれたときなど)に適切な対処ができるようにするためにもヘルプマークは役立つ。

 ヘルプマーク付けている方見かけたらとりあえず「お手伝いすることはありますか?」みたいな風に聞いてくださればいいと思われる。


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# by mako0491 | 2017-09-02 13:58 | アタマ記事

読める、読める

  この紙面に掲載させてもらって早8年。うちの子は保育園児でした。それをいいことに、わが子ネタもわが子を通した世界ネタも書いてきました。

しかし、最近困ったことが…少し前までは漢字たくさん並んだ新聞は、難しくて読めないものと手の届くところに置いてあっても、手にしなかったのですが、最近は手を伸ばします。そして、漢字も読めるようになっていますし、難しい単語も漢字も前後の文脈や内容でどんなことなのか類推できるようになりました。類推よりも私は、辞書を引いてほしいのですが、そこには到達せず、イライラしているのですが。

  それより大きな問題は、新聞に自分のネタが掲載されていることを知ってしまった…のです。そこでうちの子の一言。モデル料はいくらですか?

  え、モデル料、取りますか…

  そうしましたら、わたくし、若さも体力もイチバンイイトキモ、あなたに捧げたサービス料いただきます。

 といったら、私の母は、私もいただきます。というだろうな…

 なんかな~こどもの成長ってありがたいようで、やっかいだな~
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# by mako0491 | 2017-09-02 12:46 | 子育て

私の「おんな友達」

私の「おんな友達」


昨日、「S・ウイリアムさん」からメールが届きました。彼女は知る人ぞ知る和歌山の「ジャズ・ヴォーカリスト」で、30年余も前からお付き合いを頂いている方です。年に何回か、そのライブを聞かして頂いています。

久しぶりに彼女から「『4人の女のオモテウラ』と題して和歌山でコラボ・ライブを開きます。よろしければどうぞ」とお誘いがかかりました。

「女共の哀歌を心して聞かして頂きます」と予約のメールを入れると、すぐさま、『ひやー!、さて女の哀しみ、表現できますでしょうか。最近は「おかんのたくましさ、」「おバンの厚かましさ」が色濃くなっています(笑い)。奥様とお二人でお目にかかれるのを楽しみにしています。』との返信。 

男というものは、何歳になっても女性の前でいい格好をしたいものです。自分が定年(65歳)で現職を離れたとたんに、「20歳時代にギターを習い始めた時の動機」と全く変わりがない「想い」が胸に蘇りました。早速、自宅の押し入れからクラシックギターを引っ張り出したのでした。

「ジャズを格好良く演奏したい」。その格好の良さに魅かれて途中でウッド・ベースに転向しましたが、その「女性の前で格好良く」という不純な(純粋かな?)動機はついて回りました。その結果、今この歳になって、ざっくばらんに付き合ってくれている女性は音楽繋がりが多くなってしまいました。

想い出を遡って音楽繋がりを辿ってみますと、40年も昔、仕事の上で地域の大新聞支社の記者のたまり場で顔を繋いでおく必要から通った新内(あろち)の小さなスナックに辿り着きました。

経営者は弾き語りで名の知れた男性ピアニストでした。ジャズ・バラードを静かに、柔らかく聞かしてくれました。そのお嬢さんがお父さんの亡きあと、弾き語りを受け継ぎ、カラオケを置かないスナックとして常連顧客を引き付けました。バブル経済の盛り上がった頃でした。そのスナックに週に2回、アルバイトでジャズを歌いに来ていたのが、先のメールを頂いた「S・ウイリアムさん」でした。

旦那様は外国の方で、その指導によったものでしょうか、アメリカ英語で歌うジャズの歯切れの良いリズムと、情感の盛り込みに、素人の私なりに惚れ込んだものでした。

人の繋がりとは不思議なものです。この音楽繋がりがこんな形で更に拡がっていくとは、自分でも予想しませんでした。80歳になった今。自分の下手なウッド・ベースの技術を演奏の中に包み込んでもらえているバンド仲間のお陰で、更に女性仲間とのお付き合いが広まっているのです。新しく「オカリナのデユェット奏者」や、「キーボード奏者」が見事な演奏で私達とのグループに溶け込みさらに幅と深みを創り出してくれました。「女性の前で恰好を付けたい」。男の本性が私の生きるエネルギーまで生み出してくれているのです。

先日も、ある福祉施設の「七夕まつり」に招かれてバンド演奏をバックに「みんなで歌おう」の会で演奏をしてきました。会場の盛り上がりは大変で、アンコールも曲を重ね、

予定時間を20分も超えてしまう様なことになりました。私のアドレナリンは最高の水準で、湧出されている状態でした。有難い事でした。

これからは、体力勝負と自覚し「リハビリ・筋肉増強トレーニング」に励んでいます。男にとって女性は生きる力の根源だと今更ながら再認識しています。  (久山 みのる)


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# by mako0491 | 2017-09-02 12:32 | オトコの独り言

心のブロックを解除

片手に軽く触れるだけ

3分で1個 心のブロックを解除

マインドブロックバスターのさらら凜です。

私は2014年4月 マインドブロックバスターになりました。その時、和歌山市にマインドブロックバスターを養成できるインストラクターがいなかったので、大阪に習いに行き和歌山市初のマインドブロックバスターになりました。

そしてその年の9月、インストラクターになり、たった一人から今では受講中の方を含め29人を養成。その中からインストラクターも数名誕生しています。

マインドブロックバスターは、悩みや気になっていることを片手に触れ、潜在意識が見せてくれるブロックのイメージと解除のイメージを書き換えするだけの簡単なセッションです。 道具もいらないので いつでもどこでもできます。 

潜在意識の部分で書き換えをするので無理することなく自然に自分が望む方に進むことができるようになります。

マインドブロックバスターに、「自ら投資し」で始まり「共に豊かになる」で終わる7つの教えがあります。

私はマインドブロックバスターのリーダーとして活動するため、その教えを軸に創始者の栗山葉湖先生から直接学び続けています。

 以前の私は自分の人生が自分のものだという実感がありませんでした。今までは「自分で決められない」。「誰かに決めてもらう方がいい」。そんな人生を生きていました。

そんな中、出逢ったマインドブロックバスターは違いました。ただ気になること、心が反応したことをブロック解除していただけです。

それなのに50年以上自分で何も決められなかった私が根っこの部分から変われました。 

50年以上もそんなものと思っていた自分の人生が変わったのだから、変わりたいと思っている人は誰で変われる。

それは私だけでなく誰にでもできること。特別な事ではなく、ブロック解除を続けるだけで誰でもできること。それを伝えるために、活動しています。

(さらら凜)


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# by mako0491 | 2017-08-23 04:11 | ヒト交差点

「オワコンにならないために」

とある若者の会話で「〇〇っておもしろそうやんなー」「えー、〇〇ってオワコンやん」と耳にすることがある。

「オワコン」って何…?あとで調べると、どうやら「オワコン」とは「終わったコンテンツ」の略で、流行のピークが去ったコト・モノを指すらしい。

お笑い芸人もあてはまるようで、過去に一世を風靡した一発屋芸人も「オワコン芸人」とみなされるようだ。

全裸でお盆をひっくり返しているあの人もいずれオワコンになるのだろうか。あれだけ世間の話題になっていた人や、みんなが夢中になっていたゲーム、かつてみんなが身に着けていた流行のファッションが「オワコン」というひと言で一蹴されてしまうわけである。なんともむなしい気分だ。

スマートフォンの普及によって、あらゆる情報がスマートフォンによって手に入れられるようになった。若者は新しい情報を常に探し、過去の情報はどんどん切り捨てられていく。

前に比べて、ひとつのモノやコトが長続きしなくなったように感じる。1年前にめちゃくちゃ流行ったポケモンGO。街中や公園にはスマートフォンを持った人がたくさんいたのに、1年経った今ではプレイする人がすっかり少なくなってしまった。流行り廃りは激しい。

オワコンはさまざまな場面で使われる。

なんと女性も「オワコン女」と認定されてしまうことだってあるようだ。例えばおしゃれに無頓着だったり、酒グセが悪い、マナーや常識が足りないなど、男性から見て女性の魅力がすっかり失われた人を「オワコン女」と陰で呼んでいるとかいないとか。どきっ。案外みられている、身を引き締めなければ。

(宇都古 舞)


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# by mako0491 | 2017-08-23 04:04 | ちまたで近ごろ流行るもの

大阪の豊中市のステップホールで、先日、一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター(ヒューライツ大阪)、NPO法人おおさかこども多文化センターなどの主催で、「大阪発 外国にルーツをもつ子どもたちの現状と課題ー権利・貧困・教育・文化・国籍と共生の視点からー」について、当事者や民間の支援団体や教員、弁護士、研究者などの関係者が話し合うワークショップがあった。その一部を紹介する。

(中山まり)

・外国人当事者から発言

第一部「当事者からの発信」では、フィリピンと日本のハーフや日系ブラジル人、在日韓国・朝鮮人の子どもや若者、親が、日本で暮らす苦労や経験、言葉や文化の違い、日本に対する想いなどを語った。

それに続いて、第二部「共生に向けて」では、大阪で外国にルーツを持つ子どもの教育活動や支援活動に携わる関係者が、大阪の現状と課題を把握・整理し、具体的な解決策について話し合った。


・個別に対応する必要

地域の民間の学習支援や各種支援を行うスタッフや市の国際交流センターの職員は、在日外国人の子供の抱える問題は、学校での勉強や言語の問題、家庭の事情や親の仕事、医療や社会保障の問題など様々で、個別に対応する必要があり、現状では十分対応できていないと語っていた。

必要に応じて専門知識や能力を備えた専門家にすぐ問い合わせできるように、一括して支援者の情報を集約しておく必要があり、また、支援する側の専門家もどこに支援の必要な者がいるのか分からないため、支援を必要とする者の情報も集約して必要があると提案していた。

・日本語教育の支援不十分

小中高校の教育現場では、外国人の子どもに対する日本語教育や支援などの対応が不十分で、対策が追い付いておらず、教員は市民団体の支援や市の国際交流センターなどに頼ったりしている状況とのことだった。

現場の民間の支援者や教員も、目の前のことで精一杯で、なかなか外部の人たちと繋がることもなく、苦労されているようだった。

・安価な労働力として扱われる  

また、日本に来ている外国人労働者は、技能実習生として期限付きで雇用され、期間が終われば、期限の延長もなく、本国に帰らざるを得ず、一部の悪質な業者から安価な労働力としてモノのように扱われて、悪質な業者により劣悪な環境で働かされている問題もあるとの指摘もあった。

外国人を受け入れるのであれば、人として人権を尊重し、教育、家族、社会保障、労働、介護などの問題を含めて考えていくことが必要と、コメンテーターで弁護士の空野佳弘さんの提言もあった。

欧米では大量の難民や移民の流入は深刻な社会問題となっている。日本で暮らす外国人が増える中で、今後は日本でも外国人を受け入れて支援する体制の整備や充実が求められているように思われた。


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# by mako0491 | 2017-08-23 03:58 | アタマ記事

「異端者よ出でよ」の嘘

可笑しなものです。世の男どもは、組織の長となると、「異端者よ出でよ」というセリフを、誰しも吐きたくなるようです。

 異端者というのは、伝統的な組織風土や、現在の組織トップのリーダーシップ・スタイルなどに反好意的意識を持つ者の事でしょう。余程の大きな深い度量を持つトップでない限り、通常はその異端者の考えを素直には聴けません。 

その事を、本当に身をもってトップが知るのは、その組織が生きるか死ぬかの瀬戸際に至った時か、死ぬと決まってしまってからです。

バブル経済崩壊後、日本の4大証券の一つと言われていた会社の代表取締役が、テレビの大写し画面の中で、大粒の涙を流しながら世間にお詫びの言葉を述べたシーンを記憶している人は多いでしょう。そのトップは消えてゆく企業の後始末に奔走した最後の経営トップでした。

 大粒の涙を流したその証券会社のトップは、今どうして生きていかれているのでしょうか。私と同年代の男であっただけに気になって仕様がありません。

 企業の競争社会では一位と二位の差は月とスッポンの差なのです。自分の所属する企業がトップ集団で走る努力もしないで、評論家ぶって自分は組織内での異端者だとパフォーマンスする奴の傲慢さ・勝手さは鼻持ちなりませんが、「異端者よ出でよ」と叫ぶトップの欺瞞にも鼻持ちがなりません。

私ならさらに鼻持ちならない手法を身に付ける努力をします。マラソン競技と同じ、「トップ集団には必死について行く力を身に付ける。出来ることならトップの肩口で、その息遣いが聞こえる距離でついて行き、風圧やトップを維持したいというストレスはトップに背負わせて、最後のトラック競技に入り、ゴール寸前に余力があれば抜き去ればよい」と思う。余力があれば最初から正々堂々とトップを走ればよいという立派な人もいる。

そんな勝負をして、いったい何の意味があるのかと問われれば、「そんな世界で生きることを選んだのだから」という以外に言いようがないのです。

「面白いよなあ、人生って」という歌の文句を思い出しながら。

         (久山 稔)


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# by mako0491 | 2017-08-20 19:45 | オトコの独り言

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小学1年生の娘が和歌山電鐵貴志川線を1年間(土曜・日曜・祝日のみ)、無料で乗車できる「小1ホリデーパスポート」をもらって帰ってきました。電車の種類も4種類に増え、中国からの観光客に大人気だという貴志川線。親子で乗車してきました。

(浦田ひろみ)

緊張した改札

和歌山電鐵貴志川線はJR和歌山駅の9番線ホームにあります。そのため、和歌山駅から乗車する私達は、まず、JRの改札を通らなければなりません。

久々に行く和歌山駅。新設されている相談所や観光客の多さに驚きながら、券売機をウロウロ。少々、手間取りながらも、JR改札口を抜け、貴志川線へ向いました。

階段を降り、少し暗めの渡り廊下を抜けると、貴志川線の階段が現れます。階段へ到着すると、急に雰囲気が変わりました。階段、壁と可愛さ満点。期待が膨らみます。

大人気のたま電車

たま電車が待つホームにはたくさんの観光客。まず、人数の多さにびっくりです。たま駅長は本当に、中国で大人気なんですね。同じように写真撮影をして、乗車しました。

出発後、しばらくは家の隙間を走っていくたま電車。景色よりも、車内の雰囲気に気分が盛り上がります。木の机、木の手すり、シートの種類や絵柄等など、見たい箇所がたくさん。そして、滅多に電車に乗らない娘と「ガタン・ゴトン」の心地よい振動を体験。なんと、贅沢な時間の過ごし方でしょうか。

短時間で電車の旅

日前宮駅・交通センター前駅では他の種類の電車とすれ違います。反対線路に停まる電車。外装を見て、「そちらの電車にも乗ってみたい。」またまた、夢を膨らませます。ここからは景色もだんだん、緑が増えてきます。所々に田園風景が現れました。

駅長見習い「よんたま」がいるという伊太祈曽駅からは電車が山々の中を抜けるよう。景色も楽しめます。

和歌山駅から終点の貴志駅までは電車に揺られて約半時間。短いながらも、時間はゆっくり感じました。旅気分を満喫。

再建された貴志川線

こんなに観光客が多くて、楽しい時間を過ごすことができる貴志川線。だが、有人駅は始発の和歌山駅と伊太祁曽駅の2駅のみ。2004年には年間5億円という赤字が膨らみ、廃線の危機に瀕していたといいます。

それから約10年。路線と設備を「和歌山市・紀の川市・和歌山県」に購入してもらい、「貴志川線の未来をつくる会」、「和歌山電鐵」の人々の知恵と労力により、再建し、現在の姿になっています。

再生への新たな10年

現在、年8200万の運営補助金は終了し、貴志川線は設備の補助のみで運営されています。乗車人口を増やそうと、新たに大人の雰囲気の「うめ星電車」も登場させています。

車社会の和歌山で車から電車に乗り換えてもらうことは容易でありません。しかし、電車が必要な人もいるし、沿線には学校もあります。さらに、海外からの観光スポットにもなっています。

実際、切符を買って乗車した貴志川線は、電車に乗るだけでワクワクしました。さらに沿線には様々な観光コースがあるよう。大人780円、子ども390円で貴志川線は1日乗り放題。かわいいレンタサイクルも4時間まで100円です。車とは違った休日旅気分を満喫しに、時には貴志川線に乗ってみませんか?


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# by mako0491 | 2017-08-20 19:16 | アタマ記事

フェイスブックの面白さ

元気なうちに終活をと、考えている私には、今のご縁は大切にしつつも、新たなご縁はなるべく避けて生きたいと考えている。しかし、仕事の関係上避けきれなくなり、遅ればせながらフェイスブックを始めた。

コメントを受け付けないように設定しているブログは、もう5年ほどマイペースで更新しているが、フェイスブックは、なんだか気忙しい。自身が話題を載せなくても、一応朝夕チェックをして、ご縁をいただいている方の投稿には「いいね」をポチッと押す。

システムに慣れてくると、会ったこともない人と友達になることで、文章を読んでいるだけだが、その人物像も見えてきて、何度かコメントのやりとりをしている内に、すっかり旧知の仲のように感じてしまう。

フェイスブックを毛嫌いしていたが、それはそれで面白い。

このフェイスブック、日本では既に若者離れが進んでいて、40歳代より上の世代にしか支持されていないようだ。

若者は、写真に特化したSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)インスタグラムを楽しんでいるようだ。

写真や動画を簡単にシェアすることが出来るアプリやサービスを指すらしい。と、知ったかぶりをしてみたが、頭はついていっていない。

さて、フェイスブックは情報をいち早く共有できるという点では、大いに活用させていただいている。情報提供してくださる方の視点の鋭さにも学ぶことは多い。

(玉置 ひとみ)
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# by mako0491 | 2017-08-20 18:34 | 女の視点

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熊本県の慈恵病院に日本で初めて、親が育てられない赤ちゃんを匿名で預け入れるシステム「こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の運用から10年。これまで125人の赤ちゃんを救い、大きな反響を呼んた。安易な棄子や育児放棄の助長につながり、匿名で預け入れることに子の出自を知る権利が損なわれるなど批判もある。

今回は関西で初めて「面談型こうのとりのゆりかご」(赤ちゃんポスト)の設置を目指して、活動されている神戸市のマナ助産院院長の永原郁子さん=写真=にお話を伺った。

 きっかけは、関西でこうのとりのゆりかごを設置するために「特定非営利活動法人こうのとりのゆりかごin関西」(理事長:人見滋樹京都大学名誉教授)が立ち上げられ、その理事に就任したことだった。

「何とかして命を守れないかと思いました。赤ちゃんはけなげに生まれてきます。生まれたばかりの赤ちゃんは、ここはどこ?というふうに周りをきょろきょろ見回しています。お母さんを信頼しきっています。泣いてもお母さんが抱っこしたら泣き止みます。信頼していたお母さんに殺されてしまうんです。そのような女性は、極悪非道ではない普通の女性です」。

「病院で産んだり、育てられない命を産むとこまで守り、後は託すという形にしたいと思っています。中絶される命も確実に人格がある命です。5か月くらいから記憶があります。計り知れない可能性のある命を、自分で生み出せないなら、託せば良いというふうにしていきたいと思います」。

保育器につながるドア(赤ちゃんポスト)の設置には、24時間医師の常駐が必要と神戸市の指導があったため、面談型に切り替えた。面談で話し合うことでお母さんが困っていることに焦点を当てて、問題を解決できると考えている。

お母さんの考えを整理して、一人でいるお母さんと一緒に考えられる。顔を見せたくない人や、夜来る人、誰にも言えない人もいる。助産師の仕事は女性に寄り添って母子の必要に応えることだ。母である女性の痛みにもふれることが出来ると考えている。

永原 郁子さん=1980年大阪大学医学部付属助産婦学校卒業後、病院勤務を経て1993年神戸市北区ひよどり台にてマナ助産院を開業。自然出産/母乳育児の推進/子育て支援/環境問題/戦争を語り継ぐ活動などを通して地域母子保健に携わる。

ヒト交差点  下 8.4掲載

「面談型赤ちゃんポスト」目指す㊦

 

今までわが子が妊娠して困っているという相談をたくさん受けてきた。普通に育てられた子供が性交後に妊娠する。自分の子育てが間違っていたのではないかと悲しんだり、怒ったりする母親に、「大変な時期に、どう乗り越えるかでその後の親子関係が変わっていく。乗り越え方が大切です」と話している。

全国の小中高校の教職員や保護者から講演の依頼がある。小中高校の教職員は、必要に迫られていると感じている。実際学校で問題になっており、生徒は教員に相談するようなことはしない。「意識改革」が必要になっている。

助産院に隣接した土地に、思いがけず妊娠した女の子たちが暮らす「マタニティーホーム」を建てたいと考えている。かつては結婚する前に妊娠することは社会的に認められないことだったが、ここ10年ほどで「できちゃった婚」は隠すことでなくなった。しかし今なお、結婚にいたらない妊娠は認められず、人工妊娠中絶する人がほとんどだ。

事情抱えて妊娠し、職場にも言えない人もしばらくの間「マタニティホーム」で過ごすことで出産できるようにしたいと考えている。

日本では、養子縁組には否定的な人が多い。夫婦の選択肢として、自分の赤ちゃんも生んで、養子も育てるように、養子縁組が一般化するような社会になればよいと考えている。実親も生まれた子供とコンタクトを取り、生まれた子供も私には2人のお母さんがいると、胸を張って生きていけるような社会にしていきたいと考えている。

面談型24時間母子相談窓口」を来年3月開設する予定だ。熊本慈恵病院のような「赤ちゃんポスト」の開設を目指していたが、面談型に変更した。マナ助産院の診察室のすぐ側に専用の面談室を設け、母子のプライバシーに配慮して、通常の入り口と別の入り口を設ける。助産師が24時間対応し、面談室で相談に応じる。匿名でも対応する。産婦人科医が駆けつける体制も備え、児童相談所や養子縁組斡旋民間団体、一時保護施設など関係機関とも連携する。電話での相談も今年12月に開始し、緊急時は24時間で対応する予定だ。」

「面談型こうのとりのゆりかご」の開設に合わせて、思いがけず妊娠した女性と胎児のいのちを守る家として一般社団法人「マタニティホーム・マナ」を建設予定で、寄付を募っている。連絡先は以下の通り。

【マタニティホーム・マナ】ikuko@mana-mh.com

(中山まり)



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# by mako0491 | 2017-07-15 09:50 | ヒト交差点

「夢」についてあれこれ

 毎日「夢」を見ているようです。睡眠中に見る「夢」の話です。朝、目が覚めた直後はよく覚えていて、すぐに家人に先ほど見た夢の内容を話します。

 近ごろはリアル系が多くて、日常の延長上のようなお話が多いのですが、登場人物は全く覚えのない人が大半です。なのに、とてもよく知っている人として行動するのです。

 夢判断などによると、そうした人たちは、前世において深い関わりがあったらしいです。でも、現実は見たことも会った覚えもありません。

 パートナーや息子たちよりも、亡くなっている両親なんかが頻繁に出てきて、当たり前のような顔をして活動しています。そして彼らに呼びかけ、話しかけている声で目が覚めることも多いです

 「カラー」の夢がほとんどです。半世紀以上前からカラーです。昔は色つきの夢を見ると、異常だとか言われましたが、今はそうでもないようで、安心しています。

夢の中で「食べる」行為は少なく、たいていは食べる前に目が覚めてしまいますが、2度ほど美味しい美味しいと、ぱくぱくやっていました。もちろん何の味もしませんでした。が、食べられたことで満足です。

かなり前は、道がすべて水で埋まり、2~3mの深さの水路となっていて、その中をスイスイ泳ぐ夢をよく見ました。息が苦しくないので、とても爽快です。

戦争になって回りがバタバタ倒れているのに、自分は死んだフリをして目を瞑っている夢も何度見たか知れません。

実家がいつのまにか部屋が増え、広い大きいおうちになっている夢もしょっちゅうです。

内容が幼稚すぎて、お話しするのも恥ずかしくなってきました。

こうした夢を分析してみるのも面白いかもしれません。

おめでたい人、といわれそうですね。

  (中村 聖代)


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# by mako0491 | 2017-07-06 03:17 | 女の視点

TOPIX

久留米かすりを使った

地下足袋スニーカーなど

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久留米絣(かすり)をご存じですか?福岡県の筑後地方で200年続く膨大な細やかな工程と長い時間をかけて織りあげられる日本伝統の織物。

ギャラリー木綿(ゆう)=和歌山市西高松=では主に久留米絣を使った洋服やバッグなどを販売。2年前、オープン10周年にむけて久留米絣を使った商品は出来ないものかと考え、出来上がったのがこの地下足袋スニーカー&サンダル=写真。

久留米絣との出会いはオーナーの谷口登喜子さんが久留米絣の服を購入したのがきっかけ。肌が弱く化学繊維の服を着ると肌荒れなどをおこしていたのがこの久留米絣の洋服を着たところ夏は涼しく、冬は暖かくそして何より肌荒れが全くおこらなくなった事で久留米絣の素晴らしさを体感しその魅力を伝えるべく和歌山にお店をオープンした。

実はこの久留米絣はほとんどが福岡の小さな工房で作られている。工程に手間がかかるため後継者が減っていっているのが現実。この伝統工芸をたやさない為にオーナーの娘さんの谷口まりこさんも織物屋さんとの交流を深め、この伝統工芸を残すべく和歌山県内外へと販路を広げている。

ギャラリー木綿では久留米絣の生地を使ったオリジナルな製品を扱っているが、洋服と同じ柄でトータルコーディネート出来るように地下足袋シリーズが考案された。

地下足袋は自然と親指に力をいれて歩くことで正しいい歩き方ができるので腰痛の方や外反母趾の方にお勧め。男性にもお勧めという。

地下足袋スニーカー22cm-28cm ¥8,640税込み

地下足袋サンダル242628cm ¥7,480税込み

(神谷 弥生)


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# by mako0491 | 2017-07-06 03:07 | TOPIXS

山崎亭が静かなブーム

山崎亭が静かなブーム。地元住民とNPO(非営利団体)、社会福祉法人などボランティアが軸になって、さまざまな交流から、新たな活動を生みだしている。ハード(古民家)と、ソフト(地域文化)の魅力から地域創生のきっかけになると期待される。

(市野 政子)

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県外からも客多い

 JR 粉河駅を降り立つと、すぐ右に赤茶色の土塀が見える。

100年の古民家山崎邸。その佇まいだけでも、癒される。

近代和風建築と呼ばれる貴重な文化財建造物。

今は、いろんな趣向を凝らして、人の交流の場、多彩な企画が予定され、折に触れ、地域はもとより県外からも、山崎邸を訪れる人が多くなってきた。

母屋は、1917(大正6)に棟上げされた。当時は第一世界大戦の影響で景気がよく、特に県内では紀北紀中を中心に綿ネルと呼ばれる綿織物の生産加工が繁栄し、全国でも有数の産地だったそうだ。

見どころは大広間

この住宅を建築したのは山﨑家の当主栄助及び次の代を担う栄吉である。

山﨑家は和歌山市に綿ネル生産工場を持ち、朝鮮半島方面への販売で財を成したと伝わっている。

この建物の一番の見所は、大広間。5畳の主座敷と10畳の仏間からなり、主座敷には床の間、違い棚、琵琶床、付け書院等の座敷飾りを備え、壁は、金唐紙を張り、天井は折上げ格天井などと豪華なもの。

壁に掛けられた先祖代々の写真が、今の山崎邸を見守っている。

この大広間に、いろんな企画で集う人たちが賑やかにしている様子をきっと、壁の額の中から、賑やかなことだと、喜んでいるのかもしれない。

昔は、きっと、この部屋で親戚一同が集まって法事や大切な行事等してきたことだろう。

回り廊下に庭木を眺め、龍門山が、居ながらにして眺められる大広間は、春の日差しなどあびると、お昼寝でもしたくなる空間だ。

畳がこんなにいいものだと、改めて気付かされる瞬間だ。

今は使用不可だが、お手洗いも贅沢な作りになっているのが如何に資産家の贅沢さがよくわかる。

また1階と2階にある傘天井の部屋や、和洋折衷の階段室に質の高い意匠を見ることができ、多くの良材が使われていることも魅力のひとつ。

部屋の押し入れの中壁に、明治の新聞が壁の補修に貼ってある。これは大切な時代の証だ。是非、必見。

お雛祭り華やかに

行事はいろいろあるが、特に春のお雛祭りの季節に、地元のとんまか通りの商店街の実行委員の方々たちが、毎日山崎邸に詰めて、お雛祭りが、盛大に行われている。

山崎邸は、玄関から各部屋、お雛様。またお雛様と晴れやかになる。

また西国三十三ヶ所観音霊所第三札所粉河寺へと続く参道の、とんまか通りの商店街は、両脇に、家の古くから伝わったお雛様を飾り、道行く人に見ていただこうと、街とともに華やかな季節になる


明治にタイムスリップ

729日には、紀州三大祭りの粉河祭りは、見ごたえがあり、是非おすすめ。

その他、山崎邸は、改造が少なく屋敷全体の構成も含めた保存状態が良いこともこの住宅の特徴である。  

一階に「 コミニティcaféHAJIMEが来られた方々とのコミュニケーションの場として、人気の場。

昔懐かしい雰囲気の中で、ゆっくり時間を忘れて、コーヒーを味わいながら、どんな人がここに住んでいたのか、土間の椅子に座ってぐるりと眺めながら、明治時代にタイムスリップをしてみるのも山崎邸の魅力..




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# by mako0491 | 2017-07-06 02:47 | アタマ記事

雅楽―笙と龍笛

 塚田由里子さん・稲垣昭子さん

「雅楽」(ががく)とは千年以上前から主に宮廷音楽として伝承されてきた現存する世界最古のオーケストラであると説明される。それぞれの国で盛衰があるが、ここでは、宮内庁式部職楽部に伝わる日本の雅楽を「雅楽」として述べることにする。今回笙(しょう)の演奏、塚田由里子さん・龍笛(りゅうてき)の稲垣昭子(あきこ)さんに来てもらい演奏会が催されたので紹介したい。

  (中村 聖代)

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【塚田さんは元教師】

 塚田由里子さんは、東京浅草近くに生まれ育った。大学卒業後は、中高一貫の女子校の数学の教師をしていた。縁あって結婚。和歌山市に移り住んで13年になる。当初は、畑を耕し、野菜作りなどを楽しんでいた。

【雅楽との出会い】

あるとき市民会館で親子向けの雅楽教室があるのを知った。

 大河ドラマで東儀秀樹の篳篥(ひちりき)の演奏を見て以来雅楽に興味を持っていた由里子さんだが、東京で雅楽を学びに行こうと思っても、講座を開催している場所も少なく、受講料もとても高額であったため、当時は習いに行けなかった。

「十回の受講で500円、しかも楽器まで貸してくれるのです。和歌山ってすばらしい!」

 そのあと親子教室の参加がかない、観世流の小林慶三先生について能の仕舞と、謡も真剣に学び始めたところだ。

 今では笙をこよなく愛する演奏家である。和歌山雅楽会に属し、定期演奏会等にも出演するほか、近所の紀ノ川のほとりにある宇治神社で奉納演奏をする。毎年6月から行われる伊勢神宮での雅楽講習会の合宿にも参加している。

【お話会とのコラボ】

 ちいさな子どもたちに昔話を聞かせる和歌山むかしばなしの会「語りの森」の中で、合間に笙の演奏をすることもある。「遠い昔から伝わる曲を、笙が日本に伝わった1400年前と変わらぬ音で演奏することで、お話を聞く皆さんにも、遠い昔にタイムスリップしてもらうという気持ちで演奏させていただいております」。

【和歌山を愛でる】

 由里子さんは、紀ノ川や妹背山で独り舞いの練習し、悠久の歴史を感じることもある。和歌山県に移り住んできた人たちの方が、和歌山の良さに敏感なのかもしれない。

 また、今年3月に和歌山雅楽会の定期演奏会で舞人として舞台に立った。日本に伝わる伝統的な雅楽の舞をもっと身近に私たちの健康をサポートする体操に応用してはどうかとも考えている。面白い試みである。

 【天理教会の稲垣さん】

 龍笛を演奏する稲垣昭子さんは、名古屋出身。和歌山に来て21年になる。実家は天理教の教会。幼い時から雅楽に親しみ、笙をしたこともある。結婚式やお葬式には必ず雅楽が演奏され、天理教と雅楽は切っても切れない関係なのだ。

 昭子さんも和歌山雅楽会に属している。元宮内庁式部職楽部から直接指導を仰ぐこともあるが、雅楽会の先生は、ほとんどが天理教教会のひとたちなのだ。

【龍笛手となったわけ】

 昭子さんは、嫁ぎ先も天理教の教会だ。龍笛を演奏する人がいないのでお鉢が回ってきたという。今はとても龍笛を愛している。

 余談ではあるが、プロ並みのお料理、お菓子作りで、和歌山雅楽会のメンバーを喜ばせている。

【雅楽の世界】

 今回の演奏会では「涙そうそう」や「ジュピター」を聞くことが出来た。

 現代西洋楽の音程をひとつひとつ拾い、雅楽の音として作り上げる。大変な作業だったようだ。完成まで2カ月以上かかったという。

素晴らしいものだった。

 そのあと、雅楽や楽器についての説明がなされたので一部紹介しよう。

 雅楽の演奏は3つの要素、即ち管楽器(吹物)、打楽器(打物)、絃楽器(弾物)で成り立っている。笙・龍笛・篳篥は管楽器である。特に笙はリード部分に息の湿気で水滴が付くと、音が鳴りにくくなったり、接着剤の役目をしている蜜蝋と松脂の粘着力がなくなると調律が狂ったり、振動しなくなったりするため、必ず演奏前と演奏後に炭火(現在では電熱器など)で楽器を焙って温める必要がある。そうした手間ヒマが愛でる一因のようだ。

 また、雅楽は合奏ではあるが洋楽のオーケストラのように指揮者はいない。多くは相の手のような打ち方をする。

 よって、演奏者が各々で取る「拍子」が重要になる。そのためには曲を音声に置き換えた「唱歌」を手で拍子をとりながら、何度も何度も歌って覚えるのだという。故に、奏者相互の融和が最も大切な要素となる。

 昭子さんが龍笛の楽譜を見せてくれた。そして歌ってくれた。

 日本に伝わるこの優美な世界にもっと触れ、伝えていきたいものである。雅楽に必要とされる相の手、融和の世界を、私たちの日常生活にも取り入れるべきだと感じた。


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# by mako0491 | 2017-06-25 16:57 | アタマ記事

日蓮宗本廣寺と江戸千家の祖 川上不白

茶道の流派には、千利休直系の三大流派、表千家、裏千家、そして武者小路千家がある。その他にも数多くの流派があるが、今回ご紹介したいのは、江戸千家。

江戸千家の祖、川上不白は、享保4(1719)、紀州藩水野家の家臣川上家の次男として新宮市に生まれた。

16歳の時、京都にて表千家の中興の祖といわれる7世 如心斎のもとに入門した。

31歳の時、真台子の伝授を受け、茶道の中で重んじられる所作をすべて活かし、客人に茶を振る舞う動作の集大成)如心斎の命により茶道を広めるために江戸へ赴く。90歳で没するまで、江戸千家の茶道を武家階級や町人階級に広めた。

また、川上不白は、法華経(妙法蓮華経)の熱心な信者として、日蓮宗の寺院と仏縁が深い。生まれ故郷 新宮市の日蓮宗本廣寺には、不白が建立した「書写妙法蓮華経印塔」がある。和歌山県の文化財に指定されている。 79歳の高齢にもかかわらず、江戸より新宮に帰り、先祖菩提所の本廣寺の山内に法華経869384の文字を11石に書写し地下に埋蔵ししているという。

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本廣寺は、JR新宮駅から西方、千穂が峰の麓、熊野速玉大社から神倉神社方面へ徒歩5分のところにある。通称、寺社町。新宮市の歴史を感じられる街並みの中にある。更に、新宮城跡にも川上不白直筆の碑が建立されている。お父上が新宮城主、水野家の家臣であった由縁であろう。


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# by mako0491 | 2017-06-25 16:37 | お勧めスポット

和歌山大学硬式野球部、春季優勝、神宮大会初出場。歴史的一勝と8強進出。和歌山の野球界、スポーツ界は沸いた。私もひとむかしちょっと前に属していた硬式野球部。念願のマネージャーをしていた。その和大野球部が神宮。私がいた頃、千里のあの賢い大学に当時、地名をもじって「バカ山大学」なんて呼ばれていた。何せ大学偏差値ランキング表では、和大より上の、神戸大学、大阪大学、同じくらいかな?大阪府立大学、大阪市立大学などの当時国公立ひしめくリーグで、一部から降格して二部で優勝争いをしていたあの頃。その後三部へ降格して暗黒の時代も味わったとか。

 今はSNSで情報発信できる、受け取れるありがたい時代。神宮大会始まってから気づいた私は、いてもたってもいられず…外せる予定は外して神宮行こうとした前日、和大惜敗。一報を聞いて、連絡してみた。宿舎はどこですか?と。

大きな教室で講義していたが、授業でお世話になった当時若手研究者だった方が、どういうわけか硬式野球の部長をしていた。その部長に突如連絡してみた私。先生の授業受けた○○と申します…と。さすが温かい和歌山、来てええで~とお返事もらって、すぐに準備できるものをもって、いざ宿舎へ。宿舎に交渉したけれど、食事をアップグレードするなどは、発注リミットあってできなくて、こういう段取りができる心の余裕がほしいと反省した。

 300人の一人の私を先生は覚えているわけはないが、思い出話に花が咲き、夕食時間に若い若い部員、マネージャーと対面。もう、よくよく考えると、弟妹というより息子娘により近くなっている…この現実。入学した年を○○期というのだが、先生が期数をいうたびにばばあ丸出しになる私。言ったらだめ~~ばばあになるやん、というとても地域性の高いやりとりを東京のど真ん中の宿舎でしたのでした。

 野球部の卒業生、和歌山大学の卒業生、和歌山の皆様、現役、卒業生の部員マネージャーのご家族の皆様が一丸となった神宮大会。卒業してない私が一番狂喜乱舞していた気もしないではない。やっぱり、和大って和歌山っていい!!

 学生時代お世話になったスポーツ用品店の皆様にご挨拶すると人づてにお約束したので、涼しくなったころ秋リーグ、紀三井寺へ応援に行こう。そうだ、和歌山へいこう~

(田中 麻衣子)

※筆者は2年次修了退学し、別の大学を卒業している


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# by mako0491 | 2017-06-25 16:31 | 女の視点

シニアとゲーム楽しむ

地域の高齢者の方々にいつまでも住みなれた地域でいきいきと健康でいられるようにと、看護学生が軽い運動などを考えてお話しさせていただく機会があり、私も一緒に御坊市にある地域の高齢者サロンにお邪魔させていただきました。

学生たちの話があるというので、わざわざ小雨の中、タクシーに乗り合わせて来て下さった方々もいて、学生の教育はこのような温かい地域の方々に支えていただいていることを本当にありがたく思う毎日です。

 学生の話のあとは、日頃、皆さんが楽しまれているゲームを一緒にさせていただきました。それは道具も手作りで、大きなレジャーシートに40個ほどの数字が書かれたマス目が的になり、その的を目掛けてパターゴルフのようにボールを5つほど転がして、ボールが止まった的の数字の合計を競うというものでした。

またそのボールが角のないサイコロのような形をしているので、思った方向に転がらず、その力加減もなかなか難しいのです。

学生も私も一緒に真剣に取り組んでみたのですが、サロンの方々には全く歯が立ちませんでした。「なかなか思う通りにいきませんねえ」と苦戦している私に、サロンの皆さんが「そうでしょう、人生とおんなじよ」と笑っておっしゃるのです。さすが、人生の大先輩です。 

その言葉になんともいえない重みを感じている私を不思議そうに見ている学生たちの若いまなざしもまた印象的でした。

 そういえば、私もこの学生たちの頃は、そんなことを考えもしませんでした。学生たちの2倍の人生を生きている分の経験の差なのでしょう。そのまた私の2倍近い人生を生き抜いてこられたサロンの方々のように、美しい笑いジワが似合うように歳をとりたいものです。

(石井 敦子)


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# by mako0491 | 2017-06-25 16:27 | ヒト交差点

『まねきねこがっこう』

『まねきねこがっこう』きたあいり作



PHP研究所 2015年 1404円対象年齢:年齢に応じて読むことができます。

(読んでもらうには)4歳から(自分で読むには)5歳から大人まで 


 ●○あらすじ●○ある街のラーメン屋さんはいつもガラガラ。店長の親父さんは無愛想だし、壁のビラは剥がれているし、天井には蜘蛛の巣があります。店はどんより暗~い感じです。その店先にいるのが招き猫のにゃん吉。にゃん吉は今日も親父さんに怒られています。「今日もお客さんが来なかったぞ。この役立たず」もちろん、にゃん吉は思います。(僕だけのせいにしないで欲しいにゃん……)でも、実はにゃん吉は怠け者。招き猫にもかかわらず、腕をあげるのはしんどいとダラダラしていたのです。

 そんなある日のこと、猫型の紙が飛んできて、にゃん吉のおでこにピタッ。すると、体が勝手に裏山に向います。そこには招き猫の先生と半人前の招き猫達がいました。「一週間、みっちり特訓するから覚悟するように!」みっちりと、講習と実技訓練を受けました。

 次の日、にゃん吉は初めて筋肉痛に。お店には店長と女将さんだけです。「アイタタタ~誰も見ていないし、腕をおろしちゃおう。学校も休むにゃん」ところが、真夜中になると足が勝手に学校の方へ動きます。先生はカンカン。「サボるとは何事じゃ!わしらは幸せを招くのが仕事じゃ。そんなんじゃ、立派な招き猫になれんぞ」にゃん吉は言います。「招き猫より自由に動ける猫に生まれたかったにゃん!立派にならなくてもいいにゃん。」先生は立派な招き猫になれば、本物の猫になれると教えます。本物の猫も話しかけくれました。頑張って損はありません。

 シコ踏み、腕立て、と一週間頑張りました。その後、にゃん吉は一生懸命働きました。店は大繁盛し、親父さんと女将さんにも笑顔が溢れます。「ご苦労さん」と頭もなでてくれるようになりました。にゃん吉は満足に思います。(猫に生まれ変わるのはもっと先でもいいかにゃ~)自信に溢れた表情のにゃん吉に元気をもらえますよ♪(浦田ひろみ)

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# by mako0491 | 2017-06-12 17:18 | 絵本この一冊